暗黒神殿への穴をふさぐ岩と崖との隙間から、悲鳴のような音が漏れていた。
「気味が悪いな。なんだと思う、リョーツーン卿」
「煙から逃げようとしてここまできた食屍鬼かなにかの鳴き声でしょう」
「やはり、そうか。かわいそうだが、たすけてやるわけにもいかんな。……ところで、なにをしているんだ?」
空のあちこちを見回しているリョーツーンに、ザラーヴァントは疑問の声を投げかけた。
「煙が立ち上ってないかな、と思いまして」
淡々とした表示用で、角刈りの郵政官は返事をした。
「煙だと?」
「そう、煙です。あれだけの煙なら、地下神殿に他の出入口があれば、そこから漏れているはずですから。……どうやら、アレが怪しいな」
腫れぼったいまぶたの下で小さな黒い瞳が、煙のすじが空へのぼっていくのをとらえていた。
エクバターナの城壁の外側に広がる荒野。
門外集落からも離れたところにある岩影から煙が立ち上っていた。よく見れば、そこには巧妙に隠された扉があって、その隙間から煙が噴き出ているのがわかるであろう。
その扉が乱雑に内側から開け放たれた。
勢いを増した煙とともに、幾人かが這い出てきた。いずれも、暗灰色の衣をまとっている。
「あやうく燻製になるところであったわ」
「いまいましい。最後の抜け道も使うことになってしまったぞ」
「そら、食屍鬼どもも急がぬか」
魔道士たちにつづいて、数十匹がかりで白い棺を担いだ食屍鬼たちが地上にでてくる。そのあとからも、食屍鬼と四眼犬の無秩序な行進は続いた。
「それがアンドラゴラス先王の御遺体か」
魔道士のものではない声が、魔道士たちを無形の鞭で叩いた。
声のしたほうを見れば、黒い甲冑をまとって黒い悍馬にまたがったパルス騎士が、馬の足を魔道士たちにむけてゆったりとすすめている。
驚いて周囲を見渡せば、百ガズほどの距離をとって、魔道士たちを騎影が包囲していた。
「すでに待ち伏せされていたか」
魔道士の声に諦観の響きはない。
「それ! 一匹の食屍鬼も逃すな! 全軍突撃!」
ダリューンの号令のもと、馬蹄の響きが轟き、包囲陣がせばまってゆく。
「くくく、人間の限界というものを教えてやるぞ!」
魔道士グルガーンの叫びとともに、暗黒神殿の抜け穴から飛び出した……否、飛び立ったものたちがいる。
巨大な蝙蝠の羽根を背中に生やした人とも猿ともつかぬ生物。
「まさか、有翼猿鬼か……! はじめて本物を見たぞ」
さすがの戦士の中の戦士も、驚きの声をあげた。
ザッハークの封印とともに伝承のなかに消え去ったと思われていた怪物たちは、白い骨づくりの棺にむらがり、宙にもち上げ始めた。
「空に逃げる気か! そうはさせぬぞ」
黒影号を疾走させるダリューンの前に食屍鬼と四眼犬の群れが立ちふさがる。こんな怪物どもなど、ダリューンの敵ではないが、一匹切り捨てるたびに時間を消費させられた。
「ふははははは、さらばだ、僭王の手下ども!」
魔道士たちも、それぞれ二匹の有翼猿鬼の足に捕まって空へと飛びたってゆく。
「おのれ、アルスラーン陛下を侮辱したな!」
ダリューンは強弓を引き絞った。
放った矢は、魔道士にも有翼猿鬼にも当たらなかった。
「ええい、地上の敵兵を射るのとは勝手がちがうな」
悪態をつきながら、次の矢をつがえようとした、そのときである。
「待ぁて待て待てぇえい! とお!」
リョーツーンが馬で駆け寄り、鞍を蹴って飛び上がった。
有翼猿鬼の両足をつかむ。
足首をつかまれた有翼猿鬼はリョーツーンを振り落とそうとするが、飛びながらだと、手が自分の足首に届かないらしい。
やむなく、あきらめてそのまま仲間についていこうとする。
だが、一匹の翼では人ひとりの重さを支えられないようだ。
いったんは高く舞い上がったのだが、だんだんと高度をおとしていく。
「頑張れ、そら、気合と根性だ!」
リョーツーンが足をばたつかせながら叱咤するが、蝙蝠に似た羽根の動きは羽ばたきではなく滑空に近くなっていた。
「あっちには確か貯水池があったな……」
長剣で四眼犬の首を斬り飛ばしながら、黒衣の騎士がつぶやく。
「うわわーっ!」
やがて、大きな悲鳴とともに、派手な水音がたてられるのであった……。
「やれやれ、ひどいめにあった」
貯水池の岸に泳ぎつくなり、リョーツーンはぼやいた。つかまっていた有翼猿鬼は逃げ去ってしまっている。
「これから、どうしたもんかな。飛んで行った方向からすると、アイツらの行き先はデマヴァント山なんだろうが……」
貯水池の水面を眺めながら思案していると、落雷に似た轟音が起こった。
「な、なんだ?」
リョーツーンは驚いて周囲を見回したが、異変は目の前の貯水池で起こった。大きな渦が発生したかと思うと、見る見るうちに水がなくなっていく。
「何がおこっているんだ、池の底が抜けたわけでもないだろうに」
唖然としているリョーツーンの耳が馬蹄の轟きをとらえた。
見れば、ジムサが馬を駆って近づいてきている。
「誰かと思えばリョーツーンか! おぬし、今度はなにをやらかした!」
「なんでワシのせいになるんだよ! 間髪入れずに濡れ衣を着せやがって!」
「おぬしのほかに誰がこんなことをするというのだ」
「ザッハークのふゆかいな仲間たちがいるだろう!」
「いわれてみれば、そういう考え方もあるな」
「普通はそっちが先に思い浮かぶだろうに。ザッハークよりも信用がないのかよ、ワシは」
「しかし、貯水池の水はどこへいってしまったのだ?」
「池の底が抜けたみたいに吸いこまれていったんだが……。まてよ?」
リョーツーンは懐から地図を取り出した。
「貯水池がここ、石切り場の出入口がここ、エクバターナの出入口がここ、魔道士どもが飛んでった出入口がここだから……」
「ここだから、どうなるというのだ?」
「地下神殿の場所は、この貯水池の真下だ! きっと、この池は二重底になっているんだ。水が溜まっている一つ目の底の下、二つ目の底にザッハークの神殿があるんだろう。一つ目の底を抜いて、水を神殿に落とすしかけになってたんだな」
「なんだってそんなしかけをつくったんだ」
「いざってときの証拠隠滅か。パルス軍が踏み込んできたときに道連れにするためか。地下火災の消火装置か。……地下神殿にさらってきた人間をすし詰めにして、いっぺんに溺死させるしかけだったとしても驚かないがな」
「……ザッハークってのは、随分と悪趣味だったようだな」
「おまけにひどい偏食でな。人間の脳が大好物なんだとよ。そのくせ、人間の脳と羊の脳の区別もつかなかったってんだから……。ああ、こりゃあ、ひどいもんだ」
リョーツーンは貯水池の底を見やって嘆いた。
「すっかり泥沼になってしまったな」
「しかも、生贄のガイコツの出汁が効いてるだろうからな。とても貯水池には戻せないな、こりゃ」
そこへ、ダリューンがパルス兵を引き連れてやってきた。
貯水池の惨状を見るなり黒衣の騎士は怒鳴った。
「リョーツーン! おぬし、今度はなにをやらかした!」
「またかよ、もう! やんなっちゃうな!」