ハリー・ポッターと東洋の魔剣士   作:キャン

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第11話 女子トイレのトロール

 一番先に扉へ飛び込んだのは、ハリーだった。

 

 女子トイレの中は、すでに半分壊されていた。

 

 床一面に水が広がっている。

 

 壁際の洗面台は二つ砕け、割れた蛇口から水が噴き出していた。鏡の破片が蝋燭の光を拾い、濡れた床のあちこちで細く光っている。

 

 その中央に、トロールがいた。

 

 悠太が想像していたより、ずっと大きかった。

 

 灰色の頭は天井近くまで届き、短い脚の上に、岩を重ねたような胴体が載っている。右手に握られた棍棒は、十一歳の子供一人より太かった。

 

 そして、一番奥の壁際にハーマイオニーがいた。

 

 倒れた木の仕切りと洗面台の間へ追い詰められ、濡れた髪を頬へ張りつかせている。

 

 杖は手にあった。

 

 けれど、腕が震え、先端は床を向いていた。

 

「ハーマイオニー!」

 

 ハリーが叫んだ。

 

 トロールの小さな目が動く。

 

 ハーマイオニーから、入口の三人へ。

 

 棍棒が持ち上がった。

 

「ハリー、右へ!」

 

 悠太の口が、考えるより先に動いた。

 

 ハリーは理由を尋ねなかった。

 

 滑る床を蹴り、右側の洗面台の陰へ飛び込む。

 

 次の瞬間、棍棒がさっきまでハリーのいた場所へ落ちた。

 

 石床が鳴った。

 

 足の裏から、身体の芯まで衝撃が突き上げる。

 

「僕たちに気づいたぞ!」

 

 ロンの声が裏返る。

 

「それが目的だ!」

 

 ハリーが洗面台の陰から答えた。

 

 その言葉どおり、トロールはハーマイオニーへ向けていた身体を回し始めていた。

 

 動きは遅い。

 

 けれど、一歩が大きい。

 

 右手に棍棒。

 

 左足がわずかに外へ開いている。

 

 首はほとんど回らない。

 

 濡れた床では、踏み出すたび右足が滑る。

 

 入口は一つ。

 

 奥の窓は高すぎる。

 

 割れた仕切りの間なら、子供は通れてもトロールの肩は通らない。

 

 悠太の目が、それらを一度に拾った。

 

 どうして見えるのか、考える暇はなかった。

 

「ロン、入口から離れて。ハーマイオニー、動ける?」

 

「足が——」

 

 ハーマイオニーが息を呑んだ。

 

 倒れた仕切りの板が、ローブの裾へ引っかかっている。

 

「挟まってるの!」

 

 トロールがハリーへ向かう。

 

 ハリーは床から割れた蛇口を拾った。

 

「おい、こっちだ!」

 

 蛇口を投げる。

 

 真鍮の塊はトロールの肩へ当たり、乾いた音を立てて床へ落ちた。

 

 効いた様子はない。

 

 それでも、注意は引けた。

 

「こっちだって言ってるだろ!」

 

 ハリーはもう一つ、石鹸入れを投げた。

 

 今度はトロールの耳へ当たった。

 

 トロールが低く唸る。

 

 悠太は左から回り込んだ。

 

 身体を低くする。

 

 棍棒の届く円へ入らない。

 

 相手の目ではなく、肩を見る。

 

 肩が動けば、腕が来る。

 

 誰かに教えられた覚えはなかった。

 

 それでも身体は、その方が正しいと知っていた。

 

「ハーマイオニー、裾を切れる?」

 

「切断の呪文は、まだ——」

 

「板を動かせる?」

 

 ハーマイオニーは自分の足元を見た。

 

 恐怖で固まっていた目が、一度閉じる。

 

 もう一度開いた時、彼女は床と仕切りの重なりを見ていた。

 

「板の端を浮かせれば抜けられる。でも、この角度じゃ杖が向かないわ」

 

「僕が行く」

 

 ロンが言った。

 

 声は震えていた。

 

 それでも入口から一歩、中へ入る。

 

「ロン、左の壁沿い!」

 

 悠太が叫ぶ。

 

「分かってる!」

 

「なら走って!」

 

「言われなくても!」

 

 ロンは走った。

 

 トロールが音へ反応し、頭を動かす。

 

 ハリーへの注意が逸れた。

 

「こっちだ!」

 

 ハリーが洗面台の上へ飛び乗った。

 

 濡れた靴底が滑る。

 

 両手をついて身体を支え、そのまま隣の台へ移る。

 

 トロールが棍棒を横へ振った。

 

「伏せて!」

 

 ハーマイオニーの声が飛んだ。

 

 ハリーが身を沈める。

 

 棍棒は頭上を通り過ぎ、鏡をまとめて砕いた。

 

 銀色の破片が雨のように落ちる。

 

 ハーマイオニーは両腕で顔を庇いながら、叫んだ。

 

「右側の仕切りへ誘って! あそこなら腕を大きく振れない!」

 

 悠太が見る。

 

 彼女の言うとおりだった。

 

 トロールの右には、まだ倒れていない二枚の仕切りがある。あの間へ肩を入れれば、棍棒は壁へ引っかかる。

 

「ハリー、聞こえた?」

 

「聞こえた!」

 

 ハリーが台から飛び下りた。

 

 トロールのすぐ前を横切る。

 

 勇敢というより、無茶だった。

 

 けれど、迷いはなかった。

 

 トロールの左手が伸びる。

 

 太い指がハリーのローブを掠めた。

 

「ハリー!」

 

 ロンが叫ぶ。

 

 ハリーは振り返らず、仕切りの方へ走った。

 

 トロールも追う。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 右肩が仕切りの間へ入る。

 

 棍棒が板へぶつかった。

 

 トロールが苛立ったように唸り、力任せに腕を引く。

 

 木の仕切りが根元から軋んだ。

 

「長くはもたない!」

 

 ハーマイオニーが言う。

 

「ロン、今!」

 

 ロンは彼女の足元へ滑り込んだ。

 

 膝をつき、倒れた板へ杖を向ける。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 板の端が震えた。

 

 一センチほど浮き、また落ちる。

 

 ハーマイオニーが息を呑む。

 

「もう一度! 最初を長く、手首は振り回さないで!」

 

「分かってる!」

 

「朝は分かってなかったでしょう!」

 

「今は分かってる!」

 

 トロールが仕切りを引き抜いた。

 

 板が宙を飛び、壁へ突き刺さる。

 

「急いで!」

 

 ハリーが叫ぶ。

 

 ロンは杖を振り直しかけ、迫るトロールを見た。

 

「呪文じゃ間に合わない!」

 

 杖をローブの内側へ差し、倒れた板の端へ両手をかける。

 

 指を狭い隙間へ入れ、肩まで使って持ち上げた。

 

 板がわずかに浮く。

 

「今だ、抜いて!」

 

 ハーマイオニーが足を引き、ロンもローブを板の下から引いた。

 

 布が裂ける。

 

 ハーマイオニーの足が自由になった。

 

「立てる?」

 

「ええ」

 

 立ち上がろうとして、よろめく。

 

 ロンが腕を掴んだ。

 

「ええじゃないだろ」

 

「少し痺れてるだけよ」

 

「それを立てないって言うんだ」

 

 トロールが二人の声へ顔を向けた。

 

 仕切りから抜けた右腕が上がる。

 

「二人とも、奥へ!」

 

 悠太は杖を向けた。

 

 呪文がいくつも頭に浮かび、どれも間に合わないと消えた。

 

 止められない。

 

 倒せない。

 

 なら、向きを変える。

 

「ルーモス!」

 

 杖先に白い光が弾けた。

 

 悠太はその光をトロールの目へ向ける。

 

 トロールが顔を背けた。

 

 棍棒の軌道がずれる。

 

 ロンとハーマイオニーの手前へ落ち、床を砕いた。

 

「こっちへ!」

 

 悠太が二人を呼ぶ。

 

 ロンはハーマイオニーの腕を肩へ回し、入口へ向かおうとした。

 

 けれど、トロールの身体が道を塞いでいる。

 

「出口へ行けない!」

 

「左の仕切りを抜けて、壁沿いに回って!」

 

 悠太の声に、三人が同時に動いた。

 

 ハリーが先に仕切りの隙間へ入る。

 

 ロンがハーマイオニーを支えて続く。

 

 悠太は最後に残った。

 

 トロールの目が光から戻る。

 

 すぐ前にいる悠太を見る。

 

 小さな鼻が動いた。

 

 腐った息が降りかかる。

 

 仕切りの向こうで、ハリーが割れた蝶番を拾った。

 

「こっちだ!」

 

 トロールの背中へ投げる。

 

 鉄の欠片が当たり、巨体が振り向いた。

 

 ハリーは、ロンとハーマイオニーを庇うように立っていた。

 

 背後は壁だった。

 

 左右は仕切りに塞がれている。

 

 トロールが棍棒を振り上げた。

 

 頭では、逃げろと分かっていた。

 

 悠太の足は、逆にハリーとの間へ踏み込んだ。

 

 杖を右手で握る。

 

 左手を柄の下へ添える。

 

 木の杖を、まるで刀であるかのように両手で構えた。

 

 右足を引く。

 

 腰を落とす。

 

 切っ先に当たる杖先を、相手の喉元へ向ける。

 

 その構えを、悠太は知らなかった。

 

 知らないはずなのに、少しも迷わなかった。

 

「ユウタ、逃げろ!」

 

 ハリーの声がした。

 

 悠太は動かなかった。

 

 トロールの肩を見る。

 

 下へ振るのではない。

 

 斜めに薙ぐ。

 

 右から左。

 

 避ければ、棍棒はハリーへ届く。

 

 受ければ、杖ごと折れる。

 

 なら、そのどちらでもない。

 

 棍棒が動いた。

 

「プロテゴ!」

 

 杖先と棍棒の間に、薄い光が広がった。

 

 壁ではなかった。

 

 磨かれた硝子のような、頼りない一枚の膜だった。

 

 棍棒が触れた瞬間、光は大きくたわんだ。

 

 悠太の両腕へ、骨まで砕けそうな重さが落ちる。

 

 靴が水の上を滑った。

 

 肩が抜けるように痛む。

 

 それでも、杖を離さなかった。

 

「うあっ!」

 

 声が喉から漏れた。

 

 光の膜が斜めに傾く。

 

 正面から止めるのではない。

 

 受け流す。

 

 棍棒の先が悠太の左肩を外れ、床へ叩きつけられた。

 

 石と木のぶつかる音が、狭い部屋を揺らした。

 

 光が砕ける。

 

 悠太の身体も横へ飛ばされた。

 

 背中が洗面台へ当たる。

 

 息が消えた。

 

「ユウタ!」

 

 ハリーが駆け寄ろうとする。

 

「来ないで!」

 

 悠太は咳き込みながら叫んだ。

 

 トロールが棍棒を持ち上げる。

 

 今度は悠太へ向く。

 

 時間は作れた。

 

 出口への道も見えた。

 

 それなのに、ハリーは逃げなかった。

 

 仕切りの上へ足をかける。

 

「何してるの!」

 

 ハーマイオニーの声が響く。

 

「もう一度、気を引く!」

 

「やめて!」

 

 ハリーは仕切りを蹴った。

 

 倒れかけた板がトロールの背中へ当たる。

 

 トロールが振り向いた。

 

 その背へ、ハリーが飛びついた。

 

 両腕を太い首へ回す。

 

「ハリー!」

 

 ロンが叫ぶ。

 

「僕だって、何してるか分からない!」

 

 トロールが身体を振った。

 

 ハリーの足が宙を舞う。

 

 片手で首へしがみつき、もう片方の手に杖を握っている。

 

 その杖が、暴れるトロールの鼻へ突き刺さった。

 

 トロールの咆哮が、天井から埃を落とした。

 

 ハリーが顔をしかめる。

 

「最悪だ!」

 

 何が最悪なのかは、聞かなくても分かった。

 

 トロールは棍棒を取り落とした。

 

 床へ転がった棍棒が、水を跳ね上げる。

 

 両手が背中のハリーへ伸びた。

 

「杖が抜けない!」

 

 ハリーが叫ぶ。

 

「首から離れて!」

 

「離れたら落ちる!」

 

 トロールの指がローブの裾を掴んだ。

 

 ハリーの身体が持ち上がる。

 

 悠太は立ち上がろうとした。

 

 腕に力が入らない。

 

 膝が濡れた床へ落ちる。

 

「棍棒よ!」

 

 ハーマイオニーの声がした。

 

 彼女はロンの肩へつかまりながら、床を指している。

 

「ロン、棍棒! さっきの呪文で!」

 

 ロンが棍棒を見る。

 

 自分の杖を見る。

 

 朝の教室で、羽根は一度も浮かなかった。

 

 さっき呪文では動かなかった仕切りより、何倍も重い。

 

 トロールがハリーを正面へ引き寄せた。

 

 左手が太い首を掴もうとしている。

 

「ロン!」

 

 悠太が呼んだ。

 

 それ以上は言わなかった。

 

 ロンは一度だけ息を吸った。

 

 杖を上げる。

 

 手首を小さく動かす。

 

「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」

 

 棍棒が床から浮いた。

 

 一メートル。

 

 二メートル。

 

 トロールの頭より高く上がる。

 

 ロンの目も、棍棒を追って大きくなる。

 

「浮いた」

 

「落として!」

 

 ハーマイオニーが叫ぶ。

 

「どうやって!」

 

「呪文を切って!」

 

 ロンが杖を下ろした。

 

 棍棒が落ちた。

 

 鈍い音がした。

 

 トロールの目が上を向く。

 

 ハリーを掴んでいた指が開いた。

 

 ハリーは水の上へ落ち、背中から滑った。

 

 巨体が一度、前へ揺れる。

 

 次に後ろへ傾いた。

 

「避けて!」

 

 悠太が叫ぶ。

 

 ハリーは横へ転がった。

 

 トロールが床へ倒れる。

 

 部屋中の水が大きく跳ねた。

 

 それきり、動かなくなった。

 

     *

 

 誰も、すぐには話さなかった。

 

 割れた蛇口から水が落ち続けている。

 

 一滴ずつではない。

 

 細い川のような音だった。

 

 その向こうで、四人の息だけが聞こえた。

 

 ロンは杖を上げた姿勢のまま固まっていた。

 

「僕がやった?」

 

 ようやく出た言葉は、それだった。

 

「やった」

 

 ハリーが床へ座ったまま答えた。

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

 ハーマイオニーも言った。

 

 ロンは倒れたトロールと、自分の杖を交互に見た。

 

「羽根より重かったぞ」

 

「見れば分かるわ」

 

「じゃあ、僕は羽根より棍棒の方が得意なんだ」

 

「普通は逆よ」

 

 ハーマイオニーの声はまだ震えていた。

 

 それでも、いつもの調子が少し戻っている。

 

 ハリーが鼻を押さえた。

 

「僕の杖は?」

 

 三人がトロールの顔を見た。

 

 鼻の穴から、杖の柄だけが出ていた。

 

「取るの?」

 

 ロンが尋ねる。

 

「取らないと困る」

 

「新しいのを買った方がいいんじゃないか?」

 

「誰が払うんだよ」

 

 ハリーは立ち上がり、ローブの袖を手へ巻いた。

 

 二本の指で杖の柄をつまむ。

 

「引っ張ればいいのよ」

 

「言うのは簡単だね」

 

 顔を背けながら杖を抜いた。

 

 先端から粘ついた灰色のものが糸を引く。

 

 ハリーはしばらく無言で見つめた。

 

「洗えば使えると思う?」

 

「七回くらい洗えば」

 

 悠太が答えた。

 

「七回で足りる?」

 

「十回にしよう」

 

 ハリーは真剣に頷いた。

 

 ロンが笑いかけ、途中で咳に変わった。

 

 悠太も笑おうとした。

 

 背中へ痛みが走る。

 

 息を詰め、洗面台へ手をついた。

 

「悠太」

 

 ハーマイオニーがロンの肩から離れた。

 

 足を引きずりながら近づく。

 

「腕を見せて」

 

「平気だよ」

 

「今、洗面台がなかったら倒れていたわ」

 

「よく見てるね」

 

「あなたが見ていなさすぎるのよ。自分のことを」

 

 左腕を取られる。

 

 肩から手首まで、細かな震えが止まっていなかった。

 

 悠太は初めてそれに気づいた。

 

「さっきの呪文」

 

 ハーマイオニーが声を落とす。

 

「盾の呪文だった」

 

「たぶん」

 

「たぶんじゃないわ。『プロテゴ』って言ったでしょう」

 

「言ったね」

 

「どこで習ったの?」

 

 悠太は答えようとした。

 

 マホウトコロで習った。

 

 留学前に教わった。

 

 教科書で読んだ。

 

 どれか一つを言えば、それらしい答えになった。

 

 けれど、そのどれにも覚えがない。

 

「分からない」

 

「分からない?」

 

「気づいたら、言ってた」

 

 ハーマイオニーは悠太の杖を見る。

 

 縄文杉の杖は、いつもの細い木の姿だった。

 

 ただ、悠太の両手には同じ位置へ赤い痕が残っていた。

 

 柄を握り、刀を構えたような痕だった。

 

 悠太の胸の奥で、何かが一度だけ動いた。

 

 記憶ではない。

 

 声でも、映像でもない。

 

 もっと深い場所で、固く閉じた扉が、向こう側から押されたような感覚だった。

 

 開かなかった。

 

 ほんのわずか、蝶番が軋んだだけだった。

 

「僕は、今までにも同じことをしたのかな」

 

 誰へともなく、悠太は言った。

 

 ハリーが顔を上げる。

 

 答えは返らなかった。

 

 代わりに、廊下から走る足音が聞こえた。

 

 大人の足音。

 

 一人ではない。

 

「来る」

 

 悠太が扉を見る。

 

 直後、マクゴナガル先生が飛び込んできた。

 

     *

 

 マクゴナガル先生の顔から、血の気が引いた。

 

 倒れたトロール。

 

 砕けた洗面台。

 

 水浸しの床。

 

 その中に立つ四人の一年生。

 

 視線が一つずつ確かめるように動き、最後にハリーの汚れた杖で止まった。

 

「これは——」

 

 声が一度途切れる。

 

 次に出た声は、いつもの鋭さを取り戻していた。

 

「何をしているのです!」

 

 後ろからスネイプ先生が入ってくる。

 

 黒いローブの裾が水を吸った。

 

 片方の裾には新しい裂け目があり、歩幅もわずかに不揃いだった。

 

 悠太はそれに気づいたが、尋ねる状況ではなかった。

 

 そのさらに後ろで、クィレル先生が扉へ手をついた。

 

「ト、トロールが……」

 

「その点だけは、見れば分かりますな」

 

 スネイプ先生が冷たく言った。

 

 黒い瞳が部屋を横切る。

 

 ハリー。

 

 ロン。

 

 ハーマイオニー。

 

 そして、悠太。

 

 悠太の両手は、まだ杖を刀のように握っていた。

 

 気づいて右手だけへ持ち直す。

 

 遅かった。

 

 スネイプ先生の目が、その動きを見ていた。

 

「ポッター、ウィーズリー、ワタナベ」

 

 マクゴナガル先生の声が震えている。

 

 怒りだけではなかった。

 

「なぜ寮へ戻らなかったのです。あなたたちは、命を失っていたかもしれないのですよ」

 

「先生、私が——」

 

 ハーマイオニーが一歩前へ出た。

 

 足が痛み、顔が歪む。

 

 ロンがすぐ腕を支えた。

 

 ハーマイオニーは驚いたように彼を見たあと、マクゴナガル先生へ向き直った。

 

「私が悪いんです」

 

「ミス・グレンジャー?」

 

「本でトロールのことを読んで、自分なら対処できると思いました。それで、探しに来ました」

 

 ハリーが目を見開く。

 

 ロンも、ハーマイオニーを見る。

 

 悠太だけではない。

 

 四人とも、それが本当ではないと知っていた。

 

「見つけた時には、何もできなくて……三人が来てくれなければ、私は——」

 

 最後の言葉が震えた。

 

 マクゴナガル先生は、長い間ハーマイオニーを見た。

 

「トロールを探しに行った、と?」

 

「はい、先生」

 

「あなたがそのような無謀な行動を取るとは、思いませんでした」

 

 それは怒鳴られるより、ハーマイオニーへ効いた。

 

 彼女の肩が小さくなる。

 

「グリフィンドールから五点減点します」

 

「はい」

 

「今後、怪物について本で読んだからといって、実物へ近づいてはなりません」

 

「はい、先生」

 

「ですが——」

 

 マクゴナガル先生の目が三人の少年へ向く。

 

「あなたたちが危険を知らせようとし、そのうえで同級生を助けたことは認めなければなりません。無謀さを褒めるつもりはありません。しかし、並外れた勇気でした」

 

 ハリーとロンが姿勢を正す。

 

「ポッター、ウィーズリー、ワタナベへ、それぞれ五点を与えます」

 

 ロンの口が少し開いた。

 

「先生」

 

 悠太が言う。

 

「何です?」

 

「僕たちは避難の列を抜けました。パーバティに先生へ伝えてもらいましたが、待たずに来たのは僕たちの判断です。責任は僕にもあります」

 

 ハーマイオニーが悠太の袖を掴んだ。

 

 悠太は彼女がここへ来た理由には触れなかった。

 

「あなたは、自分に与えられた点を返したいのですか?」

 

「点より、命令に背いたことを黙っている方が嫌です」

 

 マクゴナガル先生の眉が上がった。

 

 スネイプ先生の口元が、わずかに歪む。

 

「まったく、グリフィンドールらしい答えですなぁ……」

 

 褒めたようには聞こえなかった。

 

 マクゴナガル先生は眼鏡の奥から四人を見渡した。

 

「今の点は、同級生を救った勇気に対するものです。避難命令へ背いた件は別です。明日、三人とも報告書を提出しなさい」

 

「はい、先生」

 

「ですが今は、四人とも医務室へ行きなさい。特にミスター・ワタナベ、その左腕を動かしてはいけません」

 

「動きます」

 

 悠太が少し上げる。

 

 肩に痛みが走り、途中で止まった。

 

「動かしてはいけないと言ったのです」

 

「はい。すみません」

 

 ハリーが口元を押さえた。

 

 笑うところではない。

 

 それでも、少しだけ笑っていた。

 

「ところで、このトロールを倒したのは誰です?」

 

「ロンです」

 

 ハーマイオニーが答えた。

 

「私は呪文を提案しただけです。成功させたのはロンです」

 

 ロンが彼女を見る。

 

 悠太も頷いた。

 

「僕の盾は一度しかもちませんでした。ロンの呪文がなかったら、次は防げなかったと思います」

 

「盾?」

 

 スネイプ先生の声が、それまでより低くなった。

 

 悠太の背中が強張る。

 

「ミスター・ワタナベ。盾とは?」

 

「盾の呪文です、先生」

 

「呪文名を尋ねている」

 

「プロテゴです」

 

 スネイプ先生は一歩近づいた。

 

「一年生の授業では扱わない呪文だ」

 

「はい」

 

「マホウトコロでは、十一歳の生徒へ棍棒を受け止めさせる授業でもあるのかね?」

 

「いいえ。少なくとも、僕は習った覚えがありません」

 

「それは奇妙な話しだ。習っていないはずの呪文を使った、と」

 

「気づいたら口にしていました」

 

「なるほど。君は実に便利な口を持っているようだ」

 

「僕も、もう少し便利ならよかったと思います」

 

 スネイプ先生の眉間が狭くなる。

 

 教師への敬語は崩していない。

 

 けれど、皮肉は通じたらしい。

 

 スネイプ先生は悠太の杖へ手を伸ばした。

 

「杖を見せろ」

 

 悠太は両手で差し出そうとした。

 

 左腕が動かず、右手だけになる。

 

 縄文杉の表面を、細い指が辿った。

 

 ただの杖だった。

 

 刀身も、残った魔力の刃もない。

 

 それでもスネイプ先生の顔から、ほんの一瞬だけ皮肉が消えた。

 

 目の前の十一歳ではなく、別の何かを見たようだった。

 

「粗雑だ」

 

 戻ってきた言葉は、それだけだった。

 

「盾としては、ですか?」

 

「すべてにおいて」

 

「次は気をつけます」

 

「これだけの騒ぎを起こしておきながら、次を作るつもりでいると?」

 

 杖が返される。

 

 だがスネイプ先生の指は、すぐには離れなかった。

 

 扉の近くで、クィレル先生がじっと悠太を見ていた。

 

 普段のおどおどした目ではなかった。

 

 悠太が気づくと、すぐに視線を落とす。

 

「わ、私が、四人を医務室へ——」

 

「結構です」

 

 マクゴナガル先生が言った。

 

「スネイプ先生、お願いできますか」

 

「喜んで」

 

 まったく喜んでいない声だった。

 

     *

 

 医務室へ向かう間、誰も大きな声では話さなかった。

 

 スネイプ先生が前を歩いている。

 

 黒いローブが曲がり角を通るたび、四人も同じ方向へ曲がった。

 

 ハーマイオニーは片足を引きずっていた。

 

 ロンが左側から支えている。

 

 右側へハリーがついた。

 

 悠太は少し後ろを歩いた。

 

 左腕を動かすなと言われても、歩くたび肩へ響く。

 

「ねえ」

 

 ハーマイオニーが小声で言った。

 

「何?」

 

 ロンが答える。

 

「さっきは、ありがとう」

 

 ロンの耳が赤くなった。

 

「別に」

 

「別に、ではないでしょう」

 

「こういう時、何て言えばいいか分からないんだよ」

 

「どういたしまして、でいいわ」

 

「どういたしまして」

 

「今のは言わされたみたいね」

 

「言わせたんだろ」

 

 ハリーが笑った。

 

 笑い声は小さかったが、前を歩くスネイプ先生には聞こえたらしい。

 

「もう一度怪物と戦う元気が残っているなら、地下牢へ連れて行っても構わないが?」

 

「いいえ、先生」

 

 四人の返事が重なった。

 

 それが少し可笑しくて、今度は全員が黙ったまま笑った。

 

     *

 

 マダム・ポンフリーは、真夜中に近い医務室へ四人の一年生がまとめて現れたことより、その後ろにスネイプ先生がいることを嫌がった。

 

「床が濡れます」

 

「トロールのいた部屋が水浸しでした」

 

 ハリーが説明する。

 

「理由を尋ねたのではありません。靴を脱ぎなさい」

 

 四人は並んで靴を脱いだ。

 

 水を吸った靴下も脱ぐ。

 

 ベッドの端へ座らされる。

 

 ロンの額には小さな切り傷。

 

 ハリーの手の甲には擦り傷。

 

 ハーマイオニーの足首は軽く捻っていた。

 

 悠太の左肩と背中は、打撲だと言われた。

 

「骨は折れていません」

 

 マダム・ポンフリーが杖を下ろす。

 

「運が良かっただけです」

 

「はい」

 

「返事だけは素直ですね」

 

「次は行動も——」

 

「次はありません」

 

「はい」

 

 スネイプ先生は、入口からそのやり取りを見ていた。

 

「明日の朝までは、ここへ」

 

 マダム・ポンフリーが言いかける。

 

「この程度の怪我で、朝までとは感心しませんな」

 

 スネイプ先生が遮った。

 

「こういう場合は寮監が決めるのが筋ではないかね?」

 

「ですが、あなたはグリフィンドールの寮監ではないのでは?」

 

「左様」

 

「でしたら、口を出さないでください」

 

 スネイプ先生の口元が硬くなる。

 

 ハリーはベッドの白い掛布へ顔を伏せた。

 

 ロンも天井を見上げている。

 

 笑わないためだった。

 

 結局、治療が終われば寮へ戻ってよいことになった。

 

 ただし、ハーマイオニーの足首には包帯が巻かれ、悠太の左腕は首から吊られた。

 

「大げさじゃないですか?」

 

 悠太が尋ねる。

 

「外したければ、もう一度肩へ棍棒を受けなさい」

 

「このままで大丈夫です」

 

「賢明です」

 

 マダム・ポンフリーが次の棚へ向かった。

 

 スネイプ先生も、ようやく扉から離れる。

 

「ポッター。明日の授業までに、その杖を徹底的に洗っておけ」

 

 ハリーは自分の杖を見た。

 

 鼻の奥を思い出したらしい。

 

「はい、先生」

 

「ワタナベ」

 

「はい」

 

「知らない呪文が、また都合よく頭へ浮かんだなら」

 

 スネイプ先生は黒い目で悠太を見た。

 

「次は呪文を使う前に、その意味を考えることだ」

 

「今回は、考える時間がありませんでした」

 

「そうやって礼儀正しいふりをして、口答えばかりしていると、いつかしっぺ返しを喰らうことになる」

 

 低い声だった。

 

 皮肉だけではない何かが混じっている。

 

 悠太が意味を考える前に、スネイプ先生は背を向けた。

 

 黒いローブが扉の向こうへ消える。

 

 四人だけが残った。

 

 マダム・ポンフリーは奥の部屋で薬瓶を並べている。

 

 扉の閉まる音がしてから、ロンが長く息を吐いた。

 

「スネイプって、心配してても脅してるみたいに聞こえるな」

 

「心配してたと思う?」

 

 ハリーが尋ねる。

 

「違うのか?」

 

「僕には分からない」

 

「ユウタは?」

 

「僕にも分からないよ」

 

「じゃあ、誰にも分からないな」

 

 短い沈黙が落ちた。

 

 さっきまでの沈黙とは違った。

 

 同じ部屋にいても、どこを見ればよいか分からない沈黙だった。

 

 ロンが自分の濡れた靴下を丸める。

 

 何度も形を直し、最後に膝の上へ置いた。

 

「ハーマイオニー」

 

 彼女が顔を上げる。

 

「朝のこと」

 

 ロンは耳だけでなく、首まで赤くなっていた。

 

「僕は、その……」

 

 ハリーは黙って待った。

 

 悠太も口を挟まなかった。

 

「悪かった」

 

 ロンが言った。

 

「あんなふうに聞かせるつもりじゃなかった。でも、言ったのは僕だ。だから……ごめん」

 

 ハーマイオニーの目が少し潤む。

 

 泣き出しはしなかった。

 

「私も、いつも言い方がきついことは分かってるわ」

 

「じゃあ、お互い——」

 

「でも、あなたの言ったことが傷つかなかったわけじゃない」

 

 ロンの顔が止まる。

 

「うん」

 

「すぐに許せるかも、まだ分からない」

 

「うん」

 

「でも、助けに来てくれたことは、本当に感謝してる」

 

「それなら……半分くらいは許した?」

 

「三分の一」

 

「少なくないか?」

 

「今ので四分の一になったわ」

 

「減るのかよ」

 

 ハリーが笑った。

 

 悠太も、今度は肩を動かさないように笑う。

 

 ハーマイオニーの口元にも、小さな笑みが浮かんだ。

 

「それから、ユウタ」

 

「僕?」

 

「あなたも謝ろうとしないで」

 

「まだ何も言ってないよ」

 

「顔に書いてあるわ」

 

「英語で?」

 

「今はかなり読みやすい英語よ」

 

「それは上達したね」

 

「私がトイレへ行った時、あなたはパーバティたちを向かわせてくれた。それに、助けに来た。もっと早く自分が行けばよかった、なんて言うつもりなら間違ってるわ」

 

 言おうとしていた。

 

 悠太は口を閉じる。

 

「でも、僕は迷った」

 

「迷っても、最後に来たでしょう」

 

「三人とも来た」

 

 ハリーが言う。

 

「ロンが最初に『行こう』って言ったんだ」

 

 ロンが目を逸らした。

 

「いちいち言わなくていい」

 

「言った方がいいよ」

 

 悠太が答える。

 

「朝は、言わなくてもいいことを言った。今は、言った方がいいことを言った。それで少しは同じになる」

 

「全部じゃないの?」

 

 ロンが尋ねる。

 

「言葉は戻せないって言っただろ」

 

「覚えてるよ」

 

「でも、次に何を言うかは選べる」

 

 ロンはしばらく悠太を見た。

 

「そういうところ、やっぱり少し腹が立つ」

 

「それも言った方がよかった?」

 

「これは言わなくてもよかった」

 

「遅かったね」

 

 ロンが鼻を鳴らす。

 

 けれど、もう怒ってはいなかった。

 

「それにしても」

 

 ハリーが悠太の吊られた腕を見る。

 

「あれ、どうやったんだ?」

 

「分からない」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

「マホウトコロの秘密じゃなくて?」

 

「秘密なら、僕にも教えてほしい」

 

 悠太は右手を開いた。

 

 掌に二本、赤い線がある。

 

 細い杖を握っただけでは、同じ場所へ二本の痕はつかないはずだった。

 

 両手で、柄を握った。

 

 腰を落とし、相手の肩を見た。

 

 止めるのではなく、流した。

 

 すべて、初めてしたことだった。

 

 それなのに思い返すと、初めてではない気がした。

 

「怖くなかったの?」

 

 ハーマイオニーが尋ねる。

 

「怖かったよ」

 

「そうは見えなかった」

 

「大きな鳥が入ってきてたら、もっと怖かったと思う」

 

 三人が悠太を見る。

 

「比べるものがおかしいだろ」

 

 ロンが言った。

 

「トロールより梟の方が怖いの?」

 

 ハリーが尋ねる。

 

「トロールは箒で追いかけてこないからね」

 

「棍棒では追いかけてきたわ」

 

 ハーマイオニーが言う。

 

「それは今日知ったよ」

 

 四人の笑い声が、白い医務室へ広がった。

 

 大きくはない。

 

 けれど、誰か一人だけが外にいる笑いではなかった。

 

     *

 

 グリフィンドール塔へ戻る頃には、ハロウィーンの宴は終わっていた。

 

 廊下の蝋燭は半分まで短くなり、朝から浮かんでいた南瓜の灯も眠そうに揺れている。

 

 太った婦人の肖像の前に、パーシーが立っていた。

 

 その後ろには、パーバティ、ラベンダー、ネビル、ディーン、シェーマスもいる。

 

「戻ったぞ!」

 

 シェーマスが言う。

 

 全員が一度に近づいてきた。

 

「静かに!」

 

 パーシーが声を抑える。

 

「夜中だ。それから、君たち三人——いや、四人は後で寮監から話があるはずだ」

 

「はい、パーシー先輩」

 

 悠太が答えた。

 

 パーシーは吊られた左腕を見る。

 

「無事なのか?」

 

「打撲だけです」

 

「それを無事とは——」

 

「悠太!」

 

 パーバティがパーシーの横を抜けた。

 

 悠太の前で止まり、左腕と顔を交互に見る。

 

「腕、どうしたの?」

 

「棍棒を少し」

 

「少し?」

 

「直接は当たってないよ」

 

「当たりそうになったの?」

 

「それは——」

 

「なったのね」

 

 パーバティの目が潤んだ。

 

 怒っているようにも見えた。

 

「先生に伝えてくれてありがとう」

 

 悠太が言う。

 

「私が聞いた時には、もう先生たちは向かっていたの。何度もパーシーへ言って、それでも戻ってこなくて——」

 

「ごめん」

 

「どうしてあなたが謝るのよ」

 

「心配させたから」

 

 パーバティは何かを言おうとした。

 

 悠太の後ろにいるハーマイオニーへ気づく。

 

 包帯の巻かれた足首を見ると、すぐにそちらへ近づいた。

 

「ハーマイオニー」

 

 抱きしめる代わりに、両手で彼女の手を握った。

 

「本当に大丈夫?」

 

「ええ。心配をかけてごめんなさい」

 

「謝らなくていいわ。明日、ちゃんと話しましょう」

 

「うん」

 

 ハーマイオニーの返事は、今日初めて聞くほど柔らかかった。

 

 ネビルがロンの横へ来る。

 

「トロールを倒したって、本当?」

 

「僕一人じゃない」

 

 ロンは答えた。

 

「最後に棍棒を落としたのは僕だけど」

 

「それは言うんだね」

 

 悠太が言う。

 

「事実は正しく残した方がいいんだろ」

 

「覚えるのが早いね」

 

「君に教わったわけじゃない」

 

 ディーンとシェーマスが笑う。

 

 ハリーも笑った。

 

 ロンは少し胸を張り、それからハーマイオニーを見た。

 

「呪文を教えたのはハーマイオニーだ」

 

「提案しただけよ」

 

「成功したのはロン」

 

 悠太が言う。

 

「同じことを二回言うなよ」

 

「大事なことだから」

 

 ロンは顔をしかめた。

 

 隠しきれない笑みが口元にあった。

 

 太った婦人が眠そうに咳払いをする。

 

「中へ入りたいのかしら。それとも、朝まで廊下で友情を確かめるつもり?」

 

「合言葉は『豚の鼻』です」

 

 パーシーが答える。

 

「分かっております」

 

 肖像画が前へ開いた。

 

 談話室には暖炉の火が残っていた。

 

 宴から持ち帰られた菓子と果物が、中央の机へ積まれている。

 

 皆が四人を囲み、質問を始めた。

 

 トロールはどれほど大きかったのか。

 

 本当に棍棒を浮かせたのか。

 

 ハリーの杖はなぜそんな臭いがするのか。

 

 悠太の腕はどうしたのか。

 

 四人は同じ出来事を、少しずつ違う順番で話した。

 

 ハリーは、最初にハーマイオニーを見つけた時のことを話した。

 

 ロンは、棍棒が浮いた瞬間を大きめに話した。

 

 ハーマイオニーは、出口と仕切りの位置を説明した。

 

 悠太は、自分の盾より三人の行動を多く話した。

 

 誰かが間違えれば、別の誰かが直した。

 

 それでも、話は一つだった。

 

 やがてパーシーが全員を寝室へ追い立てた。

 

「明日も授業がある。これ以上の質問は朝にしろ」

 

 生徒たちが一人ずつ階段へ向かう。

 

 ハーマイオニーもパーバティに支えられ、女子寮への階段の前へ立った。

 

「おやすみ」

 

 ハリーが言った。

 

「おやすみ」

 

 ハーマイオニーが答える。

 

 ロンは片手を上げた。

 

「明日の朝、その……」

 

 言葉が続かない。

 

 悠太は待った。

 

 ハリーも急かさなかった。

 

「いつもの席、来る?」

 

 ロンがようやく尋ねた。

 

 ハーマイオニーは三人を見た。

 

 朝には、同じ長机に座っていた。

 

 けれど、四人分の席ではなかった。

 

 ハリーとロン。

 

 少し離れた悠太。

 

 向かい側で、一人でも平気な顔をしていたハーマイオニー。

 

「席が空いているなら」

 

 彼女が答えた。

 

「空けるよ」

 

 ハリーが言う。

 

「四人分」

 

 悠太が加えた。

 

 ハーマイオニーは、ほんの少しだけ笑った。

 

「じゃあ、明日の朝に」

 

 パーバティと一緒に階段を上がっていく。

 

 三人の少年は、その姿が見えなくなるまで立っていた。

 

 宣言はなかった。

 

 親友だと確かめ合ったわけでもない。

 

 朝の言葉が消えたわけでも、怖かった時間がなかったことになったわけでもない。

 

 それでも、次に座る場所は決まった。

 

 翌朝の食卓には、四人分の席が空けられる。

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