「問題は」
智子は勢いよくハンモックに座った。
「救助のための増援と、私たちの救援活動は認められるかってことね」
ウルスラがわずかに首を傾げた。
「人型が信じられるかはともかく、スオムスに余力があるかどうかにかかってます」
「ないでしょうね」
——中略。スオムスに予備兵力なし。ラドガ湖東方への派遣は望み薄——
「私たちだけでハルカを助けなきゃ駄目ってことね」
「肝心の攻撃目標はどこね」
オヘアの質問に、智子はすぐに返事をする。
「こないだ私とビューリングで偵察したとこよ。あのときはネウロイに邪魔されたけど、きっと奥にある」
「地上にあるなら、ミーたちだけじゃ難しいね」
「私たちはもっぱら制空戦闘。爆撃は、チュインニに頼むわ」
チュインニはうなずく。ただ、少しだけ眉を顰めた。
「一人だけじゃ効果が出ない……」
「我慢して。こっちもできるだけ機銃掃射でなんとか……」
「あの」
ウルスラが軽く手を上げる。
「だとしたら、暇してる人が」
全員「あっ」と言った。
「……で、その前に」
ビューリングが煙草を指で回しながら言った。
「もう一人、数え忘れている奴がいるぞ」
「誰よ」
「三日連続で東へ飛んで、三日連続で手ぶらで帰ってきている奴だ」
テントが静かになった。
智子は膝の上で拳を握った。
「……あいつは、明日は飛ばせないわ」
「理由は」
「疲れてるからよ」
「あれが疲れると言ったのか」
「言うわけないでしょ」
智子は吐き捨てた。
「だから私が言うのよ」
悪天候の切れ目をつき、ヴァルチラ基地に二人のウィッチが到着した。
大ざっぱに束ねた金髪と精悍な顔つき。すっと通った鼻筋には大きな傷がついている。装着しているストライカーユニットは、ユンカース社製Ju87Bシュトゥーカ。
地上攻撃の女王との異名を持つ、ハンナ=ウルリーケ・ルーデル大尉であった。
一緒にやってきたのは仏頂面のアーデルハイド少尉である。
「ここはラッペーンランタより田舎だな」「前線はもっと田舎です!」
ルーデルはストライカーユニットを整備兵に渡すと、鼻を鳴らして周囲を見回した。
そして、格納庫の方角を指した。
「あそこにいるな」
「……は?」
「例の男だ」
智子は面食らった。
「なんで分かるんですか」
「臭いだ」
「臭いって」
「火薬と油と、それから——帰りたくない奴の臭い」
ルーデルは愉快そうに傷痕を歪めた。
「あいつ、朝から飛んでるだろう」
「……昼に降りました」
「で、また上がる気だな」
「上げません」
「ほう」
「上げないって決めたんです」
ルーデルは、智子の顔をしばらく眺めた。
眺めてから、実に楽しそうに言った。
「穴拭少尉。お前、隊長の顔になってきたな」
「……代理です」
「代理は一番隊長らしい顔をするものだ」
案内の途中、格納庫の脇で当人と鉢合わせした。
飛行服のまま。装甲は解いている。髪が濡れているのは雪のせいか汗のせいか判別がつかない。目の下が黒い。
「あ、大尉。お久しぶりです」
「久しぶりだな。少尉、少し痩せたか」
「痩せてません」
「痩せた」
「痩せてません」
「アーデルハイド、どう見る」
「痩せています」
「ちょっと待ってくださいよ!」
ルーデルは尚樹の肩を摑むと、荷物でも検分するように前後に振った。
「よし、決めた。うちに来い」
「またそれですか」
「またそれだ。カールスラントには飯がある。ここには何がある」
「ここには俺の作った飯があります」
「……それは強いな」
「でしょう」
「アーデルハイド、少尉を口説くのは飯を食ってからにする」
「賢明です」
智子はこめかみを押さえた。
——この人、会うたびにこれをやる。
そして、こいつも、会うたびに満更でもなさそうな顔をする。
腹が立つ。
「行くわよ。あんたも来なさい」
「俺、これから——」
「来なさい」
「……はい」
ルーデルが、その様子を横目で見て、口の端を上げた。
「アーデルハイド」
「なんでしょう」
「私が余計な手を入れる必要は、やはり無いようだ」
「同意します」
————
「穴拭少尉、これに記入してサインをくれ」
智子は受け取ると、数枚めくって内容の確認をした。
「帰国延期のための申請書……」
「理由が必要でね。人型のことは伏せてもいいから、適当に理由をでっち上げて欲しい」
「役に立つんですか」
「扶桑語で書いてくれればな」
——中略。書類を外国語で往復させて時間を稼ぐ算段——
「よく思いつきますね」
「Ju87をくれたラルというのが、外国語だと書類をごまかしやすいと教えてくれたんだ」
「あー、それなら」
尚樹が横から書類束を抜き取った。
「俺が書きます」
「お前が?」
「智子の字は下手なんで、本国の人が『解読不能』って理由で早く返してきます。遅らせたいなら、綺麗で、丁寧で、意味の通りそうな扶桑語がいいんです」
「なんで下手って知ってるのよ」
「二年見てる」
「見せた覚えないわよ!」
「戦闘詳報を毎回代筆させられたのは誰だ」
「……」
ルーデルが手を叩いた。
「気に入った。少尉、やはりうちに来い」
「行きません」
「なぜだ」
「ここ、俺がいないと帳簿が合わないんです」
「……合ってないの?」
智子が食いついた。
「合ってなかったんです。三日前まで」
「なんでよ!」
「薪です。村から勝手に持ってった分が計上されてなかった。苦情、俺が謝りに行きました」
「……あんた、それ私の仕事でしょ」
「代理の仕事が多すぎるんだ。中隊長が帰ってくるまでは分ける」
「頼んでないわよ」
「頼まれてない」
彼は書類を丸めて小脇に挟んだ。
「頼まれてからやるのは、遅いんだよ」
智子は、言い返す言葉を探して、見つからなかった。
見つからないので、別のことを言った。
「……あんた、今日何時間寝たの」
「え」
「答えなさい」
「……」
「言いなさい」
「……三時間、くらい」
「三日前は」
「……」
「二日前は」
「……」
「ほらみなさい」
ルーデルが、実に朗らかに笑った。
「いい隊だな。ここは」
エルマはまだ不在だ。おかげで智子は仕事量が増えた。
——中略。補給、食糧、薪の苦情処理。「よくエルマ中尉はこんなのやってたわね」——
(早く帰ってきてもらって、中隊長職を返そう)
一通りの作業を済ませると食堂兼会議室のテントへ向かう。
これからが本番だ。ハルカ救出の作戦を練らなければならなかった。
テーブルの上を片づけ、周辺の地図を広げる。
「前回偵察したときは、このあたりで小型ネウロイに迎撃された」
智子は地図の一点、ラドガ湖の東岸を示す。
「多分、このあたりかもうちょい奥が、ネウロイの本拠地だと思う」
「そこじゃない」
尚樹が地図に指を置いた。
智子が示した点から、東へ、さらに二十キロ。
「オロネツの郊外です。町の中じゃない」
全員が身を乗り出した。
「見たの?」
「三日目に見た」
「言いなさいよ!」
「今言った」
「先に言えって言ってるでしょうが!」
「昨日のあんたに言ったら、昨日一人で飛んでっただろ」
「……」
「二人で別々に飛んで別々に落ちるのは、いい作戦じゃない」
ルーデルが顎を撫でた。
「少尉。何が見えた」
「地面に、蓋があります」
「蓋」
「四角い。周りだけ雪が薄い。下から熱が出てる」
「地下施設か」
「たぶん」
ウルスラが眼鏡を押し上げた。
「熱源の規模は推定できますか」
「積雪の融け方から言うと、テント一張り分じゃきかない。継続的に何かが動いてる」
テントの空気が変わった。
「……で」
智子が低く言った。
「ハルカは」
尚樹は、そこで初めて口ごもった。
「……見た」
「どこに」
「蓋の上。人型と一緒に、二人で立ってた」
「近づいたの」
「近づいた」
「それで」
「……人型が、ハルカを前に出した」
沈黙。
「盾にしたってこと?」
「そうだ」
「二回目ね」
「二回目だ」
尚樹は、地図を睨んだまま言った。
「あれは、学習してる」
「……」
「俺に対して、ハルカを前に出せば止まると分かってる。だから同じことをやる。三回目も同じことをやる」
「じゃあ、あんたじゃ駄目ってことじゃない」
智子が言った。
言ってから、自分の声が思ったより刺々しかったことに気づいた。
だが尚樹は、まったく気にした様子もなくうなずいた。
「そうだ。俺じゃ駄目だ」
「……」
「だから、俺以外がやってください」
「あんた——」
「俺が突っ込む。あれは俺を見る。ハルカを前に出す。俺は止まる。その間に、別方向から誰かが取る」
「囮ってことね」
「囮です」
「却下」
即答だった。
尚樹が顔を上げる。
「なんでだ」
「あんたが止まってる間に、あんたが撃たれるからよ」
「撃たれない。前は六本抜けた」
「一発掠ってたでしょうが!」
「掠るのは当たってないって——」
「言わないの!」
智子はテーブルを叩いた。
「私が決めるのよ、今は」
「……」
「あんたが中隊長だったら聞くわ。でも中隊長は今、後送されてるの」
「……」
「だから聞きなさい」
尚樹は、しばらく智子を見ていた。
そして、実に短く言った。
「……了解」
早すぎる返事だった。
智子は、その早さが気に入らなかった。
こいつが素直に引くときは、別の手を既に用意しているときだと知っている。
「まずは偵察を出す。相手の様子を見定めてから爆撃するわ」
「爆撃は私たちの役目だな」
ルーデルが言う。
「空戦も手伝うぞ」
「そこまでは……。怪我でもされたら私たちカールスラントで死刑になっちゃいますよ」
「私に怪我はつきものだ。なあ」
アーデルハイドはうなずいたものの、「そんなに怪我が好きなのは大尉だけです」と答えた。
「私が飛ぶ」
智子が宣言した。
「絶対にネウロイの集結点を見つけるから、爆撃で吹っ飛ばして」
「待った待った、それじゃハルカも吹っ飛ばすねー」
慌ててオヘアが言うので、智子は訂正した。
「ハルカに気をつけて吹っ飛ばして」
「難しいこと言うね……」
「難しくない」
尚樹が言った。
「爆撃の直前、ハルカは必ず外に出てくる」
「なんでよ」
「三日とも出てきた。俺が近づくと、必ず地上から上がってくる。中には隠れない」
「……つまり」
ルーデルが目を細めた。
「爆撃が始まれば、向こうから外へ出てくると」
「出てきます。そこを取ればいい」
「なるほどな。少尉、お前は爆撃を分かっている」
「大尉ほどじゃないです」
「謙遜するな。私はお前の投げ方が好きだ」
「投げてません、撃ってます」
「投げているだろう。あれは投擲だ」
「大尉、それ前も言いましたよね」
「何度でも言う」
「問題は、ネウロイにあの人型がいるってことよ」
智子はぐるっと見回した。
「あいつと出会った途端、私たちもハルカみたいになるかもしれない」
「さらわれるってことか?」
「そう」
ビューリングの問いに、智子は簡潔に答えた。
無言がテントを支配する。
「……一つ」
尚樹が口を開いた。
「あれに近づかれたら、話しかけられても返事は駄目だ」
「返事?」
「あれは、手を差し出してくる。たぶん、何か言ってくる。聞こえるかどうかは知らないが、届く」
「……あんた、届いたの」
「届いた」
彼はあっさり認めた。
「三日目に、手を出された」
「……なんて」
「分からん。言葉じゃなかった」
「じゃあ、どうやって振り切ったのよ」
尚樹は、少しだけ黙った。
「……ハルカが、笑ったからだ」
「え」
「あれの後ろで、あの娘が笑った。それで、腹が立って、我に返った」
テントの誰も、何も言えなかった。
「だから、皆」
彼は続けた。
「なにか一つ、腹の立つものを持っていってくれ」
「……変な助言ねー」
オヘアが言った。
「変でいい。効く」
チュインニが、そこで小さく口を開いた。
「……あの人は、腹が立つものが多いから、平気」
「褒めてるのかそれ」
「褒めてる」
「なら受け取っておく」
「……あいつらを吹っ飛ばせば、悩むこともなくなるわ」
智子は頭を振った。
「偵察開始は明日の早朝。そのあと出撃。頼むわね」
全員が立ち上がる。
智子は、最後に一つだけ付け加えた。
「あんたは明日の朝まで飛行禁止」
「は?」
「聞こえたでしょ」
「いや、俺は——」
「中隊長代理命令よ」
尚樹は口を開き、閉じ、また開いた。
「……三時間でいい」
「駄目」
「二時間でも——」
「駄目」
「智子」
「駄目」
彼はしばらく突っ立っていた。
そして、拗ねた顔で、荷物を抱えて出ていった。
その背中に、ルーデルが投げた。
「少尉。眠れなかったら私のところへ来い。酒がある」
「大尉、それ命令違反の教唆です」
「私は上官だ」
「他国の上官です」
「細かい男だな!」
テントの布が揺れて、それきり静かになった。
「……穴拭少尉」
ウルスラが言った。
「あの人、寝ないと思います」
「知ってるわよ」
「では、なぜ命令を」
智子は、地図を丸めながら答えた。
「命令したって事実が要るのよ」
「なんのためにですか」
「……あとで殴りに行くため」