「まったくもって、奇縁としかいいようがないな……」
リョーツーンの報告を受けて、ナルサスは自らの眉間に指先をあてた。
「魔導士のかげがちらつく妙なヤツだとは思ってましたけど、腐れ縁のケンカ友達が、まさか真物のヒルメス王子だったとは、ワシもびっくりですよ。てっきり与太話とばっかり思ってましたからな。わはは」
「お主がヒルメス殿下と旧知の間柄であったことは伏せたほうがよさそうだな。今後、自分の前歴を問われても、一介の旅商人でした、の一点張りで押し通してくれ」
「わかりました」
「ダリューンも、あの一件が腹に据えかねるのはわかるが、アルスラーン陛下への害意があってのことではないのは明らかなのだ。そろそろ勘弁してやったらどうだ」
「うむ……」
不承不承ではあったが、ダリューンはうなづいた。
「やれやれ、どうにか命拾いしたようだな」
手紙集積所エクバターナ総本部にもどってきたリョーツーンは大きくのびをした。
「やっと帰ってきたよ。リョーさんが逃げ回っているあいだに、いっぱい仕事がたまってるんだからね。覚悟してよ」
テライスの小言をどこ吹く風と聞き流しながら、帳面に目を通す。
すると、リョーツーンはちょっとした異変に気付いた。
「……なんだ? パルス西方からエクバターナへの手紙が急増してるな。これは……パルス西方というより、ミスル方面か?」
「まったくもって目ざといな、リョーツーン卿は」
角刈りの郵政官からの報告を受けて、ナルサスは苦笑した。
「やはり、ミスルに動きがありますか」
「うむ。お主に下手にかくしごとをすると、ろくなことになりそうにないから言ってしまうが、ミスル国王ホサイン三世が軍事的野心に目覚めたようでな。まだ表立ってのものではないのだが、市井というものは、ときに敏感になにかを感じ取れるものとみえる」
「ミスルの周辺国はパルスだけではありません。その中から、なんでパルスに軍勢をすすめようとするのか……。もっとも手強い相手なのはわかりきっているでしょうに」
「……われらの掲げる奴隷解放政策が、よほどに目ざわりらしい」
「まあ、パルス国内でも反発は大きかったですからな。国外ではいわんや、というところですか。周辺国でも奴隷解放の気運のきざしが見えはじめてますからな」
「奴隷貿易の既得権益をうしなうのが、よほどに腹に据えかねるらしいな、ミスルの王は」
「人が人を所有していた今までがおかしかった、とは思えんもんですかね」
リョーツーンは吐き棄てるように言い、ナルサスは皮肉をたたえた笑い声をあげた。
「ああいう手合いは、自分自身が他人の奴隷にでもされねば、それがどれほど理不尽なことかわからぬのだ」
「あの手の連中は、そこまでされても逆恨みするだけじゃないですか」
「では、どうすればいいと思う?」
「そうですね。頭ごなしに奴隷制度を撤廃するんじゃなくて……」
「ふむ?」
「所有する奴隷の人数に応じて重税をかけるんですよ」
「やつらはほとんどの奴隷を名目だけ解放するだろうな。自立できぬように様々な制約を課したうえで」
「ですが、事実が残ります」
「事実?」
「上から言われて無理やりに奴隷を解放させられたのではなく、自分で考えて決断して奴隷を解放した、という事実です」
「……ほほう。その発想はなかったな」
宮廷画家にして、一時は副宰相たるナルサスは素直に感嘆をあらわにした。
「あとは、あらたに奴隷階級に堕とすことを禁止して、……奴隷の子供をどう法的に扱うかが肝になりますかな」
「段階的に奴隷制度を下火にしようというわけだな」
「ただ、こいつには致命的な欠点がありまして」
「それはなんだ」
「ワシは鞭うたれる奴隷を見ると酒がまずくなる性分でして、やるとなったら段階的に解放、なんて呑気なことは我慢できません」
それをきいてナルサスは快活な笑い声をあげるのだった。
その夜。
「リョーツーンの頭蓋のなかには知恵の泉があるにちがいない。問題は、ときどき麦酒や葡萄酒や蜂蜜酒も湧いて出て、泉の持ち主を欲望で酩酊させてしまうことだな」
「まったくだ。わが国王にとって有益な人物なのはまちがいないのに、どうしていらぬことを企むのか。そうは思わぬか、ナルサス」
「まあ、そうは言っても、そういう御仁だからこそ出てくる知恵というものもあるようだしな」
ダリューンの邸宅を訪れたナルサスは、設けられた酒席で皮肉っぽく笑った。
「それで、近いうちに起こるであろうミスルとのいくさだが」
「こちらから攻め入っても無益なだけである以上、パルスがミスルを迎え撃つかたちになるであろうな」
「そうは言っても、備えは充分にしているのであろう?」
ダリューンの信頼を込めた問いに、ナルサスは無言のまま、人の悪い笑顔でこたえるのであった……。
ミスルによるパルスへの侵攻を、アルスラーン率いるパルス軍は難なく撃退した。問題があるとすれば、アルスラーンの誕生日と即位記念日である日を戦場で迎えねばならなくなったことぐらいであった。
そのあとで催された、シンドゥラの国王を迎えての狩猟祭は、没落貴族たちによるアルスラーン暗殺未遂騒ぎが起こったものの、取り返しのつかぬ事態には至らずにすんだ。
凶報がもたらされたのは、狩猟祭が終わりを迎えようとした時であった。
チュルクの軍がシンドゥラを急襲したというのである。
これはナルサスにも予想できていなかった事態だったのだが、狩猟祭のついでに足をのばしたようなかたちで出したパルスの援軍は、カーヴェリー河の鉄門と呼ばれる場所でチュルク軍をあっさりと撃退してしまった。
このとき、パルス国王アルスラーンの治世は盤石で、ゆらぐことなどあり得ぬようにみえたのである……。