「いまや郵便事業の拡充どころではなくなり、郵便を可能なかぎり維持するのが郵政官の仕事となっている。この状況では郵政官長の仕事は激減する。あの男が暇を持て余すと、ろくなことがおこらぬ」
パルス王宮を退出したあと、ダリューン邸でナルサスは親友にそう語りだした。
「そう決めつけることもないと思うが……。地下宮殿を発見したりと、いろいろと功績もあげているではないか。あれがなければ、ザッハークの魔道士どもの暗躍に、いつ気付けていたかわからぬ」
「あの男は毒になるときも薬になるときも効果が劇しすぎる。ここしばらくは薬になった。毒になるならそろそろだろうが、今、あの男に毒になられては手が付けられぬ」
「それは否定しきれぬが……。だからといって、リョーツーンをグラーゼの補佐につけるというのは飛躍がすぎるのではないか。そもそも、水軍の建設に、あの男が何の役を果たせるというのだ」
「それはわからぬ」
「おい……」
「おれにもわからぬのだ、さすがにリョーツーンとて、それほど大それたことはできぬであろうよ。少なくとも、あの男をそのまま野に放つよりは、まだましというものだ」
「やれやれ。水軍の建設に、ワシがなんの役にたつというんだか」
リョーツーンはぼやきながらギランへと向かった。
ギランに着くまでに、自分に何ができるか思案をまとめた。
それがミスル水軍の災難の始まりとなった。
南の外海に面したミスルの港、ウルムナート。
そこには百二十隻ものミスルの軍船が停泊していた。
「なにか大規模な遠征でもあるのではないか」
そんな噂もあるのだが、今のところ、ウルムナートのミスル水軍にあたえられた任務は「ウルムナートにて待機せよ」だけである。次の指示が来れば、次に陸に上がれるのはいつになるかわからない。船に残らねばならない当直の兵たちのうらめしそうな視線を浴びながら、ミスル水兵はこぞって上陸し、港の歓楽街へとくりだしていた。
そんなミスル軍船を訪れた者がいる。
「さるお方から、海の平和を守ってくださっているミスル水軍の皆様のねぎらいになれば、とのことでございます」
そう言って、葡萄酒の樽を軍船に次々と運び込んだ。
「わたしめの依頼主に、葡萄酒をしかと届けた証が必要でして」
そして、それぞれの軍船の責任者に、酒樽のフタに受け取りのサインをさせてからフタを割って持ち去っていった。
「さるお方の名は、ときが来れば自然とお分かりになるでしょう。そのときは、よしなに
お取り計らいくだされ」
そう言い残して。
「おいおい、困ったな。樽のフタがなくては、すぐに飲み乾さねば葡萄酒の味が落ちてしまうではないか。しかたない、当直の者たちで飲んでしまうか」
すこしも困った様子のない笑顔でミスル水兵たちは言った。
かくして、百二十の甲板で、百二十の酒宴が開かれるに至ったのである。
翌朝。
当直のミスル水兵たちは目覚めると、自分たちが桟橋で雑魚寝しているのに気付いた。
「おい、おれたちの軍船がないぞ!」
彼らのうち、最初にそう叫んだのは誰であったか。
「おれたちの軍船はどこに行った!」
二日酔いに痛む頭を抱えながら、誰かが叫ぶ。
「どこに行ったんだ、あの角刈り!」
誰かがそう叫ぶ頃には、ミスル軍船に葡萄酒の樽を運び込んだ繋がり眉毛で角刈りの男の姿は、ウルムナートから忽然と姿を消していたのである。
「こんなこと、前代未聞だぞ……」
グラーゼの腹心と目される船乗りのヨーファネスが水平線に向かってつぶやいた。
「あたりまえだ。二度は通じない、一回こっきりの大ぺてんだからな」
そのとなりで、リョーツーンが事も無げに返事をした。
「普通は、一度だって成功しないものだがなあ、こんな出鱈目……」
彼らがいるのは、洋上、東へと針路をとるミスルの軍船の甲板である。
いや、ミスルから奪った軍船、というべきか。
昨夜おそくのことである。
ヨーファネスたち千人の船乗りを乗せた船はウルムナートの港にこっそりと入港し、ミスル軍船が停泊している桟橋へと人目を忍んで殺到した。
「飲みやすくて悪酔いしやすい、ワシ特製のカクテル『酔いつぶし』をたらふく呑んでるからな。ちょっとやそっとじゃ目を覚まさんよ」
リョーツーンが豪語した通り、甲板も船内も、そこにいるのは酔いつぶれてひっくり返った水兵ばかりである。
いびきをかくミスル兵を全て桟橋へと運びだすと、ヨーファネスたちはミスル軍船を、夜明け前の静寂を破らぬように細心の注意をはらいながら次々と出航させていったのだった……。
「行きの船は悪夢のように詰め込まれてたのに、帰りの船はガラガラだな。一隻あたり十人も船員がいないんだから、これはこれで大変ではあるが」
「なあに。乗客も荷物もろくに無いんだ。船足は早くなるだろう。海が荒れたりする前に、さっさとギランに着いてしまえばいいんだ」
「気軽にいってくれるなあ……」
後世に、「リョーツーン、千樽の『酔いつぶし』と千人のパルス水兵で百二十隻のミスル軍船を手に入れる」との題名でパルスの庶民に親しまれることになる、これが一幕である……。