翌日は珍しいことに、雪ではなく雨だった。
寒波がひと休みしたらしく、明け方にみぞれになったかと思ったら雨に変化した。
義勇独立飛行中隊の朝食はライ麦パンにベーコン、豆のスープ。それに牛乳。ジャガイモはカールスラントからの輸入が途絶えがちなのでついていない。
——というのが、配給の内訳である。
実際に食堂のテーブルに並んでいるものは、少し違った。
「……なにこれ」
智子が皿を見下ろした。
豆のスープの表面に、緑色のものが散らしてある。細かく刻まれた何かだ。パンの脇には、赤みがかった何かを塗った小皿。ベーコンの下には、薄く切った黄色いものが敷いてある。
「食えるぞ」
厨房から出てきた尚樹が、布巾で手を拭きながら言った。
「緑はディル。乾燥したのが倉庫に山ほどあった。赤はコケモモを煮詰めて塩を入れたやつ。黄色は蕪だ。生でも食える」
「……なんでこんなことしてんの」
「見ろよ、この食堂」
彼は手で全体を示した。
「木の壁、木の机、木の椅子、灰色のスープ、茶色いパン、白い牛乳。外は雪だ。全部同じ色だろ」
「そうだけど」
「毎日それだと、飯が作業になる。色があるだけで、飯が飯になるんだよ」
「……そういうもの?」
「そういうもんだ」
彼は当たり前の顔で椅子に座り、自分の分のスープを飲んだ。
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これは、癖なのか、趣味なのか、それとも気遣いなのか。
義勇独立飛行中隊の面々には、いまだに判別がついていない。
分かっているのは、この男はどんな場所でも厨房に入り込むということだけである。
浦塩でもそうだったらしい(智子談)。舞鶴でもそうだったらしい(智子談)。ウッティでもそうだったし、ラッペーンランタに来てからは三日目に厨房の鍵を渡されていた。
そして必ず、その土地にあるもの全部を使って、色味のない食事に着色していく。
コケモモ。ディル。蕪。ときには乾燥した苔と間違えられて捨てられかけた何か。
「……あの」
エルマがおずおずと手を挙げた。
「これ、どこで覚えたんですか」
「なんとなくだ」
「なんとなくで、コケモモを煮詰めて塩を入れますか?」
「入れるだろ」
「入れませんよ!」
エルマは自分の皿を見下ろした。
彼女はこの国で生まれ育っている。コケモモは子供のころから毎年摘んでいた。ディルも家の裏に生えていた。蕪は冬の主食に近い。
全部、彼女の方が先に知っていた食材である。
なのに、こういう使い方は思いつかなかった。
「私、スオムス人なんですけど」
「そうだな」
「私の方が長く食べてきたんですけど」
「そうだな」
「なんでですか!?」
「知らん。うまいだろ?」
「うまいです!」
「じゃあいいだろ」
エルマは黙って豆のスープを飲んだ。
うまかった。腹立たしいほど、うまかった。
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その真向かいで、ハルカがパンにコケモモを塗りながら、実に複雑な顔をしていた。
「智子少尉」
「なによ」
「私、菓子が作れます」
「知ってるわよ」
「趣味がお菓子作りだって、自己紹介でも言いました」
「言ってたわね」
「……あの人、私より上手いです」
「そうね」
「即答しないでください!」
ハルカはパンを握りしめた。
「おかしいと思いませんか。私、扶桑撫子として育てられたんです。お母様に散々言われました。真の扶桑撫子は大海を知り、家を治め、良き伴侶となるものだと」
「あんたの家、変よね」
「そこは今いいんです。とにかく、私は一応そういう教育を受けてるんです。裁縫も、料理も、一通りは」
「うん」
「なんで負けてるんですか!?」
「知らないわよ」
「昨日なんか、私の飛行服の裂けたところを縫ってくれたんですよ! 縫い目が、私より、細かいんです!」
「あー」
智子は遠い目をした。
「あいつ、浦塩でも縫ってたわ」
「なにをですか」
「圭子の軍服。あいつ、生地の裏に補強まで入れてたのよ。圭子が『嫁に行ける』って笑ってた」
「勝てません」
ハルカは机に突っ伏した。
「智子少尉、私、女としての存在意義が」
「大袈裟ね」
「大袈裟じゃありません! 私の武器、お菓子だけなんですよ!」
「射撃も上手くなったじゃない」
「それは戦いの話です!」
「戦争してるんだから戦いの話でいいでしょうが」
「よくありません!!」
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離れた席で、ビューリングがスープをかき混ぜながら鼻を鳴らした。
「気にするな。あれは異常者だ」
「ひどい言い方ですね」
「異常だろう。十五歳の男が、コケモモの煮方を知っている理由が説明できるか」
「できません」
「ならば異常だ」
「同意します」
ウルスラが正確な動作でパンを口に運びながら言った。
「私はすでに三度、彼から菓子の製法を教わることを検討し、三度とも断念しました」
「なんでですか」
「本人に教わると、私の技能習得の目的が本人に露見します」
「え? 目的ってなんですか」
「なんでもありません」
「ウルスラさん?」
「なんでもありません」
「オー、ミーは気にしないねー」
オヘアは牛乳を一気に飲み干した。
「ミーは料理できませーん。一生できないと思いまーす」
「威張るところじゃないわよ」
「だから作ってもらえばいいねー! 合理的でーす!」
「あんたのそういうとこ、たまに羨ましいわ」
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食事が終わるころになると、ハッキネンがやってくる。
「皆さん」
彼女は前置き抜きで話をはじめた。
「昨日伝えた通り、地上支援はしばらくおこないません。ですが義勇独立飛行中隊の皆さんには別任務があります」
智子がはっとして顔を上げた。
「ヘルシンキより補充のウィッチがやってきます。彼女たちを迎えに行ってください」
「…………は?」
「我が軍にはレーダーなどという立派なものはありませんし、悪天候なので誘導するウィッチが必要だからです」
「いやそうじゃなくて……私たち一応実戦部隊ですよ?」
「そうですね」
「政治的な産物というか……。まあ、会えば分かります」
ハッキネンは出発時間と会合地点を告げると、去り際に厨房の方を一瞥した。
「中川少尉」
「はい」
「昨日の夕食のあれは何ですか」
「コケモモです」
「……主計科が、あなたに勲章をやりたいと言っていました」
「それは困ります」
「困りなさい」
彼女はそれだけ言って出ていった。
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「……私たちってここまで落ちぶれたの?」
「そもそも落ちぶれていなかったことがあったのか」
「黒いネウロイを倒したから有名になったと思ったけど、そのままねー」
「基地の掃除をやらされるのとどっちがマシか、考えどころだ」
「見方によっては重要人物を任されたとも言えますが」
ウルスラが言う。
「ひょっとしたら我々だけにしかできないことかもしれません」
「むしろ子供のお使いねー」
「年齢を見れば、我々は子供と呼ばれてもおかしくはないです」
皆、思わず苦笑した。
「命令だから従いまーす。でもせめてものすごい重要な人物がいいね。実はカールスラント皇帝だったとか」
「重要すぎて困るわよ」
「誘拐して身代金を要求できるねー」
「とんだ反骨精神ねえ」
「私も小さいころは銀行強盗をやってみたかった」
「似たようなものね。どっちも銃をぶっぱなすねー」
「……お前ら」
厨房から皿を下げに来た尚樹が、げんなりした顔をした。
「朝から物騒な話をするな。飯がまずくなる」
「あんたの飯がまずくなるわけないでしょ」
「……お前、今なんて言った」
「なにも言ってない」
「言ったろ。今、褒めたろ」
「言ってない!」
「ハルカ、聞いたか」
「聞きました! 智子少尉が褒めました!」
「言ってない!!」
エルマが手を叩いた。
「さあ、任務は任務です。銀行強盗とまでいかなくても、給料分働きましょう」
食堂内にはもう義勇独立飛行中隊の面々しかいない。
彼女たちは文句を言いながらも出発準備に入った。
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