ハリー・ポッターと東洋の魔剣士   作:キャン

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第7話 図書館のマグル生まれ

 

「遅いわ」

 

 図書館へ入って最初に聞いたのは、ハーマイオニーの声だった。

 

 長机の一番奥。

 

 高い窓から差し込む午後の光の中で、彼女は七冊の本に囲まれている。

 

 借りた一か月分の授業ノートを含めれば、机の上にある紙と本の量は、悠太の荷物より多く見えた。

 

 悠太は壁の時計を見た。

 

「でも一分しか……」

 

「いいえ。正確には一分五十五秒よ。人の貴重な時間を奪ってる」

 

「それは階段が途中で行き先を変えたので……」

 

「階段を言い訳をしないで」

 

「君は日本のサラリーマンに向いてそうだ」

 

 ハーマイオニーは口を開きかけた。

 

 その時、書架の向こうから細長い影が現れた。

 

 マダム・ピンスだった。

 

 痩せた顔と鋭い目が、二人を順番に見る。

 

「図書館では」

 

 乾いた声が落ちる。

 

「階段より静かに」

 

「失礼しました」

 

 悠太はすぐに頭を下げた。

 

 ハーマイオニーも背筋を伸ばす。

 

「すみません、マダム・ピンス」

 

 司書はしばらく二人を見ていた。

 

 やがて悠太の腕に抱えられた羊皮紙へ目を移す。

 

「インクをこぼしたら、掃除だけでは済みませんよ」

 

「気をつけます」

 

「本の頁を折らない。書き込まない。開いたまま伏せない。許可なく魔法を使わない」

 

「はい」

 

「それから、笑うなら外で」

 

 最後の言葉だけ悠太へ向け、マダム・ピンスは書架の向こうへ戻っていった。

 

 黒い衣の裾が見えなくなってから、悠太は椅子を引いた。

 

「なんかさ、スネイプ先生の教室より緊張するんだけど」

 

「まだマシよ。マダム・ピンスは、理由なく減点しないもの」

 

「本を傷つけたら、点より大事なものを取られそうだ」

 

「図書館の利用資格とか?」

 

「指とか」

 

 ハーマイオニーは一度だけ司書の消えた方向を見た。

 

「やめて。そういうことを言うから注意されるのよ」

 

 声は小さかったが、口元は少し笑っている。

 

 悠太は向かいの椅子へ座った。

 

「あのさ、待たせて悪かったね」

 

「一分五十五秒なら、待ったうちに入らないわ」

 

「さっきと言ってることが違う」

 

「遅刻は遅刻よ。それと、これ」

 

 ハーマイオニーは一冊目を押し出した。

 

 表紙には銀色の文字で、『魔法薬材料における金属反応』とある。

 

 次は『水性記憶薬の基礎』。

 

 三冊目は『薬用樹木と寄生植物』。

 

 残りは、銀製器具の使い分け、忘却作用を持つ薬草、レテ川の水の保存法についての本だった。

 

「全部、さっきのために?」

 

「銀とヤドリギの反応を調べるんでしょう」

 

「そうだけど」

 

「一冊だけで答えが見つかるとは限らないわ」

 

「図書館へ先に来た理由が分かった」

 

「何?」

 

「僕より多く本を取るため」

 

「違うわ。必要な本を先に確保するためよ」

 

「同じに聞こえる」

 

 ハーマイオニーは答えず、一枚の羊皮紙を二人の間へ置いた。

 

 中央に線が引かれ、左側に「分かっていること」、右側に「調べること」と書いてある。

 

 左側にはすでに三項目あった。

 

 銀の刃を使うと薬効が弱まる。

 

 銀の匙は、レテ川の水の温度確認には使える。

 

 反応するのは、ヤドリギの実の果汁に含まれる何か。

 

 右側には四項目。

 

 何が銀と反応するのか。

 

 なぜ薬効が弱まるのか。

 

 銀の匙は安全なのに、銀の刃が危険なのはなぜか。

 

 スネイプ先生はなぜ一年生にそこまで聞いたのか。

 

 悠太は最後の一行を指した。

 

「これは本で分かるかな」

 

「前三つが分かれば、推測はできるわ」

 

「推測だけで答えを作ると、また質問が増えるよ」

 

「だから、推測と事実を分けて書くの」

 

 ハーマイオニーは左側と右側の間の線を羽根ペンでなぞった。

 

 悠太は、自分の鞄から魔法薬学の羊皮紙を取り出した。

 

 端には、英語で一文だけ書いてある。

 

 ——分からない部分を、分かった部分へ混ぜない。

 

 二枚を並べると、形は違っても考え方はよく似ていた。

 

「何?」

 

 ハーマイオニーが尋ねた。

 

「いや。やり方が似てると思って」

 

 悠太の紙を読んだ彼女は、少しだけ目を見開いた。

 

「本当に同じことを書いてる」

 

「真似してないよ。そっちは今初めて見た」

 

「分かってるわ」

 

「ならよかった。初日から盗作で図書館を追い出されたくない」

 

「静かに」

 

「誰かに似てきたね」

 

「誰のせいだと思ってるの?」

 

 二人は同時に声を落とした。

 

     *

 

 最初の十五分で分かったのは、専門書は一年生に親切ではないということだった。

 

『魔法薬材料における金属反応』の索引には、ヤドリギがなかった。

 

 代わりに、「寄生性木本植物」「冬季採取果実」「記憶作用を有する粘液質」の三か所へ分かれている。

 

「どうして一つの名前で書かないんだろう」

 

 悠太は索引を見た。

 

「同じ植物でも、使う部分で反応が違うからよ」

 

「親切じゃない」

 

「正確なの」

 

「正確で不親切だ」

 

「あなた、スネイプ先生のことを調べてるみたい」

 

 悠太は思わず本から顔を上げた。

 

 ハーマイオニーも、自分で言ってから気づいたらしい。

 

 二人とも笑いそうになり、すぐに口を押さえた。

 

 遠くでマダム・ピンスが顔を上げる。

 

 何事もなかったように頁へ戻った。

 

 ハーマイオニーは「寄生性木本植物」の頁を担当した。

 

 悠太は「冬季採取果実」を読む。

 

 見慣れない単語が一行に三つある。

 

 活字体なら読める。

 

 けれど、古い本の文字は蔓のように絡まり、sとfが同じ形に見えた。

 

「この単語、何?」

 

 悠太は行を指した。

 

 ハーマイオニーが身を乗り出す。

 

「ヴィスカス。粘り気がある、という意味」

 

「ヴィス……カス」

 

「二つ目の音を短く」

 

「ヴィスカス」

 

「今度は最後が強すぎるわ」

 

「薬より先に英語で落第しそうだ」

 

「意味が分かればいいの。発音はあとで直せる」

 

「さっきまで正確さが大事だって言ってたのに」

 

「全部を一度に正確にしようとしたら、何も先へ進まないでしょう」

 

 その言葉に、悠太は少し驚いた。

 

 ハーマイオニーは、最初から何でも完璧にしなければ気が済まないのだと思っていた。

 

「意外だね」

 

「何が?」

 

「間違えても先へ進んでいいって言うところ」

 

「同じ間違いを残していいとは言ってないわ」

 

「やっぱりハーマイオニーだった」

 

「どういう意味よ」

 

「安心した」

 

 彼女は納得していない顔をしたが、説明を求める前に頁の下へ指を置いた。

 

「ここを見て」

 

 ヤドリギの実を潰すと、透明な粘液質が果汁と一緒に出る。

 

 その粘液質は、単に薬を濃くするためのものではない。

 

 レテ川の水が一時的に曖昧にした記憶を、決められた時間だけ再び結び止める働きを持つ。

 

 直接銀へ触れると、粘液質は灰色の膜を作って銀面へ付着し、薬液へ溶けなくなる。

 

「これだ」

 

 悠太は身を寄せた。

 

「銀と反応するのは、この粘液質」

 

「薬効が弱まるのは、記憶へ作用する分が刃に残ってしまうから」

 

 ハーマイオニーが羊皮紙へ書き込む。

 

「でも、それなら銀の匙も駄目じゃない?」

 

「匙を入れる時には、まだヤドリギを加えてない」

 

「あとで同じ鍋に入るでしょう」

 

「匙は温度を見たら抜く。ヤドリギはカノコソウのあとだ」

 

「順番に意味があるってこと?」

 

 二人は同時に別の本へ手を伸ばした。

 

 悠太の指とハーマイオニーの指が、同じ表紙の上でぶつかる。

 

「そっちが読んで」

 

 悠太が手を引いた。

 

「あなたが先だったわ」

 

「英語が速い方がいい」

 

「競争じゃなかったの?」

 

「今は答えを見つける方が先」

 

「じゃあ、見つけたら競争に戻るのね」

 

「もちろん」

 

 ハーマイオニーは本を開いた。

 

 レテ川の水について書かれた章を見つけ、頁を繰る。

 

「あったわ。カノコソウは鎮静作用だけじゃない。レテ川の水とヤドリギの粘液質を安定して混ぜる仲介剤になる」

 

「だから、加える前の果汁へ銀が触れるのは駄目でも、鍋に入ったあとは反応しにくい」

 

「完全に反応しないわけじゃないみたい。長く銀の杓子を入れれば、やっぱり効力は落ちる」

 

「木の杓子を使う理由もそれか」

 

 悠太は授業を思い出した。

 

 木の器。

 

 木の杵。

 

 最後に使った木の杓子。

 

 道具は、ただ教室に置いてあったわけではない。

 

「日本の初歩調合では、薬草の実を潰す時は木か陶器を使うんだ。金属は避ける」

 

「全部の薬草で?」

 

「全部じゃない。少なくとも、僕が習ったものは」

 

「理由は?」

 

「刃の気が混ざるから、って教わった」

 

 ハーマイオニーの羽根ペンが止まった。

 

「刃の気?」

 

「日本式の説明。切るための道具が持つ性質、みたいなものかな」

 

「でも、実際には金属との反応を経験的に避けていた可能性がある」

 

「英国式だと、反応を一つずつ分けて説明するんだね」

 

「どちらが正しいの?」

 

 悠太は二冊の本と、自分の記憶にある授業を見比べた。

 

「両方じゃ駄目?」

 

「科学的な説明と、道具に『気』があるという説明は同じじゃないわ」

 

「同じじゃないから、二つあるんだと思う」

 

「それでは答えになってない」

 

「英国式は、なぜ銀を使わないかを細かく教える。日本式は、分からない材料でも刃物を避ける癖をつける。片方は理由で、片方は事故を減らすための型」

 

 ハーマイオニーは考えた。

 

「理由を知らないまま型だけ守れば、違う条件でも同じことをするかもしれないわ」

 

「理由だけ覚えて、知らない条件では何をしていいか分からないこともある」

 

「だから両方?」

 

「たぶん」

 

「また、たぶん」

 

「分かった部分と混ぜないようにしてる」

 

 悠太は二枚の羊皮紙の間にある線を指した。

 

 ハーマイオニーはしばらく黙っていた。

 

 やがて、右側の「調べること」へ一行を書き足す。

 

 ——日本式の「刃の気」と英国式の金属反応は、どこまで同じ現象か。

 

「宿題を増やした?」

 

「調べることを増やしたの」

 

「スネイプ先生と同じだ」

 

「それなら、この問いには減点しないわ」

 

「ありがとう、グレンジャー先生」

 

「また敬語になってる」

 

「先生だから」

 

「今度そう呼んだら、ノートを返してもらうわよ」

 

 悠太はすぐに真顔になった。

 

「それは困る」

 

「効いたみたいね」

 

     *

 

 二人は見つけた答えを、それぞれ自分の言葉で書き直した。

 

 ハーマイオニーの文章は長かった。

 

 材料を加える順番、銀へ触れた時の変化、カノコソウが果たす役割まで、一つの隙間もなく並んでいる。

 

 悠太の文章は、その半分ほどだった。

 

「短すぎるわ」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「必要なところは入ってるよ」

 

「銀の匙が使える条件を書いてない」

 

「ヤドリギを加える前なら使える」

 

「長く入れたままにしないことも」

 

「それも書く」

 

「カノコソウの仲介作用は?」

 

「聞かれたら答える」

 

「聞かれる前に書くの」

 

「羊皮紙が足りなくなる」

 

「裏も使えるわ」

 

「表だけで終わる文章も美しいよ」

 

「短ければ美しいわけじゃないでしょう」

 

「長ければ正しいわけでもない」

 

 二人は互いの羊皮紙を見た。

 

 先に笑ったのは悠太だった。

 

 ハーマイオニーも数秒耐えたあと、羽根ペンを置いた。

 

「授業で張り合うだけじゃ足りないみたいね」

 

「図書館でも勝つつもり?」

 

「もちろん」

 

「何で決める?」

 

「スネイプ先生に質問された時、どちらが正確に答えられるか」

 

「それ、答える前に減点される可能性がある」

 

「あなたはね」

 

「同じグリフィンドールだよ」

 

「巻き込まないで」

 

 ハーマイオニーは自分の本を引き寄せた。

 

 頁の端へ、細い紙片が挟まっている。

 

 それは本を傷つけないための栞だった。

 

「その使い方、日本と同じだ」

 

「栞くらい、どこでも同じでしょう」

 

「本を伏せて置く人もいる」

 

「信じられない」

 

「マダム・ピンスに聞かせたい」

 

「やめて。疑われたくないわ」

 

 悠太は自分の教科書から細い紙を抜いた。

 

 日本魔法省教育局の印が、端に小さく入っている。

 

 ハーマイオニーはそれを見た。

 

「それ、日本魔法省のもの?」

 

「出発前にもらった書類の一部。余白を切ったんだ」

 

「公文書を切ったの?」

 

「控えの方だよ。たぶん」

 

「たぶんで切らないで」

 

「用件は読み終わってる」

 

「ご両親は、そういうところを心配しなかった?」

 

 何気ない問いだった。

 

 悠太は、栞を持ったまま少し止まった。

 

「両親は、もういないんだ」

 

 ハーマイオニーの顔から、競う時の力が消えた。

 

「……ごめんなさい。知らなくて」

 

「知らないことは謝らなくていいよ」

 

「でも」

 

「本当に大丈夫。日本魔法省の教育局が保護者になってる。それで公文書が多いんだ」

 

 布団店の奥。

 

 積み上げられた白い布。

 

 日に干した綿の匂い。

 

 両親の顔を思い浮かべようとすると、いつも光が強すぎる写真のように輪郭が薄くなる。

 

 寂しさはある。

 

 けれど今、この図書館で開くべきものではない気がした。

 

 悠太は紙片を本へ挟んだ。

 

「島根で、布団店をしてた」

 

「フトン?」

 

「寝る時に使うもの。床に敷く」

 

「ベッドじゃなくて?」

 

「畳の上に」

 

「タタミ?」

 

「そこから説明すると、銀とヤドリギより長くなるね」

 

「あとで本を探すわ」

 

「ホグワーツの図書館にあるかな」

 

「なければ、あなたが説明して」

 

 ハーマイオニーは少し迷ってから尋ねた。

 

「ご両親も、魔法使いだったの?」

 

「違うよ。二人とも魔法は使えなかった」

 

「じゃあ——」

 

 彼女の目が、今度は別の驚きに大きくなる。

 

「あなたもマグル生まれなの?」

 

「英国では、そう呼ぶんだよね」

 

「そうよ。私も」

 

「ハーマイオニーも?」

 

 驚いたのは悠太の方だった。

 

 彼女は魔法界の制度も、授業も、教師の名前も、何もかも以前から知っているように見えた。

 

「両親は二人とも歯科医よ」

 

「しかい?」

 

「歯を診る医者」

 

「歯医者か。日本語でも、同じように言う」

 

「魔法は使えないわ。ホグワーツから知らせが来るまで、家族の誰も魔法界を知らなかった」

 

「それで、あんなに本を読んだの?」

 

「あんなに、ってどういう意味?」

 

「教科書を全部覚えるくらい」

 

「全部は覚えてないわ」

 

「少し安心した」

 

「今日、何度安心するつもり?」

 

「ハーマイオニーが人間だと確かめるたびに」

 

 彼女は睨んだ。

 

 けれど、すぐに本へ目を戻さなかった。

 

「知らせをもらった時、最初は間違いだと思った」

 

 声が少しだけ小さくなる。

 

「私が変なことを起こすたび、何か理由があるとは思ってた。でも、魔法学校なんて、本当にあるはずがないでしょう」

 

「今は、その魔法学校の図書館にいる」

 

「ええ。だから、間違いじゃないと分かったあと、読めるものは全部読もうとしたの」

 

「どうして全部?」

 

「魔法使いの家で育った子たちは、十一年分、私より先に知ってる。学校へ来る前から箒を見たことがある子も、動く写真が普通だと思ってる子もいる。私は何も知らなかった」

 

 机の上に並んだ七冊の本。

 

 授業で誰より早く上がる手。

 

 廊下でも時間割を確認し、間違いを見つければすぐに直す声。

 

 知りたいからだけではない。

 

 知らない自分へ戻らないために、彼女は頁をめくり続けている。

 

「だから、間違えたくない?」

 

「当たり前でしょう」

 

「誰だって間違えるよ」

 

「分かってるわ」

 

 返事が少し強くなった。

 

「でも、私が間違えたら、やっぱり何も知らないって思われるかもしれない。魔法使いの家の子なら一つの失敗で済むことが、私なら最初から知らないせいだって」

 

「誰かに言われたの?」

 

「まだ、はっきりとは」

 

 ハーマイオニーは羽根ペンの先を見た。

 

「でも、分かるもの。私が答えると嫌な顔をする子がいる。間違いを直すと、知ったかぶりだって言う子も」

 

 ロンの顔が、一瞬だけ悠太の頭に浮かんだ。

 

 魔法史で寝ていたことを指摘され、不満そうにしていた顔。

 

 ハリーはそこまで露骨ではないが、ハーマイオニーが規則を持ち出すたび、少し距離を取る。

 

「ハリーとロンのこと?」

 

「二人だけじゃないわ」

 

「二人も入ってるんだ」

 

「授業中に話すし、宿題は最後までやらないし、危ないことをする前に考えないし」

 

「まだ二日目だけど、反対はできない」

 

「でしょう?」

 

「でも、二人とも悪い奴じゃないよ」

 

「悪いなんて言ってないわ」

 

「そうだね」

 

 悠太は頷いた。

 

 ハーマイオニーを説得して、二人を好きにさせる必要はない。

 

 ハリーとロンにも、ハーマイオニーをすぐ友人と呼ばせることはできない。

 

 自分だって、まだ誰かの親友ではない。

 

「僕は、途中から来た」

 

 悠太は言った。

 

「みんなより一か月遅い。マホウトコロにはいたけど、英国の魔法は知らないことが多い。昨日、大広間へ入る前は、何をしても外国から来たから違うって思われる気がしてた」

 

「あなたは落ち着いて見えたわ」

 

「見えるようにしてた」

 

「そうなの?」

 

「日本の代表だから、失礼があったらいけないって。それで、同級生にまで手紙みたいな話し方をしてた」

 

 ハーマイオニーの口元が動く。

 

「ロンが言ってたわ。役所から届いた手紙みたいだって」

 

「本人のいないところでも言ってるんだ」

 

「悪口じゃないと思う」

 

「分かってる。たぶん半分は」

 

 悠太は笑った。

 

「でも、昨日の夜から何度も助けてもらった。ネクタイはハリー。道はロンとパーバティ。授業は君。魔法薬はネビルと一緒じゃなければ、もっと失敗してた」

 

「あなたが助けたこともあるでしょう」

 

「だから、同じだよ」

 

「何が?」

 

「知らないことがあっても、助けてもらえばいい。知ってることがあったら、返せばいい」

 

「私に同情してるの?」

 

 ハーマイオニーの声が、急に固くなった。

 

 悠太は目を瞬いた。

 

「どうして?」

 

「マグル生まれで、みんなに馴染めてないと思ったから声をかけたんでしょう」

 

「それは——」

 

「同情はいらないわ」

 

 羽根ペンが机へ置かれた。

 

 強くは置いていない。

 

 それでも、二人の間に細い壁が立った。

 

 悠太はすぐに否定しようとした。

 

 だが、ハーマイオニーの目は怒っているだけではなかった。

 

 哀れまれる前に、自分から距離を取ろうとしている。

 

 何を言えば正しいかは分からない。

 

 分かったふりをするのは、魔法薬だけでなく人に対しても危険だった。

 

「少しは、心配した」

 

 悠太は正直に言った。

 

「ほら」

 

「でも、同情だけなら、図書館には来ない」

 

「どういう意味?」

 

「君のノートを借りて、君より先に答えを見つけたいと思ってる。さっきだって、発音を直されて悔しかった」

 

「悔しかったの?」

 

「少し」

 

「全然そう見えなかったわ」

 

「落ち着いて見えるようにするのは得意みたいだ」

 

 悠太は二枚の羊皮紙を指した。

 

「同情する相手に、本気で勝とうとは思わないよ」

 

 ハーマイオニーは、すぐには答えなかった。

 

 怒りの残る目が、悠太の短い回答と、自分の長い回答を見比べる。

 

「私の方が正確よ」

 

「僕の方が読みやすい」

 

「説明が足りないわ」

 

「説明しすぎだよ」

 

「なら、スネイプ先生の前で確かめればいい」

 

「負けた方は?」

 

「負けたと認める」

 

「それだけ?」

 

「十分難しいよ」

 

 ハーマイオニーの口元から、固さが少し消えた。

 

「……そうね」

 

 壁は、なくなってはいない。

 

 ただ、向こう側の声が聞こえるくらいには低くなった。

 

「それと」

 

 悠太は続けた。

 

「僕も図書館へ来る相手が必要なんだ。ハリーとロンを連れてきたら、十分で逃げると思う」

 

「五分よ」

 

「そこは二人を信じてあげよう」

 

「どうして?」

 

「出口を見つけるのに、残りの五分かかる」

 

 ハーマイオニーが笑った。

 

 大きな声ではない。

 

 けれど今度は、慌てて隠す笑いではなかった。

 

 書架の向こうで、マダム・ピンスが咳払いをした。

 

 二人は同時に口を閉じた。

 

     *

 

 次の鐘が鳴るまでに、調べることは二つ増えた。

 

 一つは、日本式の薬道具と英国式の金属反応の違い。

 

 もう一つは、レテ川の水へ働く三種類の解毒薬だった。

 

「スネイプ先生が聞いたのは三つでしょう」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「今日は一つで十分だよ」

 

「次にまた聞かれたら?」

 

「その時は、君が手を上げて」

 

「あなたが指名されるかもしれないわ」

 

「分かりません、先生って答える」

 

「また減点されるわよ」

 

「グリフィンドールのみんなには、先に謝っておく」

 

「調べるわ」

 

「え?」

 

「三つとも。次の授業までに」

 

「競争?」

 

「そうよ」

 

「分かった。僕も調べる」

 

 二人は使った本を重ねた。

 

 悠太が一度に持ち上げようとすると、上の二冊が滑った。

 

 ハーマイオニーがすぐに押さえる。

 

「半分持つわ」

 

「持てるよ」

 

「持てるかどうかじゃなくて、落としたらマダム・ピンスに追い出されるでしょう」

 

「それは困る」

 

「だから半分」

 

 四冊と三冊に分ける。

 

 返却台へ運ぶと、マダム・ピンスは本の角、頁、背表紙を一冊ずつ調べた。

 

「汚してはいませんね」

 

「はい」

 

 悠太が答える。

 

「騒がしくはしましたが」

 

「それを自覚しているなら、次は改善を」

 

「努力します」

 

 その返事に、スネイプの顔が一瞬だけ頭へ浮かんだ。

 

 ハーマイオニーも同じことを考えたらしく、横で俯く。

 

 肩が僅かに揺れていた。

 

「何か?」

 

 マダム・ピンスが鋭く尋ねる。

 

「何でもありません」

 

 ハーマイオニーは真面目な顔で答えた。

 

「また来てもよろしいですか」

 

 悠太は司書へ尋ねた。

 

「規則を守る者へ、図書館は閉じません」

 

「ありがとうございます」

 

 先生や上級生へ向ける時と同じ、丁寧な返事だった。

 

 ハーマイオニーと並んで扉を出た途端、悠太の肩から力が抜ける。

 

「生きて出られた」

 

「大げさね」

 

「指もある」

 

「それ、まだ言ってたの?」

 

 石の廊下へ、二人の笑い声が小さく響いた。

 

     *

 

 角を二つ曲がると、ハリーとロンが窓辺にいた。

 

 待っていたわけではないらしい。

 

 ロンは窓枠に座り、ハリーと蛙チョコレートのカードを見比べている。

 

 二人に気づいたハリーが顔を上げた。

 

「見つかった?」

 

「見つけたわ」

 

 ハーマイオニーが答える。

 

「銀が反応するのは、ヤドリギの実に含まれる粘液質。それが銀の表面へ付着すると、記憶を結び止める成分が薬へ溶けなくなるの」

 

 ロンは蛙チョコレートを持ったまま、何度か瞬いた。

 

「僕、聞かなきゃよかった?」

 

「ハリーが聞いたんだよ」

 

 悠太が言った。

 

「どっちでもいい。分かったのは、銀の刃でヤドリギを潰すと薬が弱くなるってこと」

 

「それなら最初から分かってた」

 

「なぜか分かった」

 

「知らなくても、木の器を使えばいいだろ」

 

「それが日本式」

 

「英国式は、理由まで知らないと気が済まないの」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「日本式と英国式の両方を調べたんだ」

 

 ハリーは二人の羊皮紙を覗いた。

 

「一緒に?」

 

「別々に読んで、一緒に答えを作った」

 

 悠太が答えるより先に、ハーマイオニーが言った。

 

「悠太が日本式の道具の意味に気づいたの。私は英国式の反応を見つけた」

 

 自分だけで見つけたとは言わなかった。

 

 悠太は彼女を見た。

 

 ハーマイオニーも目を向ける。

 

「何?」

 

「いや。正確だと思って」

 

「当たり前でしょう」

 

 ロンは二人を交互に見た。

 

「もう、前から同じ学校にいたみたいだな」

 

 冗談らしい声だった。

 

 けれど、その奥にほんの小さなものが混ざっている。

 

 昨日まで、自分とハリーの隣にはいなかった少年が、今日はハーマイオニーと二人で答えを見つけてきた。

 

 また自分より先へ行く誰かが増えたように感じたのかもしれない。

 

「昨日、会ったばかりだよ」

 

 悠太は言った。

 

「それに、次は僕が勝つ」

 

「何に?」

 

「魔法薬の質問」

 

「競争してるのか?」

 

「そうよ」

 

 ハーマイオニーが答えた。

 

「次の授業までに、忘れ薬の解毒薬を三つ調べるの」

 

「そんな競争、勝っても何ももらえないぞ」

 

「負けた方が負けを認める」

 

「もっと何ももらえない」

 

 ロンは呆れた顔をした。

 

 その声から、小さな棘が少し薄くなる。

 

「僕は見届けるよ」

 

 ハリーが言った。

 

「どっちがスネイプに先に減点されるか」

 

「競争が変わってる」

 

 悠太が言うと、ハリーは笑った。

 

 四人は同じ廊下を歩き始めた。

 

 ハリーとロンが前。

 

 ハーマイオニーと悠太が、その少し後ろ。

 

 まだ四人が並んでいるわけではない。

 

 歩幅も、話す相手も揃ってはいない。

 

 それでも角を曲がる時、誰も別の道へは行かなかった。

 

     *

 

 夕方、グリフィンドールの談話室へ戻ると、パーバティが暖炉の近くで羊皮紙を広げていた。

 

 悠太を見つけ、すぐに手を上げる。

 

「ユウタ、こっち」

 

「どうした?」

 

 同級生へ向ける言葉は、もう自然に短くなっている。

 

 パーバティは一瞬だけ嬉しそうに笑い、羊皮紙を差し出した。

 

「来週までの課題をまとめたの。ハーマイオニーのノートには授業の内容はあるけど、提出日は別でしょう」

 

 変身術。

 

 呪文学。

 

 魔法史。

 

 闇の魔術に対する防衛術。

 

 教科ごとに提出日と必要な長さが書かれている。

 

「助かる。写してもいい?」

 

「そのために書いたの」

 

「ありがとう、パーバティ」

 

 名前を呼ぶと、彼女の頬が僅かに赤くなる。

 

 悠太は暖炉の熱のせいだと思った。

 

「図書館にいたの?」

 

 パーバティは、悠太とハーマイオニーが抱えている本を見た。

 

「うん。魔法薬のことを調べてた」

 

「二人で?」

 

「一人だと、専門書の英語で朝になる」

 

「大げさよ」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「昼くらいには終わるわ」

 

「あまり変わらないね」

 

 パーバティは笑った。

 

 けれど、悠太とハーマイオニーの間を一度だけ見た。

 

 すぐに羊皮紙へ目を戻す。

 

「明日の分も書いてあるから」

 

「明日?」

 

 悠太が予定表を下へ追う。

 

 土曜日の朝には、「飛行術・ワタナベ」とだけ書かれていた。

 

「僕だけ?」

 

「マダム・フーチが、あなたの飛行経験を確認するんだって」

 

「誰から聞いたの?」

 

「パーシーよ。さっき探してた」

 

 その名を口にした直後、談話室の階段から足音が下りてきた。

 

 赤毛をきちんと撫でつけ、胸に監督生章をつけたパーシー・ウィーズリーだった。

 

 手には、細長い封筒がある。

 

「ワタナベ」

 

「はい」

 

 悠太は立ち上がった。

 

 同級生に囲まれていた時のくだけた調子が、すぐに丁寧なものへ戻る。

 

「マダム・フーチからだ。明日、午前九時に東の芝地へ。日本で飛行術を履修済みと聞いているが、ホグワーツの安全規則と箒への適性を確認する」

 

「承知しました。ありがとうございます、パーシー先輩」

 

 パーシーは少しだけ胸を張った。

 

「十分前には到着するように。飛行用ローブを着用し、私物の箒は持ち込まないこと。学校の備品を使う」

 

「分かりました」

 

「遅刻すれば再試験になる。天候によっては時刻が——」

 

「パーシー」

 

 ロンが長椅子から言った。

 

「封筒の中にも書いてあるんだろ?」

 

「確認は必要だ」

 

「全部読んだら、封筒を渡す意味がないよ」

 

「お前は書いてあっても読まないだろう」

 

「だから聞いてる」

 

 パーシーは弟を睨んだ。

 

 悠太へ封筒を渡すと、もう一度だけ言う。

 

「午前九時だ」

 

「はい。遅れません」

 

 満足したらしく、パーシーは上級生たちのいる机へ戻っていった。

 

 姿が離れるまで待ってから、ロンが悠太へ顔を向ける。

 

「先輩なんてつけたら、ますます偉そうになるぞ」

 

「実際、上級生なんだから」

 

「ただの兄だよ」

 

「僕の兄ではないから問題ない」

 

「それは羨ましい」

 

 ハリーが笑った。

 

「飛べるんだよね?」

 

「箒には乗れるよ」

 

「どのくらい?」

 

 ロンが身を乗り出す。

 

「マホウトコロでの通学で使えるくらいには」

 

「毎日?」

 

「天気が悪くなければ」

 

「それなら、確認なんてすぐ終わるな」

 

「たぶん」

 

「また、たぶん」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「だって箒が違うから。英国の学校用は初めてだし」

 

「でも、箒は箒だろ?」

 

「ロンだって、家の箒と学校の箒は違うって談話室で言ってただろ」

 

「学校のは、右へ曲がりたい時に左へ行くのが何本かある」

 

「安全確認に使っていいのかな、それ」

 

「落ち方まで確認できる」

 

「縁起でもないことを言わないで」

 

 ハーマイオニーが眉を寄せた。

 

「飛行術は、教師の指示を聞いて、低い高さから始めるのよ」

 

「分かってる」

 

「最初から高く飛ばないで」

 

「君は来るの?」

 

「行かないわ。見ているだけでも危ないもの」

 

「じゃあ、誰に言ってるんだ?」

 

「あなたたち全員よ」

 

 ハリーとロンが同時に肩をすくめた。

 

 悠太は封筒を開いた。

 

 中には、パーシーが説明したことと同じ内容が、パーシーより短く書かれている。

 

 最後に、マダム・フーチの黄色い目を思わせる鋭い署名があった。

 

「見に行ってもいいかな」

 

 ハリーが尋ねた。

 

「僕に?」

 

「マダム・フーチに。東の芝地なら、クィディッチ競技場の近くだから」

 

「僕も行く」

 

 ロンが続いた。

 

「学校の箒に当たり外れがあるか教えてやる」

 

「僕より先に乗らないでよ」

 

「確認するだけだ」

 

「それを乗るって言うんだ」

 

 窓の外で、羽ばたきの音がした。

 

 悠太の言葉が止まる。

 

 夕暮れの空を、一羽の灰色の梟が横切った。

 

 塔の方へ大きく旋回し、窓の近くを通る。

 

 ガラス越しでも、翼の一枚一枚が見えた。

 

 悠太の背中が、無意識に長椅子へ近づく。

 

 右手が封筒を強く握った。

 

「どうした?」

 

 ハリーが聞いた。

 

「何でもない」

 

 梟は窓の上を通り過ぎた。

 

 影が消える。

 

 悠太は息を吐いた。

 

「今、鳥を見て下がった?」

 

 ロンは見逃さなかった。

 

「近かったから」

 

「窓の外だぞ」

 

「大きく見えた」

 

「あれで?」

 

 今度は、梟塔の方から何十枚もの翼が一斉に鳴った。

 

 夕方の配達へ出る梟たちが、黒い点の群れになって空へ広がっていく。

 

 悠太の顔から、僅かに色が引いた。

 

 飛ぶことは怖くない。

 

 箒で地面を離れることも、風の中で身体を傾けることも、記憶と身体の両方が知っている。

 

 怖いのは、同じ空にいる別のものだった。

 

 大きな翼。

 

 急に変わる進路。

 

 頭上から落ちる影。

 

 マホウトコロへ通う時も、それだけはどうしても慣れなかった。

 

「ユウタ」

 

 ハーマイオニーの声がした。

 

 からかう声ではない。

 

 彼女だけは、悠太の指が白くなるほど封筒を握っていることを見ていた。

 

「大丈夫?」

 

 悠太は窓から目を離した。

 

 ハリー、ロン、ハーマイオニー、パーバティが見ている。

 

 魔法薬の問いなら、分からないと答えられた。

 

 これは、答えを知らないのではない。

 

 できれば知られたくなかっただけだった。

 

「……大きな鳥が、少し苦手なんだ」

 

 ロンが窓の外を見た。

 

「少し?」

 

「訂正。かなり」

 

 悠太は言い直した。

 

 ハリーの口元が動いたが、笑わなかった。

 

 パーバティも、ハーマイオニーも何も言わない。

 

 ロンだけが驚いた顔をしたあと、封筒を指した。

 

「じゃあ、明日、梟が来なければ完璧だな」

 

「その言い方だと、必ず来る気がする」

 

「ホグワーツだぞ。来るに決まってる」

 

「今から中止にできないかな」

 

「できません」

 

 ハーマイオニーが即座に言った。

 

「パーシーへ遅れないと約束したでしょう」

 

「そこは覚えてたんだ」

 

「忘れ薬を飲んでないもの」

 

 悠太は封筒を見た。

 

 午前九時。

 

 東の芝地。

 

 飛行術の履修確認。

 

 図書館では、自分と同じ場所から魔法界へ来た同級生を見つけた。

 

 明日の空では、同級生たちがまだ知らない自分の弱点を、隠し通せそうになかった。

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