---
智子はなんとか荷物の整理を終わらせ、正門まで走ると出発寸前のトラックに投げ込んだ。
「遅いぞ」
ビューリングだ。彼女は手荷物が少ないため、とっくに積み込みを終わらせていた。
「酒しか持っていかないなら、そりゃ早いでしょうよ」
智子は言い返し、周囲を見回した。
「ハルカは?」
「見てないな。さっきチュインニと話していたみたいだったが」
「話すことなんかあるの」
「なんだ、ハルカが恋しくなったのか」
「起きても寝言を言うんだから、ブリタニア人は器用ね」
トラックの荷台では、無線機の予備一式を毛布で包み直している男がいた。
「あんた、まだ積んでんの」
「これが一番大事だ」
「他の荷物は」
「もう積んだ」
「あんたの私物は」
「これだ」
彼は足元の、非常に小さな布袋を指した。
「……それだけ?」
「装甲は着てりゃいいからな」
「服は」
「二着ある」
「……」
「なんだよ」
「別に」
智子はそれ以上言わなかった。
ビューリングが煙草を咥えたまま呟いた。
「……あの男、いつでも出ていけるように荷物をまとめる癖があるな」
「……そうね」
「気に入らん」
「私も」
---
翌日の早朝は晴れだった。
義勇独立飛行中隊は全機が離陸した。移動先はヴァルチラ基地。
今までのお礼に基地の上空を二周し、別れを惜しんでから身体を北へ向ける。
「針路を015にしてください」
エルマの声が全員に響き渡る。
「ラドガ湖にネウロイの気配なし……」
チュインニの呟きが届く。
「雪上に歩行跡なし。味方の姿もなし……」
「ここだけは平和ってことねー」
「あっ」
突然智子が言った。
「ルーデル大尉に移動のこと言うの忘れてた」
「酷い奴だ」
「エルマ中尉、大尉に言いました?」
「え……えっと、忘れてました……」
「まあ、到着してから連絡すればいいことなんで、私がやっておきます」
『言ってあるぞ』
インカムに声が入った。
「え」
『昨日の夜、伝えた』
「なんで言うのよ」
『言わないと、あの人はたぶん明日から俺たちを探しに飛ぶ』
「……あー」
『「アーデルハイド、追うぞ」って言ってた』
「言いそう」
『止めた』
「よく止まったわね」
『「帰国命令が出てる人が国境を越えたら国際問題です」ってアーデルハイドさんが言った』
「あの人がいてよかったわ」
---
「右前方にヴァラモ島……」
「針路そのまま……いえ」
エルマの言葉が途切れる。
「皆さん、聞いて下さい。陸軍部隊から地上援護の要請がありました。ロイモラ方面です」
「えー、ミーたち爆撃装備じゃないね」
「そうなんです。フェリーだけのつもりでしたから、弾もあまりありませんし……」
「やりゃできるわよ。機銃掃射でもないよりマシでしょ」
「……そうですね。針路変更です」
---
ロイモラを通過。その前方に小さな川がある。
「あれです!」
何条もの煙。空まで響く射撃音に爆発音。ネウロイの不快な鳴き声。
地上型ネウロイが川を渡ろうとしていた。
「やりましょう!」
「ちょっと待て」
エルマの言葉をビューリングが押しとどめた。
森の中の、やや開けたところ。兵たちの先頭にいるのは大柄な女性で、集束手榴弾をいくつも地上型ネウロイの集団に投げ込んでいた。
「なんだあれは」
「女が一人で戦ってるぞ」
「誰なんでしょう」
「冗談みたいな戦い方だぞ。今、ネウロイの足を摑んで投げ飛ばした。陸戦ウィッチなのか?」
「私たちは必要なんでしょうか」
義勇独立飛行中隊の面々は、上空から眺めていた。
「ん? 弾がなくなったのか?」
眼下の女性は丸腰になった。だがまだ闘志は失っておらず、ネウロイと対峙したままだ。
しかし、その背後。
倒れた兵士を引きずって後退しようとしている衛生兵の一団に、別のネウロイが五体、回り込んでいた。
女性はそちらに気づいていない。
「まずいわね、やるわよ!」
智子が言った、その瞬間。
『——先に出る』
編隊から、白い塊が抜けた。
降下ではない。落下に近かった。
高度三千から、推進機を全開にしたまま垂直に落ちる。減速の気配がまったくない。
「ちょっと!」
『間に合わない。俺が行く』
「速度! 速度落としなさいよ!」
『落としたら間に合わない』
雪面が迫る。
そのまま激突する、と誰もが思った瞬間。
白い装甲は、地上五メートルで水平に折れた。
雪煙が真後ろへ吹き飛び、両脛から車輪がせり出す。接地。滑走。
そして——腕輪から、二本の光が伸びた。
刃である。
すれ違いざま、一体目のネウロイが縦に割れた。
減速しない。滑ったまま二体目の脇を抜け、そのまま両断する。
三体目は正面から来た。避けない。左の刃で砲身を弾き上げ、右の刃で胴を薙ぐ。
四体目は跳ねた。跳ねた先に、すでに白い装甲が回り込んでいた。
五体目が振り返る前に、その背後を通り過ぎていた。
——一秒か、二秒か。
上空から見ていた者には、その差が分からなかった。
雪煙が晴れたとき、五体のネウロイはすべて虹色の破片になって散っていた。
衛生兵たちは、伏せたまま動けずにいた。
「…………」
「…………」
「……オー」
オヘアが呟いた。
「あれ、剣ですかー?」
「そうよ」
「二本ありましたねー」
「二本あるのよ」
「なんで剣で切れるんですかー?」
「知らないわよ」
「智子、知らないのか」
ビューリングが横から言った。
「知らない。あいつ、聞いても『そういうもんだ』しか言わないの」
「二年見てきてそれか」
「二年見てきてもそれよ」
---
地上では、大柄な女性が振り返っていた。
丸腰のまま、白い装甲を見つめている。
装甲は刃を消し、二歩下がって、彼女に軽く手を上げた。
そして、そのまま推進機を吹かして上昇していった。
女性は何か叫んでいたが、上空までは届かなかった。
「……今の人、なんて言ったの」
「聞こえませんでした」
エルマが首を振る。
「でも、たぶん、名前を聞いたんだと思います」
「答えてなかったわね」
「答えていませんでした」
---
智子たちは身体を引き起こす。
女性は倒木を拾い上げ、またネウロイに襲いかかっていた。
「……もう少し援護します?」
エルマが咳く。智子は首を振った。
「駄目。私たちは私たちの仕事があるんだから、一度でいいわよ。……これ以上必要ないみたいだし」
行き先をヴァルチラに戻す。
「ただものじゃないな」
珍しくビューリングが感心していた。
「たった一人であれだけのネウロイと戦うこと自体が珍しい」
「かなり頑張ってたねー」
「なのに、航空ウィッチが必要なのは、ああいうのが一人いてもどうにもならないということだ」
皆は押し黙った。
『……フレデリカ』
「なんだ」
『あの人、たぶん、ここ何日か寝てない』
「なぜ分かる」
『足の運びだ。手榴弾を投げたあと、一歩よろけてた』
「……そうか」
『あと、周りの兵の顔つき。ああいうのは、指揮官が寝てないと出る』
「詳しいな」
『詳しくなりたくはなかった』
智子は、その会話を聞きながら前を向いていた。
「……さっきの人でも大変ってことなら、ここらのネウロイはどんなのがいるのかしらね」
「数が多いんだろう」
「変わった形でもしてるのかもね」
「また、足がたくさんあるネウロイかもしれないねー」
オヘアの台詞は歩行戦車型を踏まえてのものだったが、智子は別のことを想像していた。
(もしかしたら人型がいるとか……)
そこまで考えてから、彼女は誰にも聞かれないよう、小さく舌打ちをした。
——自分は人型ネウロイに囚われている。
なるべく忘れないといけない。
そう思って、ふと、隣を見た。
白い装甲が、いつもの位置を飛んでいる。
装甲の右肩に、さっきの戦闘でついた新しい擦り傷があった。
『……なんだ』
「見てない」
『見てただろ』
「見てない!」
智子はそれからヴァルチラに到着するまで、地形追随飛行に専念することで気を紛らわせた。
---