・エルマ・レイヴォネン少尉の憂鬱
遡ること一ヶ月前。
「各国から"選りすぐりの"義勇兵が来る。君はその隊に所属する」
その一言を聞いた瞬間、エルマ・レイヴォネン少尉は、自分の人生にもようやく春が来たのだと確信した。
片田舎の飛行場で、ボロのファロットG.50を履いて、たった一人で哨戒に上がり、たった一人で凍えて帰ってくる日々。第二中隊への転属を言い渡されたと思ったら、その中隊にはウィッチが自分しかいなかったという、もはや部隊と呼ぶことすら憚られる状況。
そこへ
「選りすぐり」の「各国」の「エース」
「ど、どんな方たちなんでしょうか! 私、いっぱい教わりたいです! 空戦機動とか、射撃とか、あと、その、あの、生き残り方とか……!」
「名簿だ」
矢継ぎ早に紙束を渡される。
「ありがとうございます! 拝見します!」
「それと、もう一つ」
「はい?」
「君は義勇部隊の隊長だ。エルマ・レイヴォネン"中尉"」
「……はい?」
「昇進と辞令だ。おめでとう」
エルマは自分の耳が寒さで壊れたのだと思った。
「あの、あの、待ってください、隊長というのは、その、指揮官という意味でしょうか」
「他にどういう意味がある」
「私、階級章をもらった日から一度も人に命令したことがないんですけど」
「今日からできる」
「無理です」
「できる」
「無理です!」
「他の人材は皆24戦隊へ行った」
その一言で、エルマは自分がなぜ選ばれたのかを完全に理解した。理解して、絶望した。
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その夜。
エルマは自室の薪ストーブの前で、毛布にくるまりながら名簿を開いた。
震える指でページをめくる。まだ希望はある。優秀な部下たちなら、頼りない隊長でも支えてくれるはずだ。そういう話を聞いたことがある。読んだこともある。
【隊員名簿】
――ブリタニア共和国――
エリザベス・F(フレデリカ)・ビューリング
空軍少尉、18歳
原隊:ブリタニア403飛行隊
使い魔:ダックスフンド
使用機材:ホーク ハリケーンMk.Ⅱ
戦歴:オストマルク、国際ネウロイ監視航空団 撃墜数14
「わあ、十四機! すごい、エースさんです!」
エルマの声が明るくなった。実戦経験も豊富で、国際監視航空団という難しそうな部隊にもいたらしい。これは頼れる。
そのまま特記事項へ目を移した。
特記事項:軍規違反82回、始末書162枚、営倉入り55回、軍法会議8回(銃殺刑になりそうになったこと3回。裁判内容は検閲)
エルマは名簿を閉じた。
しばらくストーブの火を見つめた。
もう一度開いた。数字は変わっていなかった。
「はち、じゅう、に…………回?」
軍規違反八十二回。始末書百六十二枚。ということは一回の違反で平均二枚書いている。営倉に五十五回入っているということは、この人は年に何回営倉で寝ているのだろうか。そして軍法会議八回のうち三回は銃殺刑になりかけていて、しかもその内容は検閲されている。
検閲されるような事をしたのか。
「……ブリタニアさん、なんでこの人を送ってくれたんですか……」
答えは明白だった。送りたかったのだ。手元から。
エルマは震える手で次のページをめくった。
――帝政カールスラント――
ウルスラ・ハルトマン
空軍曹長、11歳
「じゅ」
十一歳。
「じゅ、じゅう、いち、さい」
エルマは思わず自分の指を折って数え始めた。十一歳。自分が十一歳のとき、何をしていただろうか。魔力が出始めて、湖のほとりで浮かんで遊んでいた。それだけだ。
原隊:カールスラント空軍 第3防衛飛行中隊
使い魔:アナグマ
使用機材:ハインツェル He112
戦歴:防空警戒任務数回
特記事項:使用機材及び火器の無断改造
「無断改造……」
十一歳の子供が、軍の機材と火器を、無断で、改造する。
しかもカールスラントである。あの規律の国が、こんな特記事項をわざわざ書いて送り出してきたということは、書かなければ受け取る側が事故に遭うと判断したという意味だ。
エルマは名簿を膝に置き、両手で顔を覆った。
――リベリオン合衆国――
キャサリン・オヘア
海軍少尉、17歳
原隊:リベリオン合衆国海軍 航空母艦レキシントン所属第3戦闘中隊
使い魔:アライグマ
使用機材:ビヤスター バッファロー
戦歴:原隊での哨戒任務数回
特記事項:壊し屋(クラッシャー)・オヘア、着艦失敗事故多数
「あだ名がついてる……」
しかも壊し屋である。
戦歴は哨戒任務数回。つまり実戦経験がほぼない。にもかかわらず、あだ名がつくほど機材を壊している。ということは、彼女は敵と戦って壊したのではなく、自分で壊したということになる。
「うちの中隊、予備機なんてないんですけど……」
エルマの声は、もう小さくなっていた。
――扶桑皇国――
・穴拭智子
陸軍少尉、16歳
原隊:扶桑皇国陸軍明野飛行学校実験中隊
使い魔:キツネ
使用機材:中島 キ27 九七式戦闘脚
戦歴:扶桑海事変(1937〜) 撃墜数8
特記事項:映画「扶桑海の閃光」主演
エルマの目に光が戻った。
「エース……! しかも、映画の……主演!」
実戦経験あり。撃墜八機。特記事項がまともである。犯罪も改造も破壊もない。
「この方です! この方が支えてくれます!」
エルマはストーブの前で拳を握った。映画の主演女優のような人が、雪と森しかないこの国まで来てくれる。きっと立派で、落ち着いていて、頼りになる人だ。
一縷の望みを胸に、次の行を読んだ。
・迫水ハルカ
海軍軍曹、14歳
原隊:横須賀航空隊
使い魔:タヌキ
使用機材:宮菱《三菱》 A6M 十二試艦上戦闘脚
戦歴:なし
特記事項:実戦未経験
「……なし」
戦歴の欄に、はっきりと「なし」と書かれていた。特記事項にも、わざわざ「実戦未経験」と書かれていた。二回書く必要があったのだろうか。
エルマは天井を見上げた。
だが、まだ落ち着いていた。実戦未経験なだけなら、それは罪ではない。自分も似たようなものだ。
彼女は最後の一行に目を移した。
・中川尚樹
海軍少尉、15歳
原隊:第二航空戦隊正規空母「飛龍」航空隊
使い魔://
「え」
使い魔の欄に、斜線が引かれていた。
書き忘れではない。定規で引いたような、几帳面な斜線だ。記入する必要がない、という意思のある斜線だった。
使用機材:「試製嚮導戦闘脚」(通名:ランスロット)
戦歴:扶桑海事変(1937〜) 陸上型撃墜数56、航空型撃墜数71
特記事項:使用機材については全資料検閲、一般非公開、男性航空歩兵
エルマは、名簿をゆっくりと膝に下ろした。
数字を三回読み直した。
五十六と、七十一。
足すと百二十七である。
隊で一番の撃墜数を持っていたビューリング少尉の十四機を、九倍近く上回っている。エースという言葉が意味を失う数字だ。スオムス空軍全体の記録を引っ張り出しても、こんな数字は出てこない。
それが全部、検閲されて、一般非公開になっている。
そして。
特記事項:男性航空歩兵
「……だんせい」
エルマは声に出して読んだ。
「男性、航空歩兵」
ストーブの薪が、ぱちんと爆ぜた。
「男の人が、空を、飛ぶんですか?」
そんな話は聞いたことがなかった。ウィッチは女しかいない。魔力を持つのは女だけである。それは自然法則であって、議論の対象ではない。エルマが飛行学校で習う前から唯一知っていた事だ。
なのに、名簿には書いてある。使い魔なし。撃墜百二十七。男性。
「……あの、これ、書き間違いですよね」
誰もいない部屋で、エルマは名簿に問いかけた。
名簿は答えなかった。
エルマはもう一度、名簿の一枚目から順にめくった。
軍法会議八回。無断改造の十歳児。壊し屋。映画女優。実戦経験なし。そして、魔力のない男。
「……選りすぐり」
彼女は呟いた。
「選りすぐりって……何を、基準に……」
答えは、うっすらと分かっていた。
各国は「選りすぐりのウィッチを送る」と言った。嘘はついていない。ただ、何を基準に選ったかを言わなかっただけだ。
そして、そういう人たちを預けるのに、ちょうどいい隊長が一人、この片田舎で余っていた。
エルマは毛布を頭からかぶった。
「……ハッキネン大尉ー」
暗闇の中で、彼女は誰にも聞こえない声で言った。
「やっぱり私には、中隊長なんて無理ですよお……」
その一ヶ月後、彼女は紙束を抱えたまま扉の前で立ち往生し、盛大にぶちまけることになる。
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