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元々そういう質だったのか、それとも名前を許した途端に何かの箍が外れたのか。
エリザベス・フレデリカ・ビューリングには、判断がつかなかった。
「フレデリカ」
「なんだ」
「コーヒー」
「自分で淹れろ」
「フレデリカの方がうまい」
「嘘をつけ。お前の方が上手いだろう」
「バレたか」
「一秒でバレたぞ」
「じゃあ淹れて」
「なぜだ」
こういうやりとりが、ここ数日で異様に増えた。
以前は「ビューリング少尉」と呼び、一歩下がった位置から必要なことだけを言う男だった。それが名前を許した翌日から、するすると距離を詰めてきた。
呼ぶ。頼む。冗談を言う。断られると拗ねる。拗ねた顔をわざとらしく作って、こちらが折れるまで待つ。
うざったらしいことこの上ない。
——だが。
さして悪い気がしない、というのが、彼女の癪に障るところであった。
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その夜も、そうだった。
「フレデリカ、暖房が死んだ」
「知るか」
「俺の部屋、元物置なんだよ。煙突が詰まってる」
「明日直せ」
「今夜死ぬ」
「死ね」
「ひどい」
そう言いながら、彼は部屋の床に勝手に座り込んだ。
ビューリングは咎めなかった。咎めるのが面倒だったのと、咎める理由を探すのがもっと面倒だったからである。
しばらく、他愛のない話をした。
ハリケーンの脚周りのこと。ウルスラの三度目の失敗。オヘアの離陸。エルマがまた徹夜していたこと。
それから、彼女の話になった。
正確には、彼女があの湖畔で話した内容の、その後の話に。
「オストマルクのあれ、あのあと監視航空団はどうなったんだ」
「解散した」
「そうか」
「名簿は残っているらしいが、名簿だけだ」
「……そうか」
短い返事だった。
そこで、ビューリングは思い出す。
彼女があの話を最初にした夜、この男は何と言ったか。
——何も言わなかったのだ。
同情もしなかった。慰めもしなかった。「大変だったな」も「気の毒に」も言わなかった。
戸惑いすら見せなかった。
代わりに、深い、深い沈黙があった。
湖の風の音だけが続いて、彼はただ黙って立っていた。あれは、言葉を探して黙ったのではない。言葉が要らないから黙ったのだ。
——あれは、同類を見たときの沈黙だ。
ビューリングは確信している。
こんなに軽薄で、こんなに人懐こくて、こんなに甘えてくる十五歳のくせに、道理だけは誰よりも知っている。
命の価値も、その呆気なさも。
話など一度も聞いていないが——奪った感覚も、失った感覚も、この男はよく味わってきたのだろう。
そうでなければ、あの沈黙は出ない。
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「……フレデリカ」
「なんだ」
「眠い」
「部屋に帰れ」
「煙突が」
「知るか」
「じゃあここで寝る」
「おい」
返事はなかった。
十秒後には、本当に寝息が聞こえていた。
ビューリングは呆れて天井を仰いだ。
甘えきって満足したのか、構うのに飽きたのか、あるいは単に疲れていたのか。脈絡というものが一切なかった。
床に転がった飛行服の背中を、彼女はしばらく見下ろしていた。
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奇妙な感覚だった。
彼女は、自分の性別を使う気など微塵もない。
そういうやり方で得たものを、彼女は信用していないし、そもそも面倒くさい。軍規違反八十二回の人生において、彼女は一度もそれを武器にしたことがない。
だが、それとは別に。
ウィッチである以上、素行不良のダメ軍人であっても、否応なく気を遣われてきた。
営倉に入れられても、看守は目を合わせない。軍法会議にかけられても、判決の前に必ず「貴重な人材である」という一文が入る。輸送機では席を譲られ、宿舎では一番いい部屋を割り当てられ、酒場では代金を取られない。
守られる側。使い潰される側。触れてはいけない側。
十八年間、彼女はその扱いの中にいた。
その感覚と——女の部屋の床で雑魚寝を始めた男の存在が、あまりに相反しすぎていた。
「……なんなんだ、お前は」
彼女は呟いた。
そして、なぜか、自分も腰を落とした。
床に身を預け、横に体を這わせて、並ぶ。
木の床は冷たかった。ストーブの熱が届くのは膝から下だけだ。それでも彼女はそこに寝そべった。
至近距離に、寝顔があった。
煤の跡が耳の後ろに残っている。睫毛が思ったより長い。首筋に、古い傷が一本走っている。
十五歳の顔だった。
タバコでむせて涙目になった、あの顔と同じだった。
「…………」
魔が差した、としか言いようがなかった。
彼女は、ぐっと顔を近づけた。
鼻先が触れそうな距離まで。
そこで。
ギッ。
ボロの床板が軋む音が、すぐ横で鳴った。
「————ッ!!」
ビューリングは飛び起きた。
本当に、彼女らしくもなく。本能と理性の両方に力任せに引き戻され、無理やり正気に戻された格好だった。
心臓が跳ねている。息が浅い。
こんなの、誰に見られても終わる。
隊が終わる。自分が終わる。この男の立場が終わる。
特に——あいつに見られたら。
鞘に収まったままである保証は、どこにもない。
エリザベス・フレデリカ・ビューリングは、人生で数度と作ったことのない表情になっていた。
そして、恐る恐る、音の出所を見た。
自分の使い魔だった。
胴の長い茶色の犬が、男の腹に自分の臀部をぴったり預けて座り込んでいる。座り直したときに床板が鳴ったらしい。
犬は、キョトンとした顔で飼い主を見上げた。
「…………」
「くぅ?」
「…………おい」
「わふ」
ビューリングは両手で顔を覆った。
「……お前が、私の理性か」
「わふ」
「情けない話だ」
犬は尻尾を一度だけ振り、そのまま男の脇腹に頭を乗せて丸くなった。
床の男は、まったく起きなかった。
心底、腹立たしいほど無防備だった。
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翌朝。
「フレデリカ、なんで俺、床で寝てたんだ」
「知らん」
「毛布かかってたけど」
「知らん」
「あと犬が乗ってた」
「そいつに聞け」
「わふ」
「……フレデリカ、なんか怒ってるか?」
「怒ってない」
「怒ってる」
「怒ってない!」
「怒ってるじゃん」
彼女は新しいタバコを咥え、火を点けた。
そして煙を吐きながら、実に苦々しく言った。
「……お前は、もう少し戸締まりというものを覚えろ」
「ここ、お前の部屋だぞ」
「そういう話をしているんじゃない」
「意味が分からん」
「分からなくていい」
分かられたら困る、というのが本音だった。
「きゅー」
自分を前にして会話をされるので、犬は高い声で鳴いた
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