奇怪な山容をさらして噴煙を吐きつづけるデマヴァント山の麓にて。
「デマヴァント山はザッハークの墓標となった、てことになるのか?」
蛇王ザッハークと思われる巨人が火砕流と溶岩に呑み込まれて焼け死んだという場所を見渡して、リョーツーンはつぶやきをもらした。
「蛇王の死体はどこにも見当たらないな。骨も残さず灰になったか、火山灰に埋まったか、どっちだと思う、リョーツーンのダンナ?」
そのとなりでホンダードが問いかける。
「さてな。死んだ、と見せかけて、実はどこかに潜んでいるかも知れんぞ」
「おどかすなよ」
「おどかしじゃねえよ。ザッハークが滅んだのなら、どうしてあの連中が変わらずデマヴァント山の上を飛び回っているんだ」
黒雲のごとく空を舞う有翼猿鬼どもをリョーツーンは指さした。
「それはそうだが……」
「ザッハークの後ろには、黒幕が潜んでいるのかもな。あるいは、真物のザッハークが。蛇王が死んだと油断させて、……次はなにをするつもりだ?」
「魔将軍イルテリシュめ。挑発するまでもなくパルスに出兵してきおった。蛇王らしき巨人は目くらましで、こちらが本命ということなのか? とりあえず当初の予定通り、このペシャワールへと誘導してはみたが、やつら、どうも様子がおかしい」
「どうやらトゥラーンの狂戦士は宗旨替えをしたようだな」
「宗旨替えだと?」
「そうだ。トゥラーン流からザッハーク流に鞍替えしたとしか思えん。でなくば、こんな無謀な戦い方はせぬだろう。以前にこのペシャワールに攻めてきたときのイルテリシュは蛮勇をふるいはしても、勝算のたたぬような真似はせぬ男だった。有翼猿鬼どもを率いてきたときでさえ、そこは変わっておらなんだのに……」
「クバード……」
「見ろ、キシュワード。これが人間の採る戦い方か?」
ペシャワール城塞の城壁の上で、城司クバードはキシュワードに眼下の光景を指し示した。
そこでは、チュルク軍の人馬がひたひたとペシャワールへと押し寄せてきている。
目を上に向ければ、有翼猿鬼どもの群れが黒雲をなしていた。
異様なのは、チュルク兵の戦いぶりであった。
「やつら、痛みと恐怖をどこへ置き忘れてきおったのだ」
隻眼のペシャワール城司はうなり声をあげた。
ペシャワール城塞から射かけられる矢の雨の中、チュルク兵たちは淡々と城攻めの準備を進めているのである。
いくつもの矢が身体に突き刺さったままペシャワールの城壁に梯子をかける作業を続けていた兵が、ついに力尽きて斃れると、別のチュルク兵が、その屍を踏みつけて作業を引き継ぐ。その兵も、矢の雨をおそれる様子は全くないのだ。
「……われわれが行軍するチュルク軍を見つけたとき、その数は五万ほどあった。もしかしたら、チュルク国境を越えるときは、もっといたのかも知れぬ」
「まて、キシュワード。あやつら、どう見ても、精々三万を越えるぐらいの数だぞ」
「やつら、熱灰や溶岩にさえぎられても構わず進むのだ。焼け死ぬ仲間の身体を踏み越えてな」
「常軌を逸しているな。故国で家族を人質にとられているにしても、すこしは怯えの色を見せそうなものだが」
「……クバードよ、議論は後回しにしたほうがよさそうだ」
大将軍の視線の先で、不吉な黒雲が移動を開始していた。
有翼猿鬼どもがペシャワール城塞への攻撃に加わろうとしているのである。
「弓箭隊、蜘蛛の矢の用意をしろ!」
ペシャワール城司の号令に、パルス兵たちが弩を構える。
「撃て!」
空へ向けて一斉に何十本もの矢が放たれ、その軌跡をロープがなぞる。それらは即席の網と化して、有翼猿鬼の大群に覆いかぶさった。
あらたな異変が生じたのは、その直後であった。
有翼猿鬼を捕らえた蜘蛛の矢のロープは怪物どもと一緒に落下した。それらが攻め寄せてくるチュルク兵の頭上に落ちかかってくるのは自明の理である。
苦悶の悲鳴があがった。
蜘蛛の矢のロープに触れたチュルク兵たちが悶絶してのたうち回っている。
蜘蛛の矢のロープには間隔をおいてかぎ爪が仕込まれている。それが刺されば痛みぐらいはあるであろうが、この苦しみようは異常である。ましてや、矢がささろうとも一向に意に介さなかった者どもなのに。
「芸香か……!」
キシュワードが苦々し気な声を出した。
蜘蛛の矢のかぎ爪には芸香が塗られているのだ。そして、芸香に苦しむということは。
「チュルク兵どもは、ザッハークの眷属にされているのか!」
クバードも、感じているおぞましさを隠そうとしない。
「だが、そうとわかればやりようもある」
キシュワードはチュルク兵を射る矢の矢じりにも芸香を塗るよう指示をだした。
すると、何本の矢が刺さっても眉ひとつ動かさなかったチュルク兵が、かすり傷ひとつで悲鳴を上げて斃れてゆく。
形勢は逆転した。
一時はチュルク軍に押し切られるか、とすら思われたのに、ペシャワール城塞の城壁に近づかせもしなくなった。
「さて、チュルク軍はどうするつもりかな。まさか、このまま全滅するまで進軍を続けるとも思えぬが」
クバードがつぶやいたときである。
「どうやら敵将のおでましのようだぞ」
キシュワードが注意をうながした。
新たな黒雲がペシャワールの空に出現していた。
黒雲の正体は、むろん、有翼猿鬼の大群である。
今度の有翼猿鬼の群れには、籠を吊り下げている怪物がまじっていた。
「やっと、おれの出番がきたようだな」
不機嫌そうな顔で不機嫌そうに言って、ゾット族の族長が前に進み出た。
妹がパルスの副宰相に嫁いだときに、メルレインは自分の肩書から「代理」の文字を外している。
パルスで二番目の弓の名手は矢をつがえた。
放たれた矢は正確に籠を吊り下げる有翼猿鬼の咽喉を貫いた。
すかさず放たれた次の矢は、籠を吊り下げる別の怪物の腹を貫いた。
籠の運び手の四匹のうち二匹を失って、籠は大きく傾き、籠の乗客は地面に叩きつけられた。
さらにもう二つの籠に乗っていた人間を落としたときである。
「おれとしたことが、しくじった。落とすべき的を見誤るとは」
メルレインは舌打ちした。
「おのれ、よくもバシュミルとジーンダンドを! レイラまで!」
ペシャワール城塞の城壁の、キシュワードたちがいる場所から離れたところで、別の籠に乗っていた男が着地した。
魔将軍イルテリシュである。
「あの者が地に降り立ったからには、このあとは、おれにまかせてもらうぞ」
トゥラーンの直刀を抜き放ち、ジムサが陣頭に立った……。
白状します。
実は、今回の投稿で本作の最終回をお届けするつもりでした。
ですが、すこし時間をいただくとですね、欲がでてしまいまして。
ナレ死する予定だった敵役の退場も描写したくなってしまいました。
自分の作品を読んで楽しんでくださる方々がいらっしゃるのを実感すると、まあ創作意欲のわくことわくこと。
今話もあっというまに書き上がってしまいました。勢い任せなだけですって? ライブ感のある作品はお嫌いですか? ものは言い様ですね。
そんなわけで、「こちらアルスラーン戦記」はもうちょっとだけ続きます。
楽しみにしていただけたら幸いです。