「詰まっている物は、少々大きいかもしれない」
白い通路の奥から、硬いものを引きずる音が続いていた。
ずるり。
ずるり。
ポックは入口と、その先に伸びる通路を見比べた。
「まず、戻れるようにするぞ」
「甲冑が道を示している。迷う心配はない」
「その甲冑が途中で黙ったらどうするんだよ」
「そのときは、古代文明への評価をさらに下げよう」
「評価下げても帰れないんじゃ意味ないだろ」
ポックは白墨を取り出し、開いた壁の脇へ印をつけようとした。
白墨の先が滑る。
もう一度強く擦りつけても、滑らかな壁には粉一つ残らなかった。
「汚れない壁か」
「美しいものは、汚れを拒むものだ」
「不便だな」
「その感想には同意できない」
ポックは背負い袋から縄を取り出した。
端を通常坑道に残された岩の出っ張りへ結びつけ、もう一方を腰へ巻く。
「センセイも持て」
「僕が?」
「おれが引っ張られたら止めろ」
「僕を杭として扱っていないか?」
「壁よりマシだろ」
「比較対象を建材から離したまえ」
ルシアンは縄を握り、管理通路へ入った。
天井の青白い灯りが、二人の進行に合わせて順に点灯する。
背後では、通り過ぎた場所から静かに消えていった。
「僕を歓迎しているようだね」
「帰り道を暗くしてるようにも見えるけどな」
壁も床も、磨かれた石より滑らかだった。
埃はない。
あるのは、床の中央に続く黒い粘液と、その左右へ刻まれた深い擦り跡だけである。
ルシアンが足を下ろすたび、甲冑の内部へ新たな意味が届いた。
《異物性生体による閉塞を確認》
《共鳴導管を開放せよ》
「やはり生き物が詰まっているらしい」
「古代人は魔物も詰まり扱いか」
「僕も人間ではなく保全作業員扱いだ。彼らは分類が大雑把なのだよ」
通路の壁に、細い溝が走っていた。
奥から風が抜ける。
溝の内側で何かが震え、金属音が響く。
かあん――。
通常坑道で聞いた鐘の音より近く、腹の底へ響いた。
「鐘って、これが鳴ってたのか?」
「共鳴導管とやらの一部だろうね」
「これが詰まってるから、音がおかしくなってる?」
「古代文明の配管事情まで僕に尋ねられても困る」
「甲冑に聞けよ」
「聞いても、詰まりを取れとしか言わない」
実に融通の利かない作業指示だった。
◇
通路の先は、円形の広い空間へつながっていた。
正面の壁に、巨大な管が口を開けている。
その大半を塞ぐように、灰黒色の塊が詰まっていた。
最初は岩山に見えた。
だが、岩の表面がゆっくりと上下している。
節のある触角が伸び、黒い粘液を引きながら床を探った。
「鉱殻蛞蝓《こうかくなめくじ》だ」
ポックの声が低くなる。
「知っているのかポックン?」
「坑道の深い方にいる魔物だ。背中の殻へ鉱石を取り込む」
「蛞蝓《なめくじ》にしては、ずいぶん大きいな」
「普通は子牛くらいだ」
目の前の個体は、荷車より大きかった。
背中の殻には岩石だけでなく、錆びた金属片や、青白く光る鉱石が幾重にも食い込んでいる。
身体の半分を導管へ突っ込み、完全に栓をしていた。
「食べすぎは美を損なう好例だね」
「センセイの鎧も似た体形だぞ」
「僕の中身は完璧だ!」
蛞蝓《なめくじ》の触角が、二人の方へ向いた。
柔らかな胴体が膨らむ。
「センセイ、前!」
ポックの声と同時に、黒い液体が噴き出した。
ルシアンはポックの前へ立つ。
液体が胸部装甲へ浴びせかけられた。
じゅう、と音を立てて白い煙が上がる。
「センセイ!」
「騒ぐほどのことではない」
《外殻への腐食性物質付着》
《外殻損傷なし》
黒い装甲には、曇り一つ残っていない。
「僕の美貌を覆い隠す装具ではあるが、汚れを拒む姿勢だけは評価できる」
「今は褒めてる場合じゃないだろ!」
鉱殻蛞蝓《こうかくなめくじ》が、導管の中から身体を引き抜こうとした。
重い殻が床を擦る。
ずるり。
先ほどの音は、この殻だったらしい。
ルシアンは拳を握った。
「では、手早く終わらせよう」
《共鳴導管への衝撃を禁止》
「……」
「どうした?」
「殴るなと言われた」
「おれも同じこと言おうと思ってた」
「君たちは僕の長所を封じることに迷いがないな」
ポックは蛞蝓《なめくじ》と導管の隙間を見た。
「殻も壊すなよ」
「今度はなぜだ」
「売れる」
「古代装置と君の要求を同時に満たさねばならないのか!」
「できるだろ、センセイなら」
褒められているようで、完全に作業を押しつけられていた。
「どうすればいい」
「詰まりを取るんだろ。引き抜けばいいじゃないか」
「見れば分かる。どこを掴めばいいと聞いている」
ポックは灯りを近づけ、殻の左右を調べた。
「この縁なら手が入る。真っ直ぐ引けばいい。ひねるなよセンセイ。管を壊したら何が起きるか分からない」
「注文が多いな」
「殴るより簡単だろ」
ルシアンは粘液を踏まないよう足を開き、鉱殻の縁へ両手をかけた。
指先が岩と金属の隙間へ食い込む。
「引くぞ」
「ゆっくりな」
「僕はすでに繊細な力加減を身につけている」
「鼠を壁に埋めた奴が言うな」
ルシアンは脚へ力を込めた。
蛞蝓《なめくじ》の身体がわずかに動く。
しかし導管の内側へ吸いついた腹が、低い音を立てて抵抗した。
「むっ」
さらに引く。
太い腕の装甲が駆動し、床へ黒い脚が食い込んだ。
《出力補助を増加》
「ふぬぬ!」
「センセイ、止まるな!」
「止まっていない!」
鉱殻蛞蝓《こうかくなめくじ》が触角を振り回した。
一本がポックへ伸びる。
「ポックン!」
ルシアンは右手を殻から離し、腕で触角を受け止めた。
粘つく肉が装甲へ絡みつく。
片手になったことで蛞蝓が導管へ戻ろうとする。
「そのまま押さえててくれよセンセイ!」
ポックが黒い身体の脇へ回った。
露出した柔らかな腹へ短刀を突き立てる。
一度。
蛞蝓が大きく震えた。
二度目の刃が入る。
触角から力が抜けた。
「今だ、引け!」
ルシアンは再び両手で殻を掴んだ。
「ふんっ!」
鉱殻蛞蝓の巨体が、導管から一気に抜けた。
黒い粘液が糸を引き、巨大な殻が床へ転がる。
ルシアンは勢いのまま後ろへ数歩下がり――。
「止まれ、センセイ!」
「分かっている!」
脚を踏ん張る。
背中が壁へ触れる寸前で、どうにか止まった。
ポックが目を丸くする。
「止まれた」
「当然だ。壁との距離感は学習済みだと言っただろう」
《歩行安定性の向上を確認》
「君まで褒めなくていい」
◇
蛞蝓《なめくじ》が塞いでいた導管から、強い風が吹き出した。
黒い粘液が壁から剥がれ、床の細い溝へ流れ込んでいく。
導管の内側で複数の部品が動き始めた。
かあん。
遠くで一つ。
かあん。
別の方向でもう一つ。
やがて鐘鳴り坑道の奥から、いくつもの音が連なって響いた。
先ほどまでより澄み、長く続く音だった。
《第一支線の閉塞除去を確認》
《共鳴導管、正常稼働》
《保全指示、一件完了》
「終わったな」
ルシアンは胸を張った。
「では、外殻を解除したまえ」
《保全任務未完了》
「一件完了と言ったばかりだろう!」
《未処理の保全指示が存在します》
「何件ある?」
《情報取得不能》
「自分たちが残した仕事の量すら分からないのか!」
ルシアンの声が円形の空間へ響いた。
「古代文明は労働環境まで劣悪だったらしい!」
「とりあえず、一件は終わっただろ」
「僕が求めているのは達成感ではなく、この鎧の解除だ」
ポックはすでに鉱殻蛞蝓《こうかくなめくじ》の方へ向かっていた。
殻へ付着した鉱石や金属片を、一つずつ確認している。
「センセイ、これ高く売れるぞ」
「そうなのか?」
「普通の鉱殻蛞蝓《こうかくなめくじ》より、取り込んでる鉱石がずっと多い。青い部分は古代遺物に使われてる金属かもしれない」
「僕の解除には近づかなかったが、収入にはなったということか」
「持って帰れればな」
殻は荷車ほどある。
ポック一人では、少し動かすことすらできないだろう。
ルシアンは両手を差し入れ、巨大な殻を持ち上げた。
「軽いな」
「やっぱり稼げるぞ、センセイ」
「最初に会ったときと同じ目をするな。その眼つきは美しくない」
そのとき、導管脇の壁から低い音がした。
白い面が左右へ開く。
内部には、黒い甲冑一体が収まるほどの大きな台座が設置されていた。
腕と脚を置く窪み。
背中を支える湾曲した面。
形は違うが、ルシアンが最初に甲冑を見つけた部屋とよく似ている。
《外殻保全台を利用できます》
ルシアンは動きを止めた。
「どうした?」
「外殻の保全に使う台だそうだ」
ポックが目を輝かせる。
「それ、鎧を外す装置じゃないか?」
ルシアンは抱えていた鉱殻を静かに下ろした。
白い台座へ向き直る。
「ようやく古代人も、自らの過ちを認めたようだな」
台座の奥で、細い器具がゆっくりと展開した。