新たなネウロイ
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智子はもう、訓練を主導しなかった。
ネウロイの侵攻でスオムスは交戦国の一員となった。腕利きを集めた第24戦隊はすでにインモラ基地、スール=メリヨキ基地に展開し、さっそく戦果を挙げている。アホネンの第一中隊もいつでも出撃できるよう厳戒態勢だ。
第二中隊である義勇独立飛行中隊も、当然戦闘準備をおこなうことになった。だが本格的に戦闘投入できる段階とは言い難い。まだ不安は残っている。
壊れたストライカーユニットは、整備兵が魔法みたいな手腕で完璧に直した。もとより整備に定評があるのと、エルマが頭を下げて頼み込んでいて、そこと尚樹の猫の手で上手く行ったらしい。
エルマは訓練を再開させようとしていた。だが智子にはまったくやる気がなかった。
彼女は朝起きては一人で食事をすませ、自らの九七式戦闘脚の整備を整備兵と共におこなう。それから出撃命令が来ないかと待ちわびつつ、格納庫の中を行ったり来たりする。たまに第24戦隊の戦果がラジオから流れてくるのでじれったそうに足を踏み鳴らし、陽が暮れてしまうので一日を終える。この繰り返しだ。
義勇独立飛行中隊の他のウィッチたちとは会話をしない。一人でやっていくと決めた以上、馴れ合いは不要だ。今の彼女に必要なのは実戦だった。
――ただし。
「尚樹」
「なんだ」
「あんたは別」
「なにがだ」
「私と組みなさい」
格納庫の隅で整備兵と図面を広げていた男は、手を止めて振り返った。
「随分と唐突だな」
「唐突じゃないわよ。ずっと考えてたの」
智子は腕を組んだまま言った。
「使えないなら要らない。使えるなら使う。それだけ」
「……それ、俺に言ってるのか」
「あんたは使えるの。だから使う。文句ある?」
尚樹はしばらく智子を見ていた。
それから、工具を置いて立ち上がった。
「ない」
「よろしい」
そういうやりとりが、移動の前日にあった。
ある朝、とうとうその日がやってきた。第28戦隊も前線飛行場への移動が命令されたのである。
「よし、これで戦えるわ!」
智子は両手を打ち鳴らし、九七式戦闘脚を装着するとさっさと飛び上がった。
目的地はラッペーンランタ。扶桑人の智子には暗号としか思えない地名だが、第24戦隊の両基地の中間に存在する。今までのウッティ基地よりさらに貧弱な設備になることが予想されたが、それでも智子は上機嫌だった。
冬の冷たい空だが身体は熱い。鼻歌を歌いたくなってきた。
「穴拭少尉」
声がする。エルマであった。いつの間にか智子の隣を飛行していた。
「なんです?」
「いいですか、あの、訓練なんですけど」
「勝手にやってていいですよ」
「編隊飛行のことなんです。前に、私とウルスラさんのやり方が似てるって言いましたよね」
「それが?」
「実はですね、スオムスの飛行技術ってカールスラントの影響が強いんです。……で、私たちはもっと編隊飛行を徹底したらどうだろうって思うんです。ちゃんと視界に入るようにしながら、奇襲を受けたときいっぺんに墜とされる危険がないように……」
「はあ。なるほど」
智子は気のない返事をした。
「でもそれ、初歩の初歩ですよ」
「分かってます。私たちはそんな初歩もできていなかったんです。ですから改めて訓練すればいいかなって」
エルマの表情は、なんだか輝いている。勉強中の子供が自力で答えにたどり着いたときの顔つきに似ていた。
智子は感心したものの、興味は引かれない。
「なら、やればいいですよ。私は一人で戦いますから」
「でも穴拭少尉がいた方が」
「ほっといてください」
智子は拒否し、口をつぐんだ。エルマは残念そうな表情を浮かべると、隣を離れた。
ラッペーンランタの基地が見えてくる。ウッティよりはずいぶん小さい。着陸してすぐ、部屋の確認をしようとしたところで警報が鳴った。
『ペテルブルグ方面よりヴィープリに向かう敵影あり。数、種類共に不明。ウィッチはただちに出撃せよ。繰り返す……』
智子は整備兵を呼び止めると、ストライカーユニットに足を突っ込んだ。
「出るわよ! 実弾持ってきて!」
「じゃ、じゃあ私たちも……」
隣ではエルマが慌てていた。
「ここにいてください!」
釘を刺す。どうせ邪魔になるだけだ。他人を気にせず自由に動きたいから、一緒に来られると足手まといになる。
そして、彼女は振り返った。
「尚樹!」
「おん」
「出るわよ!」
「あいよ」
気だるげな返事の後、腕輪に指が触れる。霧のような光が走り、白い騎士が滑走路に立った。
「え、あの、穴拭少尉!? 中川少尉も!?」
エルマが目を白黒させている。智子は八九式機関銃を抱え、腰の備前長船を確認しながら答えた。
「こいつだけ連れていきます」
「ど、どうしてですか」
「使えるからです」
それだけ言って、智子は魔力を発動させた。頭にキツネの耳が生え、魔導エンジンが回り、魔法陣が生まれる。滑走路を進み、離陸した。
その隣を、音もなく白い装甲が並走して浮き上がる。
第一中隊はすでに飛んでいる。さすがはアホネンと部下たち。警報を聞いてからの初動が速い。智子はインカムで敵の状況を聞きながら、第一中隊の後ろについていった。
ヴィープリ市の上空を通過。豆粒みたいな人間が道路に出ている。どうやら手を振っているようだ。振り返したかったが、多分見えないだろう。
隣の白い装甲が、片手を上げて振っていた。
「見えないわよ」
『見えなくてもいい』
オラーシャ国境に向かって飛ぶ。前方がきらりと光った。それらは徐々に大きくなり、多数の飛行物体となった。
ネウロイだ。智子はぞくりとする。扶桑海事変以来、久しぶりに見る敵。形は様々だが、銀色で人の心を持たないところは同じ。
第一中隊がぱっと散開すると、ネウロイの編隊に突っ込んでいく。どちらからともなく発砲。火線が交錯し、冬空はあっという間に喧噪に満ちた。
智子はこの空戦に加わらず、高度をすっと上げた。
なるべく太陽を背にしながら下を見る。第一中隊が接敵したのは小型のネウロイ集団で、数は二十ほど。混戦模様で、第一中隊のウィッチもしばしば後ろを取られていた。
ウィッチの一人が被弾する。身体が傾いたところに小型ネウロイが続けざまに攻撃しようとしていた。
そこに智子は襲いかかった。
真上から降下。小型ネウロイが気づくがすでに遅い。引き金を引く。七・七ミリ弾が、狙い違わず中央に吸い込まれた。
命中。一瞬炎が膨れあがったかと思うと、炸裂して粉々になった。
「よし!」
声が出た。実戦の勘は鈍っていない。
「……穴拭少尉、あなたが助けてくれたの!?」
アホネンの声。智子は気にせずさらなる敵を求める。
以降のことは、記すのが面倒になるほど一方的だった。
私の、そしてもう一人の戦果は言うまでもなかった。
私は五機を墜とした。旋回に持ち込んで背後を取り、機銃で仕留め、二機は刀で断った。
アイツは、数を数えていない。
そもそも敵を追っていなかった。
アイツはただただ、ウィッチたちの傷がひとつでも増えないように飛んでいた。
被弾したスオムス人の前に割り込み、背中に取り付かれた娘の後ろを掃除し、雲から出てきた別働の四機を、そちらへ向かおうとしたウィッチより早く潰す。誰も助けを求めていないうちに、助けが終わっている。
結果として、戦場を食い荒らしていた。
――最初から、こうすれば良かったのだ。
智子は敵の残骸が霧散していく空で、そう思った。
まずそもそも、私もコイツもここにいる方がおかしい。
コイツは多分、海軍の上がもう手元に置いておきたくないとか、そんな程度の低い理由だろう。あんな戦果を出して、あんな検閲をされて、それでも欲しがらない組織があるとしたら、理由は嫉妬か恐怖しかない。
慣れない事をして、自分の成長を武子に思い知らせるなんて回りくどい事をやっていたから、要らないストレスにまみれてしまったのだ。
コイツに火を入れさせれば、転属などあっという間だろう。
自分の見られ方なんて気にしていない。功績や栄光なんて微塵も求めていない。
ただ、普通に暮らす人や、吹けば消えてしまう儚い歩兵たちや、華々しい称賛を浴びるカーペットという名の平均台から落ちてしまうウィッチたちを守れれば、ほかは些事なのだろう。
――なら、私がコイツを世界に引きずり出して、誰も彼にも見せつけてやる。
「アホネン大尉!」
智子は通信を開いた。
「そちらの被害は!」
『……なしよ。信じられないけれど、なし。かすり傷が二人だけ』
「そう。よかったですね」
智子は、軽い負傷をしたウィッチたちが集まりつつある空域へ滑り込み、その真ん中で、これ見よがしにゆっくりとロールを打った。
一回、二回。
主役の登場である。
『……あなた、まだそんな余力があるの』
「ありますとも」
『……あの、白いのは』
「うちの隊員です」
『名前を、聞いてもいいかしら』
「中川尚樹。少尉です」
アホネンは、それきり黙った。
彼女の後ろにいた六人のうち何人かが、宙返りを終えた智子ではなく、その少し離れたところに静止している白い装甲の方を、じっと見ていた。
第28戦隊初の実戦は、文句なしの勝利であった。
智子は上機嫌で基地への帰途に就いた。あらかじめ連絡も入れておく。今ごろお祭り騒ぎであろう。
その隣を、白い装甲が黙って飛んでいる。
コイツは地上ではああでこうでと嫌味やからかいでやかましいのに、此処にいる時だけは凪のようになる。
「尚樹」
『なんだ』
「何機やった?」
『数えてない』
「数えなさいよ」
『数えてどうする』
「新聞に載るのよ」
『載らんよ』
「載せるの」
白い面覆いが、こちらを向いた。
『……お前、なにか企んでるだろ』
「別に」
『智子』
「なによ」
『あんまり、俺を持ち上げるな』
「なんでよ」
『いいことがない』
智子は答えなかった。
答えずに、機首をわずかに上げ、基地の方角へ加速した。
――いいことがないかどうかは、私が決める。
眼下の雪原に、二つの影が並んで走っていた。
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