USJ襲撃事件の翌日。雄英は大事を取って臨時休校となった。個性の酷使による疲労がたまっていた希結理は、「外出は控えるように」とリカバリーガールにやんわり釘を刺されている。
「まあ、外出しなければいいのよね」
希結理はそう呟いて目を閉じる。その意識は奥深くへ落ちていく。
意識を個性の深くまで沈め、目を開ければそこは、海の広がる国だった。オンパロスに存在した国の一つ、海洋国家『スティコシア』だ。今希結理は巨大な噴水の側に立っている。そして希結理の目の前には、一人の女性がいた。
紫色の長い髪をなびかせる女性。目元には鱗が浮かび、腹部は水槽のように透き通っていて、その奥には肋骨まで見えていた。人間ではない。『海洋』のタイタン・ファジェイナが生み出した眷属であるセイレーン族。彼女こそ、かつてケリュドラに絶対の忠誠を誓った『海洋』の半神――セイレンスだ。
「来たな、ピンクのウミウシ」
「ここは…スティコシアかしら?」
「ああ、在りし日の姿だがな」
「それで、試練の内容は何かしら?」
希結理がそう問うと、セイレンスは側にあった剣立てから一本の剣を手に持ち、希結理に渡す。
「戦え、ってことかしら?」
「ワタシはこれで教える以外の方法を知らない。だから内容は単純だ。剣で私と戦え」
ただし、とセイレンスが付け加えた瞬間、どこからか歌声がこだました。それを聞いた希結理の視界は大きく揺らぐ。
(これは、セイレーンの歌声……!)
「この酩酊の中で、だかな。ワタシは平気だが、キミはそうもいかないだろう?」
「なるほど――『紛争』が戴冠して王になりますように」
セイレーンの歌には人を惑わす効果がある。希結理は混濁する意識の中で何とか『紛争』の神権を発動させた。少し視界がクリアになったが、それだけだ。まともに戦える状態とはほど遠い。そして気付けば、セイレンスの手にはバイオリンと弦のような形をした双剣が握られていた。
「さあ、行くぞ」
「っ!」
その言葉を合図に、一気に踏み込んだセイレンスの剣と、何とか反応した希結理の剣が衝突した。希結理は立て直すために一度距離を取る。
「あたし、まだ未成年なのだけれど」
「擬似的な酩酊だ。実際にメーレ*1を飲んだわけではないのだからいいだろう。その軽口、いつまで叩いていられるかな?」
「!!」
セイレンスの剣が迫り、希結理はそれを弾こうと剣を振るうが、当たった感触は無く、無防備な希結理に剣の峰が直撃し、大きく吹き飛ばされる。
(どうして?今確かに……いえ、距離感覚も狂い始めてるのね)
「キミは純粋な技量が足りていない。その程度ではワタシの試練は乗り越えられないぞ、ウミウシ」
「言って、くれるじゃない……」
希結理は何とか立ち上がって姿勢を保ち、剣を握り直す。その目に宿る闘志は、まだ消えていなかった。
(10つ目の火種の継承。そろそろキミの身体や個性そのものにも変化が起こる頃合いだろう。だからこそここで一度、その体を鍛え直す)
「――『理性』が真理を広めますように。正面突破が無理なら……!」
希結理は神権を『理性』に切り替え、植物の根をセイレンスへと伸ばしていく。いくつかは的外れな位置に攻撃しているが、酩酊によるデバフは攻撃の数でカバーする。だが、
「甘いな」
セイレンスの側面から伸びた根は、あっさりと斬り伏せられた。希結理は待っていたと言わんばかりにセイレンスの背後から根を伸ばし、拘束を試みる。だが、セイレンスはそれを見透かしていたのか、根を身軽にかわし、振り返りざまに斬り裂く。
「能力だよりではワタシを倒すことなどできんぞ」
「くっ!」
セイレンスは希結理を蹴り飛ばし、希結理は壁に打ち付けられる。『海洋』の半神としての能力を一切使わず、純粋な剣技と身体能力で希結理を圧倒している。そこにあるのは、圧倒的な力の差だった。
「この先格上のヴィランが現れたとして、キミはこうして力なく倒れ伏すのか?」
「…違うわ」
「ならば立て。立ってワタシに抗ってみせろ。能力も、技術も、己の持つすべてをかけて戦え。醜くても、泥臭くても戦え。それが戦いだ」
幾度となく戦場を生き抜いてきたセイレンス。その手に握られた、ホラガイと真珠から作られたとは思えないほど鋭い双剣が、彼女の戦士としての経験を物語っていた。生半可な攻撃では、彼女に傷ひとつ負わせられない。
(今のままじゃダメ。能力だけで戦うんじゃなく、能力で隙を作り、武器と自分の身体で攻める)
希結理は剣を強く握りしめた。その様子を見て、セイレンスがわずかに目を細める。次の瞬間、再び植物の根が伸びた。酩酊による距離感の錯覚は、今までの攻撃のあたり具合から距離の乖離を逆算する。
「ふん、先の繰り返しか?」
「そう思う?」
セイレンスは自身に向かって伸びた根を斬り裂く。根が視界を覆った一瞬、希結理はその陰を利用して死角へ回り込んでいた。視界が晴れたとき、セイレンスの正面にはもう彼女の姿はなかった。
「ほう」
「ふっ!」
さらに、先ほどセイレンスの死角に入ったときに神権を『紛争』に切り替えていた希結理は身体強化を乗せた蹴りを、鍔迫り合いをしているセイレンスに放ち、のけぞらせる。それを見たセイレンスは、笑みを浮かべ、剣を納めた。
「そうだ。己の技術と神権を組み合わせろ。そうすれば今よりもっと強くなるはずだ」
「剣を納めたってことは試練はクリア、でいいのかしら?」
「ああ、最低限期待を持てることは分かった」
一応リカバリーガールの言いつけが頭にあった希結理はなるべく早く現実に戻ろうと思っていた。そうして現実に帰ろうとする希結理を、セイレンスが引き留める。
「待て、ピンクのウミウシ。話しておくことがある」
「あら、何かしら?」
「火種の継承に応じて、そろそろ個性にも変化が現れる頃だろう。例えば、キミが『紛争』の神権を発動していたとき、酩酊の影響が軽減されていただろう?」
「ええ、確かに」
「あれはオタリア*2の不死性が影響しているのかもしれない。……あくまでワタシの推測だがな」
個性の成長による身体の変化。それは個性を持つ者には往々にしてあることだ。希結理の場合それが、黄金裔の特徴がより色濃く反映される、という結果になったのだろう。
「忠告ありがとう、セイレンス。でもあたしはこの力を、自分のものにしてみせる。きっとそれは、英雄になるために必要なことだから」
希結理はそう言って、その世界から意識を切り離した。
セイレンスについて少し捕捉をば。
・セイレンス
人を魚の名前で呼ぶ癖がある。純粋な戦闘力なら黄金裔の中でも上澄み(だと思っている)。
次回、体育祭編突入です。