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「さすがね」
上機嫌の智子の隣に、アホネンが並ぶ。
「あなたのこと見誤っていました。扶桑のエースは伊達ではないのね」
「どういたしまして」
智子は自慢げに返事をする。
「もっと褒めてくれてもいいのよ」
やや挑発交じりに言ったのだが、アホネンはすぐに返事をした。
「部下を救ってくれてありがとう。感謝してるわ。初戦で死なせることがあったら、きっと耐えられなかったわね」
ちょっと驚く智子。
「…………なんか素直ね」
「あら、腕のいいウィッチを賞賛するのは普通でしょう」
「じゃ、私もあんたの名前で笑いそうになったのを謝る」
「はい……?」
「気にしないで」
アホネンは渋い顔をした。
「……ところで、あなたの中隊のことなのだけれど」
「あー、あんたがハルカを気に入ってるって話? 欲しけりゃあげるわよ」
「そうじゃないの。エルマ中尉が、よくわたくしのところに相談に来てるの」
「どういうこと?」
「自分たちでやれるようにしたいからだと言ってたわね」
智子は首を傾げた。
そのまま基地上空へ。智子は景気づけに宙返りを五回打ち、綺麗なアプローチを決めて滑走路に着陸した。基地要員が総出で拍手してくれた。
その少し後ろに、白い装甲が音もなく降りる。
拍手は、そこで一度途切れた。
誰も、どうしていいか分からなかったのである。歓声を上げるべきなのか、敬礼するべきなのか。整備員の何人かはウッティから来ているので事情を知っているが、ラッペーンランタの基地要員には初対面だった。
尚樹は腕輪に触れ、装甲を霧に還した。
そして飛行服姿になると、いつも通り一歩下がった位置に立った。
そこへ、アホネンが歩いていった。
第一中隊の面々が、驚いて上官の背中を見た。
彼女は尚樹の横に並び、正面を向いたまま口を開いた。
「……中川少尉」
「はい」
「本日、わたくしの部下は一人も欠けていません」
「そうですか」
「一人も、です」
「よかった」
短い沈黙があった。
アホネンは、まだ正面を向いたままだった。
「……先日、わたくしはあなたに、蜂だ、毛虫だと申しました」
「言われましたね」
「撤回はしません」
第一中隊の一人が「大尉」と小さく声を上げた。彼女は無視した。
「わたくしは、あの場であれを言った。聞いた人間がいる。今さら言っていないことにするのは、卑怯でしょう。吐いた唾は飲み込めないのです」
「そういう考え方もできます」
「ですから、撤回はしません。――謝罪します」
彼女はそこで初めて横を向いた。
「不適切でした。申し訳ありませんでした」
尚樹は少しだけ間を置いてから答えた。
「受け取ります」
「……それだけ?」
「それ以上、何かいりますか」
「いいえ」
アホネンは一度目を伏せ、それから背筋を伸ばした。
「もう一つ。本日、わたくしの部下の一人が、後ろを取られておりました。ラウハという娘です。あれは、わたくしが最初に飛ばし方を教えた子です」
「ああ」
「あなたが割り込んでくださいましたね」
「近かったので」
「近かったので、で片付けないでいただきたいのです」
彼女の声が、わずかに震えた。
「わたくしはあの瞬間、間に合わないと分かっていました。距離も、角度も、速度も、全部理解した上で、間に合わないと分かっていた。あれは、指揮官として一番惨めな瞬間です」
「……」
「それを、あなたが埋めた。だから、ありがとうございます」
「はい」
「以上です」
言い終えると、アホネンは踵を返した。
そして三歩ほど歩いたところで、思い出したように振り向いた。
「……ちなみに」
「はい」
「あの獣たちは、どう考えてもあなたの命令だったのでしょう」
「うちの連中は、人懐っこくて」
「二度目はありませんことよ!」
顔を赤くして立ち去っていく上官の背中を、第一中隊の六人が慌てて追いかけていった。
そのうちの一人――おそらくラウハという娘が、去り際に一度だけ振り返り、深く頭を下げていった。
しばらく整備兵たちから握手を求められたり、歓喜の踊りの中に加わっていると、建物の陰からエルマが出てきた。
彼女は小走りに寄ってきた。
「聞きましたよ、ネウロイを五機も撃墜したんですね。おめでとうございます」
「どうも。なにしてたんですか」
「ずっと見てました。みんなで穴拭少尉が無事に帰ってきますようにって祈っていたんです。ほっとしました」
屈託のない台詞に、智子はなんとなく顔を背けた。
「みんなってことは……ビューリングは?」
「今日もいなかったんです。……あっ、いたいた」
滑走路から離れたところで、タバコを咥えた女性が立っていた。
エルマが駆け寄り、しばらく話をしてから戻ってきた。
「話があるみたいです」
――そして、そこから先は、およそ噛み合わなかった。
「智子の空戦を見ていた。ああ、直に見たわけじゃない。ハッキネン大尉に聞いた」
「あらそう。五機墜としたわよ」
「気になるんだ」
「なによ」
「空戦のことなんだが……」
「やめて。あんたに口出しされたくないから」
「聞くべきだ。ちょっと気になる」
「嫌。あんたこそ訓練やれば」
「智子が聞いてくれたら訓練に参加する」
一瞬、智子の中にためらいが生じた。
エルマが目を輝かせて「聞きましょう」と言った。
そのためらいごと、彼女は振り払った。
「嫌ですよ。もう義勇独立飛行中隊がどうなろうと関係ないからです」
「そんな。みんなで一緒にやりましょう」
「断ります」
智子は背を向けて歩き出す。
エルマがなにか言っているがよく聞こえない。関係ない。そっちはそっちでやっててくれ。
智子は心を閉ざした。ただひたすら、戦いのみに邁進するつもりだった。
「……ほら、行っちゃいました」
遠ざかる智子を見ながら、エルマはビューリングに言った。
「ビューリングさんがちゃんと説得しないからです」
「私のせいなのか?」
「だってビューリングさんはずっと訓練に参加してなかったじゃないですか。いきなり話をしたって無理ですよ」
ビューリングはしばらく黙った。
それから、ゆっくりと首を回した。
視線の先には、整備員に囲まれて機体の点検票を書き込んでいる男がいた。
「――おい」
尚樹が顔を上げた。
ビューリングは、彼を見ていた。
いつものように、視線をよこして鼻を鳴らして終わり、ではなかった。まっすぐに、しばらくの間、じっと見つめている。
エルマがきょとんとした。この女がこんなに長く誰かの顔を見るのを、初めて見たからである。
「……なんだ」
「あのままにしておくのか」
「……」
「あいつはお前の言うことなら聞くだろう。訓練にも出ろと言えば出る。編隊も組めと言えば組む。違うか」
「違わないな」
「なら、なぜ言わない」
尚樹は点検票を折りたたみ、整備員に渡した。
そして、去っていった智子の背中の方角――もう見えなくなった建物の角を、一度だけ見た。
「……あいつが自分で選んだ道を、俺が押して曲げたら、あいつの脚じゃなくなる」
「詭弁だな」
「そうだ」
あっさり認めた。
ビューリングの眉が動いた。
「認めるのか」
「詭弁だよ。俺が言えば、たぶん明日から訓練に出る。俺の顔を立てるためにな。そういう女だ、あいつは」
「なら」
「そうやって出てきたあいつは、次にへそを曲げたときも、俺が言うのを自然に待つだとうな」
彼は淡々と続けた。
「今回は俺がいる。次はいないかもしれん。俺が墜ちるかもしれんし、転属するかもしれん。そのときにあいつが誰の声も聞けなくなってたら、あいつは一人で死ぬ」
「……」「なにより」
「そんなのは「巴御前」ではないな」
「…トモエゴゼン?」
「だから、他の誰かの声で戻ってくる必要がある」
「他の誰か、とは」
「知らん。それを決めるのはあいつだ」
ビューリングは、ポケットから出しかけたタバコを、そのまま戻した。
「……お前、面倒くさい男だな」
「よく言われる」
「智子はそれを知ってるのか」
「知らないだろうな」
「言わないのか」
「言ったら台無しだろ」
しばらく、雪の落ちる音だけがした。
ビューリングは短く息を吐き、フライトジャケットの襟を立てた。
「……分かった」
そして、隣で二人のやりとりをぽかんと聞いていたエルマを見た。
「訓練をやろう」
「そうですか……ええっ!」
一瞬、エルマは自分の耳を疑った。
「訓練をすると言ったんだ」
「い、いえ……まさかビューリングさんが言い出すなんて……」
「智子がどうにかなる前に、義勇独立飛行中隊全員が技量を上げる必要がある。だから参加する」
「どうにかってなんでしょう」
「どうにかだ」
ビューリングはそこで、もう一度尚樹の方を見た。
「――おい、扶桑」
「なんだ」
「お前は出るなよ」
「なんでだ」
「お前がいると、私たちが強くなった気になる」
尚樹はしばらく黙り、それから、初めて彼女に向かって笑った。
「……いや、別にそれでも良いじゃん」
「ふん」
動機はともあれ、ビューリングが参加する気になったことは間違いない。エルマは急いで他のウィッチたちを集めた。
滑走路に整列した智子以外の義勇独立飛行中隊を前に、エルマはやや声のトーンを上げた。
「私たちも穴拭少尉に負けないように、訓練を頑張ります。やり方はアホネンさんから聞きました。これからやります」
「それはいいけどねー……」
オヘアがちらりと自分の隣を見る。
「ビューリング、ユーも?」
「まあな」
「なんだか変な気分ねー。よくないことの前兆ねー」
「迷信だ。植民地人」
エルマの号令で、義勇独立飛行中隊はストライカーユニットを着用し、スオムスの空に飛び立った。
滑走路の端で、一人だけ残された男が、それを見上げていた。
「クルル」
足元に、いつの間にか白い狐が座っていた。
『よろしいので? お嬢様は今、たいそう機嫌が悪うございますが』
「知ってる」
「コン」
『わしから言いましょうか』
「やめとけ。お前が言ったら、あいつは余計に意地を張る」
「クルル……」
『難儀な主人を持ちました』
「同感だ」
尚樹は狐の顎の下を掻いてやりながら、しばらく空を見ていた。
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