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翌日、智子はハッキネンに頼みごとをした。
「問題ありません。義勇独立飛行中隊は穴拭さんにかかっています」
格納庫に行き、糸河を捕まえる。
「乗るわ」
「そりゃいい。ようやく使う気になったんだ」
「まだよ。でも、やる」
さっそくキ44に足を突っ込む。高揚感と共に魔力が溢れ出し、耳と尻尾が生えてきた。
滑走路に出る。この間と違い、実戦のように素早く離陸して上昇した。
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サイマー湖方面の訓練空域。
上昇、ロール、急旋回。幾度も繰り返しては自らに馴染ませる。
問題は降下である。
姿勢を整え、湖面に向かって急降下。引き起こす。
(これじゃ駄目ね……)
引き起こしのタイミングが早かった。九七式との違いを意識するあまり、気が急いたのだ。
「どうしよう……」
そのとき、風に乗って魔導エンジンの音が伝わってきた。
十一時方向。アーデルハイドが第一中隊の数名を指導している。よく見るとチュインニもいた。
そして、その上空に、音のしない白い影が一つ浮いていた。
「穴拭少尉、散歩ですか?」
「訓練飛行よ」
アーデルハイドの視線がキ44に向けられる。
「ずいぶんずんぐりした胴体ですね」
「本当のリベリオン機はもっと寸胴だと技師が言ってたわ」
「いいえ、ちょうどよかったです。チュインニ准尉を見てくれませんか」
「一度試したけどうまくいかなかった。私は医者じゃないわよ」
「准尉は『穴拭少尉の空戦が見たい』と言っていました」
『——それと』
上から声が降ってきた。
『「中川少尉も一緒がいい」と言ってた』
「なんであんたが答えるのよ」
『俺の隣で言ったからだ』
「……あんた、あの娘の係でしょうが。なんとかしなさいよ」
『なんとかならんから困ってる』
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高度を落とす。チュインニと並んで飛行する。
チュインニは智子に気づくと微笑んだ。
「チュインニ准尉、調子は?」
「よく分かりません」
「記憶は戻りそう?」
「それも、不明です」
「なんでもいいからロマーニャのことを教えてくれる?」
「知りません。……ただ、穴拭少尉とは会いたいと思っていました」
「やだなー、私ってそんな有名人だった?」
「はい。容易ならざる存在だと、知れ渡っています」
「そ、そうなの……」
そして、チュインニは空戦技術を教えてほしいと頼んできた。
「ビューリング呼んでこようか。あいつも上手よ」
「穴拭少尉でなければ駄目なんです」
「私がいいの?」
「はい。絶対です」
「……分かったわよ」
「それと」
チュインニは上を指した。
「あの人も」
「なんで」
「二人が並んで飛ぶところが見たいので」
智子の動きが止まった。
「……なんでよ」
「見たいので」
理由になっていない。だがこの娘は、理由になっていない答えしかしない。
『——聞こえたぞ』
「聞かなくていい」
『行くぞ』
「来なくていい!」
白い装甲が、当たり前のように智子の右側に並んだ。
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インメルマンターン。スプリットS。バレルロール。
一通り見せてから、智子は言った。
「あとは……ダイブ・アンド・ズームやろうか」
「一撃離脱ですか?」
チュインニの言葉に、少しの驚きが混じっていた。
「穴拭少尉が苦手にしている戦法だと聞きました」
「まあね。でも、やっぱりどこかで今までのやり方から変えなきゃならないのよ。拘ってる場合じゃないわ」
『……ほう』
「なによ」
『いや。言ってない』
「顔に出てんのよ」
『面覆いだ』
「声に出てんの!」
「二人でやりましょう」
チュインニが智子の袖を引いた。
「なにかあったらフォローしますから」
「……いいわよ」
そして——
『じゃあ俺は後ろについてる』
「来なくていいってば!」
『引き起こしの位置、外から見た方が分かるだろ』
「…………」
「……分かったわよ」
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斜め下の湖を目印に降下を開始。
冷気が顔に叩きつけられる。全身がびりびり震え、地面の全てが接近してくる。
「穴拭少尉、気持ちをしっかり」
耳元で風切り音が鳴り続ける。にもかかわらず、チュインニの声はよく聞こえた。
心が落ち着く。ざわついていた感情が、さざなみほどになっていく。
そして、右斜め後方から。
『——まだだ』
「……!」
『まだ』
「……」
『まだ』
凍結した湖面が大きくなる。日光が反射して輝いた。
『——今』
「引いて!」
二つの声が重なった。
身体を起こす。勢いをそのままに、急速に上昇をおこなう。
一筋だけ汗が流れ、青空が目に入る。三人は元の高度に戻っていった。
「ふう……」
「お見事でした」
「まだまだよ。あんたのおかげでうまくいっただけ」
『いや、最後は自分で引いてた。俺の声より半拍早い』
「……ほんと?」
『ほんとだ』
智子は自分の両手を見た。
——分かった。
いま、分かった。
九七式のときは、身体が先に動いていた。キ44は、目で見て、待って、それから引く。
待つのだ。この機体は、待てるのだ。
「……キ44の使い方が分かってきたわ」
彼女は言った。
「なんだか目の前の霧が晴れたみたい」
「そうですか」
『よかったな』
「あんたは黙ってなさい」
『理不尽だろ!』
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「……一つ、思い出しました」
チュインニが言った。
「水平爆撃です。反跳爆撃を思い出しました」
「……今?」
「はい」
あまりにあっさりした記憶回復に、智子はむしろ戸惑った。
「私も、早くこの子と戦いたくなってきたわ」
「協力します」
チュインニがそっと智子の手に自分の手を添えた。
「穴拭さんには、もっともっと力を発揮してもらわないと」
「あはは、ありがとう」
「私にできることならなんでも言ってください」
「じゃあさ、ルーデル大尉に協力してくれない?」
「私は穴拭さんに協力したいのですが……」
「私たち全員に役立つことだから」
チュインニは渋い顔をしていたものの、やがて承知した。
そして、実にさらりと言った。
「お二人は、恋人ですか」
「————は?」
智子の声が裏返った。
「なっ、なに言い出すのよ! 違うわよ! ぜんっぜん違う! こいつはただの腐れ縁で、事変で同じ空を飛んだだけの、口の減らない後輩で、そもそも階級だって私が上——じゃなかった同じだけど、とにかく!」
『同じだぞ』
「うるさい!」
チュインニは、その反応をじっと観察していた。
観察してから、実に無造作に、隣の男の腕に抱きついた。
「なっ」
「では、こうしても構いませんか」
「か、構うに決まってるでしょ! 離しなさい! それあんたの上官じゃない! っていうか准尉って下士官よね!? 士官に抱きつくのは軍規的に!」
『軍規にそんな条文はないぞ』
「あんたは黙ってろ!」
『理不尽だ』
チュインニは、智子の舌の回転数が明らかに上がったのを確認した。
そして、うなずいた。
「分かりました」
「なにが!」
「では、協力の先払いをもらっていいですか?」
「給料なら経理に行きなさいよ」
言ってから、智子は自分でもよく分からない感情に押されて、こう付け足した。
「…………コレならタダで持っていっていいわよ」
親指で、隣の白い装甲を指しながら。
冗談なのか、拗ねているのか、腹いせなのか。
本人にも理解できていなかった。
「そうですか」
チュインニはうなずいた。
「では遠慮なく」
彼女は言質を取ったと言わんばかりに、まるでためらわなかった。
背伸びをして、面覆いを上げたばかりの顔に近づき——そのまま、事を起こした。
「え」
一瞬だった。
『……おい』
チュインニはすでに離れていた。そして今度は智子のほうへ滑ってきた。
いま自分が何を見たのか、その処理が終わらないうちに。
智子の唇は、チュインニによって塞がれていた。
冷たい。そして、二人分の匂いがした。
彼女のものと——**アイツ**のものが。
智子は目をまん丸にして硬直した。
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寒空の中、しばらく茫然とする。チュインニが自分から離れても、なにが起こったのか理解できなかった。
「……え、ちょっと、なに……!?」
ぽかんとする智子。チュインニは微笑んでいる。
『……あのな』
「あんたァ!!」
『俺は被害者だぞ!』
「あんたが受けたからでしょうが!」
『避けようがあるか!』
「あるでしょ! いつも音速で止まってるくせに!」
『理屈がおかしい!』
と、その時。
「智子しょーいー!!」
大音声と共に西の空が煌めいた。
「すっ飛んできた」というのは控えめな表現で、仰天するほどの快速だった。
「なにをしたんですかなにをされたんですか! 私は見たんですよ、二人がくくくくくく唇を……!」
「な……なにもないわよ。きっと気のせい」
「そんなはずないです!! この目ではっきりと目撃しました!!」
そこで、ハルカの視線が動いた。
白い装甲の方へ。
「…………」
「ハルカ」
「…………二回」
「え」
「二回、見ました」
智子の血の気が引いた。
「見てない! あんた近眼でしょ!」
「私の動体視力を甘く見ないでください」
「甘く見てないわよ! むしろ怖い!」
「智子少尉、口直しです! さあさあさあ!」
「離しなさいよ!」
「中川少尉! あなたは後で話があります!」
『俺もう帰っていいか』
「駄目に決まってるでしょ!!」
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やがてビューリングとオヘアが息を切らせてやってきた。
「こんなとこにいたねー……」
「世界が終わったかと思ったぞ。なにごとなんだ」
「なにもありません」
チュインニがゆっくりと言った。
「そうか?」
「ええ。ハルカさんも、いずれは……」
彼女はハルカの方を向くと、にこりとした。その純粋で屈託のない表情に、怒り心頭だったはずのハルカは、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「なにもなかったならいいんだが」
「だいたいこんな寒いところで、なにしてるね」
「私がキ44の試し乗りと、アーデルハイド少尉が爆撃訓練を」
「どこにもいないね」
見ると、アーデルハイドたちはすでにこの空域を去っていた。
「で、智子はなにをしていたんだ?」
ビューリングの視線に絶句する智子。
「く……訓練よ。チュインニと二人で。あとからハルカが来たの」
「三人だろう。そこに一人いるが」
「いない!」
『いるだろ』
「いないの!!」
ビューリングは煙草を咥えたまま、実に楽しそうに二人を眺めた。
「……ふうん」
「なによ」
「いや。匂いが同じだなと思ってな」
「————」
「智子少尉!?」
「なんでもない!! 帰るわよ!! 今日は終わり!!」
智子は率先して、ラッペーンランタ基地への帰還コースを取った。
帰るまでの最中、ハルカは智子の側を少しも離れようとしなかった。
そして白い装甲の側には、チュインニがぴたりと引っ付いていた。
『……なあ』
「話しかけないで!」
『いや、一つだけ』
「なによ!」
『あれ、たぶん意味が違うぞ』
「はぁ!?」
『あの娘、俺たちを試したんだ』
智子は少し黙った。
「……なんの」
『分からん。だが、目が笑ってなかった』
その言葉に、智子は思わず後ろを振り返った。
チュインニは、いつも通りの無表情で飛んでいた。
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