ぼくは、スライム?〜偽物勇者と再生の子〜 作:ワンダ・プレイア
また場面が変わった。椅子から崩れ落ちて地面に倒れていて、オスピスが黙ったままぼくを見ていた。
目を瞑って考えていたかと思えば、知らない場所に飛んでいて、考える間もなくまた戻ってきた。
なぜか身体の中心がドキドキしていて、苦しくて思い切り息を吸っては吐いてを繰り返した。なんでか顔が熱くてほんのり汗が滲んでいる……ぼくになにが起こったの?
「よぉ、ちゃんと戻ってこれたな。なにが見えた?」
「ぼく、どこか知らない場所にカリエスが居たんだ。今より髪の毛が長いルベラが隣に居て、それで……本を一緒に読んだ、勉強していた」
「成功したな、それが『追憶』。勝手にだがそう俺が命名した、宿主の記憶を追体験することが可能になる。パラサイトスライムの能力さ」
そう言ってオスピスがさっきなにかを書いていた紙を目の前に差し出した、受け取って試しに目を通してみたけど。恥ずかしさで顔が赤くなったのが分かった。
「な……もう!知っていたなら先に言ってよ!」
慌てて目を擦るように、目尻についていた花びらを払って取り除いた。それを見て満足そうに鼻を膨らませたオスピスが説明を続けた。
「すげぇだろ、それが追憶の効果だ。お前はついさっきまで文字なんか知らなかったのに、追体験のお陰でこうもすぐ物にしちまったのさ」
一枚の紙には「目の横に花びらが付いている、どこでつけたんだ?」とだけ書いてあった。いつ付けたんだろう?白い花びらなんて。
そういやオスピスの病院の前に花があったよな。でも、いつ?どうやって?
「はぁ、追憶すると本当に周りの音が聞こえなくなるよなぁ〜お前が目を瞑ってる間にこっそりつけても。この通りだ」
いたずらが成功したオスピスはケタケタとお腹を抱えて笑い出し、掌に握っていた白い花を机の上にぱらぱらと落とした。手の汚れを払ってまだ地面に座ったままのぼくの身体を引き上げてくれた。
ふらつく足でなんとか踏ん張って立ち上がり、椅子を直してもう一度座り直す。ちょっとくらりとした頭のままニヤケた顔を見つめた、オスピスは咳払いをしてちょっと顔をきりっとさせた。
一瞬命の危険を感じた気がする。急に笑顔が止んだせいで、さっきのエプロン姿を思い出してしまいそうだ。今度夢に出てきそう。
「追憶ってのは便利だ、人間のことを学ぶには一番の近道になる。これで俺達は人間界で無敵!天下無双ってもんだな!アッハッハ!」
「そんなわけないじゃん!追憶している間に襲われたら大変だよ。それにずっと上手くいくなんて信じない!それにすっごい疲れる、無敵?でも無双?じゃないよ絶対に」
お気楽そうにヘラヘラしていたオスピスの言葉に、ついムッとして強い言葉で言い返してしまった。
確かに便利なのかもしれない、でもあれを……あんな集中してようやく文字が読めるようになるなんて。
これをずっと繰り返さないといけないのか、嫌だ!すごく大変だ、正直身体が持たない。カリエスの嫌な記憶とか怖い記憶を見ないと覚えられないことも増えるのかな……嫌だ、やっぱやりたくない。
「ちゃんと勉強した方がいい、追憶の時に反応が無かったら死んじゃったって思われるかもだし。危ないよ」
「だろうな。寄生した先がどんなに強かろうが、俺達は所詮ただのスライム。追憶というのはあくまで思い出すためだけの近道、それに人間の目を通して知れたとて理解はできんことばかりだ」
「例えば?」
「死んだ肉の解体を嫌がるとか、病気は金を払って薬を買えば完全に治ると思ってるとかな」
ふぅっと息を吐いてさっきまで手に取っていた本を開いて、さっきと同じページを見せてきた。
「どれくらい、読めるようになった?」
オスピスから本を受け取って、試しに目を通してみた。さっきまでただの模様のように並んでいたように見えて、一切分からなかったのに。今ならなんとなくこの本に書かれた文字が、なにを伝えたいかが分かってきた。
だからカリエスの記憶の中でルベラが言っていたように、言葉にして本の内容を読み上げていく。
「ぱ、パラサイトスライム……変化し続ける。ね、ねん……粘液生物の一種であり、自身より強い魔物、または人間の脳へしん……にゅうしてその肉体をやどぬし?違う
「ちと怪しいが上々だな、よかったな!これで生存率は上がる。俺の店でパラサイトスライムが見つかるリスクがちょっと減った」
腕を組んで頷きながら、満足したような顔をしていた。これが続くのかぁ……次はなにがあるんだろう?気を引き締めないとな。
「リスクを承知で
「え、終わり?」
急な終わり宣言につい聞き返してしまった。他に人間の常識とかやってはいけないこととか、そういう勉強会が始まるんじゃないの?追憶だけ!?
「終わり。俺は勇者の身体に入ったガキの面倒をこれ以上見る気も起きんし、そもそもすんげー技一個だけでも授かったよな。それだけでもお前は幸せもんだろ……なにも知らずに野垂れ死にそうになった、俺よりも」
ちょっとだけ表情を曇らせ、机に片肘をつきながら壁を見つめ始めたオスピス。文句の言葉を出しそうになってぐっと堪えてしまった。
そうだよな、自分で生きるだけでも一生懸命なんだろう。同族が、考えが近くて理解されやすい魔族がいない中で、たった独りで生きなきゃいけないってすごく大変なんだろうな。
今すぐ辞めればいいのに、その身体から出ちゃ駄目なのかな。
「身体、捨てちゃわないの?」
「んー?捨てられねぇよ、大変なのは百も承知だがよぉ……人間の生活が楽なんだよ。スライムの身体は正直不便なんだ、飯を食うのも一苦労だったし、慣れればもう戻れねぇな。別の同族で人間以上の最高な身体があれば、別だがな」
半笑いしながらもオスピスは冗談っぽく言ったけど、ほとんど本心っぽく聞こえる。
ぼくより長く生きたスライムの言葉だ、身に沁みる。いつかぼくもスライムとして苦労して、結局人間の身体がいいって思っちゃうのかな。
ちょっと嫌なことを考えてしまった、だから聞いてみたくなった。
「ねえオスピス」
「あ?そうだ。免許皆伝の報酬を——」
「ぼくは、いつか僕に……カリエスに頭も心もなっちゃうのかな?ぼくは……スライムじゃなくて、完全な人間になっちゃうの?」
ただ小さく吐き出した疑問だった。だってそうなんじゃないかって、急に怖くなってしまったから。
もしまたお母さんに会うことができた時、ぼくはまだスライムなんだろうか?カリエスと同じ服を着て、カリエスの言葉を借りて喋っていくんだろう。それが生き残る術だから。
もし死ぬまでやることになったとしても……ぼくは、ぼくのままなんだろうか?
そう考えれば考える程に身体中が寒くなっていって、ガタガタと震えてしまう。さっき飲み込んだ筈のヴェクタのスープが酸っぱさと共に喉元まで戻ってきてしまって、一生懸命口を押さえてもう一度飲み込んだ。
あんなに美味しかったスープなのに、もう一度喉を通った時には別物みたいな味がした。
「そんなもん……なれると、思うか?」
「なれるんじゃないかな。みんなからずっとぼくというスライムじゃなくて、「カリエス」って呼ばれ続けてそう関わり続けたら。きっといつか……『なっちゃう』んじゃないかって」
言葉にすればするほどに、自分と違う姿を想像して頭が強く痛んでくる。いつか、ぼくが一番望んでいる「お母さんに会いたい」って願いすら消えてしまって、剣をちゃんと握って扱えるようになった時お母さんと再会したら。ぼくは……僕は……。
「お前……そうだな、わかりやすく言ってやろう。お前はオーガと同じ武器を持ったとして、サキュバスと同じ毒を扱えたとして、人間と同じ顔になったとして。俺達はスライムじゃなくなると本気で思っているのか?」
冷たいけど、心にチクリと刺さった針のようなものの先に括られた、細い糸に引っ張られたような感覚で自然に上を向いた。
ぼくをまっすぐ見てニコリともせずに、オスピスはぼくの答えを待っていた。そう言われて、小さく息を吸って身体を落ち着かせて、またちょっとだけ考えてみた。
オーガ……強くて逞しい魔族の戦士。大きな剣や斧をいつも持っている、でもぼくが持ったってなにも変わらない。オーガみたく戦いに明け暮れることもない。
サキュバス……長くしっとりとした黒い槍のような尻尾から毒を出して他の生き物を捕まえる。でもそんなのあったってうまく扱えない、自分の毒で倒れてしまうのかもしれない。
人間……たくさん考えて、色んなことをして、魔族より幸せそうに生きているのに魔族と戦おうとする。この顔になったって、ぼくは……人間を好きになることも、魔族を魔物だと言って嫌いになるなんてこともない。
顔は変わった、ちょっとだけいい経験もした。でもぼくは「カリエス」なのかって考えても……やっぱり全然違う、ぼくはカリエスになっていない。なにも変わっていない。
「違う……ぼくは、どう頑張ってもスライム。カリエスにはずっとなれない」
これが正解なのかはともかく、ぼくの出した答えにオスピスは目を瞑って小さく口角を釣り上げていた。
短い沈黙が続いていた。オスピスの表情を読み取ろうとしたけど、しわくちゃの顔は動かなくて複雑な顔がなにを思っているかは分からなかった。
「オスピス?大丈夫?お腹空いた?」
「いや、大丈夫だ……どう頑張っても、どんなにいい暮らしをして、魔族の暮らしを思い出せない程の時間を、そこら辺でくたばっていた人間の皮を被って過ごしていても、俺達は結局なんにもなれないのさ」
そんな話をしながら、椅子から立ち上がったオスピスは窓まで近寄ってカーテンを開いて窓を開けていた。生暖かい風が部屋の中に入ってきて湿って重い空気が変わった、外はもうとっくに夜中になっている。
「この先、他人の人生を食い破った
外から入ってくる空気を吸いながら、机の下から紙を丸めた棒状のなにかを取り出してランプの蓋を開けていた。
「そしてお前、偶然だったかもしれんが。お前が身体を手に入れたのはよりにもよって人間共の英雄もとい『勇者』、面倒事になっちまったんだよ……あ?正確にはまだなのか?」
「これからなるんだって、カマアマに向かって授与式して勇者なんだって。あ、そうだ!このまま逃げちゃえばいいのかな?」
「カリエスには愉快なお仲間が居んだろ。あんなお前のガワに好意的な連中なら、きっと逃げても地の果てまで追いかけて連れ戻すかもな」
棒状のものを咥えて、その先端に火を近づけてゆっくりと息を吸って先端が赤くなった、棒状のそれから口を離したオスピスが煙を吐いた。軽くその煙を吸ったら思い切り咽せてしまい、口元を押さえて大きく咳き込んでしまった。
「煙草がうめぇや、お前のような愚かな同族を肴にして吸う煙はよぉ」
「ゲホッ!ゲホッ!……ひ、酷い匂いだ。こんな変なことを好きでやってるの?やっぱ人間なんか嫌いだ、ぼくの街を酷い目に合わせたし」
「ハハッ!だよな、俺も大っ嫌いだ……だからとっとと寄生辞めたいだろ?」
咳が段々落ち着いて涙が目尻に溜まり始めた頃、オスピスの口から煙と一緒に吐き出された希望の光に顔を上げた。
煙草と呼んだものを咥えながら、なにか企んでいそうなオスピスの言葉にゆっくりと頷いた。
「さっきも言ったが俺は知らない、でも?俺以外のパラサイトスライムの誰かが知っていたとしたら?」
「存在するの?人間に寄生した……ぼくやオスピス以外の、同族が」
「ああ、確実にな」
煙草の煙を目一杯吸い込んで、ゆっくりと吐き出しながら目を細めた。
「そういう意味じゃあ勇者ってのは便利なんじゃないか?旅をするのに色んな国を巡る、その先でパラサイトスライムを探すことができれば知っている奴とも出会えるかもな」
「み、見分けられるんだ。よく人間にバレなかったね」
「死臭に気をつければ大丈夫、意外に騙せるぜ?それ以外は……まあコツを掴めばすぐ分かるようになるさ。魔力の流れを見えるようにしとけよ?魔族と人間はものが違うからな」
「どうやるの?ぼく見えたことないんだけど」
「頭から湯気みたいなのが出てるから見りゃわかる。気がつきゃやれてるからそこは頑張るっきゃないな」
それでここで目が覚めた時、オスピスはぼくをスライムって分かったんだ。ようやく理解できた。
短くなった煙草を鉄の皿に押し付けて、窓の外を見ながらオスピスは最後の話だと言いたげに語りだした。
「だからさ、スライムの坊主ってままじゃ駄目なんだよ。名前が今後必要になる……お前はカリエスじゃないから、お前自身の名前がいるんだよ」
「ぼくの?」
「本当は成熟しきったら母親から貰えるんだが、お前の場合は母さんの名前すら覚えてなさそうだな……だから——」
ぼくを指差して、まっすぐ見つめてこう言った。
「せめてもの
そう言うと、紙に羽根の先を滑らせて小さく畳んでぼくに差し出してきた。受け取って開けば、紙にオスピスの名前とその書き方が書いてあった。
「オスピス……名前……ぼくの?」
小さく呟いて文字を見ながら、小さな頭で今まで教えて貰ったことを考えてまとめる。
どこかで人に紛れて生きているかも知れないパラサイトスライムに会って、この身体からの脱出方法を教えて貰う。それをするには世界中を旅したほうがいい、だから勇者としてうまくみんなを騙さないといけない。
「やれるかな?ぼくスライムなのに」
「当たり前さ、俺の名前を持っていくんだからな。きっと上手くいく……俺以上に」
そういってぼくの頭を優しく撫でてくれた。お母さんのようなゆっくりとした感じじゃなくて、もっと掴んで揺さぶるような乱暴な撫で方だったけど、それが覚悟を決める手助けをしてくれたようだった。
小さな覚悟を決めていたその時、本当にオスピスは喜んでくれてるように見えた。それが「厄介者を追い出せた」って思っていたとしても嬉しかった。
きっと上手くいく、俺以上に。
そのオスピスの言葉が、ただ背中を押したその言葉が。どんどん苦しくなって、なにがあっても辛く背中を押し続ける。もう止まれない覚悟の言葉になるなんて思わなかったけど。