---
スオムス人ではない。顔つきと肌の色に南欧の香りがする。
年の若さと軍の制服から、ウィッチだと判別がついた。
連れらしき人間はいない。乗ってきた車か橇があるはずなのだが、荷物みたいに放り出していったようだ。
「ちょっと、ねえ」 ただ立ち尽くしているので、こちらから声をかける。
「あんた、ウィッチよね?」 少女は小さくうなずいた。智子はさらに訊く。
「ラッペーンランタ基地に用?」 またうなずく。
「インモラやスール=メリヨキじゃなくてここ?」 三度うなずいた。
「ここにいるのは私たち義勇独立飛行中隊なんだけど、本当にいいのね?」
少女はやはり首肯した。 スオムス人ではないのだから、義勇独立飛行中隊だろうと見当はついた。
それでも質問したのは、連絡担当官だったりすると困るからだ。
いらん子中隊は人手不足だが、まだ人さらいには手を出していない。
「私は穴拭智子。こっちは迫水ハルカ」 と紹介しつつ、 「あんたは?」
智子の質問に、そのウィッチは機械的な口調で答えた。
「ロマーニャ空軍所属……ジュゼッピーナ……」
彼女は記憶を探るように首を傾ける。やがて言った。
「…チュインニ。ジュゼッピーナ·チュインニ准尉」
「准尉殿ですか、すごいんですね!」 ハルカが感嘆していた。
前線で戦う兵士たちが一番尊敬し、かつ畏れるのは士官ではなく下士官である。
経験豊富なたたき上げなので皆厳しく、それでいて生き残る知恵を授けてくれる。
その下士官の中でも最上位階級なのが准尉である。
少尉相当の地位であり、よほどの戦功を挙げたものと推察された。
チュインニは癖のある銀髪で幼さを残した顔立ちであり、激戦をくぐり抜けてきたようには見えない。
なので智子はしばらく理解するのに時間がかかった。
「そ、そう。とりあえず中に入ったら。寒いでしょう」 チュインニは何故か動かない。じっと智子を見つめていた。 「……った」 小声でなにか言っている。智子は聞き返した。
「なに?」 「よかった……あなたに会えて」
「な!!!!」
ハルカが騒がしかったので中略
食堂に沈黙の帳が下りたあと。
チュインニは、実に自然な動作で立ち上がった。
そして、テーブルの端に座っていた男の隣まで歩いていくと、当たり前のように椅子を引いて座った。
「……あの」
エルマが手を挙げた。
「チュインニさん、そこで大丈夫ですか」
チュインニはうなずいた。
「あ、はい、そうですか……」
ハッキネンの説明が終わり、皆が席を立つ。
チュインニも立ち上がった。
そして、隣にぴたりと引っ付いたまま動かなかった。
尚樹が右に寄る。ついてくる。左に寄る。ついてくる。
「……なあ」
「……」
「離れる気は?」
首を横に傾げる。疑問の意である。
「離れる気はないんだな」
うなずいた。
智子の眉が、はっきりと吊り上がった。
---
「あの、一応、確認なんですけど」
エルマがおずおずと切り出した。
「チュインニさん。私たちの隊、その、男の人が一人いるんですけど」
「……」
「気になりませんか?」
チュインニはきょとんとした。
「……えっと、ウィッチって、普通は女の子だけなので」
「……」
「気にならないんですね」
うなずいた。
「そうですか……」
エルマは複雑な顔をした。
記憶を失っているせいなのか、そもそもそういう感覚がないのか、あるいは南欧では違うのか。判断がつかない。
「オー、フレンドシップは国境も性別も超えるねー」
「オヘアさん、それ関係あります?」
「ないねー!」
「ないんですか!」
---
「智子の部屋でやろう」
こう提案したのはビューリングである。
「もし記憶が戻る過程で暴れ出されたら大変だ」
「私の部屋はどうなるの」
「最小限の被害で済むだろう」
「下手したら私の給料からさっ引かれるんだけど」
「きっとそうはならない」
「待ちなさい」
智子は両手を広げて通路を塞いだ。
「なんで私の部屋なのよ。あいつの部屋でやりなさいよ」
彼女は親指で、チュインニに引っ付かれている男を指した。
「あいつ、元物置に住んでるでしょ。壊れたって誰も困らないわよ」
「いや困る。俺が住んでる」
「あんたが困るだけでしょ」
「十分な理由だろ!」
「うるさい! だいたい、なんで私の部屋にあんたたち全員入ってくんのよ!」
見られて困るものが、特にあるわけではない。
行李の中身は着替えと予備の足袋と、あとは扶桑から持ってきた小物くらいだ。人に見られて減るものはない。
だが、単純に嫌なのである。
こいつらにぞろぞろ入られるのが嫌だし、そのうえこの男まで入れるとなると、輪をかけて癪に障る。
「私の部屋は駄目! 絶対に駄目! あいつの部屋でやりなさい!」
「智子少尉、なぜそんなに」
「理由なんかいらないの! 嫌なものは嫌なの!」
孤軍奮闘であった。誰も味方しない。
そして。
「……あのな」
尚樹が、実に何気ない調子で言った。
「"あの時"は俺の部屋だったろうが」
食堂の空気が、止まった。
智子の動きも止まった。
「…………は?」
「だから、俺の部屋を嫌がる理由がないだろって話だ」
「な、なんの話よ」
「なんの話って」
「なんの話!!」
「……お前が忘れたなら別にいい」
「忘れてない!!」
言ってから、智子は自分の口を両手で押さえた。
遅かった。
---
ハルカのアンテナが、反応した。
「…………いま」
「なによ」
「いま、なんて仰いました」
「なにも言ってない」
「言いました。『忘れてない』と」
「言ってない!」
「中川少尉、"あの時"とはいつですか」
「言えない」
「言えないんですか!?」
「言ったら斬られる」
「智子少尉!!」
ハルカが振り返った。目が完全に据わっていた。
「これはもう、看過できません」
「なにも看過することないでしょうが」
「では申し上げます。私の推理を」
「聞かない」
「時期は事変中。場所は中川少尉の私室。夜」
智子の肩が跳ねた。
「季節はおそらく冬。雪が降っていたと推察します」
もう一度跳ねた。
「そして——お二人は、なんらかの理由で、その場から動けなかった」
三度目である。
ハルカの目が、爛々と輝いた。
「当たってますね!?」
「当たってない!!」
「当たってます! 顔に出てます!」
「出てない!!」
「オー、智子、汗すごいねー」
「オヘアは黙って!」
ビューリングが煙草を咥えたまま、実に楽しそうに言った。
「動けなかった、というのは、なぜだ」
「知りません! でも動けなかったんです! そういう顔をしています!」
「ほう」
「ちなみに」
尚樹が、天井を見上げながら言った。
「手錠だ」
「言うなァァァ!!」
---
食堂の壁際に、箒が立てかけてあった。
エルマが先ほど、喧嘩が起きたら使うようにと言われて持ってきて、そのまま置いていたものである。
智子はそれを掴んだ。
「待て、落ち着け」
「落ち着いてるわよ」
「持ってるものが落ち着いてない」
「これはね」
彼女は箒を両手で構えた。
「正当な怒りなの」
「正当じゃない、俺は事実を言っただけだ」
「事実を言うなって言ってんのよ!!」
「理不尽だろ!」
「うるさい!!」
尚樹が逃げた。
食堂の椅子を蹴り倒しながら扉へ走り、廊下へ飛び出す。智子が箒を振りかぶって追う。
「待ちなさい!」
「待つわけないだろ!」
「一発だけ! 一発でいいから!」
「一発が致命傷なんだよお前のは!」
「智子お姉様ぁーー! 続きを! 続きを聞かせてください!!」
ハルカも走り出した。
「ミーも行くねー!」
オヘアも走り出した。
食堂に残されたのは、エルマとウルスラと、ビューリングと、チュインニだけだった。
「……あの」
エルマが呆然と言った。
「これ、記憶を取り戻す訓練ですよね」
「そのはずだ」
「なんで追いかけっこになってるんでしょう」
「いつものことだろう」
「いつものことでした……」
そのとき。
チュインニが、立ち上がった。
そして、走り去った方向へ、ぱたぱたと小走りについていった。
「あっ、チュインニさん!?」
「……面白いな」
ビューリングが煙を吐いた。
「あの娘、記憶はないが、目は死んでいない」
「え?」
「さっきから、あの男の後ろばかり見ている」
「それは、その、懐いてるからでは」
「かもしれん」
彼女は煙草を灰皿に押しつけた。
「だが、私にはああ見えた。——知っているものを見つけた顔だ」
廊下の向こうから、盛大な破壊音と、智子の絶叫と、尚樹の「本気で振るな!」という悲鳴が聞こえてきた。
「……とりあえず、部屋は中川少尉のところで決まりですね」
「そうなるな」
エルマは深いため息をついて、倒れた椅子を起こしはじめた。
---