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避難してきた面々だが、格納庫は広い分だけ寒い。
天井が高く、隙間風が抜けていく。皆はなるべく風の吹き込まない場所を見つけて丸まっていたが、それでも足先から冷えていった。
そして——一箇所だけ、暖かい場所があった。
二重天井の上である。
ストーブの煙突が真下を通っているうえに、熱は上へ逃げる。物理法則に忠実な結果として、そこだけが人間の住める温度になっていた。
「オー」
梯子に手をかけたオヘアが、顔だけ出して声を上げた。
「ここ、暑いねー!」
「上がるな」
「上がりまーす!」
「聞け」
彼女は聞かなかった。
そして、その後ろから当然のようにビューリングが上がってきた。
「なるほど。ここが特等席か」
「フレデリカ、下に戻れ」
「断る」
「なんでだよ」
「私は寒いのが嫌いだ」
「みんな嫌いだ!」
問題は、そこにすでに一人いたことである。
チュインニは、避難が決まった時点で当たり前のように梯子を上り、当たり前のように隅で丸くなっていた。
そこに、体格のいいリベリオン人と、背の高いブリタニア人が加わった。
二重天井の上は、大人が四人も寝られる広さではない。膝を曲げれば背中が壁に当たり、伸ばせば足が梯子の穴に落ちる。
「……おい」
「なんだ」
「狭い」
「知っている」
「肘が入ってる」
「どこにだ」
「言わせるな」
「オー、ミーの足はどこですかー?」
「俺の脛の下だ」
「ソーリーソーリー」
「動くな! 揺れる! 板が!」
彼女たちに淑女的な思考回路は、まったくなかった。
寒い。上は暖かい。ゆえに上る。それだけである。
そのうえ、下の三人はいずれも上背がある。上背があるということは、単純に体積があるということだ。
尚樹自身も低くはない。膝を曲げただけで、ガツガツと誰かの身体にぶつかる。
「フレデリカ、そっち詰めろ」
「これ以上詰めたらチュインニが潰れる」
「潰れません」
「潰れる音がしてるぞ」
「気のせいです」
「気のせいじゃないだろ!」
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その真下。
床に毛布を敷いた智子は、天井から漏れる話し声を聞きながら、実に不機嫌な顔をしていた。
「……うるさい」
「智子少尉、上に行かないんですか」
ハルカが訊く。
「行かないわよ」
「暖かいですよ」
「行かない」
「なんでですか」
「寒い方がマシだから」
これは、半分だけ本当である。
穴拭智子という女は、正直、そこまで格式張るタイプではない。
浦塩でも大陸でも、男女入り混じった仮設宿舎で雑魚寝したことは何度もある。舞鶴の病室では夜通し椅子で寝た。手錠で繋がれて一晩過ごしたことすらある。
だから、狭いところに詰め込まれること自体には、何の抵抗もない。
問題は、そこではない。
——あいつの男の部分を、なるべく見たくない。
それだけである。
事変の一年間、この面倒な感情を彼女はずっと抱えてきた。
同じ空を飛ぶ相手として見ている間は、何の問題もない。喧嘩相手として見ている間も同じだ。飯を作らせ、コーヒーを淹れさせ、怒鳴りつけ、殴りかかる。それでいい。
だが、たまに——不意に、身長差とか、声の低さとか、腕の太さとか、そういうものが視界に入る瞬間がある。
そのたびに、頭の中の分類が崩れる。
崩れると、面倒くさいことになる。
だから見ない。上にも行かない。
「……ふん」
彼女は毛布を頭からかぶった。
これは此処だけの話だが。
逆も然りである。
口でこそ「智子お姉様」だの「主演女優」だのと煽り倒すあの男は、実のところ、穴拭智子を女として正面から認識することを、彼女以上に徹底して避けていた。
理由は本人にしか分からないが、少なくとも、避けている。
だから今、彼が上で本気で困っているのは、狭さや暑さのせいだけではない。
下の毛布の塊が、絶対に上がってこないと分かっているからである。
上がってきたら、たぶん、彼はもっと困る。
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「……いいなあ」
少し離れた場所で、エルマが膝を抱えていた。
「エルマ中隊長?」
「いえ、なんでも」
「上、行かないんですか」
「行けません」
「なんでですか」
「私、中隊長なので……」
彼女は自分の膝に顎を乗せた。
天井の上から、笑い声と、板の軋む音と、「動くな」「潰れる」「ソーリー」という声が漏れてくる。
温かそうである。
とても、温かそうである。
そして、彼女の脳裏には、昨日のやりとりが再生されていた。
『俺の匂いがする部屋で仕事したいか』
——あのとき。
あのとき、慌てず、うろたえず、はっきりと。
「構いません」と言っていれば。
いま、あの人は執務室のテントで寝ていた。
執務室は、この格納庫の隣にある。テントである。吹雪でバタバタ鳴っている。
……鳴っている。
「……いえ、それはそれで、あの人が凍えますね」
「え?」
「なんでもありません」
つまり、どちらに転んでも自分は寒いのである。
「……私の星回り、悪すぎませんか」
「中隊長?」
「なんでもありませんっ!」
襟の中のミンクが、主人の首筋をぺろりと舐めた。
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ウルスラは、梯子から三メートルほど離れた場所で、毛布にくるまって本を読んでいた。
読んでいるふりをしていた。
同じ行を、たぶん十七回読んでいる。
上に行けば暖かい。
これは物理的事実である。彼女は誰よりも早くその熱伝導を計算し、二重天井が最も暖かいことを到着当日に把握していた。
なのに、上れない。
「……ハルトマン曹長」
自分に呼びかけてみる。
「あなたは、爆薬の配合を間違えても実験を続行する人間です」
そうである。
「格納庫を吹き飛ばしても『爆発する方が悪い』と主張する人間です」
そうである。
「上官に電気を流すことを提案する人間です」
そうである。
「では、梯子を上ることも可能なはずです」
——不可能です。
彼女は本を閉じ、また開いた。
普段の彼女は、あけすけで、ズケズケとした物言いをする。相手が誰であろうと必要なことしか言わないし、必要なことは全部言う。
だが、ことあの人に直接関係する部分においては、その特徴が完全に鳴りを潜める。
菓子の製法を教わることすら、三度検討して三度断念した。
あの中に入っていく勇気など、微塵も持てていない。
「……不本意です」
「なにがです?」
隣に来ていたハルカが訊いた。
「なんでもありません」
「ウルスラさんも上に行きたいんですか」
「行きたくありません」
「即答ですね」
「即答です」
「本、逆さまですけど」
「…………」
ウルスラは無言で本を回した。
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そして、ハルカである。
彼女は先ほどから、梯子の下に座り込んで、じっと上を見上げていた。
「……ハルカ」
「はい」
「なにしてんの」
「見張りです」
「なんの」
「風紀の」
「上に何があると思ってんのよ」
「地獄です」
「……」
「智子少尉、上に行きましょう。二人で。私と智子少尉が上がれば、あそこは天国に変わります」
「入る隙間ないでしょ」
「詰めます」
「潰れるわよ」
「潰れても構いません」
「私が構うのよ!」
ハルカはなおも上を睨んでいたが、やがて、ふっと表情を消した。
「……あの」
「なによ」
「今、上に、四人いますよね」
「いるわね」
「チュインニさんが、いますよね」
「……いるわね」
ハルカの声から、いつもの熱が消えていた。
「あの人、寒くないんです」
「え?」
「昨日、外で二時間立ってました。私、見てました。手袋もしないで」
「…………」
「なのに、暖かいところに上がるんです」
智子は、毛布の中で少し身体を起こした。
「……ハルカ、あんた」
「なんでもありません!」
彼女は勢いよく立ち上がった。
「智子少尉、寒いので抱きしめてください!」
「戻ったわね」
「戻りました!」
「離れなさいよ!」
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その頃、二重天井の上では。
「おい、扶桑」
「なんだ」
「下が静かになったな」
「みんな寝たんだろ」
「そうか」
ビューリングは天井板の隙間から漏れる灯りを見上げた。
「……あの黒髪、上がってこなかったな」
「上がってこないよ」
「なぜ分かる」
「上がってきたら、俺が下に降りるからだ」
「……ふん」
彼女は目を閉じた。
「面倒な男だ」
「よく言われる」
外では、吹雪がまだ鳴っていた。
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