この巨漢のパルス騎士は、リョーツーンたちを一介のパルス騎士だと思ったらしい。
「山賊退治の助太刀にきたおぬしらの気概にこたえるために、正直に名乗らせてもらおう。おれは、名をザンデという。トゥラーンのヒルメス殿下のもとに馳せ参じるところだ。できれば、他言無用にしてくれるとありがたい」
そんなことを言い出した。
「ヒルメス王子はミスルにいるとの噂だが」
「あれは贋物だ」
ザンデはあっさりと断じた。
「なぜ、そう思う」
「黄金の仮面などという悪趣味なものを殿下がつけるわけがない。トゥラーンに顔に大やけどを負ったパルス人がいる、という噂を聞きつけなければ、それでもミスルに向かっただろうがな」
「トゥラーンのほうの御仁が真物という保証もなかろうに」
「トゥラーンのヒルメス殿下には、盲目の奥方がいて、仲睦まじいとの評判だ。これが贋物なわけがあるか」
「……では、おぬしが真物のザンデだと、どうやって証立てるのだ?」
「なんだと」
「おぬしがまことにヒルメス殿下の臣下なら、マルヤムを追われた流浪の時期に苦難をともにした殿下の親友の名を聞いていないはずがあるまい」
「……そんな話、初耳だぞ? しいて近い話をあげるなら、おれが殿下からきいていたのは、ろくでもない商売にまきこんでくる腐れ縁の悪友だな。たしか、左右でつながった太い眉毛をしていて……針金のような黒髪を角刈りにしていて……けものじみた野卑た顔立ちで……………さては、きさまがリョーツーンだな!」
トゥラーンの王宮は、建築物ではなく巨大な天幕である。
さらにその中に張られている天幕の一つが、クシャースフ一家の邸であった。
「殿下、お会いしとうございました!」
クシャースフの前にひざまずいたザンデは、いまにも泣きださんばかりであった。
「久しいな、ザンデ」
「わたしの主君はヒルメス殿下ただひとりでございます。どうか、どうか……!」
「わかった。おれも、おぬしの忠義に報いたい。これからも、おれの力になってくれ」
「おお! もったいなきお言葉にございます」
感動の主従の再会であったが、それをながめやっていたリョーツーン、ジムサ、トゥースの三人は、天幕の入口あたりで他人事のような顔をしていた。
「ヒルメスといえば、アルスラーン陛下の政敵ではないのか。なんでそんなやつに臣下を引き合わせてやらねばならんのだ」
「うむ。パルス王家のおひとりとは言え、釈然とせぬものはあるな」
「そういうなって。今のトゥラーンはパルスの友好国となりつつあるんだからよ。そのトゥラーンの要職にパルス王家ゆかりの人物がついているのは悪い話じゃないさ」
声をひそめて会話を交わす。
そんな三人をよそに、クシャースフとザンデの会話にイリーナが加わっていた。
「お久しぶりですね、ザンデ卿」
「おお、奥方もお元気そうで、祝着至極にございます」
「うふふ、この子の顔も見てやってください」
「おお、殿下に瓜二つのお顔立ち! これは、きっとたくましい若武者におなりになるでしょう。いや、楽しみなことでござる」
「…………娘だ」
「はっ?」
「このたび授かったのは、娘だ」
「え、えええっと」
「そうか、たくましい若武者になりそうか、おれの娘は」
「あの、その、あの!」
縮こまりながらしどろもどろになるザンデを見て、トクトミシュに処刑されかけた過去を持つジムサはつぶやくのだった。
「なんだか他人事に思えなくなってきたな……」
と。
ジムサがアルスラーンの臣下となったため、ジムサの一族は「裏切者の一族」として蔑まれていた。
だが、ジムサがトゥラーンと郵政官を仲介する立役者ということになると、たちまち「恩人の一族」ということになった。事実、王立手紙配達人としての俸給を前払いされることで、家族がこの冬を越す算段がどうにかついた者は多かったのである。
ジムサの弟にブルハーンという若者がいるが、彼も王立手紙配達人の職につき、ジムサの弟ということで仲間たちに一目おかれているという。
「アルスラーン陛下としては、ジムサ卿にはトゥラーンに帰ってもらって、パルスとトゥラーンの友好に尽力させたいところでしょうが」
クシャースフとザンデ。リョーツーンとジムサとトゥース。五人が車座になっての会談で、角刈りの郵政官はそんなことを言い出した。
「そうできぬ事情があるのか?」
「その通りです、ザンデ卿。今、パルス国内にいるトゥラーン人の王立手紙配達人は、およそ五千人。いざとなれば彼らはパルスの傭兵団として戦ってもらいたい。騎兵のみで構成された五千人です。重要な戦力になります」
「なるほど、その統率をとれるのはジムサ卿ぐらいだな」
「御明察です、トゥース卿。とくに、チュルクのトゥラーン人傭兵団の矛先がパルスに向けられたとき、ジムサ卿の率いるトゥラーン騎兵団の存在は大きな意味を持つでしょうな」
「……チュルクのトゥラーン騎兵団がトゥラーン本土を襲ったりはしないだろうか」
憂いにしずんだ声をだしたのはジムサであった。
「そんな腐った性根になりはてたなら、容赦はせぬ。せめてもの慈悲だ、そのときはトゥラーンの土にかえしてやる」
淡々とクシャースフは告げた。
この元流浪の王子様は、自分の野心に変化が生じているのを自覚しつつあった。
産まれたばかりの娘を胸に抱き、その寝顔を見つめているとき。
そっと背中にもたれかかってくる妻のぬくもりを感じるとき。
彼は思うのだ。
自分が本当に奪り還したかったのはパルスの王位だったのだろうか、と。
自分が本当に求めていたのはパルスの王冠だったのだろうか、と。
おれの妻子に害をなそうというのならば、チュルクであろうとパルスであろうと滅ぼしてくれる。
クシャースフの胸中に燃えさかる炎の色は、復讐者のそれではなくなりつつあった……。
「……そうか。ザンデがヒルメス……いや、クシャーフル卿の補佐につくことになったか。まさか、こういうことになるとはな」
パルスの王宮にてリョーツーンの報告を受け取ったナルサスは肩をすくめた。報告書には、ザンデがパリザードという名の愛人をトゥラーンに呼び寄せようとしていることまで記してあった。
「などと言いつつ、本当はおぬしの計算通りなのではないか?」
「ダリューンよ、おぬしはそう言うがな、おれの目の届かぬ場所、手の届かぬ場所などいくらでもあるさ」
「だが、チュルクの国王がトゥラーン騎兵団で何をしようとしているのか、その見当はついているのだろう?」
「トゥラーン人を率いてトゥラーンに侵攻するのは論外。パルスには手痛い敗北を喫したばかり。狙われるとすればシンドゥラであろうな」
「舌のよくまわるシンドゥラ国王がアルスラーン陛下に泣きついてくる光景が目に見えるようだ。いまいましい」
「シンドゥラに貸しをつくると思えば……という論法も、借りは踏み倒すにかぎると思っている御仁には通じぬしな」
「そういうツケは、苦しいときにこそ回ってくるものだ。こちらとしては、アルスラーン陛下がそれに巻き込まれぬようにせねばならぬな。………それで、あの男は、今はどこでなにをしているのだ」
「たしか、パルス西方に向かったはずだな」
パルス西方の隣国といえばマルヤム公国とミスル国である。
「郵政官の仕事を西方に拡大しようとすると、この二国がやっかいだな」
マルヤム公国ではギスカールとボダンが争いをつづけており、そのどちらが勝者となっても、パルスへの敵意と害意をひっこめることはないであろう。
ミスル国では国王ホサイン三世が、パルスへの軍事的野心を研ぎ続けている。
パルス西方の情勢を肌で感じ取ったリョーツーンはやや未練を帯びた声でつぶやいた。
「いずれは大陸公路の東端から西端まで手紙のやり取りができるようにしたいんだがなあ」
どうやら、まだ、その時機ではないらしい。
「こうなったら、パルスの北と南のつながりを太くするほうが先かもしれん。ミスルで黄金仮面を名乗っているヒルメスの贋物は気になるが、とりあえずエクバターナへ戻るか」
「おぬし、いつまでここにいる気だ」
エクバターナに「帰宅」すると、ジムサが呆れたような声でリョーツーンに話しかけた。
角刈りの郵政官は、いまだにジムサの邸宅に居候していたのである。
邸のあるじであるジムサ自身は庭に張った天幕で暮らしているので、さほど気にはならぬのだが、パルスの要職に就いた身が居候では、部下にもしめしがつくまい。
「おぬしには、いろいろと恩義があるゆえ、追い出すようなことはせぬが、もうすこし人の目というものを気にしたほうがいいぞ」
「うーむ。なしくずしにジムサ卿のところに厄介になり続けていたが、さすがに潮時か」
こうして、リョーツーンはエクバターナで家探しをはじめることになったのである。
おりしも、シンドゥラ北方をチュルクの軍勢が急襲した日のことであった。