ザッハークは復活した。
巨人の身体を捨て、パルスの先代国王アンドラゴラス三世の肉体に憑依して。
自らの正体を隠し、蛇王は「生きていたアンドラゴラス」として、カーゼルンらアルスラーンの治世に不満と不安を抱くパルス貴族たちを糾合した。
パルスの周辺国のうち、シンドゥラとトゥラーンとは友邦といってよい関係を築いている。チュルクとマルヤムは国王不在の混迷の時代を迎えている。ミスルに至ってはグラーゼが総督として国政を取り仕切っている有り様であった。
パルスに侵攻するものはいないはずだったが、それでも戦乱は起こった。パルス国内で叛旗をひるがえす者たちがあらわれたのである。
アンドラゴラスを旗頭として。
彼らは「僭王討伐軍」を自称し、エクバターナ南方に布陣しつつある。
「やつらが集結するのを黙って見ていることもあるまい。集結しようとしている途上を各個撃破してくれる」
そういきり立つダリューンをナルサスはなだめた。
「今回に限っては敵に集結してもらったほうが都合がいいのだ」
「どういうことだ」
「集結した反国王派貴族の目の前でアンドラゴラスの正体を暴けば、この内乱は一瞬で霧散する」
事も無げにナルサスは言い放つ。
「それはそうかも知れぬが、だが、どうやって?」
「ダリューンよ。われら十六人が将軍の称号を授与されたときのことをおぼえているか」
「むろんだ。忘れるものか」
「あのとき、我らはアルスラーン陛下の差し出された宝剣ルクナバードの刃の平を手のひらにあてたであろう」
「国王に叛意あるものなら掌が焼けただれる、というやつだな。当然ながら、そんなやつは一人も出てこなかったが」
「あれは、本来はザッハークの眷属をあぶりだすための儀式ではなかったかと、おれはにらんでいるのだ」
「どういうことだ」
「鳥面人妖は人間に化ける。だが、いかに上手く化けたとしても、ルクナバードに触れればただではすむまい。あるいは、ザッハーク一党に操られた死体であってもな」
「つまり、ルクナバードならば『生きていたアンドラゴラス王』の正体を暴けるというのだな」
「ルクナバードを手にしたアルスラーン陛下ならば、な」
彼は自分の名を捨てた。
ゆえに、ザッハークですら彼のことを「尊師」と呼ぶ。
ジャムシード王の布く善政のもと、何百年ものあいだ彼は公務にはげんだ。
だが、人々からは活力というものが失われていった。
人という種の、その寿命が尽きた。そう諦めることは、彼にはできなかった。
だが、ジャムシードはもはや、刺激的な娯楽を人々に提供するぐらいしかできなかった。
その「刺激的な娯楽」の一環として生み出された人造生命。
有翼猿鬼、鳥面人妖、四眼犬。そして、それらを統べる蛇王。
やがて、狩りたてられる存在として造られた生命が叛旗をひるがえし、ジャムシードを弑した。
そして、自分がされたことをやり返そうとするかのごとく、蛇王ザッハークは人々を狩りたて、虐げた。
だが、なんということだろう。
蛇王の圧政のもと、人々は活力を取り戻した。
生きていることを素晴らしいと感じる心を取り戻した。
なんということだろう。彼が何百年ものあいだ求めてきた答えがそこにあった。
人は善政のもとでは、安寧のうちに腐ってゆく。
人は悪政のもとでこそ、苦難のうちにその真価を発揮するのだ。
蛇王の治世で、文明は退化していったが、そんなことは問題だと思わなかった。
彼は、みずから望んでザッハークの臣下となった。
自分の身体をザッハークと同じ仕組みに造りなおした。
人という種を活性化するため、彼はザッハークに忠誠を誓ったのである。
逆臣カイ・ホスローによってザッハークが封印されると、彼は闇に沈み、蛇王再臨のために暗躍をつづけた。
そして、今。
アルスラーン派パルス軍と反アルスラーン派パルス軍が、「尊師」の目の前で激突している。
同じパルス人同士が、ザッハークの奸計に踊らされて、血なまぐさい饗宴をくりひろげているのだ。
闇で蠢きつづけた長い年月は、尊師の精神をさらにおぞましいものに変容させていた。
人々が苦しむ光景を、人々が殺しあう光景を、尊師はただただ素晴らしいと思った。
ぜひともこの光景に自分も加わりたいと思った。
苦しめる側として。殺す側として。
どうせなら、強い獲物を仕留めたいものだ。
御馳走の並ぶ卓を見る者の目で尊師は戦場を見回した。
品定めする視線が、一人の武将の姿をとらえて静止する。
「あの者は、たしかイスファーンとかいったな……」
二頭の狼を連れた勇将へと向かって、暗灰色の衣の魔道士は地面を滑るように移動していった。