百二十隻の軍船を奪われて、ミスル水軍はパルスに対してほぼ無力化されてしまった。
ミスルには、まだ何百という軍船がある。だが、それらのほとんどはカーヴェリー河や西の外海に浮かんでいるのだ。
これらを南の外海に移動させる手段がミスルにない以上、海路によるパルス侵攻は、まず不可能である。
残るは陸路であるが、ディジレ河を越えての侵攻が失敗に終わったのはミスル国王テュニプの記憶にもまだ新しいであろう。
「これでミスルの脅威が半減したな」
その報告をエクバターナで受けたナルサスは、涼しい顔でそう言った。
「まさか、これも全ておぬしの計算のうちか」
問いかけるダリューンの声に戦慄の気配がこもる。
「その通りだ……と、言いたいところだが、まさかここまでとは、というのが正直なところだ。リョーツーンの行動力は凄まじすぎる」
ナルサスは肩をすくめて見せた。
「しかし、百二十隻の軍船か。おれでも相手にするのは骨がおれるな」
「それも、一滴の血も流さずに奪取したのだ。拿捕した軍船はそのままパルス水軍に編入できる。あとは水兵をそろえればパルス水軍のできあがりだ。訓練は必要だがな」
「まるでナルサスが二人になったようだ」
そう評したのはアルスラーンである。
「陛下、それはさすがに聞き捨てなりませんぞ」
「そうだな、正確に言えば絵の上手いナルサスと、そうでないナルサスというべきであろうよ」
「ダリューンよ、それではおぬしの目の前にいるのはどっちのナルサスだというつもりだ?」
「そのようなこと、はっきり言わずとも、わかるだろう?」
「とにかくだ、これでペシャワールとギランを結ぶ航路の安全は確保できそうだ」
アルスラーンが逸れかけた話題を強引にもどした。
「はい。ミスル水軍の建設は軌道に乗ったとみてよろしいかと」
「では、リョーツーンにはこのままグラーゼの補佐を続けてもらうのだな」
「いえ、いったんリョーツーンをエクバターナに戻しましょう」
「なぜだ? せっかくうまくいっているものを」
「あの御仁、そろそろ調子にのって何かやらかす頃合いですゆえ」
そう語るナルサスの目は、まったくわらっていなかった……。
「エクバターナへ戻れ、だとお? ぢぐじょ~! ワシの金銭もうけは、これからが本番だったのに!」
ギランの空にリョーツーンの嘆きが響いた。
ミスルから奪った百二十隻の軍船。
リョーツーンは、これらの船をギランとペシャワールを結ぶ航路を定期哨戒させるついでに人や荷を運ぶつもりだったのだ。もちろん有料で。
身もふたもない言い方をすれば、パルス水軍を武装商船として私物化しようとしていたのである。
「やれやれ、これじゃ何のために苦労したんだか……」
ぼやきつつリョーツーンはエクバターナへと向かった。
その際、ペシャワール城司クバードからの報告書を携えている。
むろん封がされていて中身は読めないが、リョーツーンには見当がついていた。
ペシャワールにシンドゥラの武将が逃げ込んだという噂を聞いていたのだ。その名はパリバダ。ラジェンドラ王がパルス侵攻を企てている、との讒言を聞かされたクバードは哄笑した。
「そんなことはパルス人なら誰でも知っているぞ。正確に言うならば、パルス侵攻をしたがっている、だがな」
パリバダは檻車に入れられてシンドゥラのラジェンドラ王のもとへと送られた。
「シンドゥラでなにをやらかして逃げてきたかは知らんが、こっちはそれどころではないわ。よそでやれ、よそで」
隻眼の偉丈夫は、腹立たし気にぼやいたそうな……。
おそらくは、その件についてであろう。
リョーツーンの予想はあたっていた。
「ラジェンドラどのも、色々と苦労があるようだな」
リョーツーンの目の前で報告書の封を解き、内容をあらためたアルスラーンは苦笑した。
「かの御仁には、もっと苦労してもらわねば割に合わぬと存じます」
ダリューンなどは、そう言ってしかめっ面になったものである。
「ペシャワール城塞は、変わらず有翼猿鬼どもの襲撃にさらされているようですな」
アルスラーンから報告書を受け取ったナルサスが、そこに書き連ねられたパルス文字を素早く読み取って発言した。
「うむ……。クバードたちには苦労をかけるな」
「ザッハークの一党と戦うのはパルスの戦士の誉れ、クバードもトゥースも苦労とは思っておりますまい。それに、ペシャワールが蛇王の軍勢を引きつけているから、パルスの他の土地が襲われずにすんでいる面もあります。さもなくばソレイマニエなどは幾度も有翼猿鬼どもの襲撃を受けていたでしょう」
「しかし、これまで何万匹もの有翼猿鬼どもを退治してきたのに、やつら、一向に数が減る気配がないな」
「わたしなどは、やつらは二つに引き裂けば二匹に増えるのではないかという気すらしてきました」
エラムが眉間にしわを寄せていう。
「まあ、それは冗談としても、ザッハークの眷属は、子供や卵を産んで増えるのではないかもしれぬな。あるいは、女王蜂のような、大量に卵を産むためだけの個体がいるのか」
「だとすれば、いくら打ち倒してもきりがないではないか」
「だから、そう簡単には増えぬ敵を相手取ることから手をつけたのだ」
「ああ、そうであったな」
簡単には増えぬ敵……それはすなわち敵国の兵であった。
魔将軍イルテリシュに宮廷を制圧されたチュルクへ向けて、キシュワードが副将のジャスワントと二万の兵を率いてエクバターナを出立していた。さらには、ゾット族選りすぐりの五百騎が族長代理メルレインの指揮のもと別動隊として動いている。
イルテリシュがただの野心家であるのなら、チュルクの掌握を慎重に、できるだけ穏便にすすめるだろう。強引にチュルクを制圧しても、反乱の種を蒔いて回るようなものであるからだ。その支配は長続きすまい。
だが、イルテリシュがザッハークの眷属になったというのなら話は違ってくる。魔将軍はチュルクを統治しようとはせず、むしろ使いつぶすような戦略を立てるであろう。
いつチュルクがパルスに侵攻してきてもおかしくない。
ならば、チュルク、というよりイルテリシュを挑発して、無謀な出兵を誘い、ペシャワール城塞で迎え撃つ。
その戦略のもと、行軍を続けているキシュワードから急使が来たのは、リョーツーンがエクバターナに到着した翌日のことである。
蛇王出現。
それが急使のもたらした報せであった。
さて、本作もいよいよ終盤にさしかかりました。
リョーツーンの後先考えないトンチキな大暴れでフィナーレを飾るべく、執筆にいそしんでいます。「こちら銀河英雄伝説」ではラストバトルの相手を地球教団残党にするしかなかったんですが、本作ではザッハークがラスボスです。相手に不足はありません。「なに食ってたらこんな展開を思いつくんだ」と思ってもらえるように、派手でスットコドッコイでスカポンタンな最終話を書けるように全力を尽くしますので、見守っていただけると幸いです。
とはいえ、ですね。
夜ごとに書いては投稿しての、自転車操業ならぬ自転車執筆をしてきましたが、さすがに無理がたたってきました。
少し時間をいただきたいと思います。
似たようなことを今までにも何度も言ってきたので、そろそろ「まーた、待って待って詐欺かよ」とか思われてしまいそうですが。
遅くとも二〇二六年一〇月四日早朝には次話をお届けするつもりです。
こんなことを書いておいて、明朝にはしれっと次話を投稿してるかもしれませんが、そのときは「やーっぱり、待って待って詐欺かよ」と笑っていただけたら幸いです。
あと、カクヨムで「魔王になりそこねた男」という作品を投稿してます。完結済のトンチキ戦記ファンタジーなので、「こちら銀河英雄伝説」や「こちらアルスラーン戦記」を楽しんでいただけた方には、面白がってもらえるんじゃないかと思っています。気が向かれたら覗いてみてもらえると嬉しいです。
さて、そろそろ、やっすいスコッチ入りのスキットルを用意しまして、ですね。
それでは、次話をなるべく早くお届けできることを祈って。
乾杯!