荷馬車に天幕を張った奇妙な住居がリョーツーンの新居であるが、移動中は天幕を畳んでいる。その荷馬車は二頭立てでオクサスへの街道を進んでいた。その隣には、愛馬にまたがったリョーツーンが並走していた。
「リョーツーンのダンナ、こんなチンタラ走ってていいのかい?」
荷馬車の御者が話しかけてきた。ホンダードという若者で、手綱を握ると人が変わるともっぱらの評判である。
「このままでもファランギースどのたちに一日遅れでオクサスに着くだろうよ。そのときにはギーヴ卿も追い付いてくる。遅すぎず、早すぎずのいい頃合いだ」
「そういうもんかねえ。しかし、ギーヴ卿を加勢にむかわせてるあたり、ナルサス卿も、この件をきな臭くかんじてるのかね」
「ここんとこの情勢を見れば、ザッハークの魔道士がからんでいてもおかしくない話だからな。備えはしておきたいところだろうよ。そろそろ立手紙配達人の流通網をオクサスにも伸ばそうかとしていた頃合いでもあるしな、渡りに船さ」
リョーツーンの目論み通り、オクサスに着く手前でギーヴと、彼の率いる五百任の騎兵がリョーツーンに追い付いてきた。
「まずは、おれがアシの神殿、たしかハッラール神殿という名だったな、そこへ潜入してこよう。ああ、手助けは無用だ。おれ一人で様子を見てくる。いやいやいやいや、重ねて言うが、おれ一人で充分だ」
「……ハッラール神殿は、たしか男子禁制だったな」
「だからこそだ、男ばかりがぞろぞろと入り込むわけにはゆかぬだろう。何かあれば、火矢で合図を送るから、そのときは頼むぞ」
「神殿に何をしにいくのかわかっているんだろうな」
「自慢ではないが、おれは自分の使命を忘れたことなど片時もないぞ」
「わかったよ。とりあえず行ってみろ。そしてファランギースどのに、しこたま怒られろ」
「怒られる? 愛を語らうの間違いではないのか?」
「まあ、愛の形はひとそれぞれではあるがな!」
このようなやり取りの後、自称「愛をもとめて流浪う楽士」は神殿へと消えていった。
「副宰相どのは、なんだってまた、よりにもよってギーヴ卿をよこしたんだか。神出鬼没をやらせればパルス随一なのは確かだけどよ」
リョーツーンはひとしきりぼやいたあと、荷馬車の上に張った天幕の中で眠りについた。 それがホンダードに無理やりに揺り起こされたのは夜半過ぎのことである。
「大変だ、神殿に火の手が!」
そういうホンダードは、手綱を握ってないせいか、心なしか穏やかで気弱そうなものごしである。
天幕から出て神殿の方角を見やったリョーツーンはつぶやいた。
「領主の館にも火の手が上がっているな……火の元はあっちくさいぞ」
と。
「領主館の方へ向かうぞ」
リョーツーンは五百騎にそう命じた。リョーツーンはあくまで郵政官であり、彼らへの指揮権などはないはずであるが、ギーヴが自分の代理になることを頼み込んだかたちになったこともあって、パルス騎兵の隊長であるパラザータは自然と角刈りの郵政官の指示にしたがった。
やがて、領主の館から、ギーヴが放ったのであろう火矢が、明け始めた夜空に向けて一筋の光を描いた……。
パルス騎兵たちが領主館になだれこむと、オクサス領主の私兵たちは先を争うようにして降伏した。
「この様子だと、悪さをしているのは、ほんの一握りのお偉いさんらしいな。……となると、館のどこかに後ろ暗い金銭が貯め込まれていてもおかしくないぞ」
にやり。
リョーツーンは欲深くわらって館の中を駆け回り、やがて石造りの部屋に行きついた。
「いかにもな雰囲気だが、ここにあるのは金貨や宝石じゃなさそうだ」
リョーツーンはあからさまに失望した。血のにおいと薬のにおい。彼の期待していたものと真逆なものの臭いで部屋が満たされていたのである。
銀製の小さな壺が床に転がっていたが、リョーツーンは拾う気にならなかった。毒々しい色の液体が、壺の口にこびりついている。
「エクバターナの地下神殿を思い出すぞ。まさか、マジでザッハークの魔道士が黒幕じゃないだろうな」
つぶやきながら、リョーツーンは腰に下げた革袋にさりげなく指先を突っ込んだ。
ふいに右腕だけが動いて、天井に向けてなにかが投げつけられる。
奇怪な叫び声が石造りの部屋を満たした。
角刈りの郵政官が飛びのいてから上を見ると、天井の梁に有翼猿鬼がしがみついていた。
自身の右の翼に突き刺さったものを凝視している。
「荒い息を押し隠してるのが天井にいやがんなと思ったら、やっぱり蛇王がらみかよ!」
リョーツーンは腰の革袋から次の陶器の欠片を取り出した。この男は日頃から、割れた皿や杯などの破片から、とくに先の鋭くとがったものを選んで集めておいたのである。無料だし、簡単に数多く手に入れられるので、リョーツーンは飛び道具として愛用していた。
陶器の欠片を投げつけられた有翼猿鬼はたまらず床に舞い降りた。
「次は左の羽根だ!」
リョーツーンの声に有翼猿鬼はあわてて背中から生えた翼をたたもうとする。
だが、リョーツーンの長剣は異形の怪物の脳天に落ちた。
角刈りは意外そうな表情を浮かべた。有翼猿鬼は人語を解せぬはずだが、目の前の怪物は、リョーツーンの咄嗟の嘘に引っかかって翼をかばおうとしたのである。
頭蓋を割り砕かれた有翼猿鬼は絶命し、床に倒れ伏した。その左腕は、肩から先がなかった……。
「オクサス領主のムンズィルは兄のケルマインに成り代わられていて、ケルマインは自分の息子のナーマルドをオクサス領主にしようとしていた。ムンズィルは幽閉されていたが、ついさっきナーマルドに殺された。そもそも、ケルマインはムンズィルに長年、幽閉されていた。そのケルマインもついさっき誅された。……ややこしいな!」
夜が明け、事情の説明をファランギースから受けたリョーツーンは頭を抱えた。
「で、オクサス領主の肉親は、エクバターナにいるザラーヴァント卿と、どこかに逃げ出したナーマルドだけになっちまったわけだ」
「事ここに至っては、ナーマルドがオクサス領主を継ぐことはできまいな。いずれはザラーヴァント卿が新領主になるであろうが、今の職務を放り出すわけにもゆくまい」
「そもそも、ハッラール神殿の怪異からして、アルスラーン陛下の臣下をおびき出しては殺すための自演自作だってんだから。そして陛下が軍を率いてオクサスに来たところでミスルがエクバターナを攻める、か。まわりくどい! 陰謀に慣れたやつってなあ、陰謀は複雑なほど上等だと思いがちだな。陛下の注意を引きつけたければ、ハナっから堂々と叛旗を掲げりゃいいんだ」
悪態をつくリョーツーンにファランギースは苦笑するのだった。
結局、ナーマルドのことは消息不明、ということで処理された。
ナーマルドの墓は父ケルマインの墓のとなりに建てられ、そこに埋められた棺には、ナーマルドの左腕だけが納められている。