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智子は翌日からさらに頑なになり、出撃を繰り返していた。
撃墜スコアは四十機を超えた。それでも彼女は水を求める野良犬のように、ネウロイを探し、墜とし続けた。
――そして、その頃から、彼女は隣を空けるようになった。
きっかけらしいきっかけはない。
ただ、出撃命令が下るたびに、格納庫で装着を終える速度をわずかに上げた。ほんの三十秒早く滑走路に出て、ほんの十秒早く離陸する。それだけだ。
追いついてくる日もあった。だが智子は編隊を組ませなかった。速度を上げ、雲に入り、勝手に散開し、勝手に交戦し、勝手に帰投した。
そのうち、追ってこなくなった。
正確には、追ってはいた。ただ、離れた高度から、離れた位置で飛ぶようになった。
――それでいい、と智子は思う。
思って、思ったそばから、腹が立った。
なぜ腹が立つのかも分からなかった。分からないから、余計に腹が立った。
華々しく輝く親友への嫉妬か。
尚樹の本音を見透かしていたビューリングへのジェラシーか。
誰の言葉も聞く気になれず、意固地に我儘を垂れている穴拭智子という女への自己嫌悪か。
それとも――何も言わないで、失意の中スオムスに向かう私の前に現れて、今日まで頼まれもせず、「自分が勝手にやってる」なんてツラで傍にいた、あの男への八つ当たりか。
ひどくみみっちい感情に、彼女は支配されていた。
そして、みみっちい感情ほど、飛ぶ理由としては便利だった。
「穴拭少尉」
出撃前の格納庫で声をかけてきたのはハッキネン大尉だった。
「そろそろ、休暇を取りませんか」
「どうしてです。ウィッチが休めるほどスオムスは安全になっていないでしょう」
「いくらウィッチでも限界はあります。見るからに疲労の色が濃いですよ」
「気になりません」
ビューリングみたいなことを言われただけに、余計腹が立つ。言われれば言われるほど、出撃する気になってきた。
「そろそろ義勇独立飛行中隊も出撃ができるようになるでしょう。一緒に飛べるときまで、休んでもいいのでは?」
「私は一人の時がもっとも戦果を挙げられます」
ハッキネンは話を変えた。
「所用でヘルシンキに向かいます。扶桑大使館付きの武官にも会う予定ですが、なにか伝えることはありますか?」
「いいえ」
「そうですか。……中川少尉には、同じことを尋ねました」
智子の手が止まった。
「……あいつは、なんて」
「『穴拭少尉の記録を、正しく本国に上げてほしい』と」
「……」
「自分のことは、何も言いませんでした」
ハッキネンは格納庫から去った。
智子はしばらくその場に立ち尽くし、それから乱暴にストライカーユニットへ足を突っ込んだ。
――だからそういうところが。
そういうところが、腹が立つのだ。
離陸すると、いつもより速度を上げて戦闘空域に向かう。クオレマヤルヴィ付近で地上軍が飛行するネウロイを目撃した。至急迎撃しろとの命令だった。
飛ばしたおかげで第一中隊に追いついた。その向こうにはヴィープリに飛んでいこうとするネウロイ。
「……?」
智子は目を凝らした。
ネウロイは一機しか飛んでいない。だがその一機が妙なのだ。航空機のような翼を持ち、二本のはりが後方に伸びている。
そして、色。
「黒……?」
まるで大空に開いた裂け目のようで、丸ごと飲み込まれるような暗黒だ。ところどころに六角形からなる赤いマークをつけていた。
雑音ののち、アホネンの声。
「攻撃開始!」
第一中隊が逆落としに突っ込む。射撃。だが当たらない。距離が遠すぎるのだ。
智子は九七式戦闘脚の魔導エンジンを吹かした。第一中隊のウィッチを押しのけるように接近する。
「アホネン大尉、私がやる!」
視界全てがネウロイになった。人差し指に力を込める。
その刹那、智子の全身を悪寒が襲った。
反射的に射撃を中止。上昇に移り、シールドを張る。
同時にネウロイの赤い六角形が光った。
光の線が伸びた。一直線に智子へと向かい、シールドに直撃する。
「うっ!」
「光線兵器……!」
智子のうなじが総毛立った。
かつて彼女は扶桑海事変で『山』が同じような攻撃をするところに遭遇した。あれは巨体だからできることだと誰もが思っていた。
――『山』。
その二文字が浮かんだ瞬間、彼女の脳裏に、光線の奔流を身一つで受け止め続けていた白い背中が、ほとんど暴力的な鮮明さで蘇った。
「――っ」
今、あいつはどこにいる。
私が置いてきた。私が速度を上げて、私が雲に入って、私が振り切った。
次の瞬間、ネウロイの赤いパネルが一斉に光った。
四方八方に光線が放たれる。スオムスの空が光り、悲鳴が上がった。ウィッチが二人、ストライカーユニットを撃ち抜かれて墜ちていく。
アホネンは急いで退避を命じた。
だが智子は反対に、もう一度黒いネウロイへと突っ込んでいった。
「穴拭少尉、あなたも逃げなさい!」
聞かない。
あいつは新型だ。墜とせば新聞に載る。武子にも伝わる。本国も無視できない。
――そして、あいつに、私が一人でやったと言える。
気が逸っていたことが、むしろ気力となった。
機関銃を撃つ。弾かれる。威力が足りない。
「なんで!」
だったらもっと近づいて、叩っ切ってやる。
備前長船の鯉口を切り、九七式のスピードを上げて突進していく。
突然、ネウロイの赤いパネルが発光した。放たれた光線が全て智子へと向けられる。
急いでシールドを張る。何本もの光線が命中した。
ネウロイは第一中隊のウィッチにもう危険がないと判断し、全てを智子に振り向けたのだ。
目の前で光がいくつも弾け、視界を覆っていく。眩しくて前が見えず、しかも攻撃を防ぐことで魔力と体力が急速に失われていった。
智子は歯を食いしばった。
「まだ、まだ……! ま…………」
三週間分の無理が、この一瞬に請求書として届いていた。
全身から力が抜けていき、頭がくらくらしてくる。張り続けているシールドは衰えつつあった。
ぱしっと音がして、シールドが弾けた。
智子は防御手段がなにもないまま空中に取り残された。張り直そうにも力が入らない。ネウロイのパネルは全てが彼女に指向されている。
赤いパネルが光る。智子は思わず目をつぶる。
――ああ。
こういうとき、いつもは。
いつもは、白いのが割り込んでくる。
空が光るのが分かる。だが、なにも起こらなかった。
目を開ける。
そこにいたのは、白い装甲ではなかった。
くすんだ銀色の長髪に、使い古されたハリケーン。
ビューリングだ。彼女は光線の前に立ちはだかり、シールドを目一杯展開していた。
「智子、逃げろ!」
「なんで……」
なんであんたなの。
その言葉は、声にならなかった。
「私のことは放っておけ! みんな!」
エルマが飛んできた。続いてオヘアとハルカ。ウルスラもいる。訓練中の義勇独立飛行中隊全員がやってきていた。武装もしていなかった。
「エルマ、智子を任せる!」
「はいっ」
エルマが智子の右腕を摑んだ。左腕はオヘア。二人で力を合わせて引っ張る。ハルカもやってきて後ろから押した。
「ビューリング! ねえ!」
智子は青い顔をして叫ぶ。ビューリングのシールドは限界に達しつつあり、色が薄くなっていたのだ。
「ねえ、放してよ! このままじゃビューリングが……」
「オヘアさん、ハルカさん、放しちゃ駄目です!」
「分かってるねー!」
「絶対に放しません!」
智子は三人がかりで連れて行かれる。ビューリングの姿が遠ざかっていく。
「ビューリング!!」
黒いネウロイの攻撃が最高潮に達し、空が大きく輝く。
ビューリングの姿が光の中に飲み込まれ――
その光の中へ、遥か上空から、白い線と緑の残光が一本、垂直に落ちていくのを。
智子は最後にほんの一瞬だけ見た気がした。
そして、気を失った。
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