台座の奥で、細い器具がゆっくりと展開した。
一本。
二本。
さらに左右の壁からも、節のある白い腕が伸びてくる。
先端には小さな鉤、刷毛のような束、鋭く尖った針が取りつけられていた。
「……ポックン」
「なんだよ」
「これは本当に、外すための装置に見えるか?」
「鎧を分解する道具かもしれない」
「最後の針は何に使う」
「甲冑に聞けよ」
「僕が聞いても答えないから、君に尋ねているのだ!」
ルシアンが台座へ近づくと、その足元に青白い線が灯った。
《外殻保全台への接続を開始》
背中を支える湾曲した面が、わずかに開く。
黒い甲冑が収まるための空間は、ルシアンの身体へ合わせたようにぴたりとした大きさだった。
「入れってことか?」
「そのようだ」
「外せるかもしれないぞ、センセイ」
「無論だ。見たまえ、ポックン。僕の苦難も、ついに終わる」
ルシアンは胸を張り、台座へ足を踏み入れた。
背中を白い面へ預ける。
直後、両腕と両脚へ器具が伸びた。
がちり。
太い外殻が固定される。
「待て」
胸と腰にも帯状の部品が重なった。
「待ちたまえ」
兜の左右へ、針のついた器具が近づいてくる。
「ポックン!」
「動くなって!」
「また針が刺さろうとしている!」
「鎧の外側だろ!」
「前回もそう思っていたら、内側から刺されたのだ!」
逃れようと腕を動かすが、固定具はびくともしない。
《外殻保全処理を開始》
針の先端が、兜の継ぎ目へ触れた。
「やめ――」
痛みはなかった。
針は外殻の隙間へ入り込み、蛞蝓《なめくじ》の粘液を細かく掻き出していく。
続いて刷毛のような器具が回転し、黒い表面を磨き始めた。
別の腕が関節へ透明な液体を吹きつける。
《腐食性付着物を除去》
《駆動部の状態を確認》
《外殻表面を洗浄》
「……掃除か?」
ポックが台座の周りを歩きながら、器具の動きを眺めていた。
「掃除だな」
「外すのではないのか」
「外殻保全台って言ってただろ」
「保全の過程で外す可能性もある!」
白い腕が胸部装甲を叩いた。
硬い音が返る。
別の器具が肩から腕、胴体、脚の順に滑っていく。
《外殻損傷なし》
《駆動補助機構、正常》
《生体接続状態、安定》
ルシアンは動きを止めた。
「生体状態も調べているらしい」
「中の身体は?」
《装着者生体状態、良好》
《筋組織、最適状態を維持》
《皮膚、毛髪、爪の保全状態、良好》
「ポックン!」
「今度はなんだよ」
「僕の美貌は無事だ!」
固定されたまま、ルシアンは可能な限り胸を張った。
「髪も肌も、最適な状態に保たれている!」
「よかったな」
「反応が薄いぞ! 世界最高の芸術品が、この中で完全に保存されているのだ!」
「見えないけどな」
「それが最大の問題なのだ!」
外殻を磨く器具が、兜の口吻を念入りに擦った。
ポックは腕を組み、少し離れた場所から眺める。
「前より光ってきたぞ」
「中身ではなく、なぜ外側を美しくする!」
「元のセンセイだって外側ばっかり気にしてただろ。いいじゃないか、ますます黒くて艶々してきたぞ」
「虫としての完成度を上げるな!」
器具はルシアンの抗議を無視し、外殻を磨き続けた。
やがて、白い腕が次々と台座の奥へ戻っていく。
最後に胸と腰の固定具が外れた。
《外殻保全処理、完了》
ルシアンはすぐに台座から離れ、背中へ手を回した。
外殻は開いていない。
兜も閉じたまま。
当然、顔も見えない。
「……終わったのか?」
《外殻保全処理、完了》
「外殻を解除したまえ」
《解除条件未達》
「その返答は聞き飽きた!」
ルシアンは白い台座へ向き直った。
「この装置で外せるのだろう?」
《当保全台に生体接続解除機能はありません》
沈黙が落ちた。
ポックが台座を見上げる。
「何だって?」
「外す機能はないそうだ」
「じゃあ、何のために入ったんだよ」
ルシアンは自分の腕を見下ろした。
磨かれた黒い外殻が、青白い灯りを美しく反射している。
「虫としての艶を増すためらしい」
「きれいになったな、センセイ」
「慰めるな!」
◇
ルシアンは台座の前へ立ったまま、しばらく動かなかった。
期待した分だけ、失望も大きい。
保全任務を一件終えた。
魔物を倒した。
巨大な詰まりまで取り除いた。
それでも甲冑は外れず、代わりに外殻だけが念入りに磨かれた。
「帰るか?」
ポックが尋ねる。
「待ちたまえ」
この装置には、甲冑の状態を調べる機能がある。
ならば、解除についての情報も持っている可能性があった。
「解除手順を照会する」
返事はない。
「生体接続の解除方法を提示したまえ」
《解除手順照会》
これまでとは違う感覚が、甲冑の奥へ流れ込んできた。
短い定型通知ではない。
台座へ接続されたことで、保管されていた手順の一部が引き出されたらしい。
《保全任務完了後、中央保全拠点にて生体接続を解除》
ルシアンは黙った。
「センセイ?」
「外せる」
「え?」
「この甲冑は、本来なら外せるものだ」
ルシアンは白い台座へ一歩近づいた。
「任務を完了したあと、中央保全拠点と呼ばれる施設で解除するらしい」
ポックの顔が明るくなる。
「その場所は?」
「今、聞く」
ルシアンは台座へ向かって告げた。
「中央保全拠点までの経路を提示したまえ」
《中央保全拠点との接続を確認できません》
《経路情報、取得不能》
「場所は分からないそうだ」
「ほかのダンジョンかもしれないな」
「その可能性は高い」
「でも、外せる場所はあるんだろ?」
「ああ」
そこだけは、これまでの推測とは違う。
神官も鑑定士も、外せるとは言わなかった。
同じ文明の遺物があれば手掛かりになるかもしれないと、ポックが考えただけだった。
今は違う。
解除設備は存在する。
この甲冑は、永遠に装着者を閉じ込めるためのものではない。
「任務を全部終わらせれば、外せるんだな」
「そのようだ」
「あと何件?」
「それも聞いてみよう」
ルシアンは台座へ顔を向けた。
「未処理の保全指示を、すべて提示したまえ」
《現在地周辺の未処理保全指示、取得不能》
「では、総数は?」
《情報取得不能》
「完了までの見込みは?」
《情報取得不能》
「君は何なら分かるのだ!」
《外殻保全処理、完了》
「それはもう聞いた!」
ポックが吹き出した。
「笑い事ではないぞ、ポックン」
「だって、センセイだけきれいになって、何も分からないままだし」
「何も分からないわけではない」
ルシアンは、磨き上げられた黒い拳を握った。
「中央保全拠点へ行けば、この外殻を解除できる」
場所は分からない。
終わらせるべき任務の数も分からない。
それでも、昨日までは存在するかどうかさえ不明だった出口が、確かにどこかにある。
「必ず見つけるぞ、ポックン」
「もちろんだ」
「僕の美貌を世界へ取り戻すために」
「それと、金を稼ぐためにな」
「君はもう少し崇高な目的を持てないのか?」
「鑑定料も旅費も必要だろ」
「……現実的な目的も必要だな」
◇
二人は巨大な鉱殻を持ち帰ることにした。
ポックが荷物をまとめている間に、ルシアンが殻を両腕で抱え上げる。
青白い鉱石を取り込んだ殻は重かったが、甲冑の補助があれば苦にはならない。
《運搬負荷、許容範囲内》
「これは保全任務ではなく、僕たちの戦利品だ。余計な口を出さないでもらいたい」
「何を言われてるのかわからないけど、甲冑に張り合うなよ」
管理通路を戻る。
二人が通過すると、青白い灯りが順に消えていった。
入口へ結んだ縄も問題なく残っている。
通常坑道へ戻る直前、ルシアンは一度だけ白い通路を振り返った。
「また来ることになるだろうね」
「仕事が残ってるみたいだしな」
「次は、もう少し美しい仕事を用意しておくよう伝えておきたい」
「誰に?」
「古代人にだ」
「もういないだろ」
「だから労働環境が改善されないのか」
二人が通常坑道へ出ると、岩壁はゆっくり閉じた。
何事もなかったように、土埃のついた行き止まりへ戻る。
ポックが壁へ手を触れた。
「これ、おれたち以外には開けられないのかな」
「僕がいなければ、だろう」
「じゃあ、センセイは本当に鍵なんだな」
「鍵ではない。選ばれた保全従事者だ」
「蛞蝓《なめくじ》の詰まりを取る係だろ」
「肩書きの一部だけを抜き出すのはやめたまえ」
巨大な殻を抱えた黒い甲虫と、その前を歩く小柄な少年。
二人は再び、鐘鳴り坑道の入口へ向かって歩き始めた。
甲冑を外す場所は、世界のどこかにある。
まだ名前しか分からない。
それでも、昨日までよりは確かに近づいていた