スオムスいらん子中隊 Re:lease   作:それいゆ

25 / 52
閑話「頼れる同い年」

---

 

 

エルマ・レイヴォネンは、自分が中隊長であることを、いまだに一日一回は忘れる。

 

正確には、忘れたい。

 

なので誰かに「中隊長殿」と呼ばれるたびに、背筋が伸びると同時に、胃のあたりがきゅっと縮む。この二つの反応が同時に起こる人体構造について、彼女はいつか誰かに説明してほしいと思っている。

 

そんな彼女が、ここ直近で最も頻繁に助けられた相手は、隊で唯一の男性隊員であった。

 

これは事実として認めるほかない。

 

書類の様式が分からなければ教えてくれる。整備や補給の間に入る。ファロットが咳き込めば予熱を教える。夜中に司令部への報告書を書いていれば、翌朝コーヒーが出てくる。

 

そして、必ず「中隊長」と呼ぶ。

 

彼は階級と役職に則って、きちんと立ててくれていた。

 

だから最初のうち、エルマは彼のことを「非常に礼儀正しい部下」として認識していた。

 

だが。

 

「ハルカ、前」

 

「はいっ!」

 

「ウルスラ、三度目だ」

 

「二度目です」

 

「フレデリカ、やめろって言っただろ」

 

「呼び方は覚えたな」

 

「智子、蹴るな」

 

「蹴ったら直ることもあるでしょ」

 

「ない」

 

——あれ、と思った。

 

役職と階級を取り払ったところの彼は、まったく別種の生き物だった。

 

気さくで、口が回り、相手によって語調を器用に変える。断り方すら柔らかい。誰にでも同じ距離で入り込んできて、しかも入り込まれた側は、入り込まれたことに気づかない。

 

たぶん、と、エルマは思った。

 

たぶんこの人は、これまで生きてきた中で、随分たくさんの勘違いと本気を、あちこちに作ってきたのだろう。

 

しかも、自覚が薄い。いや、自覚はあるのかもしれないが、あるうえで止められないのだ。それはもう性質というより体質に近い。

 

——罪深い男の子だ。

 

そう結論づけて、エルマは自分の思考に驚いた。

 

男の子。と思ったのである。

 

「少尉」でも「男性」でもなく。

 

そして気づいてしまった。

 

彼と自分は、同い年だ。

 

---

 

十五歳。

 

多感で敏感な時期であるが、ウィッチにとっては、そんなことは関係ない。魔力のピークが来る年齢であり、飛べる年齢であり、飛ばされる年齢である。成長の階段を、休むことを許されないまま登り続けている最中の年齢。

 

エルマにとって十五歳とは、そういう意味しか持っていなかった。

 

湖で鴨を撃って、家族の冬を越し、飛行学校に入った十五歳までの人生。

 

ボロのファロットを押しつけられ、誰もいない中隊に一人で放り込まれ、そして中隊長にされた。

 

十五歳になってから、彼女は一度も「十五歳らしいこと」を考えたことがない。

 

考える暇がなかった、というのが正しい。

 

だから、これは油断である。

 

---

 

その日は、報告書がなかなか終わらなかった。

 

黒いネウロイ撃墜に関する詳報である。スオムス空軍司令部に上げるもので、書式が厳密で、しかも項目が多い。交戦経緯、使用兵器、消費弾薬、損害、そして所見。

 

所見の欄で、エルマの手は止まった。

 

——なんて書けばいいんだろう。

 

「全員でシールドを張って突っ込みました」では駄目だろう。「ハルカさんが眼鏡をかけたら当たりました」も駄目だろう。「穴拭少尉が刀で斬りました」は事実だが、司令部の誰かに信じてもらえる気がしない。

 

ランプの油が減っていく。

 

ストーブの薪も、そろそろ足りない。

 

「……はぁ」

 

「まだやってたのか」

 

顔を上げると、扉のところに彼が立っていた。

 

「あっ、中川少尉。すみません、うるさかったですか」

 

「いや。明かりが漏れてたから」

 

彼は室内に入ってきて、まず薪をストーブに二本くべた。それから机の上を覗き込んだ。

 

「所見か」

 

「はい……。あの、なんて書けばいいのか分からなくて」

 

「書式通りでいい。『複数機による密集編隊を組成し、シールドを重畳展開のうえ接近。ロケット弾により外殻を破砕、コアを直接攻撃して撃破』」

 

「……はやい」

 

「読み手が知りたいのはそこだけだ。眼鏡の件は書かない方が多分いい。書いたら本人が泣く」

 

「そ、そうですね」

 

エルマは慌ててペンを走らせた。

 

しばらく、ペン先の音とストーブの音だけがした。

 

書き終えて、彼女は大きく息を吐いた。

 

「……ありがとうございます。助かりました」

 

「いや」

 

「あの、私、いつも助けてもらってばかりで」

 

「そんなことはない」

 

「そんなことあります」

 

エルマは俯いた。

 

「私、中隊長なのに。皆さんに命令する立場なのに。書類も分からないし、訓練の指導もアホネンさんに聞きに行ってばっかりで、飛べば真っ先に逃げ出すし……」

 

言いながら、声が少し湿った。

 

言うつもりのなかったことだった。だが夜と、ストーブと、報告書の疲労が、蓋を緩めていた。

 

「ほんとは、誰か他の人が中隊長をやるべきだったんです。私じゃなくて。私は、ただ、余ってただけで」

 

「エルマ」

 

顔を上げた。

 

彼は、へらりと笑っていた。

 

三枚目の、あの、いつもの顔で。

 

「これ、なんて書くか分からないって言えるのは、隊長だけだぞ」

 

「……え」

 

「他の連中は書かなくていいんだ。書くのはお前だけだ。だから、分からないと言う権利もお前にしかない」

 

「……」

 

「それを言えるやつが隊長やってんのは、いいことだ」

 

エルマは、しばらく黙っていた。

 

それから、ようやく気づいた。

 

いま、名前で呼ばれた。

 

「中隊長」でも「レイヴォネン中尉」でもなく。

 

——エルマ、と。

 

胸の内側で、何かが小さく音を立てた。

 

ちょうど、いま彼がくべた薪が、ストーブの中でぱちんと爆ぜたのと同じ音だった。

 

冷え切っていた部屋の空気が、ゆっくりと動き出して、指の先まで熱が回っていくような。

 

そういう感覚だった。

 

「……」

 

「エルマ?」

 

「あっ、はいっ!」

 

「顔、赤いぞ。ストーブ近すぎだ」

 

「そ、そうですね! 近いです! 近すぎます!」

 

彼女は椅子ごと三十センチほど後ろに下がった。

 

尚樹は特に気にした様子もなく、空になったカップを拾い、「早く寝ろよ」と言って部屋を出ていった。

 

扉が閉まる。

 

エルマは一人になった部屋で、しばらく机に突っ伏していた。

 

襟の中から、ミンクがもぞもぞと顔を出して、主人の頬に鼻先を寄せる。

 

「…………ミンクちゃん」

 

「きゅう」

 

「私、たぶん、いま」

 

彼女は自分の頬を両手で押さえた。

 

「たぶん、十五歳をやってました」

 

ミンクは何も答えず、主人の首筋を一度だけ舐めた。

 

---

 

翌朝、エルマは普段通り、少しおどおどした中隊長として滑走路に立った。

 

普段通り、号令をかけ、普段通り、噛んだ。

 

ただ一つだけ違ったのは、報告書の一番下の署名欄を、彼女がいつもより丁寧に書いたことだった。

 

義勇独立飛行中隊 中隊長 エルマ・レイヴォネン中尉

 

書いてから、少しだけ嬉しくなって、その字をしばらく眺めていた。

 

---

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。