「そうか。黄金仮面卿が死んだか」
シャガードの部下セビュック、フラマンタスからの報告を受けて、マルヤム国王ギスカールは複雑な表情をした。
黄金仮面の名前がヒルメスであることを知っているのは、ミスル国以来の部下であるパルス人のセビュックとフラマンタスぐらいである。だか、そのヒルメスの名前さえもが偽りであることまで知っているのはギスカールだけであった。すくなくとも、マルヤム軍においては。
そのギスカールですら、黄金仮面の本名は知らぬ。
あの男、死ぬまで仮の顔と名前をはずさなかったか。
妙な感慨がギスカールの胸に満ちた。
だが、感慨にひたるような贅沢をできる状況ではなかった。
ギスカール率いるマルヤム軍は、冬の山道を踏破してきたばかりであり、疲弊しきっている。
「パルス軍はザーブル城から引き払い、放棄したようです」
だから、その報告はギスカールにはありがたかった。
ザーブル城から出てきたパルス軍は千人程度だという。
ギスカールが率いる五万人が相手では、籠城しても犠牲が増えるだけだと判断したのだろう。
「ザーブル城へ向かうぞ。あれはよい拠点になる」
ギスカールは知らなかった。おそるべき智謀の主がザーブル城付近にいることを。
「マルヤム軍は冬の山岳路を越えてきたばかり。雪と寒さをしのげる家屋をもとめること、砂漠で水をもとめる旅人のごとくでございましょう」
アルスラーンがそばにいれば、ナルサスはそう説明したかもしれぬ。
だが、このときナルサスのそばにいたのはアルフリードとメルレイン、それにリョーツーンである。
ナルサスは地図にマルヤム軍の予想されるザーブル城への行軍ルートと日程を示すだけでよかった。
ザーブル城まであと一日。
糧食を城に残していくほどパルス軍がお人よしとは思わぬが、もともと自分たちの城だったものをわざわざ破壊していくほど勤勉でもあるまい。場合によっては自分たちで修復せねばならぬのだから。
野営も今日で終わりだ。
ザーブル城に入りきらぬ兵も、交代で屋根の下、床の上で眠れるだろう。
期待と安堵にマルヤム兵たちの表情は明るい。
自然と足も早くなる。
すると、荷車を牽いている部隊が遅れがちになる。
「火事だあ!」
その叫びが起こったのは、その荷車、糧食を運ぶ部隊からであった。
せっかく先を急いでいた騎兵も歩兵も、燃え上がる糧食を消火するべく引き返していく。
その引き返していく背後をゾット族が襲った。
マルヤム軍は混乱した。
「落ち着け! 敵は少数だ! おそれることはない!」
恐慌を鎮めようとギスカールは声を限りに叫んだ。
それはマルヤム兵たちに届き、近くの岩陰に潜んでいたメルレインにも届いた。
「なるほど、やつがこやつらの親玉か。おれの妹と妹婿をつけ狙った報いを受けさせてやる」
ギスカールは、べつにアルフリードとナルサスを殺害しようと黄金仮面を差し向けたわけではない。マルヤム軍の先遣隊に黄金仮面を任命しただけであった。
だが、それを知らされたとしても、この不機嫌そうな若者が行動を変えることはなかったであろう。
ギスカールが妹夫婦にとって危険な存在であることに変わりはないからだ。
パルスで二番目の弓の名手が放った矢は、その射手の自称にたがわぬ正確さで毛皮をまとったマルヤム国王の胸に突き刺さった。
ギスカールは馬上で血を吐いた。
「国王が殺された!」
マルヤム兵の誰かが叫ぶ。
ギスカールという存在が死んだのは、そのときであったかも知れない。
ギスカールの周囲にいた誰もが逃げ出した。
そして、誰もギスカールを顧みなかった。
マルヤムへ向けて人々の奔流が発生した。
その流れのなかで、辛うじて鞍にしがみつきながらギスカールはまだ息があった。
だが、誰もギスカールを助けようとしなかった。
極端な言い方をすれば、マルヤム軍がギスカールに従っていたのは、ギスカールは頼りになると思っていたからだった。
だが、もはやギスカールは頼りにならない。何もできない。
ならば、敵国パルスになどいられない。逃げるしかないではないか。
死にゆくギスカールも死んだギスカールも、彼らにとって等しく無価値であった。
ギスカールは、自分が死にゆくときは、せめて周りに涙してほしかったが、どうやら、それすらかなわぬらしい。
こんなものが王の最期であってたまるか。
マルヤムの王となっても満足できず、黄金仮面の煽動に乗ってしまった理由を、ギスカールは理解したような気がした。
ギスカールはマルヤムを愛さず、マルヤムもギスカールを愛さなかった。
「……おれが手に入れたのは…………おれが欲しかったのは……」
かすれたつぶやきが途絶えると同時に、ギスカールは永遠に落馬した。
野心がギスカールを支え。
野心がギスカールを駆り立て。
そして、ギスカールを野心が滅ぼした。
ケファルニス王朝は、こうして短命に終わったのである。