The Amazing Spider-Man 5: Legacy of Oscorp 作:たきび/まもる
夜。
廃棄されたルーズベルト駅の構内には、人の気配がなかった。照明の落ちたホームには一両の地下鉄車両だけが静かに停まり、その内部には、かつて客席だったとは思えないほど多くの研究機材や工具、モニターが持ち込まれている。
車内の中央に置かれた作業台には、数日前にデーモンたちとの戦闘で回収した品が並んでいた。
割れた仮面の破片。短刀。棒状武器の一部。
ピーターは椅子に座り、複数のセンサーから送られてくる測定結果をモニターで確認していた。電位、温度、磁場、放射線量。どの項目にも、戦闘中に見た黒紫色の光を説明できるほどの異常は出ていない。
「……何も出ないな。」
ピーターは椅子から身を乗り出し、作業台に置かれた短刀を手に取った。
あの時、この刃には確かに黒紫色の光がまとわりついていた。刃そのものに触れていないにもかかわらず、すぐ近くを通っただけで肌へ熱のような感覚も走った。
だが、今はただの刃物だった。
ピーターは短刀を裏返し、柄の部分も改めて確認する。
「発生装置もない。」
すでに分解できる部分は一度すべて開けている。内部に電池はなく、回路もなく、特殊な機械も存在しなかった。
それなら、あの力はどこから出ていたのか。
ピーターは短刀を作業台へ戻し、今度は棒状武器を手に取った。
こちらも同じだった。材質そのものに多少特殊な部分はあるものの、アスファルトを砕くほどの衝撃を発生させられる構造ではない。持ってみても、ごく普通の武器としての重量しか感じられなかった。
ピーターは腕を組み、椅子の背にもたれた。
目を閉じる。
戦闘中の光景を、頭の中で順番に思い返していく。
最初に棒を振り上げた男。
黒紫色の光は、武器に突然現れたわけではなかった。
肩から肘、前腕、手へと流れ、それから棒へ移っている。
拳で殴りかかってきた男も同じだった。攻撃を出す直前、腕の中へ力が集中しているように光が集まっていた。
短刀を持っていた男もそうだ。
最初から刃が光っていたのではない。
使う瞬間に、身体から武器へ流れ込むように光がまとわりついていた。
ピーターは目を開けた。
作業台の短刀を見る。
「……逆か。」
椅子から立ち上がり、車両の壁へ取り付けたホワイトボードの前へ移動する。
ペンを取り、中央へ大きく書いた。
その文字に、大きなバツをつける。
少し下へ、今度は別の言葉を書く。
ピーターはホワイトボードを見ながら呟いた。
「武器が力を出してたんじゃない。」
その下に矢印を書く。
「使ってた人間から、武器に流れてた。」
そこでペン先が止まった。
問題は、その先だった。
「あいつら自身が作ってるのか?」
別の欄へ移り、いくつかの可能性を書き加える。
自分の身体で作っているのか。誰かから供給されているのか。それとも一度蓄えた力を必要な時だけ使っているのか。
今の情報だけでは判断できない。
ピーターは作業台へ戻り、今度は割れた仮面の破片をピンセットで持ち上げた。
戦闘直後には、この破片にもごく僅かに黒紫色の光が残っていた。今では見た目から完全に消えているが、センサーへ近づけてみると、わずかな反応が出る。
ほとんどノイズと区別がつかないほど弱い。
ピーターは画面へ顔を寄せた。
「時間が経つと消える。」
破片の角度を変えながら、反応の変化を見る。
「物には残りにくい。」
少し考える。
「人間を介してる時だけ安定する?」
まだ仮説にすぎない。
ピーターは再びホワイトボードへ戻った。
端へ大きく
人間の身体を媒介にしている可能性。
宿主から離れると急速に減衰する。
身体能力の強化。
武器の強化。
衝撃波の発生。
書き終えると、ピーターは少し離れて全体を眺めた。
「……何なんだよ、これ。」
ペンを指先で回しながら、今度は力そのものではなく、戦っている最中の動きを思い返す。
棒を振り下ろそうとしていた男の手首をウェブで引いた時、攻撃の軌道が崩れ、それと同時に黒紫色の光も不安定になった。
拳へ力を集中させていた男は、肘を強制的に曲げた瞬間によろめいた。
短刀を使っていた男は、手首と柄をウェブでまとめて固定したところ、刃を包んでいた光が急速に弱まった。
ピーターは身体を起こした。
「そうか。」
ホワイトボードへ戻り、新しい項目を書く。
その下へさらに三つ。
ピーターはペン先で、先ほど書いたHUMAN BODY → WEAPONの矢印を指した。
「力そのものを止める必要はない。」
矢印の途中へ一本の線を引く。
「使う瞬間を崩せばいい。」
その横へ新しく書き加える。
ピーターはペンのキャップを閉じた。
「これなら、次はもう少し楽に――」
そこで言葉を止める。
少し嫌そうな顔でホワイトボードを見る。
「……次がある前提なの、嫌だな。」
ペンを置き、改めて整理した内容を眺めた。
未知の力。
出所は不明。
それを使っていた人間たちの正体も分からない。
誰が彼らへ力を与えたのかも分からない。
それでも、次に同じ相手と戦うことになった時、少なくともどこを見て、どう動きを崩せばいいのかは分かった。
ピーターは最後に測定データを保存すると、作業台の照明を落とした。
翌日の昼。
F.E.A.S.T.の施設内では、いつものように多くの人が行き交っていた。
厨房では食事の準備が進み、別の部屋では寄付された衣類が仕分けされている。相談窓口では生活についての話を聞くスタッフがいて、簡単な医療支援を受けている利用者の姿もあった。
ピーターはメイから渡された書類の束を片手に、施設の奥へ向かって歩いていた。
「これ、リーのところでいいんだよね?」
メイは別の作業を続けながら答える。
「そう。机に置いておいて。」
「本人に渡さなくていいの?」
「戻ってくるまで待ってたら、貴方また何かに呼ばれて消えるでしょ。」
ピーターは一瞬黙った。
最近の自分の行動を振り返ると、否定しづらい。
「……それはそうかも。」
「でしょ。」
「はい。」
書類を抱え直し、ピーターはリーのオフィスへ向かった。
リーのオフィスのドアは開いていた。
ピーターは入口で軽くノックする。
「リー?」
返事はない。
中を覗いても、人の姿は見えなかった。
「入るよ。」
当然、返事はなかったが、そのまま室内へ入った。
机や本棚にはF.E.A.S.T.の支援記録や寄付に関する資料が整然と置かれている。どれも普段のリーから想像できるものばかりだった。
その中で、壁に飾られている一本の剣だけが少し異質に見えた。
細身の剣だった。
西洋の剣とも、日本刀とも違う。
ピーターは少し近づいた。
「……これ、本物?」
鞘に収められているため刃は見えない。装飾も派手ではないが、少なくとも新しいものではないことは見ただけで分かった。
しばらく眺めたあと、今度はデスクの上にある小さな像が目に入った。
人型ではある。
だが、人間とはかなり違う。
鋭い表情に異様な顔つきがあり、どこか獣じみた姿をしている。
ピーターは書類を机の端へ置こうとしたが、その途中で像の方が気になってしまった。
顔を近づける。
「何だこれ。」
角度を少し変えて見る。
それだけでは分からず、今度は手を伸ばした。
指先が像へ触れる。
「ピーター。」
背後から突然声がした。
「うわっ!」
ピーターの肩が大きく跳ねた。
手に触れていた像が滑る。
「あっ。」
机の端から落ちた像が、床へ向かっていく。
だが、床へ届くことはなかった。
ピーターの手が一瞬で伸び、床から数センチの位置で像を掴んでいた。
その姿勢のまま固まる。
ゆっくりと顔を上げる。
入口にリーが立っていた。
リーはピーターの手にある像を見てから、今度は本人を見る。ほんの少しだけ口元が緩んだ。
「ピーター。」
「はい。」
「感心しないな。」
ピーターは立ち上がった。
「いや、これは……。」
「人の物に勝手に触れちゃいけないって、メイに言われなかったのか?」
「言われた。」
「なら守った方がいい。」
ピーターは像を落とさないよう慎重に机へ戻した。
「ごめん。」
リーはオフィスへ入り、像の位置を少しだけ直す。
「怒ってないよ。」
「それならよかった。」
リーは像を見てから、もう一度ピーターへ視線を向けた。
「ただ、次に落とすなら、もう少し余裕を持って受け止めてくれ。」
ピーターの動きが止まった。
「……え?」
リーはいつも通りの穏やかな表情をしている。
「冗談だよ。」
ピーターは少し遅れて息を吐いた。
「びっくりした。」
二人とも軽く笑う。
「でも、本当にごめん。」
「分かった。」
リーは椅子へ腰掛けた。
ピーターは改めてデスクの像を見る。
「これ、何?」
リーも同じものへ視線を向ける。
「夜叉だ。」
「やしゃ?」
「知らない?」
「名前だけは聞いたことある気がする。」
ピーターは像の怖い顔をもう一度眺めた。
「悪魔みたいなやつ?」
リーは少し考えた。
「間違いではないが、それだけでもない。」
「どういうこと?」
リーは像を手に取った。
「古い伝承では、人を襲う恐ろしい存在として描かれることもある。一方で、守る者として扱われることもある。」
ピーターが眉を上げる。
「これが?」
「見た目で判断しない方がいい。」
「いや、だってかなり怖い顔してるよ。」
リーは小さく笑った。
「守るために、恐ろしい姿になることもある。」
ピーターはその言葉を聞き、少しだけ考えた。
「……なるほど。」
リーは像を元の場所へ戻した。
その動きを追っていたピーターの視線が、今度は壁に飾られた剣へ移る。
「あれも?」
リーが振り返る。
「これ?」
壁から剣を外したため、ピーターは少しだけ身を引いた。
「抜かなくていいよ。」
「抜かない。」
リーは鞘に収まったままの剣を両手で持つ。
「中国の剣だ。昔から家にあった。」
ピーターは少し興味を持った。
「家宝?」
「そんな大層なものでもない。」
リーは手元の剣を見る。
「でも、私にとってはそうかもしれない。」
ピーターは少し黙った。
「中国から持ってきたの?」
「ああ。」
リーは剣を元の壁へ戻した。
「昔の家から残っている物は、もうほとんどない。」
一度、剣を見る。
それからデスクの夜叉像へ視線を移す。
「これと、この像くらいだ。」
ピーターはリーを見る。
「家族の物?」
少し間を置いてから、リーは頷いた。
「そうだ。」
ピーターは、それ以上踏み込んでいいのか迷った。
だが、リーの方から椅子へ座り直し、静かに話し始めた。
「昔は、時間が経てば、失ったものもどうでもよくなると思っていた。」
ピーターは何も言わずに聞いた。
「忘れるわけじゃない。ただ、遠くなる。そういうものだと思っていた。」
ピーターが静かに尋ねる。
「違った?」
リーは少し笑った。
「残念ながら。」
窓の外へ視線を向ける。
「時間は何でも解決してくれるわけじゃない。」
その言葉に、ピーターの表情が僅かに変わった。
ベン。
グウェン。
ジョージ。
意識して呼び出したわけでもないのに、いくつかの顔が頭に浮かぶ。
リーがそれに気づいたのかどうかは分からなかった。
「でも。」
リーは続ける。
「痛みが消えないからといって、ずっと同じ場所に立っている必要もない。」
ピーターが視線を上げる。
リーはピーターを見ていた。
「持ったまま歩くしかないこともある。」
ピーターは少しだけ笑った。
「……うん。」
リーも、それ以上は何も聞かなかった。
ピーターが誰を思い出したのか。
どんな出来事を抱えているのか。
何を失い、誰を失ったのか。
無理に知ろうとはしない。
それがピーターには、少しありがたかった。
「僕もそう思う。」
リーは静かに頷いた。
その時、デスクのスマートフォンが振動した。
リーが画面を見る。
ほんの一瞬だけ、表情が消えた。
しかし、すぐにいつもの穏やかな顔へ戻る。
「すまない、ピーター。」
「うん。」
「少しだけ外してもらえるかな。」
ピーターはすぐに頷いた。
「もちろん。」
ドアへ向かう。
リーが電話に出る気配を背中で感じながら、ピーターはそのままオフィスを出た。
廊下を歩きながら、ピーターは先ほどの会話を思い返していた。
夜叉。
中国の剣。
家族から残った物。
時間が経っても消えないもの。
リーにも、自分の知らない過去がいろいろあるのだろう。
そんなことを考えながら廊下の角を曲がったところで、ピーターの足が止まった。
手元を見る。
書類の束をまだ持っている。
「……あ。置いてないじゃん。」
ピーターは小さくため息をついた。
メイに頼まれた一番簡単な仕事さえ忘れている。
仕方なく来た道を引き返した。
リーのオフィス前まで戻ったところで、ピーターはドアが完全には閉まっていないことに気づいた。
僅かな隙間から、リーの声が聞こえてくる。
ピーターはノックしようとして手を上げた。
その時だった。
「……それは確かなのか?」
手が止まる。
少し間がある。
「分かった。」
電話の向こうで誰かが話しているらしいが、相手の声までは聞こえない。
ピーターは別に聞き耳を立てるつもりではなかった。
書類を置いて、すぐに出ればいい。
そう思っていた。
だが、次に聞こえた言葉で身体が動かなくなった。
「ハリーについては?」
ピーターの表情が変わった。
聞き間違えるはずがない。
ハリー。
リーがなぜ、その名前を口にしているのか分からなかった。
「そうか。」
少し間がある。
「なら、話は変わる。」
ピーターはドアの前に立ったまま動けない。
ハリーとリーに、何の接点があるのか。
少なくとも、自分は聞いたことがない。
「君がそう判断するなら。」
さらに少し間を置いて、リーが続ける。
「任せよう。」
ピーターは手元の書類へ目を落とした。
開けるべきか迷う。
だが、結局ドアには手をかけなかった。
静かに一歩後ろへ下がり、それからさらに数歩離れる。
表情には、はっきりと疑問が残っていた。
それでも、まだ何も分からない。
リーが誰と話していたのか。
ハリーについて何を話しているのか。
それを知る材料は何もなかった。
ピーターは書類を持ったまま、今度は足音を立てないように廊下を歩いていった。
ニューヨーク郊外。
道路脇に一台の車が停まっていた。
運転席にはカメレオンが座り、耳にはイヤホンをつけている。
助手席には、フィアーズから得た情報を自分なりに整理した資料が広げられていた。
スペシャルプロジェクト。
特殊兵器。
研究データ。
そして、そこへ結びつけることができそうな複数の人物。
カメレオンは電話の相手へ向かって笑った。
「面白い話を聞いた。」
相手の声は聞こえない。
カメレオンは助手席の資料へ視線を落とす。
「アンタの計画にも使えるはずだ。」
少し間を置く。
資料のページをめくる。
そこには、ハリー・オズボーン、オットー・オクタビアス、エイドリアン・トゥームズといった名前が並んでいる。別のページにはスパイダーマンについて集めた情報も挟まれていた。
カメレオンの笑みが深くなる。
「いや。」
少し考え直す。
「使えるなんてもんじゃないな。」
一枚ずつ資料を確認しながら、頭の中で関係を組み立てていく。
「全部まとめられる。」
片手をハンドルへ置いた。
電話の向こうから何か返ってくる。
「この件、僕に任せてくれ。」
さらに相手が何か言う。
カメレオンは小さく笑った。
「分かってる。ハリーは見つける。」
少し間を置く。
「それだけじゃない。」
フロントガラスの向こうへ視線を向ける。
遠くにはマンハッタンの高層ビル群が見えていた。
その中でも、オズコープタワーは簡単に見つけられる。
「もっと面白くできる。」
カメレオンは通話を切り、イヤホンを外した。
助手席へ置かれた資料の一番上には、SPECIAL PROJECTSの文字がある。
そこへもう一度目を落とし、鼻の横を軽く指で擦った。
「さて。」
カメレオンはエンジンをかける。
「もう一度、王子様に会いに行こうか。」
車はゆっくり道路へ戻り、オズボーン家の別荘へ向かって走り出した。