The Amazing Spider-Man 5: Legacy of Oscorp   作:たきび/まもる

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ピーターとハリー

「……リー?」

その名前を口にした瞬間、ピーターの中で、これまで別々に存在していたいくつもの記憶が一つに繋がった。

F.E.A.S.T.で何度も顔を合わせたマーティン・リー。穏やかに人と接し、メイからも信頼されていた男。オフィスの壁に飾られていた直剣。そして、レイブンクロフトで夜叉会を率い、黒紫色の力を使っていた仮面の男。

目の前にいるリーは、もう仮面をつけていない。その顔のまま、レイブンクロフトで見たものと同じ力を剣へまとわせている。

ピーターには、それ以上の証拠は必要なかった。

リーはスパイダーマンをしばらく見た。

レイブンクロフトでも声は聞いていた。しかし、あの時はヘリコプターのローター音や銃声が絶えず響き、自分自身も仮面をつけていた。今のように、静かな室内で相手の声をはっきり聞く状況ではなかった。

その声には聞き覚えがある。

F.E.A.S.T.で何度も聞いていた。

リーの表情が僅かに変わった。

「……ピーターか。」

ピーターの身体が止まった。

ハリーは何も驚かなかった。スパイダーマンの正体がピーターであることは以前から知っている。むしろ、二人のやり取りに興味を示すことさえなく、グライダーの上からリーの動きだけを見ていた。

リーも同じだった。

ピーターがスパイダーマンだったという事実を理解したあと、それについて何か尋ねることも、驚きを見せることもなかった。視線をハリーへ戻し、直剣を握り直す。

「そこをどけ、ピーター。」

ピーターの方がその反応についていけていなかった。

「待って。リー、あんたがミスター・ネガティブだったのか?」

「今はどうでもいい。」

「僕には全然どうでもよくない。」

「なら後で考えろ。」

リーの声には、以前F.E.A.S.T.で聞いた柔らかさがほとんど残っていなかった。

「ここで終わらせる。」

ハリーがグライダーの高度を僅かに上げた。

「何をだよ。」

リーは社長室を見渡した。

「オズコープを。」

ハリーの表情が険しくなる。

「やってみろよ。」

「ちょっと待って。二人とも――」

ピーターが間へ入ろうとしたところで、リーが先に動いた。

狙いはピーターではない。

床を蹴った瞬間に黒紫色の力が足元で弾け、リーの身体が一気にハリーへ迫る。ハリーもすぐにグライダーを後退させ、側面から高周波振動ナイフを展開した。

ピーターは反射的にリーの剣を持つ腕へウェブを撃った。

ウェブが手首へ巻きつく。

リーは一瞬だけ腕を引かれたものの、攻撃を止めなかった。むしろ張ったウェブを利用して身体を回転させ、剣の軌道を横へ変える。

ピーターのスパイダーセンスが反応した。

身体を後方へ反らすと、黒紫色の刃が胸元を通過する。その隙を狙ってハリーが横から飛び込み、振動ナイフをリーへ振り下ろした。

リーは剣を戻して受け止める。

二つの刃がぶつかり、黒紫色の力と高周波振動が激しく干渉した。

ピーターは二人を引き離そうと、リーの背中へもう一本のウェブを撃った。

「一回止まって!」

両腕で強く引く。

リーの身体が後ろへ引かれ、ハリーとの距離が開いた。

ピーターはそのままリーの両足へウェブを撃とうとした。

だが、リーが先に手を動かした。

黒紫色の力が右腕から広がり、手首に絡んでいたウェブへ流れ込む。

ピーターは異変に気づいた。

「……何?」

黒紫色の光が、糸を伝ってこちらへ走ってくる。

反射的にウェブを切り離そうとしたが、間に合わなかった。

力が左手首まで到達した瞬間、ウェブシューター内部で激しい火花が散った。ピーターは思わず腕を引き、装置から白煙が上がるのを見て顔をしかめる。

「うわっ……!」

内部の回路が焼けている。

試しにトリガーへ指をかけても、何も反応しない。

左側のウェブシューターは完全に死んでいた。

リーはピーターへ一瞥を向けただけで、すぐにハリーへ向き直った。

「だから邪魔をするな。」

「今ので余計に止める理由増えたんだけど!」

ピーターは残った右のウェブシューターを構え直した。

その瞬間、ハリーが衝撃波を撃った。

ピーターはリーの正面にいたため、スパイダーセンスが強く反応する。咄嗟に床へ伏せると、頭上を衝撃波が通過し、リーの身体を正面から捉えた。

リーは社長室の奥まで吹き飛ばされ、壁へ激突する。

ピーターは起き上がるとハリーを見た。

「僕がいた!」

「避けたじゃないか。」

「結果論で撃つなよ!」

「お前なら避ける。」

ピーターは一瞬、何も言えなかった。

ハリーは本気でそう思っている。

こちらを信用しているわけではない。ただ、ピーターなら危険を察知して避けられるという事実を、自分の攻撃計算へ当然のように組み込んでいる。

昔から変わらない。

できると分かっていることについては、相手がやりたいかどうかなど考えず、最初からできるものとして扱う。

「……相変わらずだな。」

「何が。」

「何でもない。」

壁際でリーが立ち上がった。

衝撃波をまともに受けたにもかかわらず、まだ倒れる様子はない。むしろ周囲を覆う黒紫色の力はさらに強くなり、リーの背後にある壁面の照明まで不規則に明滅している。

ピーターはそこで、三人の状況を改めて見た。

ハリーは危険だ。

グライダーには殺傷力のある武装があり、リーを殺すことにも躊躇していない。

だが、今のハリーが狙っているのはリーだけだった。

一方、リーは違う。

地下施設を半壊させながらここまで来て、それでもまだオズコープそのものを破壊しようとしている。周囲への被害を気にする様子もなく、ピーターが何を言っても聞くつもりがない。

この二人を同時に止めようとすれば、リーを止めきれない。

まず、リーだ。

ピーターの中で優先順位が決まった。

ハリーをどうするかは、そのあとで考える。

リーが再び床を蹴った。

ピーターも同時に前へ出る。

今度はハリーが攻撃してくることを前提に動いた。

リーの正面へ入り、剣を振り下ろさせる。スパイダーセンスに従って紙一重で横へかわし、そのまま右のウェブシューターから一本だけウェブを撃つ。

狙ったのはリーの右肘だった。

引く。

剣を持つ腕が僅かに外へ開く。

その瞬間、背後からグライダーの駆動音が近づいた。

ピーターは振り返らない。

床へ低く伏せる。

ハリーのグライダーが頭上を通過し、そのまま機首をリーの胸へ叩き込んだ。

リーの身体が浮く。

ピーターはすぐに立ち上がり、空中にいるリーの足首へ残ったウェブシューターから糸を撃った。

地面へ強く引く。

リーの姿勢が崩れた。

ハリーはすでに旋回を終えている。

今度は衝撃波。

ピーターがウェブを離した直後、圧縮された衝撃がリーへ直撃し、その身体を社長室の反対側まで吹き飛ばした。

二人とも、何も打ち合わせていない。

それでも動きが噛み合った。

ピーターが作った隙をハリーが利用し、ハリーが攻撃してくると分かっているからピーターも次の位置を選べる。

ハリーがこちらを見る。

ピーターも一瞬だけ視線を返した。

「今のは僕が作った隙だからね。」

「俺が当てたんだから俺の攻撃だろ。」

「そういう話じゃない。」

リーが立ち上がる。

二人の視線は同時にそちらへ戻った。

 


 

三人の戦いは、社長室の中だけでは収まらなくなった。

リーが放った黒紫色の衝撃が床を走り、ピーターとハリーがそれぞれ別方向へ逃れる。ピーターは壁へ飛びつき、ハリーはグライダーを上昇させたが、リーは二人が避けた後も攻撃を止めず、直剣を大きく振り上げた。

刃から黒紫色の剣閃が飛ぶ。

ピーターのスパイダーセンスが強く反応した。

身体を横へ投げる。

しかし、完全には避けきれなかった。

衝撃波の端がピーターの顔を掠め、マスクの右側が大きく裂けた。布地が頬からこめかみにかけて破れ、片方のレンズにも亀裂が入る。

ピーターは床へ転がりながら身体を起こした。

視界の半分が歪んでいる。

破れたマスクの一部を掴み、邪魔になっている布地だけを引き剥がすと、頬から目元の一部までが露出した。

ハリーはその姿を見ても何も言わない。

リーも気にしていない。

二人とも、マスクの下に誰がいるかなどとっくに知っている。

ピーターも今さら顔を隠し直そうとはしなかった。

「今日は装備が壊れる日だな……。」

そう言いながらリーへ目を戻した時、天井から細かな破片が落ちてくるのが見えた。

さっきの剣閃が、すでに戦闘で傷んでいた天井まで切り裂いている。

「まずい。」

ハリーも上を見る。

リーは気にせず、再び剣を構えた。

ピーターは天井の損傷を確認しながら判断した。

この部屋で続ける方が危険だ。

上へ出した方がいい。

少なくとも社員や警察から距離を取れる。

「ハリー!」

「何だ!」

「上に出す!」

「命令するな。」

「じゃあ好きにして!」

ハリーは返事をせず、グライダーの機首を天井へ向けた。

ピーターはその動きを見て小さく息を吐く。

「結局やるんじゃないか。」

衝撃波が天井へ撃ち込まれた。

亀裂の入っていた部分が崩れ、上階へ通じる大きな穴が開く。

リーがそちらへ視線を向けた。

ピーターはその一瞬を逃さず、残ったウェブシューターから糸を撃ち、リーの胴体へ巻きつけた。

上へ引く。

リーは床へ剣を突き立てて踏み止まろうとする。

そこへハリーがグライダーで突っ込んだ。

機体が下から身体を押し上げ、ピーターの引く力と重なったことで、リーは床から引き剥がされた。

三人はそのまま上階へ移った。

戦闘は役員用の会議室、資料室、設備区画へと続いていく。

狭い場所ではハリーのグライダーが速度を出せないため、リーが有利になる。剣が届く距離へ入ればハリーは機体を細かく動かして避けるしかなく、そのたびにピーターがリーの腕をウェブで逸らした。

逆に広い空間へ出れば、今度はハリーが優位に立つ。

グライダーでリーの周囲を高速旋回し、正面から攻撃するふりをして意識を引きつける。その動きを見たピーターは、リーの死角へ入り込んで足を払ったり、残ったウェブで一瞬だけ動きを止めたりする。

ハリーがピーターへ合図することはない。

ピーターも指示しない。

それでも、相手が次に何をするのか分かってしまう。

かつて何年も一緒に過ごしてきた相手だった。

どちらが無茶をするのか。

どこで相手の動きを信用するのか。

どんな状況なら言うことを聞かないのか。

戦い方そのものを教え合ったことなど一度もないのに、人間として知っていることが、そのまま戦闘の中で連携へ変わっていた。

和解したわけではない。

むしろ、リーさえいなければ今すぐ互いに殴り合ってもおかしくない。

ただ、今は利害が一致している。

それだけだった。

やがてリーが最後の階段室へ飛び込み、扉をネガティブパワーで吹き飛ばした。

夜風が一気に流れ込む。

ハリーのグライダーがその頭上を越えて外へ飛び出し、ピーターも壁を蹴って後を追った。

三人の戦場は、オズコープタワーの屋上へ移った。

 


 

屋上へ出た瞬間、ピーターの視界に夜のマンハッタンが広がった。

巨大なオズコープのロゴとタワー最上部の設備群。その向こうには高層ビルの明かりが連なり、遥か下では警察車両の赤と青の光が小さく動いている。

ピーターには、この場所に見覚えがあった。

かつてコナーズと戦った場所だった。

まだスパイダーマンになって間もなかった頃、街全体をリザードへ変えようとした男を止めるため、この屋上まで追ってきた。

だが、今は記憶に浸っている余裕はない。

リーが屋上の中央で剣を構えている。

ハリーはその上空をグライダーで旋回している。

ピーターは破れたマスクのまま、残った右側のウェブシューターを確認した。

左はもう使えない。

右だけで、リーを止める。

そして、そのあとにハリーを止める。

リーが先に動いた。

黒紫色の力をまとった剣を振るい、今度は地面を這うのではなく、空中へ向けて複数の剣閃を放つ。

ハリーはグライダーを大きく旋回させて避ける。

ピーターも走る。

屋上では壁も天井も少ないため、いつものように自在にウェブを使って移動することはできない。それでも設備や看板の支柱を利用しながら距離を詰め、リーがハリーへ意識を向けている間に背後へ回る。

リーが振り返る。

ピーターは正面から殴り合わず、残ったウェブを剣へ撃った。

刃ではなく柄の部分へ巻きつける。

強く引く。

リーは剣を奪われまいと腕へ力を込めた。

ピーターはそこで勝負しなかった。

引く方向を変え、リーの身体そのものを横へ向ける。

ハリーがそこへ突っ込んできた。

リーも気づき、剣を振り戻そうとする。

ピーターはさらにウェブを引いた。

一瞬だけ動きが遅れる。

それで十分だった。

ハリーの衝撃波が直撃する。

リーの身体が屋上を転がった。

ピーターは追う。

リーが起き上がる前に距離を詰め、拳を入れるのではなく剣を持つ腕を踏みつける。そのまま右手からウェブを撃ち、手首と剣をまとめて屋上へ固定した。

リーが左手をピーターへ向ける。

ピーターはそれも予想していた。

足を離して横へ跳ぶ。

ネガティブパワーがピーターの横を通過する。

その空いた正面から、ハリーがグライダーで突っ込む。

リーはウェブを引き千切りながら立ち上がろうとした。

ピーターはその瞬間を見た。

足がまだ安定していない。

右腕も完全には自由になっていない。

ここだ。

ピーターは残ったウェブシューターから、最後まで使うつもりだった量のウェブを一気に撃った。

リーの胸。

肩。

腰。

さらに屋上の支柱。

一本しかないウェブシューターで、左右へ撃ち分ける。

リーの身体が複数方向から引かれた。

完全な拘束にはならない。

数秒も持たない。

だが、ハリーには十分だった。

グライダーの機首がリーへ向く。

ピーターは叫ばなかった。

合図も必要なかった。

ハリーはすでに分かっている。

推進装置が最大出力へ入った。

ハリーはグライダーをリーへ向かって一直線に加速させ、衝突する直前に衝撃波発生装置を撃った。

リーはネガティブパワーを放とうとした。

しかしピーターのウェブに身体を引かれ、姿勢が僅かに崩れる。

衝撃波が正面から直撃した。

轟音とともにリーの身体が屋上を離れ、数メートル後方へ吹き飛ばされる。

背中から設備へ激突し、そのまま床へ落ちた。

黒紫色の光が一度だけ大きく揺れる。

ピーターもハリーも身構えた。

リーの指が動く。

剣へ手を伸ばそうとする。

しかし、腕が途中で止まった。

身体の周囲へ滲んでいたネガティブパワーも急速に弱まり、最後には完全に消えた。

リーの意識が落ちた。

ピーターは数秒動かなかった。

呼吸を確認する。

胸が動いている。

生きている。

ハリーが殺さないように手加減したわけではない。あの攻撃は、当たり方次第では致命傷になっていてもおかしくなかった。

ただ、結果としてリーは生きている。

それで十分だった。

「……終わった。」

ピーターがそう言った時、背後でグライダーが着地する音がした。

振り返る。

ハリーが機体から降りている。

その手が、グライダー側面へ伸びた。

格納されていた高周波振動ナイフを引き抜く。

ピーターの表情が変わった。

「ハリー。」

ハリーは答えない。

振動ナイフを起動しながら、意識を失ったリーへ歩いていく。

「もう終わった。」

「まだ生きてる。」

「だから終わったんだ。」

ハリーは足を止めない。

「そこをどけ。」

ピーターはリーの前へ回り込んだ。

「嫌だ。」

「ピーター。」

「殺させない。」

ハリーの表情が変わった。

数分前まで、二人は同じ相手を倒すために動いていた。

その相手が倒れた瞬間。

二人を繋いでいた理由も消えた。

ハリーはナイフを握ったままピーターを見る。

「どけ。」

「どかない。」

「こいつが何をしたか見ただろ。」

「見た。」

「なら分かるだろ。」

「だからって、気絶してる人間を殺す理由にはならない。」

「僕にはなる。」

ハリーが一歩踏み出す。

ピーターは構えた。

「じゃあ止める。」

「またか。」

「まただよ。」

ハリーが振動ナイフを振った。

ピーターは身体を引いてかわし、残ったウェブシューターからハリーの手首へウェブを撃つ。

そのまま横へ引く。

ナイフを持った腕が逸れる。

ハリーは反対の手でウェブを掴み、強く引き返した。

ピーターの身体が前へ引かれる。

そこへ膝が来る。

ピーターは空中で身体を捻って直撃を避け、その勢いのままハリーの肩へ蹴りを入れた。

ハリーが後方へ飛ぶ。

振動ナイフが手から離れ、屋上を滑っていった。

ハリーは倒れながらもすぐに身体を起こす。

ピーターは追撃しなかった。

その代わり、ハリーの背後で待機していたグライダーへウェブを撃った。

「何する気だ!」

ハリーが気づいた。

ピーターは両手でウェブを引き、グライダーの機首を横へ向ける。

ハリーが呼び戻そうとした瞬間、グライダーの推進装置が起動する。

ピーターはそれを利用した。

進行方向を屋上設備へ固定するようウェブを強く引く。

無人のグライダーは急旋回したものの完全には軌道を戻せず、そのまま大型の設備へ激突した。

金属がひしゃげ、推進装置が破裂する。

機体は屋上を何度も跳ねながら滑り、最後には完全に停止した。

ハリーの表情から余裕が消えた。

「……お前。」

「これで同じ条件。」

ハリーは壊れたグライダーを見た。

「同じ?」

ピーターは構え直した。

「武器なし。」

ハリーはゆっくりピーターへ顔を戻した。

「本気でそう思ってるのか。」

ピーターは答えなかった。

ハリーが踏み込んだ。

最初の拳をピーターはかわした。

速い。

以前のハリーとは明らかに違う。

二発目。

身体を捻って避ける。

三発目を腕で受ける。

その瞬間、ピーターの身体が大きく横へ押された。

「……!」

ピーターは数歩下がって体勢を立て直した。

重い。

グライダーも武器も使っていない。

ハリー本人の拳だった。

ピーターはそこで初めて、治療後のハリーの身体がどこまで変わっているのかを実感した。

ハリーの中には、以前注入した蜘蛛毒が残っている。

病気の症状が出ていた頃でさえ、一時的に超人的な身体能力を発揮していた。

今は遺伝病そのものが消えている。

さらにスマートスーツが身体の動作を補助している。

ピーターが拳を振るう。

ハリーは腕で受けた。

次の蹴りも防ぐ。

ピーターは速度では上回っている。

スパイダーセンスもある。

だが、一発一発の力ではハリーの方が上かもしれない。

ピーターはそれを確かめるように、今度は正面から右拳を振った。

ハリーは避けなかった。

拳が届く直前。

手首を掴む。

ピーターの動きが止まった。

「……ハリー?」

振りほどこうとする。

動かない。

ピーターは反対の拳を振るったが、ハリーは身体を横へずらしてかわした。

掴んだ手首だけは離さない。

ハリーの視線がそこへ落ちる。

ピーターも気づいた。

残っているウェブシューター。

「待て――」

ハリーが握り込んだ。

金属が軋む。

ピーターは腕を引こうとしたが、ハリーの指はさらに強く食い込んでいく。

スマートスーツが腕から手指の動きを補助し、その下では蜘蛛毒によって強化された筋力がそのままピーターの手首へ集中している。

ウェブシューターの外装が潰れた。

内部機構が砕ける。

カートリッジまで破損し、白いウェブ液が手首の隙間から漏れ出した。

ハリーが手を離す。

ピーターはすぐに数歩後退した。

壊れた装置へ目を落とす。

トリガーを押す。

何も出ない。

左はリーに壊された。

右は今、ハリーに壊された。

もうウェブは使えない。

ピーターはゆっくり顔を上げた。

ハリーは構えを解いていない。

「もうそれは使えない。」

ピーターは壊れたウェブシューターを一度だけ見た。

それから両手を上げる。

「……分かった。」

ハリーを見る。

「じゃあ、もうこれだけだ。」

ハリーも拳を構えた。

グライダーはない。

ナイフもない。

ウェブもない。

二人の間に残ったのは、自分たちの身体だけだった。

屋上の少し離れた場所では、意識を失ったリーが倒れている。

その横で、かつて親友だった二人が向かい合った。

屋上の少し離れた場所では、意識を失ったリーが倒れている。その横で、かつて親友だった二人が向かい合った。

今度こそ、間に誰もいなかった。

最初に踏み込んだのはハリーだった。

ピーターは右から来た拳を身体を捻ってかわしたが、続く左拳までは完全に避けられなかった。腕を上げて受けた瞬間、想像していた以上の衝撃が肩まで突き抜け、身体が大きく横へ押される。足を滑らせながらどうにか踏み止まったものの、ハリーはその隙を見逃さず、距離を詰めて腹部へ拳を叩き込んだ。

ピーターの身体が浮いた。

背中から床へ落ちる直前に片手をつき、回転しながら距離を取る。すぐに立ち上がったが、腹部に受けた衝撃が遅れて広がり、呼吸が一瞬だけ詰まった。

リーとの戦闘まで含めれば、ピーターはすでにかなり消耗している。セントラルパークでクレイヴンと戦い、そのままオズコープへ戻り、リーを相手に屋上まで上がってきた。マスクは破れ、両方のウェブシューターも失っている。

対するハリーは、治療を終えたばかりだった。

身体を蝕んでいた病気は消え、以前注入した蜘蛛毒によって得た力を妨げるものもなくなっている。さらにスマートスーツが動作を補助し、衝撃まで軽減していた。

真正面から力を比べれば、今はハリーの方が上かもしれない。

ピーターはそのことを、すでに何度か身体で理解させられていた。

「どうした。」

ハリーが歩いてくる。

「もっと強かっただろ、お前。」

ピーターは呼吸を整えながら構え直した。

「今日はちょっと予定が多かったんだよ。」

「言い訳か?」

「事実。」

ハリーが再び踏み込む。

ピーターは今度こそ正面から受けなかった。スパイダーセンスに従って拳の外側へ回り込み、脇腹へ二発入れてからすぐに離れる。ハリーが振り返るより先に背後へ移り、膝裏を蹴って姿勢を崩した。

力で勝てないなら、まともに力をぶつけなければいい。

ピーターには速度がある。

反応もある。

何より、攻撃が来るより先に危険を察知できる。

ハリーが立ち上がる。

今度はピーターから入った。

顔へ向かう拳を見せて防御を上げさせ、途中で軌道を変えて胴体を狙う。ハリーの肘が下がったところで足を払い、倒れかけた身体を肩から押して床へ転がす。

すぐに追撃はしなかった。

距離を取る。

ハリーは床へ手をつきながら笑った。

「まだそうやって戦うんだな。」

ピーターは答えない。

「逃げて、避けて、相手が動いたところを狙う。」

「それを戦い方って言うんだよ。」

「違う。」

ハリーは立ち上がった。

「怖いだけだろ。」

ピーターの表情が僅かに変わった。

「何が。」

「本気で殴るのが。」

ハリーは口元についた血を手の甲で拭った。

「自分の方が強いって分かってるから、いつも加減してる。誰かを壊すのが怖いんだろ。」

「君がそれを言う?」

「僕は怖くない。」

ハリーが再び向かってくる。

ピーターは一発目をかわした。

二発目も避ける。

しかし三発目の蹴りを避けた先へ、ハリーはすでに身体を入れていた。肩からぶつかられ、ピーターは屋上設備へ背中から叩きつけられる。

ハリーはそのまま胸元を掴んだ。

「だから守れないんだ。」

ピーターの目がハリーへ向く。

「……何?」

ハリーは胸元を掴んだまま、顔を近づけた。

「いつもそうだろ。」

ピーターはハリーの手首を掴んだ。

「やめろ。」

「何を?」

「それ以上言うな。」

その反応を見て、ハリーは気づいた。

そして止まらなかった。

「グウェンもそうだった。」

ピーターの表情が消えた。

ハリーはそのまま続ける。

「あの時だって、お前は――」

ピーターの拳が飛んだ。

頬へまともに入る。

ハリーの身体が横へ振られ、胸元を掴んでいた手が離れた。

ピーターは追わなかった。

拳を握ったまま、その場に立っている。

「言うな。」

ハリーはゆっくり顔を戻した。

殴られた頬へ触れる。

それから、笑った。

「そこか。」

ピーターは何も答えない。

「やっぱり、そこなんだな。」

「黙れ。」

「何年経っても変わらない。」

ハリーが立ち上がる。

「まだ自分のせいだと思ってる。」

ピーターは奥歯を噛んだ。

「ハリー。」

「でも、お前のせいだろ。」

ピーターの拳が強く握られる。

「黙れって言ってる。」

「お前が捕まえられなかった。」

ピーターが踏み込んだ。

今までとは違った。

相手の拳を待たない。

避ける方向も考えない。

正面からハリーへ拳を振るう。

ハリーは腕で受けたが、その衝撃で身体を後ろへ押された。ピーターは距離を与えず、反対の拳を腹部へ叩き込み、そのまま顔へもう一発入れる。

ハリーがよろめく。

ピーターは追う。

「言うな!」

拳が入る。

「分かったようなことを――」

もう一発。

「言うな!」

ハリーは両腕で顔を守りながら後退した。

だが、口は止めなかった。

「怒る相手が違うだろ!」

ピーターの拳を腕で受ける。

「僕じゃない!」

次の拳をかわす。

「お前だ!」

ピーターが完全に切れた。

踏み込む速度がさらに上がる。

攻撃はもう、普段のスパイダーマンのものではなかった。相手の姿勢を崩し、最小限の攻撃で無力化するための動きではない。ただ真正面から拳を叩き込み、ハリーを押し下げようとしている。

その分だけ隙も増えていた。

ハリーの拳がピーターの顔へ入る。

破れたマスクの下から血が飛ぶ。

それでもピーターは止まらない。

今度はピーターの拳がハリーの頬を捉える。

スマートスーツが衝撃を軽減しても、完全には消せない。ハリーも口元から血を流し始める。

二人の戦いから、技術が少しずつ消えていった。

ハリーが殴る。

ピーターが殴り返す。

ピーターが蹴れば、ハリーは身体ごとぶつかる。

互いに相手の攻撃を避けるより、自分の攻撃を先に入れることを選ぶようになっていく。

ピーターの頭には、グウェンの姿が浮かんでいた。

時計塔。

落下する身体。

伸ばしたウェブ。

あと少し届いていれば。

もっと早ければ。

もっと強ければ。

何度考えても変わらない最後。

忘れたことなど一度もない。

ただ、考えないようにできる日が増えただけだった。

それを、ハリーは自分から引きずり出した。

しかもハリーは、あの場所にいた。

ピーターが失ったものを知っている。

だからこそ、その名前を武器として使ったことが許せなかった。

ハリーが拳を振るう。

ピーターはその腕を払い、懐へ飛び込んだ。

肩をハリーの腹へ叩き込む。

勢いを殺さない。

そのまま両腕で腰を抱え、身体ごと前へ押した。

「っ……!」

ハリーの足が床から離れる。

二人は数メートル進み、そのまま屋上へ倒れ込んだ。

ピーターが上になった。

ハリーの腰へ跨がるように馬乗りになり、そのまま拳を振り上げる。

一発。

ハリーの顔が横を向く。

二発目。

今度は反対側。

三発目を振り上げたところで、ハリーの両手がピーターの首へ伸びた。

指が喉の両側へ食い込む。

ピーターの拳が止まった。

「……っ!」

ハリーは下からピーターの首を掴み、そのまま力を込めた。

スマートスーツの補助と蜘蛛毒による筋力が重なる。

ピーターは息ができなくなった。

ハリーは背中を床へつけたまま、ピーターを押し上げようとする。

「お前が……!」

さらに指へ力が入る。

「いつも……全部持ってるくせに……!」

ピーターはハリーの両手首を掴んだ。

引き剥がそうとする。

最初は動かない。

首へ食い込む指がさらに深くなる。

ピーターの顔が苦痛に歪む。

それでも両腕へ力を込めた。

ハリーの手首が、ほんの僅かに動く。

ピーターは歯を食いしばった。

もう一度。

今度は身体全体を使う。

肘を外へ開きながら、ハリーの両手を左右へ押し広げる。

ハリーも抵抗する。

一瞬、完全な力比べになった。

治療を終えた身体。

蜘蛛毒による力。

スマートスーツの補助。

そのすべてを使って、ハリーはピーターの首を絞め続ける。

それでも。

ピーターの腕が少しずつ開いていった。

ハリーの手が首から離れる。

空気が肺へ戻る。

ピーターは大きく息を吸いながら、ハリーの両腕を床へ押さえつけた。

二人とも動かなかった。

荒い呼吸だけが、屋上の風の中で聞こえている。

ピーターはハリーを見下ろしている。

ハリーも真正面からピーターを睨んでいる。

つい数分前まで、二人は同じ相手を倒すため、言葉も交わさず動きを合わせていた。

今は、その同じ二人が力ずくで互いを押さえつけていた。

そしてピーターの右拳は、まだ自由だった。

ピーターはハリーの両腕を床へ押さえつけたまま、荒い呼吸を繰り返していた。

首にはまだ指の感触が残っている。喉の奥が焼けるように痛み、息を吸うたびに咳が出そうになる。それでもピーターは身体を起こさなかった。少しでも力を緩めれば、ハリーがまた起き上がることが分かっていた。

ハリーも同じように消耗していた。

頬は腫れ、口元から血が流れ、スマートスーツの表面にも何ヶ所も裂け目ができている。それでも身体の下では、押さえ込まれた腕がまだ動こうとしていた。

ピーターはその抵抗を感じた。

そして、右手を離した。

ハリーの腕を押さえていた片方の手が自由になる。

拳を握る。

振り下ろした。

鈍い音が屋上へ響いた。

ハリーの顔が横を向く。

ピーターは止まらなかった。

もう一度拳を上げ、今度は反対側から叩き込む。ハリーは顔を守ろうとして腕を上げかけたが、ピーターが膝でその動きを押さえ込んだため間に合わず、拳が正面から頬を捉えた。

風の音の中に、肉を殴る音だけが混じる。

ピーターはまた拳を上げた。

叩き込む。

もう一度。

最初の数発は、ハリーも抵抗していた。

身体を捻って直撃を避けようとし、空いている腕でピーターを押し退けようとする。だが馬乗りになったピーターはそのたびに体重をかけ直し、逃がさなかった。

拳が顔へ入る。

ハリーの頭が床へぶつかる。

ピーターは息を切らしながら、もう一度振り上げる。

「お前が……!」

拳を叩き込む。

「グウェンのことを……!」

また殴る。

ハリーの鼻から血が流れた。

ピーター自身の拳にも血がついていた。それが自分のものなのかハリーのものなのか、もう分からない。

ハリーが何か言おうとした。

だが声にならなかった。

ピーターの拳がもう一度入った。

屋上に音が響く。

一定の間隔で。

一発。

少し間を置いて。

もう一発。

ハリーの抵抗が少しずつ弱くなった。

最初はピーターの身体を押そうとしていた腕が床へ落ち、それでも何度か指だけが動いた。やがて、その動きさえ止まる。

ピーターは気づいていた。

それでも拳を上げた。

ハリーはもう反撃してこない。

顔を背けることもしなくなっていた。

ピーターが振り下ろすたびに身体が僅かに揺れるだけだった。

拳が止まった。

ピーターは肩で息をしながら、下にいるハリーを見た。

ハリーの目は開いている。

意識はある。

だが、もう抵抗する力はほとんど残っていなかった。

ピーターの拳も震えていた。

怒りだけではない。

疲労。

痛み。

そして、自分が今何をしているのかを理解し始めたことで生まれた迷い。

それでも。

グウェンの名前が頭から離れなかった。

時計塔。

落ちていく身体。

伸ばしたウェブ。

止まった時間。

そして、その場所にいたハリー。

ピーターの指が再び握られる。

今までより強く。

ハリーはそれを見た。

さっきまでとは違う。

ピーターの表情も。

拳の握り方も。

次の一発が、それまでのものと同じではないことが分かった。

もう喧嘩ではない。

もう相手を止めるための攻撃でもない。

本気で振り下ろせば、終わる。

ハリーも、それを理解した。

しばらくピーターを見ていた。

何か言おうとはしなかった。

言い訳も挑発もない。

ただ、ゆっくり目を閉じた。

ピーターは拳を振り上げた。

右腕に力を込める。

肩から。

肘から。

拳まで。

全身の力をそこへ集める。

ハリーは動かない。

ピーターは振り下ろした。

屋上に、鋭い金属音が響いた。

ハリーの身体が僅かに強張った。

しかし、痛みが来ない。

数秒経っても何も起きなかった。

ハリーは恐る恐る目を開けた。

最初に見えたのは、ピーターの腕だった。

拳は、ハリーの顔には当たっていなかった。

顔のすぐ横。数センチしか離れていない場所へ突き立っている。

屋上の金属製の床が、大きくへこんでいた。

ピーターの拳を中心に亀裂が走り、衝撃で表面の一部がめくれ上がっている。

ハリーはそれを見た。

次にピーターの顔を見る。

破れたマスクの向こうから見える顔は、怒っているようにも、泣きそうにも見えた。

ピーターは拳を床へ押しつけたまま動かなかった。

荒い呼吸だけが続いている。

ハリーも何も言わない。

ピーターの腕が震えていた。

殴れなかった。

正確には、最後の最後で殴らなかった。

ピーターはゆっくり拳を開いた。

金属へ食い込んでいた指を抜き、腕を持ち上げる。

それでも、すぐにはハリーの上から退かなかった。

しばらく下を見ていた。

ハリーもピーターを見返している。

そこにはもう、さっきまでの挑発するような笑みはなかった。

ピーターは掠れた声で言った。

「……僕は。」

一度、息を吸う。

喉が痛む。

「お前にはならない。」

誰を指しているのか。

ハリーなのか。

リーなのか。

あるいは、怒りに任せて誰かを殺そうとした自分自身なのか。

ピーターはそれ以上説明しなかった。

ゆっくり身体を起こし、ハリーの上から退いた。

屋上に倒れたハリーは、しばらく動かなかった。

ピーターも立ち上がったところでふらつき、数歩離れた場所へ膝をつく。

二人とも、もう戦える状態ではなかった。

ピーターはゆっくり身体を起こし、ハリーの上から退いた。

数歩離れたところで膝をつき、片手を床につく。立っていることさえ難しかった。破損したマスクの隙間から冷たい風が入り込み、熱を持った頬を撫でていく。首にはハリーに締めつけられた痛みが残り、両手のウェブシューターはどちらも壊れている。身体のあちこちが痛んでいたが、それ以上に、さっき振り上げた自分の拳の感触が右腕に残っていた。

ハリーは仰向けになったまま動かなかった。

しばらくして呼吸を整えると、ゆっくり顔を横へ向けた。

リーは少し離れた場所で意識を失っている。グライダーはもう使い物にならず、屋上には三人が戦った痕跡が至るところに残っていた。割れた床、砕けた設備、ネガティブパワーによって焼けたように変色した壁。夜の間にオズコープの地下から始まった戦いが、ようやくここで止まった。

ハリーが視線を戻す。

ピーターはまだこちらを見ていた。

「……何だよ。」

声には、もう挑発するような力が残っていなかった。

ピーターは少し黙ってから答えた。

「別に。」

「だったら見るな。」

ピーターは視線を外した。

それだけだった。

ハリーを許したわけではない。

グウェンに起きたことが消えるわけでもなければ、今夜ハリーがやったことをなかったことにするつもりもない。さっき拳を止めたことさえ、許したからではなかった。

ただ、殺さなかった。

それ以上でも、それ以下でもない。

ハリーも、その意味を勘違いするほど素直ではなかった。

「……許したつもりか?」

ピーターは少しだけ顔を向けた。

「まさか。」

即答だった。

ハリーの口元が僅かに動いた。笑ったというほどではない。ただ、その答えだけは予想していたようだった。

「だろうな。」

それきり二人とも話さなくなった。

少しずつ空が明るくなっていた。

マンハッタンの東側から夜の色が薄れ、ビルの間に朝の光が差し込み始めている。遠くまで続く窓ガラスが一つずつ光を反射し、夜通し赤と青の警光灯に照らされていた街が、ようやく本来の色を取り戻していく。

ピーターはその景色を見た。

ひどい夜だった。

地下ではオズコープが何十年も隠してきたものが暴かれ、街ではいくつもの戦いが起きた。オットーも、トゥームズも、クレイヴンも、カメレオンも、リーも、ハリーも、それぞれ違う理由で同じ場所へ集まり、最後にはマンハッタン全体へ散っていった。

その中心にいた自分も、あと少しで戻れないところまで行くところだった。

ピーターは右手を見る。

拳には血が滲んでいた。

ゆっくり指を開く。

もう握り直さなかった。

遠くからローター音が聞こえた。

最初は街の騒音に混じるほど小さかったが、次第に近づいてくる。ピーターが顔を上げると、朝焼けの空を背にNYPDのヘリコプターがオズコープタワーへ向かって飛んできていた。

ハリーも音に気づいた。

「警察か。」

「たぶん。」

「僕を逮捕しに?」

ピーターは少し考えた。

「それは僕に聞かれても困る。」

「無責任だな。」

「警察じゃないからね。」

ハリーは鼻で小さく笑ったが、すぐに顔をしかめた。笑うだけでも殴られた頬が痛むらしい。

ピーターはそれを見たが、何も言わなかった。

助け起こそうともしない。

ハリーも手を求めなかった。

ローター音がさらに大きくなり、強い風が屋上へ吹きつける。ピーターの破れたマスクが揺れ、ハリーの髪が乱れる。意識を失ったリーの衣服も風に煽られていた。

ヘリが屋上へ接近し、機体の横から警官がこちらの状況を確認している。

ピーターは立ち上がろうとした。

一度では立てなかった。

膝へ手をつき、もう一度力を入れて、ようやく身体を起こす。

その様子をハリーが見ていた。

「酷い格好だな。」

ピーターは自分の破れたスーツを見下ろした。

「誰のせいだよ。」

「僕だけじゃないだろ。」

「半分くらいは君だよ。」

「じゃあ半分は違う。」

ピーターは返事をしようとして、やめた。

ハリーもそれ以上は言わなかった。

二人の間にあるものは、何も解決していない。

親友だった頃には戻れない。

グウェンの死も、その前後に起きたことも、今夜殴り合ったことも消えない。ピーターはハリーを許していないし、ハリーもピーターに許しを求めてはいなかった。

それでも、最後の拳は振り下ろされなかった。

今は、それだけだった。

ヘリコプターが朝焼けを背負って屋上へ近づいてくる。

その光の中で、ピーターとハリーはもう互いを見ていなかった。

けれど、どちらも相手に背を向けてはいなかった。

ニューヨークに、朝が来た。

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