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「そ、そんなわけで……皆さん頑張りましょうね。やるぞ、おー!」
沈黙。
エルマは拳を握りしめ、上に突き出した状態で固まっていた。
ブリーフィングルームのウィッチたちはなにも言わない。ストーブに突っ込まれた廃材の爆ぜる音だけが響いている。
オヘアは瓶の底を舐めていた。ウルスラは本から目を上げなかった。ビューリングは煙を吐き、そもそもこちらを見ていない。扶桑の二人はというと、片方は無表情で、もう片方はなにか別のことに気を取られてそわそわしていた。
暖簾に腕押し、という言葉をエルマは知らない。知っていたら、この時のために取っておいたことだろう。
顔色が赤から青に変わっていく。突き上げた拳をどう下ろせばいいのかも分からない。
足元で、小さな影が心配そうに彼女の脛に身体を擦りつけた。
エルマの使い魔である。冬毛でふくふくと膨らんだミンクは、主人を見上げてか細く鳴いた。
「……ミンクちゃん、あなただけよ、私の味方は……」
そして、部屋の一番後ろでは。
「コン、コンッ、くぅ〜ん」
『尚樹、お嬢様を想ってくれるのは嬉しいが、無駄な体力を使わせる意地悪を言うでない。うぬはもう少し叱り方を選んでくれ』
「お前もタケさんもみんな智子に甘いんだから、俺が言わなきゃ駄目だろ〜? それそれ」
「クゥ〜…キュっ、クルルル!」
『全く、お嬢様もとんだ麒麟児に目を付けられたのぉ……顎の下を強めにたのむ』
尚樹の膝の上で、白い狐が完全に腹を出していた。
コン平である。智子の使い魔にして、人語を解し、あまつさえ自ら会話することのできる極めて珍しい使い魔だ。もっとも他人には狐の鳴き声にしか聞こえない。会話が成立するのは主人である智子と――なぜか、この男だけである。
「……ちょっと」
前の席から智子が振り返った。
「コン平、こっち来なさい」
「コンッ」
『いま良いところですのでお待ちを』
「今すぐ来なさい」
「クルル」
『尚樹、顎、顎を』
「聞け!」
その頃、廊下ではハルカのタヌキとオヘアのアライグマが、出会って五分で完全に意気投合し、木の床を全力で走り回っていた。ときおりドタン、ガタンと壁にぶつかる音がして、そのたびにエルマが「ああ……」と小さく呻いた。
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「そ、それじゃあ自己紹介いきましょうっ! 端からお願いします」
「ハーイ、オヘアよ。キャサリン・オヘア少尉ねー。合衆国では空母レキシントンに乗ってたねー」
グラマラスなリベリオン娘が荒っぽく立ち上がる。
「うわあ、空母乗り組なんですね」
「でも着艦に失敗してストライカーユニットをたくさん壊したねー。どうぞよろしくー」
「え……」
「あ、それと特技はこれねー」
パーカライジング仕上げのリボルバーが抜かれ、発砲音が六回、ブリーフィングルーム内に響いた。
床で丸まっていたミンクが跳ね上がり、エルマの襟の中に潜り込んだ。
「うっ、撃ったんですか!」
「あはは、これ空砲ねー。慌てることないね」
「穴が空いていますが」
ハッキネンが無表情に黒板を指さす。「義勇独立飛行中隊」と書かれた文字の真上に、できたてほやほやの弾痕が六つ並んでいた。
「ソーリーソーリー。たまたまねー」
「拍手!」
エルマは半ばやけっぱちに手を叩いた。
続いたのは二人だけだった。
一人はハルカ。もう一人は、部屋の一番後ろで壁に背を預けていた、この部隊唯一のイレギュラーである。
「いい腕だな。六発とも同じ高さだ」
尚樹が言うと、オヘアは目を丸くしてから、げらげらと笑い出した。
「オー! ユー、見てたねー!」
「見てた。狙って撃ってるだろ、それ」
「イエース! 狙ってるねー!」
「じゃあ黒板を狙わないでくれ」
「ソーリーソーリー」
「そ、それでは、そこの方」
背の低い、ずっと本を読んでいた少女は、いったん本を閉じると机と表紙の底辺が合うようにして置き、立ち上がる。
「ウルスラ・ハルトマン曹長です」
それから座ろうとする。エルマが慌てた。
「あの、他には」
「ありません」
「え……」
「あえて言うなら、私はカールスラントの教本通りに全てを進めます。それ以外は無駄です」
「は、はあ……」
「ご理解のために一読下さい」
「以上です」
エルマに分厚い一冊を押し付けて着席。また本を読みはじめた。
どうやらその教本らしい。机の上には他にも、流体力学やら燃焼実験やらの本が積まれている。
エルマは荷物が増えてあっぷあっぷとなりながら、急いで抱えてきた紙束をめくった。
「えーと、ウルスラさんはカールスラントのJG51にいて、その前は飛行学校に……学校が爆発? 爆発事故ってなんですか?」
不思議そうにするエルマ。ウルスラは本から目を離さずに返事をする。
「カールスラントのために新兵器の実験をしていたところ、たまたま事故が起こりました」
「ここにはウルスラさんが火薬を扱っていたと……」
「爆発する方が悪いのです」
そして、エルマの手元に残された本は、表紙タイトルすら読めないカールスラント語でびっしりの内容だった。
エルマは表紙を見つめぱらぱらと中身を捲った後、静かに机の端に置いた。
「ウルスラ曹長」
後ろから声がかかる。
「また本貸してくれよ。教本でも活字なら娯楽にはできる」
ウルスラは一瞬だけ目を見開いて固まった。
それから、こくり、と頷いた。
エルマにはあれだけ有無を言わさずまくし立てておいて、この男には無言の首肯だけである。
「な、なんですかそれ……」
エルマは呟いたが、誰も答えなかった。
続いて振られたビューリング。
「エリザベス・フレデリカ・ビューリングだ。階級は少尉」
それだけ言うと座る。このパターンかとエルマは嘆いた。
「あ、あの……他になにかありませんか」
ビューリングは無言。エルマはなんとか彼女の口を開かせようとする。
「どこの生まれだとか、初恋はいつだとか、学校はどこだとか、前の部隊のこととか……」
「生まれはファラウェイランドのモントリオール。初恋は大きなお世話。学校は言っても分からないだろう。ここに来る前は403飛行隊にいた」
さらさらと、つまらなそうに喋り、またビューリングは黙った。
口を挟む暇もなく喋られてしまったので、エルマはおたおたしていた。
「そ、そうですか……他には……」
「あの……」
「使用機材は」
助け船を出すようにハッキネンが問う。
「ハリケーン」
ビューリングは短く答えた。
「渋いねぇ」
尚樹が返事をすると、彼女はジトリと視線を向け、鼻を鳴らして元に戻した。
それだけだった。だが、この部屋に入ってから彼女が誰かの顔を見たのは、それが最初だった。
「……あー」
智子はコン平を撫でながら、低く唸った。
「コン?」
『いかがされました』
「あいつ、ああいうのが得意なのよ」
「クルル?」
『ああいうの、と申しますと』
「懐かせるのよ。犬でも猫でも狐でも、無愛想な女でも」
「コンッ」
『お嬢様も懐いておられますな』
「懐いてない」
ビューリングはウルスラと違う意味で他者との繋がりを拒絶している。どうしようかと困惑するエルマ。慌てて手元の紙束をめくる。
「えーと、えーと、ビューリングさんは、オ、オストマルクにもいて……国際ネウロイ監視航空団……あれっ、珍しいところにいたんですね」
ビューリングはちらっとエルマに目をやった。
「まあな」
「向こうはどうでした?」
「……言うほどのことはない」
これっきりビューリングは話すのも顔を向けるのも拒否した。
「はいでは、次の人。なんかもう、名前だけでもいいです」
「扶桑皇国海軍から来ました。迫水ハルカ一等飛行兵曹です!」
ハルカが勢いよく立ち上がる。
「趣味はお菓子作りです。あ、えーと、スオムスに派遣されたのですから、苦しんでいる人のために精一杯頑張りたいと思います」
ぺこりと頭を下げる。
エルマはしばらくきょとんとして眺めていたが、やがて目を潤ませた。襟の中のミンクが、心配そうに主人の頬に鼻先を寄せる。
「……ようやくまともな人がいた……」
「え、あの、私なにか変なこと言いました……?」
「違うんです……いいえ、いいんです、続けてください……」
「あの、尊敬する人のことを言ってもいいですか?」
「ええ、いいですよ」
ハルカの顔が一気に明るくなった。
そこから先の三分間について、エルマは後年になっても正確に思い出すことができなかった。
「それはもう穴拭智子少尉です! 扶桑海の巴御前、女学生の心を射貫くお姉様! ブロマイドや扶桑人形が何種類も出てるんですけど全部持ってるんです! もうお小遣い全部なくなっちゃったんですけどもっともっと欲しくて、だから智子お姉様と一緒にスオムスまで来られたときは夢のようで、あっ、智子お姉様っていうのは扶桑じゃ女の子がみんな言ってたんですけどこんなに私の近くにいるんですからもう私だけが使う言葉だと思うんです、だから商標登録して勝手に使う女の子は禁固刑に……」
唾を飛ばしながら延々と喋り続けている。
「それと! 一つだけ申し添えたいことがあります!」
ハルカは急に声を落とし、部屋の後ろを指差した。
「あの人は、たしかに航法を教えてくれますし体力もありますし背が高くて料理上手で面倒見もいいですけど、智子お姉様との関係はく・さ・れ・え・ん! 腐れ縁ですので!! 公式の関係性ではありませんので! 皆さん誤解なきよう!」
「誰が誤解するのよそんなこと!」
「したじゃないですか船で!」
「あんたがしたんでしょうが!」
エルマは机に両手をついた。
「やっぱり、まともな人はいないんだ……」
襟の中でミンクが、慰めるように主人の首筋をぺろりと舐めた。
「あの、えーっと、そこの方」
エルマが尚樹を指した。
部屋の空気が、そこで初めて明確に変わった。
オヘアが首を傾げ、ウルスラがおずおずと本を盾にしながら顔を向け、ビューリングがタバコを口から離す。三人の視線が一斉に部屋の後ろへ向いた。
驚きではない。やはり困惑である。
名簿を読んだハッキネン以外の全員が、この一時間ずっと「あの人は何なのだろう」を保留したまま座っていたのだ。整備員か、通訳か、司令部の使いか。まさか隊員ではあるまい、と。
尚樹は壁から背を離し、部屋の前へ歩き出た。膝から下ろされたコン平が、名残惜しそうにその足元をついていく。
「扶桑皇国海軍、中川尚樹少尉」
淡々とした声だった。
「原隊は第二航空戦隊、飛龍航空隊。装備は試製嚮導戦闘脚、ランスロットと読んでくれた方が通りが良い。そして御覧の通り、男だ」
「……ヘーイ、ちょっと待つねー」
オヘアが手を挙げた。
「ユー、ボーイでしょー?」
「そうだ。男、ボーイ、ユンゲだ」
「飛ぶんですかー?」
「飛ぶ」
「ホワイ?」
「そういう事もある」
オヘアはしばらく口を開けていた。それから、なぜか嬉しそうに膝を叩いた。
「オー! つまりユー、ミーと同じウィッチねー!」
「俺は男だ」
続いてウルスラが眼鏡を押し上げ、先程までの飄々さや興味の無さは何処に行ったのか、生唾を飲み込んで口を開ける。
「嚮導戦闘脚。聞いたことがありません。カールスラントの資料にも」
「非公開の試作一号機だ」
「最高高度は」
「24700m」
「……………推進方式は」
「フロートユニットと電気熱ジェット推進」
「……………………………エンジンは」
「ユグドラシルドライブ」
「……」
ウルスラは本を閉じた。
人類未到達の高度に、謎の装備名とカールスラントでも技術確立に至っていない推進機構、そして最後は神話に出てくる世界樹の名前
揶揄われていると思ったのか、次の一言が出てこなくなった。
「ごめん」
「いえ、お気になさらず」
彼女の両手はもう、教本ではなくペンとノートを開いていた。
ビューリングだけは何も言わなかった。
ただ、新しいタバコに火を点け、新たに口から吐いた煙越しに一度だけ、彼を上から下まで眺めた。
「……百合の花園に薔薇が一本刺された事に思う事はあるでしょうが、まあ、すぐに慣れますよ、『中隊長殿』?」
「……」
エルマの動きが止まった。
中隊長殿。
着任してから、いや、辞令を渡されたあの日から数えて、初めて誰かにそう呼ばれた。しかもきちんと敬称までついている。
(わ、私の部下〜〜〜!!!)
エルマの目が潤み、両手が胸の前で組まれた。襟の中のミンクが、主人の急な発熱に驚いて顔を出す。
この一ヶ月、名簿を読んで震え、夜ごと毛布にくるまり、指揮官の適性がないことを繰り返し訴え続けてきた日々。それが今、たった一言で報われた気がした。
「はいっ! 中隊長のエルマ・レイヴォネンです! よろしくお願いします!」
「よろしくお願いします」
「あの、私、あの、皆さんのこと、ちゃんと、その、支えられるように頑張りますので……!」
「はい」
「それで、ですね!」
エルマは意気揚々と紙束を掲げた。
「これから皆さんの歓迎会を――」
「訓練します」
「……え?」
「ただちに訓練をおこないます」
智子が立ち上がっていた。
エルマは口を「え」の形にしたまま固まっている。目だけがしきりと動いていた。
「あの、長旅の皆さんを歓迎するために、お食事の用意をですね……」
「そんなのはあとでいいです」
「お酒もあったり……」
「死んでからいくらでも飲めます。いつネウロイが攻めてくるのか分からないんですよ。呑気に宴会なんかやってる場合じゃありません。飛びます」
智子は窓の外を指さす。
「私たちはネウロイを倒すために集まりました。他のことは後回しです」
ぎろりと睨む。エルマは「この人怖い」と言いたげに後ずさった。
「多くの敵を撃墜して手柄を立てるんです」
智子は断言した。
指揮権は、ものの十数秒で、実に気持ちよく奪い取られていた。
「全員、ストライカーユニットを装着して飛行場に整列!」
「……あの、私、中隊長なんですけど……」
エルマの声は、椅子を引く音に完全に飲み込まれた。
「クルル」
『お嬢様は昔からああです。諦めなさるが良い』
コン平だけが、言葉は通じずとも慰めるように新しい上官の足元へ歩み寄っていった。
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