「解放王アルスラーン陛下がミスルを平定したぞ!」
「あの憎きルシタニア軍のギスカールも討ち取った!」
「ペシャワールでは魔将軍イルテリシュの首級をあげたというぞ!」
「解放王の御世に乾杯!」
「パルス軍の勝利に乾杯!」
「永遠なるエクバターナに乾杯!」
王都エクバターナでは勝利の祝杯がいたるところであげられていた。
デマヴァント山は、いまだに噴煙と溶岩を吐きつづけ、そして灰をふりまき続けているが、パルスの民は希望を捨てていない。
「アルスラーン国王陛下がおられるかぎり、パルス王国は安泰だ」
「そして、十六翼将も健在だ」
「そこで問おう、十六翼将の名を知るや!」
「ダリューン、ナルサス、ギーヴ、ファランギース、……」
「……そしてエラム!」
「おやおや、それではリョーツーンは?」
「アルスラーン陛下の尾羽!」
ここで、どっ、と満座が爆笑するのが近頃の宴席での定番のやりとりであった。
光が強ければ闇は濃くなるという。
パルス王宮の壁や床に影と化して張り付き、這いまわる者がいる。
魔道士グルガーンである。
ザッハークの魔道士は、「尊師」と呼ばれる男の他には、彼ただひとりだけとなっていた。
もっともグルガーンはその現状を、自分の取り分が増えた、ぐらいに認識している。
とはいえ、最後に残った尊師の弟子、というだけでは来たるべきザッハークの暗黒の世でも、さして重用はされまい。
役に立つところを蛇王と尊師に示さねばならなかった。
ここ数日、王宮に潜み、グルガーンは機会をうかがっていた。
宝剣ルクナバードを奪う機会を。
実のところ、アルスラーンがルクナバードを帯びることは滅多にない。
ほとんど宝物庫に入れっぱなしである。
たまの儀式だの式典だのに引っ張り出されるぐらいのものであった。
「宝剣ルクナバードの力に頼って戦争をするようになれば、わたしは王失格だ」
アルスラーンは、そう自戒してナルサスをよろこばせたものである。
その宝物庫のなかに、グルガーンは立っていた。
宝物庫の扉の前には、むろん屈強な門番が四人立っていたのだが、グルガーンにしてみれば、姿を見せずに彼らを失神させるのはたやすいことであった。
宝物庫の中央に設えられた台座に、宝剣ルクナバードがうやうやしくおさめられている。
「ここまでくるのは容易いのだがな……」
グルガーンの声は、いかにも苦々し気であった。
鞘に納められていてもなお、ルクナバードの霊力はグルガーンの魔力を圧倒していた。
「尊師ですら、ルクナバードを奪うことはできなかった。他の身体に憑依したあとの抜け殻を大蛇と化させて強奪を試みたが、王宮の外へ持ち出すことすらできなかったのだ」
ましてやグルガーンのような若輩者では、宝剣ルクナバードのそばにいるだけでなんの魔道も用いることができくなってしまう。
「だが、宝物庫から盗まれたのがルクナバードであるとわかっていなければ、警備の兵どもの対応も違ってくるであろうよ」
グルガーンは薄くわらって暗灰色の衣のなかから一振りの長剣を取り出した。
それは、見た目だけは宝剣ルクナバードと瓜二つであった。むろん、宝剣の贋物である。
台座の宝剣を、自分が用意した贋物と交換して、暗灰色の衣のなかに隠す。
「うう……なんと忌々しい霊力か。これではなんの魔道も使えぬ。地行術だけでも使えれば、ずいぶんと楽に王宮を抜け出せるものを」
毒づきながら、グルガーンは宝物庫を歩いて出ていった。
これからグルガーンは、人目に触れずに王宮から脱出せねばならぬのだ。
「大変だあ! 宝剣ルクナバードが盗まれた!」
「追え! 捜せ!」
「まだ遠くへはいってないはずだ!」
グルガーンが宝物庫を去ってすぐに、パルス王宮は大騒ぎになった。
「何故だ。何故、こうも早く露見したのだ」
地震で崩れ、いまだ撤去されていない瓦礫の陰に隠れて息をひそめながらグルガーンはうめき声をあげた。
いっそのこと、宝剣ルクナバードを手放すか。
そんな考えがグルガーンの胸中にうかぶ。
そうすれば、自分は魔道を使えるようになるだろう。パルス王宮から逃げおおせることなど、造作もなくなる。
だが、そのあとはどうなる。ルクナバードの警備は厳重になり、盗み出すのはさらに困難になるだろう。
「だめだ、だめだ! これは誰にも渡さぬ!」
グルガーンは彼の兄イグリーラスのことを思い出した。ファランギースの心を手に入れながら、自身の弱さと愚かさから、自らそれを手放した兄のことを。
「おれは兄とは違う。おれはこいつを手放したりはせぬ」
目を血走らせるグルガーンに誰何の声がかけられた。
「何者か、そこにおるのは?」
それは美しい声であった。グルガーンのよく知る声であった。
「ファランギース!」
身を隠していたことも忘れて、グルガーンは声をあげた。
「グルガーン!」
「そうか、おまえが贋物と見破ったのか」
言うなり、グルガーンは宝剣を投げ捨て、美しい女神官に襲い掛かった。
逃げも隠れもせずに、何故そんな行動をとったのかは、グルガーン自身にも説明がつかぬ。
グルガーンは跳躍し、宙を舞う、つもりであった。
だが、実際にはグルガーンの足は床から半ガズも離れなかった。
身体が重い……!
宝剣ルクナバードの宿す霊力は、グルガーンの魔力を抑え込むだけでなく、吹き飛ばしてしまっていたのだろうか。
グルガーンは困惑し、ついで後悔した。
おれはどこで間違った……?
その疑問がグルガーンの記憶を掘り起こす。
掘り起こされた記憶は、昨日や今日のものではなく、随分と古いものであった。
イグリーラスもファランギースもグルガーンのそばにいた日々。
あのとき、おれはどうすれば……。
そのとき、エラムの放った矢がグルガーンのこめかみを貫き、彼の思考は結論を得ることが永遠にできなくなった。