リョーツーンは馬宿で自分の愛馬を受け取り、ついでに二頭の馬を買い取った。むろん、エステルとドン・リカルドのためである。
三人は東へ向けて馬を走らせた。
王都イラクリオンを囲む石垣を飛び越え、さらに東へ向かう。
「西にいかなくていいのか。ルシタニアへの航路は西の港からしか開かれてないぞ」
馬上でエステルがリョーツーンに問いかけた。
「ルシタニアから来た者はルシタニアに逃げる。ギスカールはそう考えて、まずは西へ追手を放っているだろうよ」
夜半過ぎまで駆けたあとで、手ごろな岩陰を見つけて三人は思い思いに座り込んだ。これからの不安が、三人の口数を増やす。
「そうか。ギスカールにルシタニアへ帰国してもらうために請願書をもってきていたのか」
会話のなかで、リョーツーンはエステルのマルヤム来訪の目的を知った。
「ああ。王弟殿下には、にべもなく断られてしまったがな……」
「その点についてはギスカールを責める気にはならんな。パルスからマルヤムに逃れてきたギスカールがルシタニアに救援をもとめたとき、ルシタニアはそれを無視したときいているぞ。向こうが困っているのは無視したのに、自分が困ったときにたすけをもとめても相手にされるわけがない」
「………………」
しまった、言い過ぎた。エステルが黙りこくってしまったので、リョーツーンは内心あわてた。
「で、おぬしらはこれからどうするんだ。ワシはこのままパルスへ行くつもりだが」
「……できればルシタニアに帰りたいが……」
「帰ったところでどうにもならんし、むしろ故郷に迷惑をかけるだけかも知れぬ。なにしろ、われわれはボダン殺害の犯人にされているのだからな」
あっさりとドン・リカルドが言い放つ。この男、故郷というものに愛着がないどころか、なにか嫌な思い出があるのかも知れぬ。
「パルスか。……パルスにはルシタニア人がいるのだろうか」
そう問うてくる女騎士の表情には、機体と不安がないまぜになっていた。
「ルシタニア軍からの逃亡兵が盗賊になって住み着いた、って話はよく聞いたが、最近はとんと御無沙汰だな。ほとんどは捕まって処刑されたか、投獄されたか」
リョーツーンは自分がきいていた噂を誇張なく伝えた。どんなに都合がわるくとも、ここは事実を言うべきだ、と判断したのである。
「捕らえられたルシタニア人がいるのか! ……なんとか助け出すことはできないだろうか」
「そいつらはルシタニア兵として捕まったのではなく、盗賊として捕まったんだ。盗賊の罪を償ったなら、おせっかいをせんでも自由の身になれるだろうよ」
「……うん、そうだな。それが道理というものだ」
「パルスに、誰か頼れる知り合いはいないのか?」
「……だめだ、貸しどころか借りのある者ばかりなのだ」
ここでアルスラーン陛下の名前がでてくれば、話が早いんだがな。リョーツーンは心の中でため息をつくのだった。
短い休憩を終え、三人と三頭の逃避行は再開された。鞍の上で、会話も再開された。
「わたしたちがボダン総大主教殺害の実行犯ということにされてしまったが、それが濡れ衣であることをわたしたちは知っている」
「そうだな」
「では、総大主教を殺した真犯人が別にいるはずだ。そいつを捕らえてギスカール殿下……いや、陛下に引き渡せば濡れ衣が晴れるのではないだろうか」
生真面目なうえに危なっかしいなあ、この嬢ちゃんは。そう思いながらも、リョーツーンは返答をした。
「ギスカールをギスカールに引き渡すのか。難題だな」
「え?」
「ワシらを捕らえに来た兵士たちの冷笑をみただろう。正義感や使命感であんな顔ができるものか。自分たちが筋の通らないことをしてるって自覚があって、開き直っているんだ。まず間違いなくボダン殺害の真犯人はギスカールだよ。実行犯は別にいるだろうがな」
「……まさか。いくらなんでも、そこまでするだろうか」
「そこまでしたから、何も知らない生贄に濡れ衣をおっかぶせようとしたんだろうな」
「なんにせよ、当面はパルスに身を隠すより他にないだろう。ギスカール殿下の追及も、パルスにまでは及ぶまい」
お、いいぞ、ドン・リカルド。胸の内を喜色で満たしながら、リョーツーンはそれにのっかる。
「そうだな。これでもパルスじゃ顔がきくんだ。ルシタニア人ふたりの居場所くらい、どうにかしてやれるぜ」
「すまぬ。世話になる。パルス人に借りばかりつくって、肩身の狭いはなしだが……」
エステルは深々と頭を下げるのだった。
エクバターナにもどると、そこは結婚式だった。
「ことがここまで至れば、最早じたばたしたりはせぬ。だが、せめて式はできるだけ目立たぬように、つつましく済ませたい」
花婿の、その意見は完全に無視された。主にダリューンとファランギースとギーヴとメルレインとキシュワードとクバードとルーシャンによって。
王都の空を舞い乱れる花びらが覆い、エクバターナの市民には葡萄酒が樽ごとふるまわれた。
「花嫁アルフリードに幸あれ!」
「花婿ナルサスに乾杯!」
無数の杯が掲げられては乾されてゆく。
「なんだ、これは! ワシを抜きにしてお祭り騒ぎだと!」
リョーツーンは激怒した。必ず、ワシもドンチャン騒ぎをしてやると決意した。リョーツーンには詳しい事情がわからぬ。けれどもお祭り騒ぎに関しては、人一倍に敏感であった。
リョーツーンは、単純な男であった。エステルとドン・リカルドを連れたままで、のそのそと式場へはいっていった。たちまち彼は、花婿に怒鳴りつけられた。
「そこにいたかリョーツーン! おぬしのせいで、おれはなあ! おれはなあ!」
「幸せいっぱいのようで、めでとうござる」
「やだな、照れるじゃないか。ねえ、ナルサス」
「ぐぬぬぬぬぬぬぬ!」
後世に「ナルサス、リョーツーンに悶絶させられる」との題名で語り継がれる、これが一幕である……。
ナルサスとアルフリードの結婚式場である。
アルスラーンが出席していないはずがなかった。
アルスラーンがエステルに気付かぬはずがなかった。
「……エステル? エステル。エステルじゃないか!」
アルスラーンが晴れ渡った夜空の色の瞳に、喜びを満ち溢れさせた。
「う、うん。……その、久しぶりだな……」
対する女騎士は歯切れが悪い。
「いつ来てくれたんだ。来るのなら、前もって報せをくれれば迎えに行ったのに」
「ええっと、その、いろいろとあってな」
「そうか。しばらく滞在できるのかい。できればゆっくりしていってくれると、わたしはうれしい」
「うん……」
あふれ出てくる涙がこぼれそうになるのを、エステルは懸命にこらえた。
ナルサスとアルフリードの華燭の典が終わった後。
アルスラーンはエステルと、王宮の中庭であらためて再会を祝した。
「……そうか。今、マルヤムはそんなことになっているのか」
若き国王は隣国を悪意なく憂えた。
「ルーシャンやナルサス、それにダリューンたちに相談してみよう。だが、他国に無理強いするような真似をすれば、戦乱を招く。パルスにいてくれる限り、エステルとパラフーダ……ああ、今はドン・リカルドだったか、二人の安全はパルス国王の名にかけて保証させてもらうが、それ以上のことは約束できない」
アルスラーンの申し訳なさそうな声に、エステルは慌ててこたえた。
「そんな! ちからになってくれるだけで、はなしを聞いてくれるだけで、わたしは嬉しいんだ。あやまるようなことは言わないでくれ……」
「エステル……」
「陛下……」
このとき、アルスラーンは勇気を出した。うまれてはじめて出す種類の勇気を。
「あの、できれば、……アルスラーンと呼んで欲しい」
エステルは勇気にこたえた。
「アルスラーン……」
そこに。
「あっ! いたいた! アルスラーン陛下、エステルどのとは、もうお会いになられましたか! いやー、なんたる幸運! まさか、陛下の思い人と縁ができるとは思ってもいませんでしたよ! どうにかこうにか、エクバターナに連れてきました! あとは陛下の甲斐性次第ってことで! ここが男の見せどころってやつ……あれ……エステルどの?」
エステルがアルスラーンのそばにいるのに気付かぬ角刈りの酔っ払いが闖入し、中庭の茂みからあらわれたダリューンとルーシャンとキシュワードによって、中庭の茂みに連行されていった。
あとには唖然とした二人が残された。
やがて茂みから、控え目な声がした。
「……お気になさらず、どうぞ続きを」
「できるか!」
パルス国王とルシタニア女騎士の絶叫が、エクバターナの空に響き渡った。