The Amazing Spider-Man 5: Legacy of Oscorp 作:たきび/まもる
夕方。マンハッタンの空は、昼間の青から少しずつ橙色へ変わり始めていた。
高層ビルの窓には沈みかけた太陽が反射し、街全体が昼とは違う柔らかな光に包まれている。F.E.A.S.T.での作業を終えたあと、一度自宅へ戻ったスパイダーマンは、日が落ちきる前からいつもの巡回へ出ていた。
一本のウェブを離し、勢いを残したまま空中へ投げ出される。身体を反転させながら次のビルへウェブを撃ち込み、張った糸に引かれて再び前方へ加速する。
昼間の出来事を思い出し、スパイダーマンは小さく呟いた。
「今日は平和……って言うのやめよう。」
言った途端に事件が起きたことまで思い出して、少し首を振る。
「絶対なんか起きる。」
その直後、腰のスマートフォンが振動した。
「ほら。」
片手でウェブにぶら下がったまま端末を取り出し、警察無線を拾うための簡易アプリを確認する。画面には短時間のうちに入った複数の通報が表示されていた。
強盗事件。銃撃あり。複数の負傷者。
場所は数ブロック先だった。
スパイダーマンはスマートフォンをしまうと、ぶら下がっていたウェブを離した。
「ニューヨークに何も起きない日なんてない。」
近くのビルへ次のウェブを撃ち、進行方向を大きく変える。そのまま通報のあった方角へ速度を上げていった。
現場は、大通りから一本外れた細い通りだった。
一台の現金輸送車が道路脇へ突っ込み、フロントガラスは大きく割れている。車体の側面にはいくつもの銃痕が残り、周囲では警備員たちが倒れていた。
だが、襲撃犯たちは現金を漁っている様子がなかった。
スパイダーマンは近くの建物の壁へ張りつき、通りの様子を上から確認した。
輸送車の後部では、六人ほどの男たちが何かを運び出している。全員が拳銃や短刀、棒状の武器を持っていたが、それ以上に目につくのは顔を覆っている仮面だった。
鬼、あるいは悪魔を思わせる、角張った輪郭と大きく裂けた口。鮮やかな色で塗られたその仮面には見覚えがなかったが、昼間ヒルから聞かされた特徴とは一致している。
「……デーモン。」
スパイダーマンは小さく呟いた。
武装だけを見れば、普通のギャングとそれほど変わらない。
しかし、少し観察していると違和感があった。
男の一人が、輸送車から大きな金属製ケースを抱えて出てくる。二人がかりでも重そうな大きさだったが、男はそれを一人で持ち上げ、ほとんど苦もなく別の車両へ運んでいた。
スパイダーマンは目を細めた。
「……あれ?」
ケースを置いた男が振り返った時、仮面の隙間から僅かな光が漏れた。
黒に近い紫色の光だった。
それは一瞬だけ男の腕を走り、すぐに消える。
スパイダーマンは壁から身を離した。
「何だ、あれ。」
そのまま真下へ落下し、通りの中央へ着地する。
「こんばんは!」
男たちが一斉に振り返った。
スパイダーマンは空の色を一度見上げる。
「いや、まだこんにちはかな。」
誰も答えない。
「まあ、どっちでもいいけど。」
輸送車の方を指差す。
「それ、君たちのじゃないよね?」
男の一人が、聞き慣れない言葉で何かを叫んだ。
直後、その手に握られていた棒の表面へ淡い黒紫色の光がまとわりつく。
スパイダーマンはすぐに構えた。
「……そういうのもあるんだ。」
男が踏み込んだ。
予想していたより遥かに速い。
スパイダーセンスが危険を知らせたため、スパイダーマンは反射的に横へ飛んだ。直後、男が振り下ろした棒がアスファルトへ叩きつけられる。
衝撃が通りへ広がった。
舗装が砕け、細かな破片が跳ね上がる。直撃を避けていたスパイダーマンも、その衝撃波だけで身体を押し飛ばされた。
「うわっ!」
空中で身体を回転させ、近くの壁へ片足をつく。そのまま壁面へ張りつき、男が攻撃した場所を見る。
道路には小さな亀裂が走っている。
あの棒そのものに、それだけの威力があるようには見えなかった。
「……それ、どこで買ったの?」
当然、返事はなかった。
別の男が拳銃を構える。
銃口がこちらへ向いた瞬間、スパイダーマンは壁を走り始めた。発砲された弾丸を次々と避けながらウェブを撃ち、銃口そのものを塞ぐ。
男がもう一度引き金を引こうとしたため、暴発する前に拳銃をウェブで引き抜いた。
だが、武器を失った男は逃げなかった。
腕へ先ほどと同じ光が走る。
拳を握り、壁を蹴って一気に距離を詰めてきた。
「速っ――」
スパイダーマンは迫ってきた拳をぎりぎりでかわし、そのまま男の腹へ蹴りを入れた。
いつもの犯罪者なら、それだけで数メートルは吹き飛ぶ程度には力を入れている。
しかし、男は一歩後退しただけだった。
「……おっと、硬いな。」
男はすぐに体勢を戻し、再び拳を振るってくる。
スパイダーマンは腕を掴み、相手の勢いを利用して身体ごと投げた。今度は背中から道路へ叩きつける。
それでも男は、ほとんど間を置かずに起き上がった。
スパイダーマンは少し距離を取った。
「いやいや。普通そこ寝るところだから。」
左右から別の二人が迫ってくる。
一人は短刀を持ち、もう一人は素手だった。
短刀の刃には黒紫色の光がまとわりついている。
スパイダーセンスが反応した。
スパイダーマンは上体を大きく反らし、胸元を横切った刃をかわす。
刃そのものはスーツへ触れていない。
それでも、肌の表面へ熱が走ったような感覚が残った。
「っ……。」
反射的に距離を取る。
スパイダーマンは光をまとった短刀を見た。
「触ってないよね?」
男は答えず、そのまま追撃してくる。
今度は正面から受けず、武器を持つ手首へウェブを撃った。腕を横へ引いて刃の軌道を逸らし、その勢いを利用して隣にいた男へぶつける。
二人がまとめて道路へ転倒した。
スパイダーマンはすぐにウェブを重ね、腕、脚、胴体を地面へ固定する。
二人は力任せに身体を起こそうとした。
張られたウェブが軋む。
「そこまで強くなる?」
一人の身体が少しずつ浮き始める。
スパイダーマンは慌てて追加のウェブを撃った。
「はい、増量。」
何重にも糸を重ね、ようやく完全に道路へ貼りつける。
残っていた男たちが、一斉にこちらへ向かってきた。
今度はスパイダーマンも構え直した。
ここまでで一つ分かったことがある。
力が出る瞬間には、必ずあの黒紫色の光が強くなる。
最初の男が棒を振り上げる。
攻撃を始める直前、その腕へ光が集中した。
スパイダーマンの視線がそこへ向く。
「……なるほど。」
棒が振り下ろされるより先に、手首へウェブを撃つ。
横へ引く。
狙いを外された棒は道路ではなく、隣に停まっていた車へ叩き込まれた。黒紫色の衝撃が車体へ伝わり、窓ガラスがまとめて砕ける。
その間にスパイダーマンは男の懐へ入り、顎を下から蹴り上げた。
身体が浮く。
続けてウェブを撃ち、近くの街灯へ吊り下げる。
次の男は拳へ力を集中させていた。
スパイダーマンは拳そのものではなく、肘へウェブを撃った。
腕を強引に曲げる。
攻撃を放とうとした瞬間、黒紫色の光が乱れた。
力の向きを失った男自身が体勢を崩し、足元をふらつかせる。
「やっぱり。」
スパイダーマンは男の脚を払い、背中から道路へ倒した。そのままウェブで身体を固定する。
次は短刀を持った男だった。
こちらも攻撃の直前に、腕から刃へ光が流れている。
スパイダーマンは手首と短刀をまとめてウェブで包んだ。
黒紫色の光が一度だけ強くなったものの、武器を動かせないまま急速に弱まっていく。
「武器が出してるんじゃない。」
男を蹴り飛ばしながら、スパイダーマンは確信を深める。
「君たちから流れてる。」
最後に残った男が逃げ出した。
スパイダーマンはその背中を見る。
「今度は逃げるんだ。」
足首へウェブを撃って引くと、男は勢いよく転倒し、そのまま道路を数メートル滑った。
スパイダーマンは男の背中へ着地した。
「ごめん。もうちょっと聞きたいことあるから。」
男が身体を捻って抵抗するため、両腕をウェブでまとめて拘束する。
その時だった。
仮面の隙間から、それまでとは比較にならないほど強い黒紫色の光が漏れ出した。
スパイダーセンスが激しく反応する。
スパイダーマンは考えるより先に飛び退いた。
次の瞬間、男の全身から黒紫色の衝撃が一気に広がった。
通りに面した窓ガラスがまとめて砕け、停車していた車の警報が一斉に鳴り始める。
スパイダーマンは空中から街灯へウェブを撃ち、引かれる力を利用して衝撃の範囲から逃れた。
「あっぶなぁ……。」
男は再び立ち上がった。
だが、先ほどまでとは様子が違っている。
肩で激しく息をし、身体全体が僅かに震えていた。腕を上げようとしても力が入らないらしく、何度か拳を握ろうとして失敗している。
スパイダーマンはその状態を見ていた。
「使い放題じゃないのか。」
それでも男は向かってきた。
今度の動きは明らかに遅い。
振るわれた拳を簡単にかわし、スパイダーマンは男の胸元へ掌を当てた。
ほんの少し押す。
男はそれだけで仰向けに倒れた。
すぐにウェブを撃ち、身体全体を道路へ固定する。
「はい、終わり。」
しばらくして、遠くから警察車両のサイレンが近づいてきた。
スパイダーマンは拘束した男たちの状態を一人ずつ確認していく。
全員生きている。
意識がある者もいる。
しかし、戦闘中に身体を覆っていた黒紫色の光は、もうどこにも見えなかった。
スパイダーマンは道路へ落ちている短刀の前へしゃがみ込んだ。
直接触れることはせず、まず柄の部分をウェブで包む。慎重に持ち上げ、少し角度を変えながら観察した。
「普通の金属……?」
軽く振ってみても、何も起こらない。
少し離れた場所に落ちていた棒状の武器も同じだった。戦闘中には道路を砕くほどの衝撃を発生させていたのに、今はただの武器にしか見えない。
スパイダーマンは再び拘束した男たちを見る。
「やっぱり武器じゃない。」
力の発生源は、武器ではなく人間側にある。
そう考えたところで、戦闘中に割れた仮面の破片が視界へ入った。
スパイダーマンはそれを拾い上げようとして、一度手を止める。
破片の表面を、ごく僅かな黒紫色の光が走った。
ほんの一瞬だった。
すぐに消える。
スパイダーマンは動かず、その場所を見つめた。
「……残ってる。」
腰のポーチから小さな回収袋を取り出し、仮面の破片を慎重に中へ入れる。
続けて、短刀の一部や破損した棒の欠片など、力の痕跡が残っていそうなものを可能な範囲で回収していった。
「これは調べないと。」
通りの入口へパトカーが入ってくる。
スパイダーマンは袋をポーチへしまい、立ち上がった。
最後に、道路へ拘束された男たちを見る。
「ヒルの言ってた通りだったな。」
近くのビルへウェブを撃つ。
「会いたくなかったけど。」
糸を引き、夕暮れのマンハッタンへ飛び去っていった。
夜。
そこに、ニューヨークの喧騒はなかった。
月明かりに照らされた広大な森林の中に、古い石造りの屋敷が建っている。周囲には街灯も高層ビルの明かりもなく、遠くまで続く木々と、風に揺れる枝の音だけがあった。
屋敷の内部も、ニューヨークとはまるで別世界だった。
広い部屋の壁には動物の頭骨や角が飾られ、その間には古い猟銃、槍、弓、ナイフといった世界各地の狩猟道具が並んでいる。
暖炉の前では、一人の大柄な男が椅子へ腰掛けていた。
セルゲイ・クラヴィノフ――クレイヴン。
手元にある長いナイフの刃へ布を滑らせ、時間をかけて磨いている。
少し離れたテーブルでは、もう一人の男がノートパソコンを操作していた。
ドミトリ・スメルジャコフ――カメレオン。
画面にはニューヨークの地図をはじめ、ニュース記事、企業情報、人物情報などがいくつも表示されている。カメレオンは複数のページを次々に開きながら必要な情報だけを確認し、用が済めばすぐに閉じていた。
クレイヴンはナイフから目を離さないまま尋ねた。
「いつ発つ。」
カメレオンも画面を見たまま答える。
「明日。」
「長い仕事か。」
「分からない。」
そこでクレイヴンの手が僅かに止まった。
「珍しいな。」
カメレオンが画面から目を離す。
「何が?」
「お前が予定を決めてない。」
カメレオンは少し笑った。
「相手次第だ。」
クレイヴンはそれ以上聞かなかった。
再びナイフへ視線を戻し、磨き終えた刃を布で丁寧に拭っていく。
カメレオンはニューヨークの地図を眺めた。
「ニューヨークか。」
「嫌いか?」
「人が多すぎる。」
「お前には都合がいいだろう。」
「まあね。」
カメレオンは複数のウィンドウを閉じ始めた。
その途中で、一つの記事が目に留まる。
添付されている動画のサムネイルには、赤と青のスーツを着た男が映っていた。
カメレオンの手が止まる。
記事を開く。
ニュース映像が再生された。
走行中の車両へウェブを撃ち、速度を落とさせるスパイダーマン。
別の映像では、ビルから転落した人間を空中で受け止めている。
さらに別の映像では、複数の武装犯を一人で制圧していた。
カメレオンは少しだけ興味深そうに画面を見た。
「セルゲイ。」
クレイヴンはナイフを磨き続ける。
「何だ。」
カメレオンはノートパソコンを持ち上げ、画面を兄へ向けた。
「ニューヨークに、面白いのがいる。」
クレイヴンはようやく顔を上げた。
画面では、スパイダーマンが高層ビルの間をウェブで飛んでいる。
「……パフォーマーか?」
カメレオンが笑う。
「僕も最初はそう思った。」
別の映像へ切り替える。
今度は、スパイダーマンが大型車両を真正面から受け止めていた。
さらに次の映像では、異常な速度で飛んできた物体が到達する直前に身体を動かし、紙一重で回避している。
「どう見ても普通の人間じゃない。」
カメレオンは映像を送りながら説明していく。
「怪力。」
スパイダーマンが車両を押し返す。
「壁を登る。」
ビルの垂直な壁面を駆け上がる。
「異常な反射神経。」
銃弾を撃たれる前から身体を動かし始めている。
「それに、この糸。」
高層ビルの間を大きく飛び回る映像が流れる。
「ニューヨーク中をこれで移動してる。」
クレイヴンは磨いていたナイフをテーブルへ置いた。
少し身を乗り出す。
「強いのか。」
「さあ。」
カメレオンは肩をすくめた。
「でも、普通の犯罪者じゃ相手にならないらしい。」
「銃は?」
「ほとんど当たらない。」
「装甲は?」
「見たところ薄い。」
クレイヴンの目が、先ほどまでとは少し変わった。
カメレオンはそれを見逃さない。
「興味出た?」
「別に。」
カメレオンが笑った。
「そう。」
クレイヴンは再び画面を見る。
映像の中では、スパイダーマンが巨大なビルの壁面を駆け上がっていた。
「……どうやって危険を察知している。」
カメレオンが眉を上げる。
「興味出たんだろ?」
クレイヴンは答えない。
映像を巻き戻す。
銃を持った男が腕を上げる。
まだ銃口が完全にスパイダーマンへ向いていない段階で、すでに身体を動かし始めている。
もう一度再生する。
今度は別角度。
クレイヴンは画面を見つめたまま言った。
「見てから避けているんじゃない。」
カメレオンは少し感心したように兄を見る。
「僕には分からない。」
クレイヴンはそれ以上説明せず、映像を先へ進めた。
「ニューヨークにいるんだな。」
「らしい。」
「お前の仕事とは関係あるのか。」
カメレオンは少し考えた。
「今のところは。」
「今のところ?」
「仕事ってのは、始めてみないと分からない。」
クレイヴンは鼻から小さく息を吐いた。
少し間を置いてから尋ねる。
「いつ発つと言った。」
「明日。」
クレイヴンは椅子から立ち上がった。
壁に掛けられている槍の前まで歩き、その一本へ手を伸ばす。
カメレオンがそれを見る。
「まさか。」
「何だ。」
「一緒に来る気?」
クレイヴンは槍を外し、刃の状態を確かめた。
「ニューヨークには行ったことがない。」
「観光?」
クレイヴンがカメレオンを見る。
「そういうことにしておけ。」
カメレオンは少し笑った。
「好きにすればいい。」
クレイヴンはもう一度、ノートパソコンの画面へ目を向ける。
映っているのは、高層ビルの間を自由に飛び回るスパイダーマンだった。
その姿を見ながら、クレイヴンの口元がほんの僅かに緩んだ。
まだ執着ではない。
敵意でもない。
ただ、自分の知らない場所に、自分の知らない能力を持つ存在がいる。
狩人が、初めて見つけた獲物へ興味を持った。
この時点では、まだそれだけだった。