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さらばラッペーンランタ
ここ数日のスオムスは雨が多い。
冬まっただ中にしては異例のことで、異常気象であろうとヘルシンキ気象台は発表していた。
「でも、どうせまた雪になるのよねえ」
誰ともなく咳いたのは穴拭智子だ。
「私は今でもキャーキャー言ってます!」
こう言うのは同じ扶桑のウィッチ、迫水ハルカである。
「智子少尉がスオムスに来たおかげで、私と二人きりになれたんです! つまり運命です!」
「二人じゃないでしょ。あいつもいるでしょ」
「三人になると運命が薄まるので数えません」
「便利な計算ね」
そのハルカの様子が、最近おかしい。
「お前への態度が変わったな」
と智子に言ったのは、エリザベス・フレデリカ・ビューリング。
「朝お前を見かけても、じっと見つめるだけのときがある。今朝もただ視線を送っていた」
「私は楽でいいわよ」
「なにか変だ。いつもなら目が合っただけで『心が通じ合いました!』と叫んで飛びかかってくる」
「気が変わったと思うか?」
「うーん……気が変わったっていうか、そういや大人しいわね」
「ハルカらしくない。つまらない」
「それが本音?」
「まあな。だが変なのは確かだ。あの戦い以来」
キビニエミ鉄橋攻防戦。
あの戦いで、ハルカは一時戦線から離脱した。いきなりネウロイと一緒にどこかへ飛び去ろうとしたのである。本人はその時の記憶がない。
「なんでハルカってネウロイと並んで飛んでたんだっけ」
「当人も知らんと言っている。オヘアの方が詳しいだろう」
「あてになんないわよ。オヘアったら、ネウロイは人間の形をしていたって言ったのよ」
「オヘアが嘘をつくと思うか」
「あの娘、テキサスには山より大きい牛がいるって言ってたわよ」
「確かに。嘘はつくな。だが戦闘で嘘をつくか?」
そこで、廊下の向こうから声がかかった。
「フレデリカ、ボイラー室の弁、直った」
「早いな」
「凍ってただけだ」
「智子、なんの話をしていた」
「あんたには関係ない」
「そうか」
尚樹はそのまま通り過ぎようとして、三歩ほど行ったところで足を止めた。
「……人型の話か」
智子とビューリングが同時に振り返った。
「なんで分かるのよ」
「フレデリカの声が低かったから」
「……お前、そういうところが気持ち悪いぞ」
「褒め言葉として受け取る」
「褒めていない」
「で、あんたはどう思うの」
智子が訊いた。
尚樹は少し考えてから、実にあっさり言った。
「いると思う」
「……は?」
「オヘアは戦闘中に嘘をつかない。あいつは着艦事故の言い訳もしなかった」
「そりゃそうだけど」
「あと、そういうのが出てきても、俺は別に驚かん」
「なんでよ」
「知らん。そういう気がするだけだ」
「あんた、たまに本当に気味が悪いわね」
「よく言われる」
彼は肩をすくめて歩いていった。
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智子はオヘアの私室へ向かった。
「開いてるねー」
中に入ると、オヘアは下着一枚でベッドに寝転がり、雑誌を読んでいた。
「着なさいよ」
「面倒ねー。それにスチームが壊れて暖房が止まらないね」
「……直してもらいなさいよ」
「もう頼んだねー。ナオキが来るって」
「着なさいよ!!」
「ホワイ?」
「なんでそこでホワイなのよ!」
「フレンドシップに恥じらいは不要でーす」
「必要なの! 世界中で必要なの!」
結局、智子が無理やり毛布を被せた。
「で、なんの用ね」
智子は手短に自分の疑問を説明する。
「ミーが思うに、ハルカが変になったのは……戦闘のせいってことねー」
「あれって本当? 人型」
「……見たときは確かに人間の形してたね。でも自信ないねー」
「人間って、こう、私たちみたいな感じ?」
「そう。でも目とか鼻とかは違うね。身体全体がつるつるで、マネキン人形みたいな感じだったねー」
智子は薄ら寒さを感じた。
「人間の形をしたネウロイって、なんのためにいんのよ」
「ミーも、そっちが普通だと思うねー」
そのとき、扉が叩かれた。
「オヘア、弁の工具借りるぞ」
「オー、ナオキ! 入っていいねー!」
「よくない!!」
智子が扉に飛びついた。
「なんだよ」
「入るな! 絶対入るな!」
「……なんで」
「オヘアが服着てないの!」
『……工具、廊下に出しといてくれ』
「オー、律儀ねー」
「律儀じゃないわよ! 当たり前なのよ!」
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その後、二人は食堂へ向かった。
予想通りハルカは食堂にいた。ウルスラと一緒である。
ハルカはただ座っているだけだったが、目を空中に走らせ、なにやらぶつぶつ言っている。
「この娘、なにしてんの」
「どうやら想像の世界に耽溺しているようです」
「あんたは平気なの」
「読書の邪魔にならなければ」
智子はハルカの目の前で手を大きく叩いた。
「……智子お姉様!」
「やっぱり思った通りです……! 実はですね、智子お姉様と空中デートしていたんです」
「それって駆け落ちっていうか脱走よね……」
「いつものハルカと変わらないねー」
——やはり、たまたまなのだろうか。
そう思いかけたとき。
食堂の入口から、褐色の少女が入ってきた。
チュインニである。
その姿を見た瞬間、ハルカの独り言がぴたりと止んだ。
止んで、じっと見つめた。
チュインニもハルカを見た。
そして、いつも通り、ほんの少しだけ微笑んだ。
ハルカの肩が、わずかに震えた。
「……ハルカ?」
「あっ、はい! なんですか!」
「今、なにか」
「なにもありません! 空中デートの続きをしていました!」
「……そう」
智子は、ウルスラを見た。
ウルスラは本から目を上げずに、非常に小さな声で言った。
「……二回目です」
「え?」
「チュインニ准尉が入室するたび、迫水軍曹の発話が停止します。本日二回目です」
「あんた、記録取ってんの」
「観測です」
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突然、基地内にサイレンが鳴り響いた。
『警報、警報。ラドガ湖にネウロイの機影あり。総数不明。ウィッチは緊急出撃……』
「雪じゃないとすぐこれね!」
全員が駆け出す。
格納庫に飛び込むと、各々のストライカーユニットはすでに並べられていた。
智子はキ44に足を突っ込む。
「点火ー!」
そして、格納庫の隅では、腕輪に触れた男が霧に包まれかけていた。
そこへ、スオムス空軍の制服を着た少女が飛び込んできた。
「中止、中止! 離陸中止です!」
エルマだった。
「なんです。ネウロイはどうしたんですか」
「ラドガ湖の北に飛んでいきました。今から追いかけても間に合いそうにありません」
「あっちはウィッチ部隊がいないはずですよ」
「そうなんです。そのことでハッキネン大尉から、お話があるみたいで」
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食堂を会議室代わりにして、ハッキネンが立った。
「基地を移動してもらいます」
全員が「え」と言った。
「ネウロイの脅威に対処するためです。移動開始は明日の払暁」
「あの、私たちが移動するんですか?」
「はい」
そして彼女は、ラドガ湖北部でのネウロイの活動活発化について説明した。
サルミからロイモラのあたり。地上型ネウロイの集結の兆候。
「そのあたりにはなにもないだろう」
ビューリングが訊く。
「狭い道路が数本走ってますが、あとは森と湖です」
「そんなところで攻勢に出たからなんだというんだ」
「軍司令部も同じ考えです。ですから今まで放置されていました」
「ただし、集結しているのであれば、なんらかの目的があるはずです」
「陸軍はどれくらいいるんだ?」
「第34連隊が守備しています」
「航空ウィッチはゼロなんだろう」
「だから義勇独立飛行中隊が移動します」
余ってんだから行けというのは「いらん子中隊」の異名にふさわしい扱いだ。
「ヴァルチラに臨時の滑走路があります。ここを拠点としてください」
「聞いたこともない」
「実は私もです」
「大尉」
尚樹が手を挙げた。
「なんですか」
「整備設備は」
「ありません」
「燃料は」
「橇で運びます」
「通信は」
「有線が一本。切れたら無線です」
「……無線機の予備は」
「ありません」
「では持っていきます」
「持っていってください」
「あと、厨房は」
「野外炊事です」
「……了解しました」
彼はそこで、実に静かにため息をついた。
「フレデリカ」
「なんだ」
「煙草、多めに持っていけ」
「なぜだ」
「たぶん、しばらく届かない」
ビューリングの表情が、この日一番険しくなった。
「……よし。私は今から主計科を襲撃してくる」
「やめろ」
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解散後、智子は自室で行李に荷物を詰め込んでいた。
蓋が閉まらない。押さえつけていると、前触れもなく扉が開く。
「み、見た?」
「なにをです?」
アホネンだった。
「飴を持ってることは言い触らさないで。あとで分けるから」
「別にいりませんよ」
「あなたたちが移動すると聞きました。餞別を渡しに来ました」
「なにくれるの」
「感謝の言葉」
「いらない」
「ハルカさんのことはともかく、あなたたちのおかげで、わたくしたちも成長できました」
本気の口調であった。
「ですから、うちの娘たちもあなたたちのことを好いていますよ。照れ屋が多いので、口に出してないだけです」
「そう」
「……それと」
アホネンは、そこでわずかに視線を逸らした。
「中川少尉にも、伝えていただけますか」
「自分で言えばいいでしょ」
「言いました」
「言ったの!?」
「先ほど。ラウハたち六人も一緒に」
「……なんて」
アホネンは腕を組んで、実に不本意そうに言った。
「『第一中隊一同、感謝申し上げます』と」
「……ふうん」
「撤回はしません。わたくしは彼を毛虫と呼びました。それは変わりません」
「まだ言ってんの」
「言い続けます。それが筋というものですわ」
彼女は椅子に腰を下ろした。
「ですが」
「ですが?」
「……ラウハが泣きまして」
「え」
「あの娘、『もう一緒に飛べないんですか』と。それで、わたくしも、その、少々、みっともないことになりまして」
「泣いたの」
「泣いていません」
「泣いたのね」
「泣いていません!!」
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「明日の移動ですが、ハッキネン大尉はここに残るそうです」
「あれ、そうなの」
「義勇独立飛行中隊は独自の行動をすることになるでしょうけど」
「穴拭さんたち義勇ウィッチのみでの作戦行動になります。どうなるか興味深いですね」
「まあ、悩むのはエルマ中尉の仕事よ」
「いざとなったら、穴拭さんが指揮を執るのでしょう?」
「あはは。考えたことないわよ」
「実戦経験は穴拭さんが上なんですから」
「今は肩書きに興味はないわ」
「エルマさんに万が一があったら、どうします」
智子はじろりとアホネンに目線を投げかけた。
「エルマ中尉が戦死しそうな言い方ね」
「今日無事でも、明日どうなるか分からないのがウィッチです」
それはそうなので、智子は押し黙った。
「……まあ、そのときはそのときで考えるわよ」
「そうですか」
アホネンは立ち上がった。
「では、無事の帰還を祈っています」
そして扉を開けかけて、振り返った。
「穴拭さん」
「なによ」
「向こうには、ハッキネン大尉も、わたくしも、第24戦隊もいません」
「知ってる」
「あの方が一人で全部やろうとしたら、止めてくださいまし」
智子は、行李の上に座ったまま、しばらく黙った。
「……なんで私に言うのよ」
「あなたにしか言えないからです」
「なんでよ」
アホネンは、この日初めて、意地の悪い顔をした。
「あの方が唯一言うことを聞かない相手が、あなただからですわ」
「————」
「おほほほほ」
「ちょっと待ちなさいよ!」
「では、ごきげんよう!」
扉が閉まった。
智子は行李の上で、しばらく動けなかった。
「……逆でしょ」
彼女は誰もいない部屋で呟いた。
「私が、あいつの言うこと聞かないんでしょうが」
窓の外では、雨が細かい雪に変わりはじめていた。
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