ミスルのパルス侵攻を知ったナルサスは、即座にリョーツーンをギランのグラーゼへの急使にした。
リョーツーンからアルスラーンの勅命書を受け取ったグラーゼは、かねてから用意しておいた通り、百隻の軍船に一万五千の兵と何百という小舟と筏を乗せて西へと向かった。
ミスルの港ウルムナートを制圧すると、小舟と筏をウルムナートで接収した荷車に乗せて西へと急ぐ。
やがてディジレ河上流に突きあたると、小舟や筏で河を下った。
このときにテュニプがまだディジレ河下流西岸でぐずぐずしていれば、グラーゼはその本営を急襲していただろう。
だが、幸か不幸かテュニプはフィトナを伴ってディジレ河を渡り、パルス軍の追撃に加わるべく急いでいた。
小舟や筏を降り、ディジレ河にそってさらに北上すると、河口近くでいくつかに分流する。その分流のひとつが、国都アクミームへと通じているのだ。
アクミームはエクバターナのように堅固な城壁で周囲を囲われていたりはしない。
しかも、ミスル軍のほとんどはディジレ河の向こうへいってしまっている。
一万余りのパルス兵でもアクミームを制圧するのは、困難と呼ぶほどの苦労はせずにすんだのである。
グラーゼ率いるパルス軍がアクミームを占領するのを見届けるやいなや、リョーツーンはホンダードとともに馬を東へ向けて走らせた。
小舟に馬を乗せ、群がってくるワニどもを櫂で殴り飛ばして撃退しながらディジレ河を渡り、さらに東へと進む。
「アクミーム、グラーゼ提督の占領下にあります!」
アルスラーンの本営に飛び込むなり、リョーツーンは怒鳴り声をあげた。
戦況が激変した瞬間である。
「アクミームをパルスに衝かれただと?」
ミスル国王テュニプは、西からもたらされたその報せをやにわに信じることができなかった。
パルス軍は、自分の東にいるのだ。それが、なぜ自分の西にある国都アクミームを襲えるというのか。
誤報にちがいない、もっとよく調べろ。そう声を張り上げようとしたテュニプに、別の報告が、今度は東からもたらされた。
「パルス軍が攻勢にでてきました!」
「応戦せよ!」
テュニプは指示を出した。今まではそれですんでいたのである。
しかし、これからは違っていた。
「パルスの攻撃を支え切れません!」
「兵たちが後退の許可を求めています!」
前線からもたらされる連絡は、今までとまるで変わっていた。
「逃げるふりは、もう終わりだ! 存分に暴れてやる!」
「ひさしぶりに戦功がたてられるぞ。あやうく土木将軍なんて異名が定着するところだったからな。手加減はせぬ」
「先日おれを『逃げるなハーレムハゲ』と罵ったやつ、一歩前に出ろ」
イスファーン、ザラーヴァント、トゥース。三人の将に率いられたパルス軍前衛の猛攻が始まった。
ミスル軍は困惑した。
一撃を加えては逃げ去っていたパルス軍が、二撃、三撃と攻撃を続けてくるのだ。バルス騎兵の突撃は止まらず、ついにミスル軍に肉迫した。
両軍は激突した。
パルス軍は進もうとし、ミスル軍は留まろうとした。
押されるミスル軍は、じりじりと後退し始めたのである。
「やむを得ぬ。いったん退却する」
テュニプは決断した。
もともと、パルス軍と一戦したあと退却し、それを追うパルス軍がディジレ河を渡るところに反転して襲い掛かる手筈になっていたのである。
だが、テュニプの計画では、ミスル軍の敗走は擬態であり、国都アクミームは健在であるはずだった。
だが実際は、ミスル軍は潰走寸前であり、国都アクミームは陥落している。
アルスラーンの半月円西方版とでもいうべき迂回運動によりパルス軍がアクミーム奇襲に成功するなど、テュニプの予想と計算の埒外のできごとであった。
「だが、まだ負けたわけではない。予定通りディジレ河でパルス本隊に痛撃を加えて退却させ、返す刀でアクミームに入り込んだパルス別動隊を薙ぎ払えばすむことだ」
テュニプは自分の戦略に修正を加えた。
その戦略が完全に破綻したのをさとったのは、ディジレ河でひときわ豪奢な船に乗りこみ、西岸へ向かったときである。
ディジレ河西岸に、パルス軍があらわれ、陣を布きだしたのだ。
グラーゼの率いるパルス軍は、大人しくアクミームに引きこもったりはしなかったのである。
「これでは、西岸に上陸したものから各個撃破されるだけになってしまう……」
東からのパルス軍に討たれるか。それとも、西からのパルス軍に討たれるか。もはやテュニプに残された選択肢はその二つだけであるかに思えた。