ぼくは、スライム?〜偽物勇者と再生の子〜 作:ワンダ・プレイア
ゆっくりと山を降りていけば、視界が白く曇って息が冷たくなってきた。足元が湿って滑りやすい感覚と、ガタガタの道に歩く速度が遅くなっているのがよく分かる。
それに時間帯も夜に近づいてきているのか、太陽が曇っていて見えないのに辺りが暗くなり始めている。
「サニタスさん、今日はどこまで歩くんすか?」
「もうすぐの筈なんだが、今日はやけに霧が濃いな。ヴェクタ、本当にこっちで正解なのか?」
「確認するわー、待っててくれー」
前の方で手持ちのランプに火を付けたサニタスと、周りの警戒をし続けるリゴルの会話が聞こえてくる。
大きなヴェクタの荷物の隙間から前を覗けば、大きな紙を広げたヴェクタの側にサニタスが近づいて来たのが見える。
みんなが足を止めたみたいだったから、同じように動きを止める……身体を停止させれば、謎の身震いを感じて思わず振り返ってしまう。
でも僕にはなにも見えない。この霧?の向こうにもなにも感じない。
「カリエス様?この谷に入ってからずっと後ろを振り返ってますね。どうしてです?」
「え、えぇっと……分からない。でもなんか怖くて」
隣で僕と一緒に待っているルベラに、ちょっとだけ不安を漏らしてしまう。
念のためルベラも後ろを確認するけど、僕とおんなじでなにも見つけられないようだった。気のせいで良かったとふたりで胸を撫で下ろし、ルベラが柔らかい笑顔を向けて安心させるよう話しかけてくれた。
「この辺りは幅が狭くて大きな魔物は住めないものです、だからもし現れても大したことはないと思いますよ」
「そうならいいんだ。うまく言葉にできないけど、えっと……うーんと……」
「おいチビスケ、立ち話か?」
リゴルが声を掛けてくれたけどルベラが大丈夫だと返事をして、この話は終わった。
改めて後ろを見る、やっぱりなにも見えない。それは変わらないのにこの違和感?恐怖?それとも別のなにかの正体はなんなのだろう。
「ヴェクタの地図だと、この先に進めば目当ての洞窟があるそうだ。その先まで頑張ってくれ」
前の方からサニタスの声が聞こえ、他のみんなは返事をして行ってしまった。
「気のせい……なのかな?」
この違和感の正体は分からない、だから余計に怖くなったままみんなの後についていった。
でもこの違和感は、気のせいですまなかった。
「ヴェクタ……本当にここなのか?まるで——」
「合ってる、合ってる筈だ……随分と、使われたようだがな」
休めると予想してた洞窟には辿り着けた、真っ暗で視界の悪い道をはぐれないように進んできた。
道中にはこれといった危険は無かった。多分、他の魔族が全員逃げたからだと思う。それは僕らからじゃない、きっとそれ以上の大きな魔族からだろう。
広い洞窟から少し離れた場所にいるのに、中から生臭い匂いと鼻を抓みたくなる位の酷い臭いがする。
サニタスがランプを高く掲げると洞窟の全貌が見えてきた。積まれてぺしゃんこになったなにかの草、その横に獣の亡骸が積まれている。
知識がなくたってわかる、なにかが居た。というか住んでいた……でも火を使ったような、焚き火の跡らしいものがない。だから——。
「ま、魔物がいる。これ、住処になってたのかな?」
「サニィ。この谷に獣型の魔物……例えば、群れを成すようなとか。大型のとかの魔物はいないんじゃなかったのかよ」
「正直、確定できる材料はないだろうが。元から生息していた魔物とは違うのではないのか?」
この恐怖を目の前にして、サニタスは怯えることもなく洞窟に足を踏み入れていた。ヴェクタが止める間もなく、亡骸の山に近づいて膝を付いていた。
「ご、ごめんなさい……わたくし、ちょっと。臭いが……」
ルベラが蹲るように口元を押さえ、洞窟に背を向けて走って行ってしまった。それに慌ててリゴルがルベラを追っていった。
僕も正直怖かった、でも不思議と足が向いたのはサニタスの傍だった。近づいて僕もしゃがめば、また一層臭いが強くなった……なんでだろう、遠いけど近いような、この臭いを嗅いだことがある気がする。なんでだろう?
「外で待っていていいのですよ」
今まで聞いた中で一番冷たい声が聞こえた。目線は真っすぐ亡骸の山に向いたまま、声だけが僕に向いていた。
今すぐ逃げたいのは本心だ……でも、不思議と立ち上がってここから出ていこうとはしなかった。
「内臓が食べられてる、頭もないなんのまぞ……魔物なんだろう?」
「脚の形、この蹄。かなり特徴的なのでこの辺りの有蹄類の魔物と思われます、原型は留めていないので名前までは不明ですが」
手に持ったランプを床に置き、躊躇いも持たないままに魔物の亡骸に触り始めた。
「さ、サニタス!?」
「死んでから時間が経っている、首を噛みちぎって寝床に連れ込んで喰いやすい
すぐ側に落ちていたピンク色の肉塊を拾い上げた。虫が集って一番強い臭いについ顔をしかめて思わず鼻を摘んで臭いを拒絶してしまう。なのにサニタスは涼しい顔のまま、手に乗せたそれをまじまじと見ていた。
「産み堕とした、のかもしれない……へその緒が付いたままだ」
「なんで、こんな所に?ちゃんと産まれたのに……生きられなかったんだね」
「そうですね。脚の数、有蹄類にしては鋭い牙と特徴的な手の形……いやまさかそんな——」
ただ僕は、みんなの役に立ちたかった。剣を使えないと分かった今できること、活躍できることを知りたかった。それがカリエスとして今後隠れて生活して、バレないようにする近道だと思ってたから。
だから逃げずにサニタスの所へ行った、それが悪いことじゃないとも思ってたから。
でもこの時の選択は悪いことになったのかもしれない。
サニタスと洞窟の中を調べていた時、どこかから大きな爆発音が響いて洞窟全体が大きく揺れた気がした。激しい音と共に洞窟に流れた風に、カリエスの習慣だったのか剣を握りしめて振り返っていた。
「な、なんだ今の爆発音……ルベラ!リゴル!なにがあった」
別の場所を調べていたヴェクタが慌てた様子で外へ駆けていくと、外からどこか焦ったような声を漏らしていた。
「こりゃやべぇ……サニィ!来てくれ、ルベラが——」
ヴェクタの呼び掛けに、手に持っていたものを投げ捨てて真っ先に駆け出したサニタス。その後に続いて僕も洞窟の外に出て周りを見渡した。
相変わらず霧が濃い、でもなにかの焦げる匂いと……これは、そう。獣となにかの血の匂いが濃い!なんでだ、さっきまで近くになにも居なかったのに。
「ルベラ!……しっかりしろ!ルベラ!」
冷静さを感じないサニタスの声に、一瞬嫌な光景が頭の中を過った。すぐに理解したけど、それを確認するのが怖かった。
あんなに酷い姿の同族の成れの果てを見ていたのに。今は胸が痛くて呼吸が苦しくてしょうがない……どうしよう、そうだったら怖いな。
「ルベラ……ルベ……」
ゆっくりと振り返った先で、リゴルとヴェクタに見守られた真ん中に。サニタスに抱きかかえられながら、ぐったりと足が伸びているルベラの姿が見えた。
「おい、しっかりしろ!ルベラ、起きてくれ……頼む!」
「リゴル、なにがあった!?なにが居たんだ?」
「わ、わからない……振り返った時、大きな爆発で。俺も……なにがなんだか……」
ヴェクタの口調はいつも通り強いのに、どこか失望を感じる声でリゴルを責め立てている。
リゴルは言葉の圧にやられたのか、ついに頭を抱えて腰を曲げて嗚咽を漏らす声が聞こえてくる。
状況がうまく飲み込めない……なにかが一瞬にして起こった。でも、この場にいる誰もそれを理解していない。その状況が、僕の無力感と気持ち悪さを後押ししていく。
リゴルとヴェクタの横を通って、サニタスの腕の中に包まれるルベラの様子を伺った。
顔に黒い煤のようなものがこびりつき、頭を強く打ったのか力なくダルンと腕が地面についていた。
サニタスも現実を受け入れられないと思いつつ、現状を噛み砕くように下を向いて震えていた。
「ルベラ……ねえルベラ……」
さっきまで僕の横で笑顔を向けていた彼女の変わり果てた姿に、つい手を伸ばしてしまった。
ゆっくりと伸ばした右手が、彼女の頬に触れるか触れないかの時。勢いよく腕を、なにかの爪が食い込む感覚を覚える位強い力で掴まれた。
慌てて引っ込めようとも、その爪の力のほうが強くて振りほどけない……よく見れば、赤い鱗に覆われた細くて鋭い爪だ。指の間の指輪がほとんどヒビ割れているのが見えた。
「あなたは……」
柔らかい声が聞こえた。さっきまで眠っていた筈の目が異常な位開いていて、真っ赤な目が真っ直ぐ僕を見て。その口がゆっくり動いた。
「はじめまして……魔物さん、わたくし……ルベラ。トカゲちゃんです」