大きな扉が左右に開かれる。
冷気が吹き込み、避難していた兵士たちや整備兵から文句が上がるが、すぐに金属音とエンジン音にかき消された。 そして文句は驚きのざわめきへと変化する。
扉近くに人垣ができあがりつつあった。窮地を逃れ智子はほっとし、追及に水を差されたハルカは露骨に嫌な顔をした。
「なにごとですか」 「誰か来たみたい …… 」
チュインニが背伸びをしながら確かめようとした。
エンジンの音が響いているからなんらかの車輛だろうが、がちゃんがちゃんという金属音が異質だった。
足音のように聞こえる。 チュインニが驚いたような表情になる。
「あれ …… 陸戦ウィッチ」
スオムス陸軍の部隊がぞろぞろやってきた。ずっと戦い続けていたのだろう、皆疲れ切っていて、足取りが重い。
屋根のあるところに入ったのも久しぶりらしく、ほっとした顔を見せていた。
先頭は女性だった。スオムス陸軍のM35野戦服を着込み、足には見たことのないユニットを着用している。背は高く、豊かな銀髪に精悍な顔立ちら。
彼女は智子を見るなり興味深そうな表情を作ると、近づいてきた。
「ひょっとしたら君が扶桑からの義勇ウィッチか」
「義勇独立飛行中隊の穴拭智子少尉です」
丁寧な言葉遣いになったのは目の前の女性が中尉の階級章をつけていたからだが、相手はそんなの気にするなと言わんばかりの態度だった。
「扶桑人を見るのははじめてだ。戦争も悪いものじゃないな」
「あなたは?」
「ユーティライネン。アウロラ·エディス·ユーティライネン中尉だ。見ての通り、陸戦ウィッチ。地べたのウィッチを見るのははじめてか?」
「実はそうです」
智子が返事をした途端、アウロラの足元がしゅーと音を立て、白い煙を吹き出した。
代わりにエンジン音が小さくなって、止まる。 智子は火災かと身構えたが、アウロラは肩をすくめるだけだった。
「やれやれ、また故障か。これで我が身一つが武器だ」
彼女はユニットを脱ぐ。整備兵が急いで台車を持ってきて載せ、どこかに運んでいく。アウロラは小さく手を振った。
「さらば我が相棒。今度はオラーシャ製の新型に化けてきてくれ」
「この戦線に陸戦ウィッチがいたんですね」
「私だけだ。おかげでこき使われてるよ。何週間も戦い詰めで、ようやくいったん下がっていいと許可が出たんだ」
アウロラはきょろきょろした。
「君の仲間は?」 「は?」
「義勇独立飛行中隊が一人ってことはないだろう」
「向こうに」
智子は後ろ手で、今まで座っていたところを指した。アウロラがにこりとする。
中略---
「よし、君は避ける」
「ホワット!?」
「結果の見えてる勝負はつまらないだろう」
アウロラはざっと顔を見回して、チュインニを指名した。
そして二人がカードを配りはじめたところで——彼女の視線が、一度だけ、格納庫の別方向に流れた。
木箱に腰かけて、他人の手札を見ない位置に足を組んでいる人影の方へ。
「……ところで」
「はい?」
「あそこにいるのは何だ」
エルマが振り返り、それから答えた。
「あ、うちの隊員です。中川少尉といいます」
「……隊員」
「はい」
「航空ウィッチ部隊の、隊員」
「はい」
アウロラは、カードを配る手を止めた。
止めて、ゆっくりと立ち上がった。
そして、まっすぐ歩いていった。
「……あ、あの、ユーティライネン中尉?」
「少し話す」
---
「君」
「はい」
「名前は」
「中川尚樹です」
「歳は」
「十五です」
——**ぴく**、とアウロラの眉が動いた。
彼女は上から下まで、一度きちんと見た。
見てから、実に楽しそうに口角を上げ、そして。
舌なめずりをした。
「——十五か」
「はい」
「**余裕も余裕だな**」
「……なんの余裕です」
「気にするな」
「気になります」
「気にしなくていい」
彼女は木箱の隣にどかりと腰を下ろした。
そして、遠慮という概念を持たない距離で顔を寄せた。
「なあ少尉」
「はい」
「君、飛ぶのか」
「飛びます」
「魔力もなしに」
「はい」
「面白い」
「よく言われます」
「地上でも動けるだろう」
「動けます」
「うちに来い」
「……は?」
「陸軍付にする。私の部下だ。書類は私が書く」
「あの、俺、海軍なんですが」
「知らん」
「知ってください」
「私が中尉で、君が少尉だ。階級では負けている」
「軍が違います」
「細かい男だな、こんな美女に口説かれてるんだぞ」
「細かくないです、美女に口説かれてるのは一大事です」
---
その一部始終を、少し離れたところで見ていたエルマが、わなわなと震えていた。
「……あの」
「なんです」
「ユーティライネン中尉、同じスオムス人ですよね」
「そうねー」
「階級も、私と同じ中尉ですよね」
「そうねー」
「なんであんな……空気を……」
エルマは自分の腕をさすった。
同郷である。同階級である。年齢に至っては、向こうが十八で、こちらが十五。三つしか違わない。
なのに、あの女性が放っている空気は、まるで別の生き物のそれだった。
背が高い。肩幅がある。姿勢がいい。腕が太い。声がよく通る。そして——プロポーションが、比較を試みることすら無意味な水準にある。
塹壕で何週間も戦い続けて、酒を飲んで、丸太でネウロイを殴り倒してきた女の身体である。
「……私、同じ国の人間なんですけど」
「エルマ、比べたら駄目ねー」
「比べてません!」
「顔に出てまーす」
「出てません!!」
---
「アレは女に困らないなあ」
ビューリングが煙草の先を眺めながら、しみじみと言った。
「どの口が言うのよ」
智子が振り返る。
「私の口だ」
「その口が一番最初にちょっかい出したでしょうが」
「なんの話だ」
「名前で呼ばせてるでしょ」
「ふん」
ビューリングは煙を吐いた。
「それは私の趣味と娯楽だ。あちらは**性欲**だ。種類が違う」
「開き直りすぎでしょ」
「区別は大事だぞ」
「区別できてる方が悪質よ!」
---
智子は、コッヘルの底に残った酒を睨みつけた。
——**なんなの、この隊は。**
彼女は指を折って数えはじめた。
一人目。目の前のブリタニア女。軍規違反八十二回。新人四人と一晩過ごした前科あり。あの男に自分の煙草を押し込み、真ん中の名前で呼ばせている。
二人目。カールスラントの爆撃の魔王。会って十日で「同類だ」「気に入った」「うちに来い」を全部やった。帰国命令を無視している女である。
三人目。記憶喪失のロマーニャ人。無表情のくせに、この間、真っ昼間の空の上で人の唇を奪った。しかもその直前に、あの男にも同じことをした。
四人目。**いま増えた。**
塹壕帰りの陸戦ウィッチ。開口一番で歳を聞き、聞いた瞬間に舌なめずりをして、三分で引き抜きにかかっている。
「…………」
「智子」
「なによ」
「顔が死んでるぞ」
「死ぬわよ」
彼女はコッヘルの酒を一息に飲み干した。
焼けるような熱が喉を落ちていく。
「……ねえ、ビューリング」
「なんだ」
「あいつ、扶桑にいたときもこうだったのよ」
「ほう」
「陸軍と海軍のウィッチが、全員あいつの周りをうろついてたの。武子も、圭子も、坂本も、竹井も、北郷少佐も、江藤中佐も」
「随分な名前が並ぶな」
「そのくせ本人は、一度も気づいた顔をしないのよ」
「気づいているぞ」
「え」
「あれは全部気づいている」
ビューリングはあっさり言った。
「気づいたうえで、気づいていないことにしている。あれが一番、性質が悪い」
「……そうよね」
「そうだ」
「……そうなのよ」
智子は膝を抱えた。
「なんで私が一番腹立ててんのかしらね」
「答えが要るか?」
「要らない」
「そうか」
「絶対に要らない」
「分かった」
ビューリングは煙を吐き、そのまま黙った。
---
「——というわけで、来い」
「行きません」
「なぜだ」
「隊にいるので」
「移ればいい」
「移りません」
「頑固だな」
「そう言われます」
アウロラは実に楽しそうに笑った。
「まあいい。この戦線は狭い。また会う」
「そうでしょうね」
「そのときには酒を持ってくる」
「飲みません」
「飲め」
「飲みません」
「……君、面白いな」
彼女は立ち上がり、ぽん、と肩を叩いた。
叩かれた方が、少しよろけた。
「なるほど。珍しい部隊だ」
アウロラは義勇独立飛行中隊の面々を見回した。
「いつもこんなものなんです」
恐縮するエルマ。
「なに、少しくらい変わっている方が戦場では生き残れる」
「少しじゃすまないんですけど……」
「だったら生き残るだけじゃなくて、戦果も挙げられるだろうな」
彼女は「ニュースを楽しみにしてるよ」と言い残して、部下たちのところへ戻っていった。
戻る途中、一度だけ振り返って、こう付け加えた。
「——それと、扶桑の少尉」
「はい」
「今度会うときまでに、**もう少し歳を取っておけ**」
「取れませんよ」
「そうか。残念だな」
彼女は笑って歩き去った。
---
「…………」
「智子少尉」
ハルカが、実に静かに言った。
「なによ」
「今の、聞きました?」
「聞いた」
「どう思いました?」
「……」
智子は立ち上がり、木箱を蹴り飛ばした。
「**寝る!!**」
「わあ、智子少尉が怒った」
「怒ってない!!」
「怒ってまーす」
「うるさい!!」
外では吹雪がまだ鳴っていた。
その夜、二重天井の上は、なぜか一人分空いていた。
チュインニが、下に降りてきていたのである。
彼女は智子の毛布のすぐ横に、当たり前のように寝床を作り、それから、いつも通り少しだけ微笑んだ。
「……なによ」
「今日は、こっちにいます」
「なんで」
「上は、混みすぎているので」
「……ふうん」
「あと」
チュインニは天井を見上げた。
「今日は、あの人のことは、いいので」
「……どういう意味よ」
答えはなかった。
---
続きますか。