いらん子中隊奮戦す
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目を開けたとき、まず見えたのは木製の天井だった。
――中略。二日の昏睡。ハルカの世話。黒いネウロイの離脱。第一中隊の負傷者二名は無事。
「ビューリングは……?」
「ネウロイの攻撃がビューリングさんに集中してですね、シールドが砕けちゃったんです。すぐにウルスラさんが助けに戻ったんですけど、その……」
「撃墜されたの……?」
「……はい」
智子はベッドから下りようとした。
「出撃する」
「駄目です。穴拭少尉は休んでいないと」
「私があのネウロイを吹っ飛ばす! 放して!」
四人がかりで押さえつけられ、しばらくのちに大人しくなった。
「私は中隊長で、穴拭少尉の上官です。命令に違反したら拘束します!」
強い口調に、智子は言葉を失った。
「……分かったわよ……」
再びベッドに横たわり、毛布を頭からかぶる。
「寝てる」
エルマたちが出ていってから、智子はしばらく毛布を被ったままだった。
そして、聞けなかった。
四人が部屋にいる間、ずっと喉元まで出かかっていて、ついに出せなかった質問が一つある。
――尚樹は。
聞けば、答えは返ってくるだろう。だが、聞くことそのものが、いま自分に許されている気がしなかった。
自分が置き去りにして、自分が振り切って、自分が「使えるから使う」と言った男のことを、今さらどの面下げて心配するのか。
だから智子は毛布の中で目をつぶり、ビューリングのことだけを考えて泣いた。
そちらの方が、いくらか楽だった。
翌日、扉が開く音がしたので振り返る。
ハッキネン大尉がいた。となりには男性の軍人。
「こちらは扶桑皇国陸軍の佐久間中佐。扶桑大使館の武官を務められています」
「穴拭少尉、スオムスでの戦いの数々、見事だった」
「自分はまだ戦果を挙げておりません」
「そんなことはない。四十機以上撃墜は立派だ。功績を鑑みて、本国に叙勲の申請もしている。まず、通るだろう」
「それから、穴拭少尉を本国に召還することになる。英雄の凱旋になるぞ」
「……分かりました」
反応が鈍いので、佐久間はさらに言う。
「まず明日、ヘルシンキでささやかなパーティーがある。黒いネウロイのことも聞かせてくれ。それから帰国だ」
「はぁ……」
――帰国。
智子は毛布の上に置いた自分の手を見た。
自分だけが離れることに、栄転への高揚感も、離れ離れになる寂しさも、どちらも持てていなかった。
ただ、水を張った洗面器の底みたいに、何も映っていないだけだった。
「……あの、中佐殿」
「なんだ」
「うちの中隊に、海軍から来ている者がいるのですが」
「ああ」
「あれの処遇は、どうなるのでしょうか」
佐久間の表情が、ほんのわずかに動いた。
そして、それだけだった。
「彼は海軍将校だ。陸軍としては言うことは何も……」
「……そうですか」
「まあ、なんだ。海軍のことは海軍でやるだろう」
それきりだった。
叙勲の申請も、英雄の凱旋も、本国召還も、この男は自分の権限で語ってみせる。だが、あの男の名前が出た途端に、管轄という一枚の壁が下ろされる。
――知っている。
浦塩でも、大陸でも、舞鶴でも、同じだった。功績は「公にできない存在」の欄に整理され、勲章は空のまま渡された。
そして自分は。
私は、それを見て、腹を立てていた。腹を立てて、「私が世界に引きずり出してやる」などと啖呵を切った。
その結果が、これだ。
「……中佐殿は、どうして自分がスオムスに派遣されたのか、お聞き及びでしょうか」
「ん? ああ、噂程度しか知らんが……」
そう言ってから、佐久間は話をはじめた。
「陸軍からのカールスラント組を選抜している最中に、加藤少尉……今は中尉だったか、とにかく彼女がやってきて、君のスオムス派遣を強く主張したんだ」
「武子が……」
「君の実績からいってカールスラントに行くべきとの意見が大勢を占めていたんだが、なにしろ実際に派遣される現役ウィッチが直に言ったものだから、説得されたらしい」
「………」
「扶桑海事変のエースをスオムスに送るのはもったいないと皆も思ったらしいが、戦果を見る限り杞憂だったようだな」
「……そう、ですね」
智子はもぞもぞとベッドに横たわる。
自分をここに送り込んだのは親友だった。あの武子が。
――ああ、そうか。
天井を見つめながら、彼女はようやく一つのことを認めた。
結局、自分は何も出来ていなかった。
功名心に囚われて、「アイツも引っ張り上げてやる」なんてのは、踏み台にしてのし上がるために、アイツを使った自分への方便でしかなかった。
あの日、初陣の帰り道。
私は上機嫌で宙返りをして、こいつを世界に見せつけてやると胸を張った。あれは、あいつのためではない。
新聞に載りたかったのは私だ。武子に見せつけたかったのは私自身だ。あいつの隣にいれば戦果が上がるから、隣に置いた。それだけだ。
あいつはその間ずっと、私が墜ちないように飛んでいた。
私はそれを「使えるから使う」と呼んだ。
そして今、私は勲章をもらって帰国し、あいつの処遇は「海軍のことは海軍でやるだろう」の一言で片付いた。
私が引きずり出すはずだった男は、私が去った後、また誰にも数えられない場所で飛び続けるのだ。
――何が扶桑海の巴御前だ。
――何が、世界に見せつけてやる、だ。
智子はしばらく天井を見つめていたが、やがて目をつぶる。いつの間にか佐久間とハッキネンは去っていた。
次の日、まだ智子はベッドの中にいた。
朝食を半分以上残す。スピーカーからは第一中隊への出撃命令が発せられていた。
ぼんやりしていたら、今度は佐久間が一人でやってきた。
「今日はヘルシンキに行くぞ」
「すぐに出るのでしょうか」
「いや、車の整備をしてガソリンを入れなきゃならん」
時間には余裕があるようだ。智子はベッドから這い出した。
なんとなくいつもの巫女服を着る。しばらくためらったのち備前長船をぶら下げた。愛用してきた扶桑刀は、いつもよりずっと重く感じられた。
作戦司令室へと歩く。帰国前に様子を見ようと思っていた。
――中略。カレリア地峡の地図。第24戦隊の交戦。アホネンの声。
作戦司令室の扉が薄く開き、誰かが智子に手招きをする。出てみると、佐久間がいた。
「出発するぞ、穴拭少尉」
「………」
「君は本日から休暇扱いだ。あとはスオムスの人たちに任せておけばいい」
「……はい」
出る直前の作戦司令室内には、泡を食ったような女性士官が電報の束を握りしめて駆け込んでいた。状況に変化でもあったのだろうか。
智子は佐久間と連れだって外に出る。
大使館差し回しの乗用車が止まっていた。
この寒さは自分を追い出そうとしているのか、それとも逃がさないようにしているのか。智子には、意思のあるものが問いかけしているようにも感じられた。
乗り込もうとしたら、サイレンが鳴った。
『警報、警報。黒色ネウロイがラドガ湖北部上空で目撃されました。ネウロイはミッケリ方面に飛行中』
黒いネウロイだ。
いや待て、ミッケリはちょっと奥まったところにあるから目標ではないだろう。本当の攻撃目標はインモラかスール=メリヨキ、ひょっとしたらここラッペーンランタじゃないのか。
防空壕への避難命令が出される。第24戦隊もこの基地の第一中隊も出払っているのだ。守るものがいない。
「早く行こう」
佐久間が言った。
「基地から離れれば爆撃されることもないだろう」
智子はなおも動かず、基地内の放送に耳を傾けていた。
『……関係のないものは防空壕に避難してください。滑走路上にいるものはただちに退避。義勇独立飛行中隊が出撃します。繰り返します、滑走路上にいるものは……』
「えっ!」
思わず声を出す。
格納庫からストライカーユニットを装着したウィッチたちが姿を現した。滑走路へと進み、離陸していく。先頭はハルカ、続いてウルスラ、オヘア。最後尾がエルマ。全員左右にふらつきながら上昇する。
――四人。
四人だけだ。
智子は、滑走路の端を凝視した。
白い装甲はいない。あの日から、格納庫にも、食堂にも、滑走路にもいない。誰も何も言わない。彼女が聞かなかったからだ。
基地上空で編隊を組もうとしているが、うまくいかない。エルマはこのときの指揮が下手だ。ウルスラのHe112の速度に合わせようとしてしまう。そうじゃなくて他のみんなで編隊組んで、あとでウルスラについて来させればいいのよ。何回もやったでしょう。
彼女たちはなんとか不恰好な編隊を組むと、よたよたしながら北へ向かう。装備はバラバラで古臭い。
あの娘たちは出来が悪い。特技といえばろくに飛び立てないか、明後日の方向に銃撃するか、見当違いの方へ飛んでいくか、着陸でミスをするかくらいだ。
それでもあの娘たちは躊躇っていなかった。
全員がスオムスの空を守るために飛び立っていく。最初で最後の出撃だろうと、あらん限りの力を振り絞る。
それが義勇独立飛行中隊で、いらん子中隊に課せられた使命なのだ。
(なのに……なのに……!)
私は、こんなところでなにをしているんだ。
智子の奥歯ががりっと音を立てる。
あの娘たちは、こんな自分のために身を投げ出して助けてくれた。基地まで引っ張ってくれた。そしてまた出撃だ。そんな姿を見ているだけなんて。
――そして、もう一つ。
私はまだ、あいつに何も言っていない。
助けられたことへの礼も、置き去りにしたことへの詫びも、「使う」なんて言ったことへの訂正も、何ひとつ。
このまま車に乗って、ヘルシンキで乾杯して、船に乗って、扶桑に帰って、勲章をもらう。
そんなことを、あの男が黙って見送るのを、私は許すのか。
いつの間にか雪が降っていた。智子の肌に落ち、体温でたちまち溶ける。
自然と足が動く。最初はゆっくり、徐々に速く。最後は駆け足となった。
「おい、穴拭少尉、なにをしてるんだ! 戻りたまえ! 穴拭少尉!」
佐久間中佐の声はもう耳に入らない。全力で疾走しながら格納庫へと飛び込んだ。
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