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繰り返しているうちに休憩時間となる。ウィッチには食事と同じくらい休息が必要だ。体力と魔力、この二つが充実していないと力を発揮できない。
訓練の休み時間中に、智子は墜落したときの心得を説明した。
「いい? サバイバルキットの中身は全員同じものを同じ位置に入れておくの。真っ暗闇になったら手探りになるわ。他の人が使うときに、どこになにがあるか分からなくなったら困るでしょ」
エルマがお茶セットを持ってきていたので、皆は車座になってお茶を啜っていた。
「救援部隊が分かりやすいような目印も必要ね。白い布とかは駄目よ。スオムスじゃただのカムフラージュだから」
「はい、あとですね」
ハルカが勢いよく手を挙げた。
「海軍ではですね、絶対に諦めるなって教わるんです。私たちは落っこちたら海ですから、もう駄目だって思っちゃうんです。でも絶対に助けが来るって思えば助かるって言われました」
「あんたにしてはまともな意見ね」
智子は感心した。ハルカは頬を膨らませる。
「酷いです。いつだってまともなのに」
「それは嘘でしょう」
「確かに智子少尉のことになると正気じゃなくなります」
ハルカは照れくさそうに頬を染め、智子はある意味安心した。
昼食のために基地へと帰る。皆で食堂へ。本日の昼食は白パンとオレンジのマーマレード、牛乳、西洋梨。
さっさと食べ終わり、智子は立ち上がろうとした。
「……ビューリングは?」
またいない。午前中もいなかったが、昼食にも顔を出していなかった。
「部屋にいるみたいです」
エルマが西洋梨を頬張りながら答えた。
「朝ご飯は食べたみたいですけど」
「……まったく!」
諦めていたつもりだったが、怒りがぶり返した。
「中尉、指揮してください」
「私が訓練を指導するんですか……?」
「ビューリングを探してとっちめます。やっててください」
智子は刀の鞘を握りしめると、あちこち探しはじめた。
まずビューリングの部屋を探る。いない。次に食堂。いない。ブリーフィングルーム。いない。もしやと思ってトイレを探してもいなかった。
あいにく捜索隊は必要なかった。ビューリングは宿舎の壁に寄りかかり、タバコを吹かしていたのだ。智子が発見したときは、ちょうど二本目に火を点けたところであった。
そのあまりに悠然とした態度に、智子の血液が沸騰した。
「ビューリング! なにしてんのよ」
「私も訓練をしている。禁煙の」
「は? 吸ってんじゃない」
「まったく過酷な訓練だよ」
うまそうに紫煙を吐く。智子は奥歯をギリギリ鳴らした。
「ウィッチとしての訓練なのよ、分かる?」
「無駄だ。こんな田舎でなにができるというんだ? 智子もそう思ってるだろ」
「……うるさいわね。訓練はすんのよ。それと、私を名前で呼ぶのは止めて」
「それはどうも、智子」
聞くや否や、智子は扶桑刀の鯉口を切った。
銀色の刃がきらめき、タバコの先数ミリだけを切断する。火の点いた先端は雪の上に落ちてじゅっと音を立てた。
ビューリングは動揺する様子を見せない。落ち着いてマッチを擦る。
タバコに火を点ける前に、智子が刀の切っ先を喉元に突きつけた。
「次、ふざけた真似をしたら喉を切るわよ」
「切ってくれるのか?」
「ええ」
「じゃ、やってくれ」
ビューリングは顎を上げ、喉元を見せつける。
「思いっきり頼む。どうせクソみたいな人生だ。せいせいする」
「は? あんた自殺願望の狂人?」
「そうだな。戦争がはじまってから、とっくに狂っちまってるのさ」
もはや投げやりな台詞。彼女の視線は遠くにあった。ビューリングはまるで動じたところがなく、早くしろと言わんばかりだ。
――ああ。
智子は、刃越しにその横顔を見ながら、ふと思った。
こういう目を、知っている。
戦場も、命も、自分の人生も、全部一通り見終わってしまったような目。死ぬのが怖くないのではなく、生きているのが特別なことだと思っていない目。
尚樹も、時々こういう顔をする。あの表情豊かな、生意気で人当たりのいい顔の、そのさらに奥で。
だから一瞬だけ、智子は思った。この女も、案外そういう類なのかもしれない、と。
そう思って――そして、切り捨てた。
違う。
あいつのそれは、達観の底に何かを残している。飯を作り、機体を直し、十歳の子供に理屈を説き、犬に懐かれ、リベリオン娘に押し倒され、それでも次の日には起きてくる。
何もかもを見終わってなお、見終わったものを全部燃料にして、周りに撒き散らしながら生きている。
あれはエゴだ。しつこくて、面倒くさくて、他人を巻き込んで離さない、生きるためのエゴだ。
こいつのそれは、ただの冷笑だ。
何も撒かない。何も燃やさない。ただ壁にもたれて煙を吐くだけ。
――私の思い過ごしだ。
智子は頭の中で、ビューリングと尚樹を重ねかけた自分のイメージを、備前長船で断ち切るようにして裁断した。
そして、はいそうですかと当人を切るわけにはいかない。彼女は扶桑刀を鞘に戻した。
「だったら……だったら勝手にしなさい!」
そう言い放つ。
「訓練したくないなら、しなきゃいい。飛びたくないならそれでも構わないわ! ええ、好きにすればいい!」
鞘を握りしめ、踵を返す。
頭の中が煮え立ったまま早足で歩いた。一刻も早くどこかに行きたかった。
前からエルマがやってくる。智子がなかなか戻らないので探しに来たのだろう。
「穴拭少尉、よかった……」
ほっとしている。そのためか智子の怒りに気づいていない。
「ビューリングさんいました?」
「知らない」
「え……?」
「私にはなんの関係もない」
「関係ないって……あ、そ、そうだ、報告することがあるんです!」
彼女は智子の様子などお構いなしに、早口で喋り出した。
「訓練中にですね、ウルスラさんがロケット弾を持ちだして撃ったんですけど、なんか真後ろに飛んでハルカさんに当たりそうになって!」
「は」
「そうしたら中川少尉が――あの、装甲を出す時間がなかったみたいで、腕輪から刀だけ出して」
「刀だけ?」
「はい、あの、光る刀を一本だけ。それで飛んでくる弾頭を、こう、真っ二つに」
エルマは両手で縦に切る仕草をした。
「弾頭は割れて、信管も不発で、直撃はしませんでした。ただ、破片が」
「破片が?」
「ハルカさんの、右脚のストライカーユニットの、主翼が……へし折れました」
智子は一瞬、言葉を失った。
「……ハルカは」
「無事です。落ちましたけど、雪の上でしたし、中川少尉が拾いました」
「……そう」
「それで、びっくりしたハルカさんが逃げ回ったときに私にぶつかって、二人で落っこちて、オヘアさんも勝手に縄を解いて着陸しようとしたらやっぱり駄目で滑走路でひっくり返って、救護班が駆けつけたんですけどウルスラさんの二発目が……」
惨状を耳にし、智子は顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせる。エルマは慌てて続けた。
「あっ、でも大丈夫です。不発でしたから」
「……それで?」
「え、えーと、複数人のストライカーユニットが壊れちゃったんで、数日は訓練できないなって……」
目の前が赤くなった。
せっかく多少はよくなってきたかと思っていたらこの有り様だ。こいつらは私の人生を邪魔するために生まれてきたのか。全身が嫌がらせでできているのか。
ビューリングだけじゃない。義勇独立飛行中隊とやらが、とんでもないクズでできている。こいつらに必要なのは拘束衣と鉄格子つきの部屋だ。監視もごついゴリラかサディストにやらせろ。人に母親役を押しつけやがって。
なにもかもがふざけている。
ついに限界を超えた。忍耐の蓋が外れて遥か彼方に飛んでいき、怒りだけが止めどなく溢れ出した。
「もう知らない!」
智子は大声で喚き散らした。
「こんな馬鹿な中隊も訓練もたくさんよ! どいつもこいつも、どうなろうが私の知ったこっちゃないわ!」
智子の剣幕に驚きつつ、エルマはなおも言う。
「え、え、これからの訓練は……」
「勝手にやってください」
智子はエルマの顔を見ることもしない。それでいてはっきりと口にした。
「私はもう面倒見ません。訓練したいなら自由にどうぞ。したくなければそれでもいいです。二度とこんな中隊には関わりませんから!」
啞然とするエルマ。
その後ろから、雪を踏む音がした。
尚樹だった。飛行服の右肩に雪がべったり付いていて、片手にはへし折れた主翼の破片をぶら下げている。
彼は智子を見た。
いつもなら、ここで何か言う。「随分ご機嫌だな」とか「教官殿は昼寝の時間か」とか、そういう類の、火に油を注ぐような一言を。
だが今日は、何も言わなかった。
視線を一度だけ智子の顔に置いて、それから外した。
「……中隊長」
「は、はい!」
「破片、回収してきた。あと三つ落ちてる。溶けたら見つからんから、今のうちに拾っておく」
「あっ、はい、お願いします……!」
「ハルカは医務室だ。かすり傷だが念のため」
「わ、分かりました」
「ウルスラは倉庫にいる。あれは今、誰が何を言っても頭に入らん。放っておけ」
「……はい」
それだけ言うと、彼は智子の横をそのまま通り過ぎていった。
一言もかけずに。
智子は、なぜか、その背中に噛みつくことができなかった。
いつもなら怒鳴り返せる。怒鳴り返せば、この男は必ず返してくる。返してくるから、怒りは行き場所を得て、そのうち馬鹿馬鹿しくなって収まる。
そういう仕組みで、この二年間ずっとやってきた。
だが今日は、投げる先がなかった。
「……なによ」
彼女は誰にともなく呟いた。
「なんで、なんも言わないのよ」
智子は無視して立ち去ろうとした。エルマは通り過ぎる前になにか言おうと口を開く。その時。耳をつんざくようなサイレン音が鳴り響く。皆、ぎょっとして立ち止まる。基地内に設置されたスピーカーが大音量でがなり立てた。
『スオムス政府より発表です。スオムス政府より発表です。さきほどネウロイ集団が国境線を越えたことが確認されました。ネウロイ航空部隊はヴィープリ市へ空襲をおこなっています。カレリア地方の皆さんは軍、警察の指示に従い、落ち着いて避難してください。繰り返します……』
国民用の布告をそのまま流しているのだろう。女性アナウンサーの声が終わると、今度は基地の士官が所定の場所への集合と外出禁止を告げる。
腹を立てていた智子も、エルマも、基地中の人間が思わず空を見た。
まだなにも飛んでいない。だが空気が明らかに違う。冷たさの中にある圧迫感。
ネウロイの侵攻がはじまったのだ。
少し離れた雪の上で、破片を拾っていた男が、ゆっくりと身体を起こして同じ空を見上げていた。
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