王都エクバターナを襲った大地震の被害は甚大であった。
ギランと大陸公路をつなぐ街道の確保も重要だが、それ以上にギランから資金と物資を調達せねばならなくなった。
大将軍キシュワードは、ファランギース、メルレイン、ジムサをともない、トゥラーン傭兵団を引き連れてギランへと急いだ。
その一行の最後尾で、リョーツーンとホンダードが騎行している。
「で、商売のタネは見つかったのかい、リョーツーンのダンナ」
「一攫千金、といきそうなのは、なかなかな……」
そんな会話をしているうちに、いつの間にかギーヴが合流し、ギランに到着した。
ギランの総督代理グラーゼが一行を出迎え、総督府へと案内したが、このときリョーツーンは別行動をとった。
「ダンナ、いいのかい。大将軍どのと一緒にいなくて」
「総督府で何が話し合われたかは、あとでキシュワード卿やジムサ卿から聞き出せばいい。それよりも、ギランの市井の声を集めたいのさ」
市場で塩焼きにした海老をかじったりしながら、屋台の店主や客との世間話に興じていたリョーツーンであったが、やがて総督府へと馬を走らせた。
「気が変わったのかい? ダンナ」
「町の噂話だけで決めつけるのもなんだが、いやな空気がギランに満ち始めているようだ。大陸公路が通れなくなれば、海路がそれに取って代われるって空気がな」
「まさか!」
「ここしばらく、グラーゼ卿はギランに腰を落ち着けていなかったらしいが、それが裏目にでたっぽいな。ギランにちょっかいを出してきているのは、さて、誰だ? テュニプか、黄金仮面か、ラジェンドラか、……それとも、ザッハークか?」
ギランの総督府は総督官邸を兼ねているが、総督代理のグラードは陸の上よりも海の上にいる方が長いような男である。そのため、ギランの有力な海上商人たちに半ば開放しているようなかたちであった。
「くそっ! イヤな予想が当たっちまった!」
リョーツーンは毒づいた。
ギラン総督府の上空に、黒い雲が渦を巻いている。
それは有翼猿鬼の群れであった。
騎乗のままリョーツーンが総督府に乗りこむと、そこで繰り広げられていたのは歓迎の酒宴ではなく、血の狂宴であった。白刃が舞い、矢が飛び、血が噴き、悲鳴があがる。
「いくらなんでも、羽目のはずしすぎだぜ! ワシもまぜろ!」
リョーツーンは躊躇なく参戦した。
キシュワードたちが戦っている相手は、鳥面人妖と、おそらくは人間の荒くれ者たちであった。
「おお、リョーツーン卿! 助太刀にきてくれたか」
「嗚呼、ファランギースどの、そのような笑顔をおれ以外の男に向けるとはつれないではないか。そのようなことをして、おれの気をひかずとも、この真心はファランギースどのにだけ捧げられているものを」
「おかしなことをいう。おぬし以外に笑顔を向けないのであれば、わたしは誰一人にも笑いかけることができなくなるではないか」
いつものやりとりを聞き流してリョーツーンは怒鳴った。
「屋根の上には有翼猿鬼の群れが飛び回っているぞ! 油断するな!」
「余計な真似をするなグエーッ!」
罵りながら飛びかかってきた鳥面人妖の口に角刈りの郵政官長は長剣を突き込んだ。長剣には芸香を塗りつけてある。ザッハークの眷属は絶叫を上げて絶命した。
その場にいた鳥面人妖は四匹であったが、リョーツーンが突き殺したのが最後の四匹目であった。
それに取って代わろうとするかのように、有翼猿鬼が次々と邸に飛び込んでくる。
グラーゼの二人の腹心が、水夫を引き連れて乗りこんでくる。
大乱戦になった。
「グラーゼ卿! 上だ! 気をつけろ!」
庭に飛び出たグラーゼに、大きな声で注意をうながした者がいる。
リョーツーンであった。
グラーゼが見上げると、そこには彼に漁網をかぶせようとしている有翼猿鬼どもの姿があった。
「おっと。ご忠告、感謝する」
ギラン総督代理は大きく飛びのいた。
「なあに。貸しとくぜ……うおっ!」
リョーツーンは思わず叫んだ。
グラーゼを捕らえ損ねた有翼猿鬼どもは、腹立ちまぎれにリョーツーンに網を投げてきたのである。
よけきれずに、リョーツーンは網に捕らえられた。そのまま、宙へと吊り下げられる。
「ええい、くそ! ワシは魚じゃないぞ!」
毒づきながら、長剣で網を切り裂き、網をよじ登り、網を吊り下げている有翼猿鬼の一匹に飛びかかった。その両足首を掴む。
「わはは! 知ってるぞ。お前らは、飛んでるときには足首に自分の手が届かないんだよな」
足首にリョーツーンをぶら下げた有翼猿鬼は網を手放し、わめきながら身体をゆすった。リョーツーンを振り落とそうとしているらしい。
根負けした有翼猿鬼が地面に降りるのをリョーツーンが待っていると、巨大ななにかが襲いかかってきた。鳥面人妖よりも大きななにかが。
それは、いままで見たことがないほど巨大な有翼猿鬼だった。
空飛ぶ大猿は、大きな手のひらをリョーツーンをぶら下げた有翼猿鬼に叩きつけた。
悲鳴をあげながら有翼猿鬼が一匹、地面へと落下してゆく。
「なんてヤツだ。仲間ごとワシを殺そうとしやがった」
巨大な有翼猿鬼の足首に飛び移ったリョーツーンは悪態をついた。
身体が大きくなっても、飛んでいるあいだは自分の足首に手が届かないのは変わらないらしい。耳障りな鳴き声をあげながら、空飛ぶ大猿は身体をゆすった。
「しょうがねえ。こうなりゃ、とっておきをお見舞いしてやる」
リョーツーンは大きな足にしがみついたまま、自分の腰の革袋に手を伸ばした。革袋の口には細長い筒が差し込まれたかたちで固く縛られており、筒の先からしか中身が出ないようになっている。片手で革袋を手に取り、自分の歯で筒の先のふたを外す。器用に筒の先を大猿の顔へ向けながら、思い切り袋を握りつぶした。
筒の先から何かの液体が細い筋となって飛び出し、巨大な有翼猿鬼の顔に命中した。
ギランの空に、世にもおぞましい絶叫が轟いた。
袋の中に入っていたのは芸香の汁だったのである。
自分の顔をかきむしる有翼猿鬼の身体をリョーツーンはよじ登り、背中にまわった。鞘に納めていた長剣を抜き、片方の羽根の付け根に振り下ろす。
ふたたび、おぞましい絶叫がまきおこった。
片翼を斬り飛ばされて、飛び続けられるわけがない。
一人と一匹は、もみ合いながら落下してゆく。
「リョーツーン卿!」
いくつもの口が、ひとつの名を叫んだ。
空飛ぶ大猿は地面に激突し、全身をひしゃげさせた。
「危ないところだったぜ」
有翼猿鬼の巨体をクッションにして落下の衝撃から逃れたリョーツーンは、大きく息を吐き出した。
「さて。こいつの首なら、金貨十枚で交換してくれてもよさそうなもんだがな……」