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「――お前はこのままじゃ死ぬぞ」
簡潔で、ふざけたところのない台詞。智子は戸惑った。
「……なによ、藪から棒に」
「戦い方が危ない。いつも一人で突っ込んでいく。いつか、絶対に撃墜される」
「馬鹿言わないで。なんであんたにそんなこと言われなきゃならないのよ」
「私には分かる。最近の智子は目の下が真っ黒で生気がない。体重も絶対に減少してる。なのに目だけがぎらぎらしてるんだ」
「だから? ネウロイ墜としてるんだから問題ないでしょうが」
しかしビューリングは止めなかった。
「そういう状態が一番危ない」
「あんたに分かるの?」
「私も同じだったんだ!」
――そして彼女は、語った。
国際ネウロイ監視航空団。オストマルク、ニーレジハーザの東百キロ。牧草地から離陸し、国道から離陸し、飛行場が消え、通信が壊れ、分類表が役に立たず、狂気だけが残った日々のこと。
雄叫びを上げながら真っ正面へ突っ込んでいった、自分と、同僚のこと。
「私はネウロイの攻撃に晒されて死を覚悟した。そのとき、あいつが射線に割り込んで来たんだ……。あいつは攻撃を身体に浴びて、そして……」
オストマルクの大地に墜ちていった。
「私のハリケーンは、あいつが使っていたものだ」
大きく息を吐き、ビューリングは続けた。
「贖罪みたいなものだ。あいつのハリケーンで戦い続ける。いつかは墜とされるだろうが、それでよかった。私はこのスオムスに死にに来たんだ」
智子の顔が一瞬強張った。
以前、彼女に切っ先を突きつけたとき、「やってくれ」と言っていた。あれは挑発ではなく本気だったのだ。
智子は頭を振る。顔の強張りが元に戻る。
「で? 過去を告白したら私が泣いて許しを請うとか思ってんの? 大きな間違いよ」
「そうじゃない。智子には私と同じようになって欲しくないんだ」
「私は死なないわ。ネウロイをいくらだって墜としてみせる」
「危ない。周りが見えなくなっている。どうしても戦いたいのなら……皆を信頼すべきだ」
「私は一人で戦えてるわよ」
「一人で戦うより二人、二人よりも中隊全員だ」
「……」
ビューリングはそこで、少しだけ間を置いた。
そして、店の方――窓の明かりが漏れている方角を、顎で示した。
「……あの男が、なぜお前の隣にいるか分かるか」
「使えるから使ってるのよ」
「逆だ」
「は?」
「お前が使っているんじゃない。あいつがついているんだ」
智子の眉が動いた。
「あいつはこの三週間、お前が出た出撃に全部出ている。整備の記録を見たから知っている。お前が二回出た日は二回、四回出た日は四回だ。休んだ日は一日もない」
「そりゃ、私が連れてくからでしょ」
「お前が声をかけなかった日もあるだろう。それでも上がってる」
「……」
「あいつが飛んだのは、ネウロイを墜とすためじゃない。お前が墜ちないためだ」
風が湖の方から吹いてきた。ビューリングは襟を立て直した。
「なぜだと思う」
「知らないわよ」
「お前が、意固地になっているからだ」
その言い方は、あまりに平坦だった。
「一人で戦うと決めた人間は、誰の声も聞かない。誰の声も聞かない人間は、いずれ聞くべき警告も聞き逃す。だから、声が届かないなら、せめて身体で塞ぐしかない。あいつはそれをやってる」
「……」
「かつての私と同じだよ、智子。私も誰の声も聞かなかった。だから、あいつが射線に割り込んだ」
智子の指先が、わずかに震えた。
「あいつは、お前が意地を張っている間、ずっとその射線に立ち続けるつもりだ。お前が止めるまで、あるいは――」
「やめて」
「言わせろ」
「やめてって言ってるでしょ!」
智子の声が、湖畔に響いた。
「なんであんたが言うのよ」
「……」
「なんで、あんたなの」
そうだ。それが一番、腹が立った。
もし尚樹が言ったのなら、まだよかった。「お前が心配だから飛んでる」とでも言えば、いつも通り怒鳴り返して、いつも通り殴りかかって、そのうち馬鹿馬鹿しくなって終わっただろう。
だが当人は何も言わない。何も言わずに毎回飛んで、毎回黙って隣にいて、そして地上に降りると新聞を畳んで「タケさんは今はいいだろ」などと言う。
その男の内心を、出会って一ヶ月半の、訓練もろくに出なかった、名前で呼ぶなと何度言っても聞かないブリタニア人の口から、聞かされている。
――なんで、こいつが私よりあいつを分かってるみたいな顔をするの。
――なんで、あいつは私に直接言わないの。
それは嫉妬と屈辱と、そして自分でも名づけられない何かが混ざった、どろりとした感情だった。
今、この瞬間の智子には、それを素直に受け止めて、ありがたく思うだけの余裕は、断じて無かった。
「……だからなんだってのよ」
荒い口調で言った。
「あいつが勝手についてくるんでしょ。私が頼んだわけじゃない。あいつが飛びたくなきゃ飛ばなきゃいいのよ」
「智子」
「あんたがどう思おうと知ったこっちゃないわ! 私はいらん子中隊なんかどうなったっていいの。私の戦果の邪魔をしなけりゃね!」
「智子……」
「馴れ合いたきゃ勝手にどうぞ。でももう、私のことはほっといて」
背を向け、足早に去って行く。自分一人で基地まで帰るつもりだった。
――一人で帰る。
一人で。
そう、一人だ。
雪を踏みしめながら、智子は歯を食いしばった。
智子はかつてのビューリングみたいな態度を取っていた。
そのことに気づけるほど、彼女はもう、自分を外から見られなくなっていた。
湖畔に残されたビューリングは、しばらく雪の上に立っていた。
やがて、パブの裏口が開いた。
「……一世一代の告白、振られたな」
「見てたのか」
「窓から」
尚樹が外套も着ずに出てきて、雪の上に立った。
「お節介焼きなんだな」
「なにか、勘違いしてるな」
「じゃあなぜ言った」
「腹が立ったからだ」
ビューリングはようやくタバコに火を点けた。
「お前にだよ、扶桑」
「……そうか」
「黙って射線に立つのは、格好はいいが、卑怯だ。あいつは知らないまま守られる。知らないまま、お前に借りを作り続ける。そうやって溜まった借りは、いつか一気に返しに来るぞ。だいたいそういう時は、返せない形でな」
尚樹は答えなかった。
答えずに、遠ざかっていく小さな背中を見ていた。
「……追わないのか」
「今追ったら、殴られる」
「殴られてやれ」
「そのうちな」
彼は肩をすくめて、店の中へ戻っていった。
「――おい」
「なんだ」
「私のさっきの話、どこから聞いてた」
「オストマルクのあたりから」
「……全部だな」
「全部だ」
ビューリングは煙を吐き、それ以上何も言わなかった。
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しばらく、湖の方から流れてくる風の音だけがした。
「……なあ」
「なに」
「お前、タバコは」
「吸わない」
「だろうな」
言うが早いか、ビューリングは咥えていたタバコを口から離し、尚樹の唇に無理やり押し込んだ。
「――ぶ」
「吸え」
「いや、待って」
「吸えと言った」
有無を言わさぬ手つきで顎を押さえられ、尚樹は仕方なく一口だけ肺に入れた。
次の瞬間、彼は盛大にむせた。
「――げほっ、げほっ! おい、なんだこれ、くそ不味い」
「プレイヤーズだ。安物だからな」
「先に言え!」
「言ったら吸わなかっただろう」
尚樹は雪の上に片膝をつき、涙目になりながら咳き込み続けた。声変わりしきっていない喉が、余計に情けない音を立てる。
ビューリングは、それをしばらく黙って見下ろしていた。
そして、ふっと、口の端だけで笑った。
「……初めて見たな」
「なにが」
「お前のガキらしいところ」
「……」
「事変の英雄も、扶桑海の毛虫も、俺は男だと胸を張るのも、全部、随分と大人びて見えてたんだが」
彼女はタバコの箱をポケットに戻した。
「咳き込んでるところを見ると、案の定、十五歳だな」
「当たり前だろ……不良軍人」
「言い訳が子供くさい」
「うるさい」
尚樹はようやく咳を収め、涙の滲んだ目でビューリングを睨んだ。
彼女は雪を踏んで、少しだけ距離を詰めた。
「智子が、お前をどこまでも人間離れしたものとして見てるのが、少し気に入らなかっただけだ」
「……」
「あいつは、お前が普通に咳き込んで、普通に涙目になって、普通に十五歳のガキだってことを、ちゃんと分かった方がいい」
「俺が咳き込んだところで、あいつは見てないだろ」
「見てなくても、私が見た」
ビューリングは短く言い切ると、新しいタバコを取り出し、今度は自分の口に咥えた。マッチを擦る。
「それだけで十分だ」
火を点け、深く吸って、白い息と一緒に紫煙を夜空へ吐き出す。
「……戻るぞ。あんまり店を空けると、あの弱気な中隊長がまた泣きそうな顔をする」
「……性格悪いな」
「今さらか」
尚樹はまだ少し涙目のまま立ち上がり、裾についた雪を払った。
「二度とやめて」
「約束はしない」
「なんでだ」
「またお前のガキらしい顔が見たくなったら、やる」
ビューリングは先に立って歩き出した。
その背中を追いながら、尚樹はもう一度小さく咳き込み、口の中に残った苦い味を舌打ちで誤魔化した。
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