なんだここは、北海道か、というのが最初の印象だった。
延々五週間近くかけてガリアのブレストまで船旅。そこから船を乗り換えて、今度はバルトランドのストックホルムに到着。
何故か連絡が行っていなくて現地の大使館と意味のないやりとりをしつつ、ようやく輸送機の座席をあてがわれてスオムスのヘルシンキへ。またまた乗り換えてウッティという聞いたこともない飛行場にやってきた。
ちなみにこの「何故か連絡が行っていない」という事象は、ブレストでも、ストックホルムでも、ヘルシンキでも、律儀に三回繰り返された。
三回目には智子も慣れてきて、大使館の職員が電話に向かって「いえ、ですから、ウィッチ二名と、その、航空歩兵の海軍少尉が一名で……はい、男性です。はい、男性なのです」と繰り返しているのを、椅子に座って眺めているだけになった。
隣の尚樹は書類の束を膝に置いて、一言も文句を言わずに待っていた。
「あんた、腹立たないの」
「立たないな」
「立てなさいよ。あんたのことで揉めてんのよ」
「揉めてるのは俺の書類だ。俺じゃない」
そういう言い方をする。
くだらない屁理屈。昔からそうだ。
だが智子は知っている。書類が揉めるということは、つまりこの男を入れる欄が最初から用意されていないということだ。
名簿の様式に「男」を書く場所がないから、毎回、担当者が困った顔で余白に書き足すことになる。
ウィッチと並び、ウィッチと同じ名簿にいる尚樹に対する現地の扱いは、決して暖かくは無かった。
というか、別に智子たちに対しても割と雑だった。
宿舎の割り当ては行き違い、迎えの車は来ず、食事は冷めており、通訳は途中でどこかへ消えたからもう最後の方は尚樹が直接話してたのでアイツが通訳だと思われてた。
極東からわざわざ来た義勇兵に対する歓待というものは、この国には存在しないらしい。
この異国の人々が尚樹に向けるそれが悪意や差別ではないことも、智子には分かっていた。
ただひたすらに、「男」の航空歩兵に対する困惑なのである。
すれ違う兵が二度見する。整備員が目を丸くして手を止める。誰も嫌な顔はしない。ただ、どう扱えばいいのか分からない、という顔をする。挨拶をするべきなのか、敬礼をするべきなのか、そもそも自分たちと同じ空を飛ぶ者として認めていいのか。判断がつかないまま、視線だけがまとわりつく。
異物である以上仕方がない事を、当人は理解していた。
「見られ慣れてるからな」と、ヘルシンキの待合室で尚樹は言った。「扶桑でも最初はそうだった」
智子は返事をしなかった。
――自分が尚樹を初めて見た時の反応は、こんな物では無かった。
「新兵装の適合者だかなんだか知らないけど、ウィッチと一緒になるからってスカして優男気取ってるのが気に入らない」
腕を組んで鼻を鳴らして、遠巻きに睨みつけていた。困惑どころではない。あれは明確な敵意だった。
そのことを完全に棚に上げて、智子はこの国の連中の目つきが心底気に入らなかった。
なんなのだ。この男は、あの海で、あの大陸で、あの山の下で、何をしてきたのか知らないのか。
知らないのだ。当然だ。誰も報道しなかった。誰も名前を出さなかった。表向きの階級しか与えられなかった男を、地図の端の国が知っているはずがない。
だからこそ――と、智子の中で目的がハッキリした。
あいつはどうしても白い目でみられる。これは仕方がない。
だが、扶桑ではそんな空気を、アイツ本人が空を飛ぶ者としての実力(と、認めたくないが人の良さと善性と人間力)で覆してみせた。
なら、ここでも同じだ。
今回は私がいるのだから、すぐだろう。
そう考えると、なんだか気分が持ち上がってきた。スオムス左遷という屈辱の辞令も、こうなると悪くない。私が隣で戦果を挙げてやれば、あいつの評価も勝手に付いてくる。二人まとめて認めさせてやれば、武子への借りも返せる。
自分への過信と、去勢と、そのどちらでもない何かが混ざり合って、智子の胸の中で都合よく膨らんでいった。
そして輸送機から放り出されて、冒頭の印象となった。
窓のない機体から下ろされ、強張る身体をほぐそうとしたら寒風に晒される。安っぽい木造の飛行場施設はともかく、あとは森と雪しかない。だからここは扶桑国内かと考えたのだが、実は彼女は北海道に行ったことがなかった。
「ぶるる……寒い、寒い」
隣ではハルカが手を擦り合わせ、何度も足踏みしている。三人とも扶桑から持ってきた防寒コートを着用しているが、なんの役にも立っていない。ヘルシンキで仕入れた情報によれば、今年の冬はこれまでにないほどの寒さであろうとのことであった。
「十一月でこれなんだから、来月になったらどうなるかしらね……」
智子が咳く。聞きつけたハルカが言った。
「でも智子お姉様、とっても綺麗ですよ。ほら、雪が舞ってます」
粉雪が空中をくるくる舞っていた。上から下に落ちるのではなく、時には横に、時には回転して目を楽しませている。
ハルカが目を潤ませて「素敵です……」と咳いていた。
「飛び去った輸送機のプロペラ後流だぞ、それ」
「言わなくていいでしょそういうこと!」
尚樹の余計な解説に、智子は反射的に噛みついた。ハルカが「ええっ」と情けない声を上げる。
太陽光を浴びて輝きながら不規則に散るのは確かに美しいが、智子は雪なんぞ見ている余裕はなく、九七式戦闘脚の魔導エンジンがちゃんと始動するかどうか、智子お姉様というのを止めてくれないかと考えていた。
建物から一人の女性士官がこっちにやってきた。
眼鏡をかけており理知的な雰囲気で、北欧の写真に出てきそうな美形だ。この寒いのにどういうわけか白い息を吐いておらず、ハルカが「あの人、生きてるんでしょうか」と失礼なことを咳いていた。
その士官は三人の前で足を止め、まず智子を見て、次にハルカを見て、それから尚樹を見た。
視線が三秒ほど止まった。
「ようこそ、スオムスへ」
だが彼女はそれだけだった。眉一つ動かさず、驚きも困惑も見せず、そのまま続けた。
「スオムス空軍第28戦隊のハッキネン大尉です」
自分たちより階級が上と知り、急いで智子とハルカは敬礼をする。尚樹も一歩下がった位置から敬礼をした。それぞれ自己紹介をした。ハッキネンは隙のない答礼をした。
「ただ今をもって、皆さんは義勇独立飛行中隊の所属となります」
「わっ、分かりました!」
背筋を伸ばしてしゃちほこばったのはハルカだ。智子はどちらかといえばつまらなそうな顔。ハッキネンは智子をちらりと見てからハルカに言う。
「生きています」
「え……?」
「あらかじめ口に雪や氷を含んで冷やしておけば、息が白くならないのです。狙撃兵の基本テクニックです」
聞こえなかったはずの言葉に答えられ、ハルカは驚きながら身体を小さくする。恥ずかしくなりながら訊いた。
「ハッキネン大尉は狙撃兵なんですか……?」
「まさか」
「でも基本テクニックって……」
「他の隊員たちはすでに到着しています。こっちへ」
ハルカの疑問を無視し、彼女は二人をうながす。背を向けて歩いて行く姿に、智子は戸惑った。
「……車は?」
「そんなものはありません。貧乏なので」
「軍隊って、わりと優先的に色んなものが使えるもんだけど……」
「ずっとそこにいたければ、どうぞ」
こんな寒い中、置き去りにされてはかなわない。三人は急いで歩き出す。幸い飛行場内は除雪されているので、それほど苦労はなかった。
とはいえそれも滑走路近くだけのことで、やや離れたところにある建物に近づくにつれ、雪は積もるがままにされている。人が一人通れるだけの道はあるが、へたをするとラッセルしながら進む羽目になるところだ。
その細い道を、尚樹が先に立って歩き出した。踏み固めながら進むので、後ろの二人は歩きやすい。ハルカが「あっ、これ楽です」と素直に感心し、智子は黙ってその背中の後ろについた。
ウッティの基地は大きい。それもそのはず、ここはスオムスでも古くからある基地の一つなのだ。だから敷地が広いわりには建物が古い。ウィッチの訓練はこことボスニア湾近くにあるカウハバ基地でほぼ二分されていた。
「ハッキネン大尉が第28戦隊の指揮官ですか?」
智子が訊く。ハッキネンは前方を見ながらうなずいた。
「そうです」
「飛んでるんですね」
「いいえ。私は元ウィッチです。魔力をなくしました」
ウィッチはだいたい十歳前後で魔力を発し、十代後半にピークを迎える。そして二十歳になると力を急速に失っていく。ハッキネンもその例に漏れなかった。もっとも個人差があって、ごく少数だが二十歳をすぎても平気で飛ぶ例が存在する。
力をなくしたウィッチたちは大半が地上勤務、あるいは教官となり、一部は退役する。ハッキネンは飛ばないまでも指揮官として留まっていた。
「義勇独立飛行中隊の指揮は執りません」
先回りするように彼女は言う。
「指揮官は別にいます。現役のウィッチです」
「それはいいんですけど、『独立』なのに戦隊指揮下? 独立してるなら、もっと上位の命令を直接受けるんじゃないですか」
「全ウィッチがスオムス空軍司令部の直接指揮下にあります。同じようなものですよ」
独立とつけたのは、単にそれらしいからでしょうねとハッキネンは説明した。
そこで彼女は、歩きながら初めて後ろを振り返った。
「中川少尉」
「はっ」
「あなたの所属について、司令部から三度電報が来て、三度違うことが書かれていました」
「……申し訳ありません」
「謝罪は不要です。四度目が来るまでは、義勇独立飛行中隊に置きます。それでよろしいですか」
「はい」
「装備の要求書は明日までに。整備班にあなたの機体を扱った者はいませんので、詳細を添えてください」
「承知しました」
淡々としたやりとりだった。歓迎もなく、拒絶もなく、ただ処理があった。
智子はそのそっけなさに、意外なほど腹が立たなかった。
――ああ、そうか。この女は困惑もしないのだ。
それはそれで、一つの誠実さのように思えた。
そうしているうちに到着する。
着いたところはまるで学校みたいな建物だった。
見かけは古く、中も古かった。元はどこかの民間会社が入っていたらしい。
いい加減古びてきたのと、戦乱の空気が漂ってきたので撤退したのだそうだ。その跡を再利用している。
入り口にはスオムス語で「空軍第28戦隊司令部」と書かれた看板が掲げられている。三人は行きの船内でスオムス語を詰め込んだため、かろうじて読めた。
「ブリーフィングルームに案内します」
ハッキネンが扉に手をかける。
その向こうで、誰かが盛大に何かをぶちまける音が響いた。
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