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あの日以来、緊急出撃は続いた。
ネウロイの攻勢は徐々に強まっていき、地上と空から圧迫を加えてくる。すぐに第24戦隊だけでは手が足りなくなり、第28戦隊にもお鉢が回るようになった。
智子は出撃命令をなにひとつとして拒否しなかった。ストライカーユニットが不調だろうとなんだろうと空に上がり、ネウロイに空中戦を挑む。アホネンの第一中隊を押しのけてまでスコアを稼ぎ続けた。
そしてその隣には、常に白い装甲があった。
これがなければ、彼女はとうに墜ちていたかもしれない。
無茶な突っ込み方をした後の退路は必ず塞がれておらず、背後を取られる寸前で誰かが割り込んでおり、機体が不調のときは離陸前に整備兵が呼ばれている。飯を抜こうとすれば目の前に皿が置かれ、夜中に格納庫へ行けば先客がいて追い返される。
おかげで、精神的にも肉体的にも、致命的な摩耗はしていない。
だが疲労というのは、そんな簡単なものでもない。
撃墜数は大幅に上昇する。十機、二十機、初日の五機撃墜などすぐ忘れられたくらいだ。開戦から三週間ほどたったある日、彼女はついに大記録を達成した。
「よし、やった!」
通算三十二機。敵がすっかりいなくなったカレリアの空で、智子は何度も宙返りをした。
ラッペーンランタの基地でもお祭り騒ぎだ。担ぎ上げられ、運ばれ、上機嫌のまま自室へ戻る。
その前に、尚樹があれこれと渡してきた、中身を見るとどうやって手に入れたのか知らないがレモンだの温めた手ぬぐいだのを渡された
聞いても食って顔を拭けとしか言われないのでコイツらしくなく褒美のなにかだと処理しながら受け取ったバスケットを机に置いて鼻歌を歌いながら腰の備前長船を外し、なんの気なしに鏡を見る。
ぎょっとした。目の下に隈ができている。真っ黒でかなり目立つ。頬もなんだかこけたみたいだ。機嫌だけはいいものだから、ちょっと不気味だ。
原因は自分でも知っている。一日の休みもなしに出撃しているためだ。連日どころか日に二回は当たり前。三回四回もしょっちゅうだった。
隈ができただけではなく、身体の節々も痛い。無理していることは知っているが、やめるのは論外だ。これも勲章だ。
そのとき、扉が乱暴に叩かれた。
「智子」
「なによ」
「半休だ。出るぞ」
「行かないわよ」
「もう乗る人数は伝えてある」
「勝手に決めないでよ!」
「バスは十分後だ」
「聞きなさいってば!」
結局、七分後に智子は正門にいた。
襟首を掴まれてはいない。掴まれてはいないが、目の前を歩く背中がまったく引き返す気配を見せないので、ついていくしかなかったのである。
バスには義勇独立飛行中隊の皆が乗っていた。智子は一番前の、離れたところに座った。尚樹は一番後ろに座った。
――中略。ハルカの物騒なスオムス語、迷子、そしてパブ。
薄暗い店内はそれほど混んでいなかった。丸いテーブルに全員で腰かける。
「今日は私のおごりです」
エルマが宣言する。ぱちぱちと、軽い拍手が起こった。
そこから先の会話に、智子はほとんど加わらなかった。
訓練の話。手紙の話。オヘアのもとに届いたサッチ大尉からの返信。ハルカの同期からの、本人の記述が二行しかない手紙。ウルスラの双子の姉。エルマの会ったことのない親戚。
そして陸軍の兵士たちからの、名も知らぬウィッチへの感謝。
「あのウィッチがあんたらかどうか分かんねえけど、おかげで俺たちは生き延びたんだ。気にせず飲んでくれ」
「私たちではないぞ」
ビューリングが言うが、エルマはそれでも笑みを崩さない。
「分かってます。でもやっぱり訓練は絶対に無駄にならないってことです」
その兵士の一団は、途中で一人がふと顔を上げ、テーブルの端に座っていた男を二度見した。
「……あんた、もしかして」
「人違いだ」
「いや、白い」
「人違いだ」
「絶対そうだ! おいみんな、こいつだ、こいつ!」
その後、酒が四杯ほど余計に運ばれてきた。尚樹は全部エルマとオヘアの前に置いた。
智子は話に加わらず、なんとなく持ったままになっていたリベリオンの新聞を広げた。
一面全てを使い、世界中の対ネウロイ戦果と情勢が載せられている。カールスラント方面での戦闘状況も特集されていて、智子の目は自然と吸い寄せられた。
【東洋からの"魔女"大活躍 赫々たる戦果】
義勇航空隊は開戦以来の激戦により弱体化したカールスラント空軍を補うため、主にリベリオン合衆国、ブリタニア連合王国、扶桑皇国のウィッチによって編成された部隊。中でも加藤武子中尉率いる部隊は、戦果の七割に当たる二十数機を撃墜した。加藤中尉は個人でも四機を撃墜し、カールスラント空軍総司令部は鉄十字章の授与を決定している。
隣には武子の写真が載せられていた。扶桑から電送されたものなのか、粒子が粗くどこか若い。扶桑海事変より前のものだ。
智子は新聞を閉じると、テーブルに放り投げた。
がっかりして力が抜ける。武子の撃墜数は四機だ。自分は初日に五機。なのに相手は新聞に載って外国にまで報じられ、あげく知らないうちに昇進までしている。
こっちはどこを探しても載っていない。いくら戦おうと、そもそも武子のところにまで届いていない。
投げ出された新聞を、尚樹が拾って畳んだ。
彼は記事を一瞥し、それから何も言わずにテーブルの端に置いた。
「……なんか言いなさいよ」
「なにをだ」
「あんただって仲良かったでしょ」
尚樹は少しだけ黙った。
「タケさんは今はいいだろ。というか、あの人について語るなら智子だろ」
「うっさい。もう終わったのよ」
「……この朴念仁が」
智子の手が止まった。
人類の中で、こいつにだけは言われたくない言葉であった。
浦塩で、大陸で、いったい何人の女がこの男の周りをうろついていたと思っているのか。竹井醇子。坂本美緒。北郷少佐に江藤隊長。数えるのも面倒な第一飛行戦隊のウィッチたち。そして今この店の中にも、リベリオン人が一人、カールスラント人が一人、スオムス人が一人、扶桑人が一人、ブリタニア人が一人いる。
その全員の感情に対して、この男は今日まで一度たりとも気づいた素振りを見せていない。
「――あんたが」
拳が固まった。
「あんたが、それを、私に、言うの」
「言うぞ」
「どの口が!!」
「この口だ」
「――このッ」
智子が椅子を蹴って立ち上がりかけた、その瞬間。
「ちょっといいか」
腕を掴まれた。
ビューリングだった。
「なによ、今それどころじゃ」
「いいから」
「離しなさいよ!」
「話がある」
ビューリングは一切表情を変えず、そのまま智子を引きずるようにして席を立たせた。
他の面子は手紙の内容や好きな食べ物の話に夢中で、こちらに注意を払っていない。ただ一人、エルマだけが「あれ?」という顔をした。
「……戻ってきたら覚えてなさいよ」
「飲んで忘れてやる」
尚樹は畳んだ新聞を、テーブルの端にきちんと揃えて置き直した。
二人は店の裏手に移動する。湖畔沿いに建てられているので波の音がしていた。立ち話を打ち消すのにちょうどいい。
ビューリングの顔は真剣だったが、智子は胡散臭さが抜けない。共に向かい合う形になった。
「聞いてくれ」
とビューリング。智子はうんざりした。
「また? どうせブリタニアのつまんない冗談でも聞かせるんでしょ」
「違う。そんなことはしない」
「じゃ、やろうっての。別にいいわよ。刀であんたをぶった切ればいいのね」
「私の話だ」
ビューリングの口調にふざけたところはない。智子は柄を握ろうとして止めたものの、まだ不審に思う気持ちは解かなかった。
「どんな話? あんたの馬鹿な自慢ならごめんよ」
「そうじゃない。ずっと、智子の空戦記録をチェックしてるんだが」
「うわっ、気持ち悪い。つきまとうつもり?」
「聞け」
ビューリングは、一度だけ店の方を振り返った。
窓の向こうで、あの男が誰かに酒を勧められて断っている。
「――お前はこのままじゃ死ぬぞ」
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