ぼくは、スライム?〜偽物勇者と再生の子〜 作:ワンダ・プレイア
飛び込んだ……とは言っても、ぼくが想像していたのは長い洞窟があって、その先で人間の秘密とかがわかるなにかがあるか、すごく強い魔族がいて、その魔族から色々教えて貰えるのだと思っていたけど、正直がっかりした。
「おい、なんで心底残念そうにしてやがる……」
「ちょっとだけ、ワクワクしちゃったから」
「そうかい、お前さんが運ばれてきた医務室だぞ?なんでワクワクするんだよ」
部屋に入れば、宿屋のより作りが荒いベッドがふたつ。奥の壁際に薬のような濁った液体が入った瓶が大きな棚の中に詰め込まれていて、その横に机と本、そしてランプが置いてある。
オスピスが窓を閉めてカーテンを閉じて、近くの小さな枝を擦って火をつけ出した。
「魔法だ!魔法で枝に火を起こした」
「違う、こりゃあ人間の道具だ。マッチっつう火を起こせるもんだ……使い捨てなのが難点だし、湿ると使えんくなる。まだ火打ち石の方が持ちが良くて便利なんだがな」
「じゃあ火打ち石、使えばいいじゃん」
「うるせぇ!こっちの方が楽なんだよ」
不満そうに顔をしかめつつ、ランプにマッチの火を近づけると部屋全体がほんのりと明るくなる。それを確認してマッチを素早く振り回して火を消していた。
「それに魔法っつうのは、魔族では当たり前のもんだが。人間の間だと戦う技みたいなもんで日常じゃ使い勝手が悪いらしい……魔法のことはお前さんの連れのピンクの精霊族に聞けばいい。俺は説明してやらんからな」
「ピンク?……ルベラはまだ子供なのかな、精霊族のパパがいるって言ってた……ねえ、そういえばパパってなに?」
ずっと考えていた、パパってなんだろうって。お母さんとは違うのかな?
「人間は雄と雌、ようは同じ人間でも性別っていう区切りがあって。そいつらが交尾しないと繁殖しない、俺達スライムは母親……つまり母体から切り離されて個性を持つ。パパは親の片割れみたいなもん、スライムとはちょっと違うんだよ」
「じゃあお母さんじゃない方の親が人間にはいるんだね。なんだか大変そう」
「そうだ、物分かりがいいじゃねーか。まとめれば人間は父と母というふたりの親がいるってこと、俺だったらふたりも覚えられる自信はないな」
軽い雑談を挟んで場の空気を和ませたオスピスが、ふたり分の椅子を持ってきて座るように指示をした。
ゆっくりと腰掛けると新しい本を手に取って、オスピスがページを捲りながらまた説明を続けた。
「じゃあ本題に行こうか。おい坊主、人に紛れるのなら文字の読み書きが必須だ。でも今から勉強するのは骨が折れるしとても大変だ、オマケにバレるリスクがある」
「だから外側の、ぼくの場合はカリエスの記憶を使うってことなんだよね」
正しい答えがするっと出てきたからか、オスピスはニヤリと口角を上げて歪で黄ばんだ歯を見せていた。ちょっとだけ怖かったけど、なにも言わずに下を向いた。
「そういうことだ。でも宿主の記憶ってのは突拍子もなく思い出せちまうもんで、話していたら急にだとか、眠っていたら夢に出てくるとかな。でもそれじゃいけない、俺達が本当に欲しい記憶ってのは、ちゃんと探せるようにならないといけない」
オスピスはそう言うと引き出しから紙を一枚取り出して、薬とは違う黒い瓶と一枚の羽根を用意していた。
不思議に覗いてみると慣れた手つきで羽根の付け根に瓶の液体を吸わせて紙の上に滑らせていた。
「じゃあどうするかだ。俺の場合だが、水の中に居るのをイメージして欲しい記憶だけを考える。人間ってのは必要な記憶も、余計な記憶もほとんど捨てずに残してあるのさ。変なのには触れないようにな」
「忘れるか、捨てちゃわないんだね。変なの」
「だな。頭が良いから残っちまうのかもな……俺は水の中が一番だが、暗闇でも布団の中でもなんでもいい。お前が一番落ち着ける場所をとりあえず考えてみろ」
オスピスに言われるがまま、とりあえずなにか考えてみる。
水、暗闇、布団みたいな落ち着ける場所かぁ……ならぼくは——。
「背の高い草、木漏れ日が見える、涼しくて湿っていて心地がいい。森……いつも遊んでいた森の中」
「そうか、そこがお前の落ち着ける場所だな。じゃあそこで思い出せる筈だ。今回は文字だ、カリエスという人間が文字をどう記憶していたか。それだけを考えろ」
「文字……カリエスは……僕は……」
目を閉じて、いつの日に行った森の中を思い出す。木の枝の間から漏れているお日様の光、雨が通った後の湿った土の匂い、風が吹いてぼくより少しだけ背の高い青々とした草が顔を撫でている。
懐かしいな、あの頃の景色だ。
遠くからお母さんがぼくを呼ぶ声が聞こえてくる、美味しい木の実を拾って一緒に食べたっけ。でもまだちょっとだけ酸っぱかったんだよな。それから花を摘んで冠にしてくれた、水色と黄色の花が好きだった。お母さんとぼくの色だったから。
「おい!思い出に浸りきってんじゃねぇ。文字のことだけ考えろ」
目に映らないけどオスピスの声が聞こえた途端、お母さんの声がふっと消えた。そうだ、文字……文字を考えなきゃ。
文字は看板や本に書いてあった模様みたいなもじゃもじゃ、なんで使っているんだろう?生活する上でどう必要だったんだろう。
なにかを伝えるため?なら話せば全部解決するんじゃないの?でもずっと喋っていることは不可能だし、間違いだって起こるかもしれない。
なら、なにかを伝えるのに文字がある……じゃあどう使っていたの?
「文字……文字……」
「まだできんか、魔族にも文字はあっただろうに本当に箱入りだったのか。そうだなヒントをやろう、お前の母親は文字をどう使っていたか?」
「お母さんは……本を開いて、読み聞かせてくれた。寝る前にいつも」
「じゃあカリエスだっておんなじな筈だ。本を開いてみろ、カリエスの目を通して」
オスピスの言葉を聞いて今一度考えてみる、カリエスはどんな時に本を開いていたのか。
きっとカリエスは、勇者という凄いものになる人間だったから。なにかを知りたい、考えたいって理由で本を開いたのかもしれない……人間は頭が良い、だから魔族の本より難しくって、分厚い本を手に取るのかもしれない。どこで開くんだろう?誰と読んだんだろう?
優しい風がぼくを撫でていた次の瞬間、バチッと目の前に大きな火花が散って。ぼくは見覚えのない場所に座っていた。
背の低い草、木漏れ日が視界に揺れている、涼しいけどからっとした空気で心地が悪い。
見覚えのない白い壁に囲まれて、視界の至る所に同じ服を着た人間がうろついているのが見えた。ここはどこだろう?
怖いって感情より先に、覚えがない記憶に一瞬混乱しかけたけど。きっとこれはいつの日かのカリエスの記憶なんじゃないかって思った。身に覚えがなさすぎるもの、さすがに分かるよこれ位。
「カリエス様、どうかされましたか?」
聞いたことのある声に目を向ければ、ルベラがまんまるな目をこちらに向けて隣に座っていた。ついさっき抱きついてきた時よりももっと落ち着いている。
髪はさっきより長いのを編み込みのような感じにして一本に纏めていて、服も手袋も変わらないけど、服はもっと綺麗で皺がない……これはいつの記憶なんだろう?
「もう、またバリセラなんかと夜更かしですか?あんないじめっ子と仲良くしていても良いことはありませんよ?」
茶化すような、それでいて優しく諭すような声で話しかけてきた。なんて言えばいいか分からなくて誤魔化すように返事をしたら、ルベラが首を傾げながら「変なの」とだけ言って目線を下に落としていた。
一緒に目線を下げればルベラは一冊の本を開いて、その手でページを捲っている。
「さぁ、お勉強のお時間です!今度こそ赤点回避して貰わないと、教えた時間が無駄になっちゃいます。今日こそはちゃーんと覚えてくださいね!」
「ごめんね、僕は体を動かしている方が楽だから」
「だからって逃げないでください、歴史の基礎からもう一度」
一切状況が掴めないのに、口から出てくる言葉はそれっぽく彩られていく。それに誰かの名前が出てきたけど、考える間もないままに勝手に進んでいく。これはなに?カリエスは一体なにをしているの?
「じゃ、ここ。読んでみてください」
「え、なんで——」
「その方がちゃんと覚えるからです、さぁ大きな声で。はっきりと!」
ルベラの指が指し示すページの一節が目に入った、思わず息を飲みこんで口を開いてその文字を言葉にしようとした時。またバチっと目の前に火花が散った。