「まあ、パルス東側の周辺諸国については、こんな具合に対処するとしまして」
言葉を切ってナルサスは紅茶でのどを潤した。
「次はパルスの西側でございますな」
パルス西方の隣国と言えば、マルヤム王国とミスル王国である。
マルヤム王国の王ギスカールは野心家ではあるが、夢想と現実を混同するような手合いではない。当分のあいだは、ようやく手に入れた自分の国の支配を確固たるものにすることに専念し、パルスとすすんで事を構えようとはすまい。
ミスル王国のほうはどうであろう。
こちらは事情が複雑、というより忙しない。
ホサイン三世が臣下の将軍に弑され、その息子のひとりで八歳のサーリフが即位し、黄金仮面との異名をもつ自称ヒルメスがその後見人におさまった。
おさまった、はずが、黄金仮面は殺されたか追放されたか逃げ出したか、とにかく失脚し、かわりに台頭したのが南方軍都督カラベクの長男テュニプであった。テュニプは幼王を殺し、新国王となりおおせた。
「ミスルの政変がこれで落ち着くのか、予断を許さぬところがありますな」
「ミスルの舞台には、まだ次の演者が控えているというのか」
「その可能性もありますが、テュニプのミスル国王への即位は明らかな簒奪行為です。彼としては、なにか輝かしい業績をうちたてて、自分が玉座にふさわしい人物であることを世に示したいところでしょうな。たとえば、バルスから領土を切り取る、とか」
「陛下。テュニプとやらが、おのれの主殺しの悪行を糊塗するためにパルスに攻め込もうというのならば、このダリューンめが、その野望と呼ぶも粗末なたくらみ、粉みじんに打ち砕いてやりたいと存じます」
ナルサスの不吉な予測を聞いて、黒衣の騎士は猛りたった。
「テュニプ王にその言葉を聞かせてやりたいな。ディジレ河を渡ろうなんて、金輪際かんがえないようになるだろうから」
アルスラーンは笑い、それは満座の笑顔となった。
話し合わねばならぬのは、隣国のことだけではなかった。
「大陸公路の修復が完了するまで、迂回路をパルスに確保せねばなりません」
最優先の議題として、ナルサスがあげたのは、大陸公路の守護者というパルスの立場の維持であった。
「ペシャワールからカーヴェリー河を下り、南の外海をギランへ渡り、エクバターナへの街道を北上して大陸公路に戻る。当面は、これしかあるまいな」
そう言うキシュワードが渋い顔になったのは、エクバターナとギランを結ぶ街道だけでは頼りない、という思いがあるからである。カーヴェリー河や南の外海を塞ぐことはできないが、街道を寸断することはザッハークの眷属にも可能であろう。
その懸念をナルサスはあっさりと片づけた。大陸公路の要衝ソレイマニエとギレンとを結ぶ街道を整備して陸の迂回路をふたつ作ればいいのである。
「魔将軍イルテリシュといえども、自分の数を二人にできぬ以上、二つの街道を同時に寸断するのは不可能ということですな」
ザラーヴァントが陽気な声をあげた。
「とりあえず、ギランとの連携がこれまで以上に重要になるな。陛下、どうかこのキシュワードめにギランへ赴くよう御下命くださいますよう」
諸将の会話を、リョーツーンは円座の間の隅っこで黙ってきいていた。リョーツーンの立場では、ここでは意見を求められないと発言することもできないのだ。
リョーツーンは胸の内で思った。
しくじったあ!
と。
蜘蛛の矢の試作品を携えてペシャワールへ赴いたとき、リョーツーンは商売のタネを求めてカーヴェリー河の岸を北上した。
今にして思えば、あれはまずかった。
トゥース一家と一緒にグラーゼの船に乗って、ギランへの船旅を体験するべきだった。
せめて、カーヴェリー河沿いに海まで南下するべきだった。
ペシャワールからギランまでの水運が、ここまで重要なものになるとは。
ギランまでの、いくつもの中継港で、いくらでも金儲けの匂いを感じ取れたはずではなかったか。
いや、今からでも遅くはないはず。
「アルスラーン陛下、出過ぎたことは承知なれど、発言をお許しいただきたく」
リョーツーンは、がば、と伏した。
「あらたまって、どうしたのだ、リョーツーン。おぬしの知見、機転にわたしは何度もたすけられたのだ。遠慮などいらぬ。おぬしの思うところをきかせてくれ」
「国王陛下のご寛恕に甘えて申しあげます。大将軍キシュワードどののギランへのご旅程に、わたくしめも同行させていただきたく」
「なんだ、そんなことであったか。もちろん、かまわない。エクバターナに帰ってきたら、こたびの件、おぬしの視点からの意見をきかせてくれ」
よーし、陛下のお墨付きをもらったぜ。
リョーツーンは伏したまま、ぐへへ、とわらった。
ダリューンとナルサスは視線をかわしあった。
まさか、アルスラーン陛下が「リョーツーンのバカはどこだ!」となったりはせぬだろうな、と。
「陛下のご期待にそえられるよう、微力を尽くす所存です」
リョーツーンがかしこまって言い終わったのと同時であった。
円座の間が、いや、パルス王宮が地面ごと跳ねたのは。
大地が轟き、そして踊る。
「陛下をお守り参らせよ!」
ダリューンが叫びながら、己が主君へと駆け寄ろうとする。
解放王の円座は、上座、下座の区別をあえてつけぬようにしていた。そのため、ダリューンの席はアルスラーンの隣になってはいなかった。
黒衣の騎士が手を伸ばしたその先で、大理石の円柱が若き国王の頭上に向かって傾き。
「おっと危ねえ!」
角刈りの郵政官長が、解放王の手を引いて、その身を引き寄せた。
数瞬前までアルスラーンの座っていたクッションを、大理石の大きな塊が押しつぶす。
「やれやれ、肝が冷えたぞ!」
アルスラーンを抱きかかえながらリョーツーンは毒づいた。