軍神と逃げ上手 作:伊勢守
建武二年(1335年)八月三日 朝 相模国
戦国時代から南北朝時代の鎌倉に転生した『越後の龍』上杉謙信。彼は生来の氏族、長尾氏を名乗り、たまたま鎌倉を占領中の北条時行に仕官。足利尊氏を倒し、時行の天下取りのため邁進していくことを決意した────
「────で、今我ら北条はどういう状況なのでございますか?」
「…………え?」
朝の起床後、時行の元に逃若党の面々が集まってきた際に、景虎がそう言った。
「ええ────ッ!?何も知らないで仲間になったの!?」
「い、いや!北条が足利を追い出したのは存じております!おりますが!兵数や兵站などは把握しておりませぬ故。東海道からくる尊氏をどう撥ね返すか、その策を某にもお聞かせ願いたい」
「なら私が教えよう」
亜也子にツッコまれて慌てて弁明する景虎。その間に、頼重が懐からひとつの巻物を取り出して皆の前に広げる。覗き込んでみると、巻物には東海道を中心とした地図が描かれており、数多の軍略や備考が書き加えられている。
「皆には既に話してあるが、今一度確認をしておこう。まず、尊氏は東海道から直接この鎌倉に攻め入っている。その先鋒には温存していた名越高邦様の大兵力を当てる」
「大兵力とは如何ほどにございまするか」
「高邦様は六千騎と仰っていた。間違いもないだろう。次鋒は三浦時明・八郎兄弟。三浦軍はほぼ無傷ゆえ、相応の活躍ができると考えられる。そして最後が我ら北条・諏訪の連合軍だ」
「六千騎……ってさ、そのまま六千人の軍ってわけじゃないよね」
「うん。大体一騎につき三〜六人は付くから、名越軍の総数は二万人を軽く超えるはず」
「駿河から鎌倉までで、箱根の砦を含めて五つの砦がある。四つの砦を名越、箱根を三浦、相模川で我らが当たる。とにかく耐え続けて尊氏を消耗させ、削り倒すという策だ」
「最後に疲れ切った尊氏の頸をとるのが、我々の役割ということですね」
頼重の述べた策に、景虎は膝を打った。さすがは考えたのが北条に己が興廃をかけた歴戦の武士らである。常道に沿った良策だった。尊氏は京都からの遠征軍であるゆえに、耐え忍んでいれば補給は伸び、兵站を脅かすことができる。さらに、北条という旗本が鎌倉に在り続ければ、東国の武士は何れ北条に靡く。戦勝による士気の高さも相まって味方の寝返りも考えにくい。
(しかし、なぜこれが簡単に突破されたのだ?行軍も考えると、ひとつの砦を二日も経たず攻略している)
だからこそ、顛末を知る景虎が疑問を抱くのは当然であった。だが地図を眺めているだけでは何も思い浮かばない。『未来を知っているゆえこの陣形では負ける』と言うこともできず、景虎は苦悩する。
(兵が万全ならば、兵数を考えるといくら我でもひとつの砦に三日、四日は最低限かかる。防衛側ゆえ伏兵や罠を仕掛けられることも考えれば、尊氏の進軍速度はありえない)
「景虎、浮かない顔をしているがどうしたんだ?」
「時行様……いえ、なんでもありませぬ」
苦い顔をする景虎に時行が声をかけるが、今の段階、地図を軽く見た程度で新たな策も思い浮かばなかった景虎は、頼重に礼をして時行の後ろに控えた。
その後も景虎は時行の鎌倉案内に同行した。初めて訪れる名所などを巡り、郎党や時行と親睦を深めながらも、どこかその足取りは重く眉間に皺が寄っていた。
◆◆◆◆◆◆
建武二年(1335年)八月三日 夜 相模国
その日の夜の天気は、雨は降っていないもののかなり荒れていた。風があちこちから吹き荒れ、掲げられている旗を翻す。屋も揺さぶられて軋み、ガタガタと家鳴りを起こす。寝付けぬ者らも多く、浮き足だった雰囲気だった。
「皆、起きて」
その夜半ごろ、宿舎で眠っていた我らは雫に起こされた。血相を変え、何かに思い煩っているかのような
「どうしたんだ雫。こんな夜中に……」
「魅摩ちゃんが近くにいる」
雫が宿舎の連子窓から、鈍色の空の向こうを見ながらそう言うと、時行様含めて皆に緊張が走る。雫が弧次郎と亜也子に目配せをすると、二人は武器の用意をしに行く。どうやら時行様らの知り合いのようで、事情を知らぬ我はひとり耳を傾けるしかなかった。
しかし、雫は異なことを言う。我は雫の行動に疑問を呈する。
「某は先日郎党に加わった故、委細は存ぜぬが……雫、どうしてその魅摩なる者がいることが分かる」
雫の行動はおかしいのだ。遠くにいる存在を勝手に察知するなどできるはずがない。それも眠っていたのなら尚更だ。我がそう問うと、雫は困ったように眉を
「……景虎には分からないかもしれないけど、伝えておくね。私や父様、その魅摩ちゃんはね、『神力』っていう力が────」
「神力だと!」
『神力』という言葉を聞いて、我は思わず声を荒げてしまった。まさかこのような所で聞くとは思わなかった。大声を出してしまったため、周囲で寝ている者らのいくつかが唸り声をあげた。
「おい景虎!兵どもが起きたらどうすんだよ」
「す、すまん。で、雫。神力というのは、運を良くしたり、物を小突いたりできる力のことでよいのか」
「合ってる……けど」
「知っているのか?景虎」
「ははッ。む……昔に一度、『それ』が使われる瞬間を目にしておりまする。水を波うたせ、風をおこし、天をうねらせる代物と存じております」
「そんな大層なものじゃないけどね」
しかし驚いた。まさか神力を用いられる者がこの世に幾人といるとは。頼重様ならば、諏訪明神の化身として神力をもつというのも納得は出来るが……いくら頼重様の子とて、雫のような幼子が。
我の生きた世には神力を扱える者など存在しなかった故、我はまさに寝耳に水の思いであった。我の生きたあの戦乱の世では、いかなる武家も公家も、帝さえ神力があるかどうか訝しいというのに。
「雫!準備できたよ」
「わかった。魅摩ちゃんは多分、あっちの方に来てる」
「………その方向は!」
雫が目を閉じて集中し、ゆったりと指を差した。吹雪はその指先の方向に心当たりがあったようで、しばし考えた後にはたと顔を青ざめさせた。
「急ぎましょう我が君。その方向は名越様の軍がいる大仏殿です」
「何だって!?」
ただならぬ動揺が走る。事の重大さを理解した我らは、この宿舎を飛び出し、一目散に鎌倉の大仏のもとへ急行する。
名越軍は数万にも及ぶ大軍。北条軍の主力である。それゆえ、もし大仏殿が倒壊でもしたら一挙に将兵が押し潰され、良くて千いくつ、悪くて数千の兵が使い物にならなくなる。
「おい坊!あいつが潰れちまったら今までの作戦の半分が駄目になるぞ」
「わかってる!とにかく大仏殿に急ぐんだ!」
◆◆◆◆◆◆
ええい抜かったわ!気付かなかった己の不明を恥じるばかりである。逆に考えねばならなかったのだ、名越の軍があるゆえ砦が硬いのならば、名越の軍を除けばよかったのだ。我が気付けていたのならば、後手に回ることもなかったであろうに。
大仏殿の方へ歩みを進めれば進めるほど、空は龍が舞っているが如く荒れ、木々の葉は容赦なく風に刈り取られて宙をうねる。旋風に巻き上げられた砂ぼこりが我らの頬を掠める。
「なんなんだこの風!とても普通じゃねえ」
尋常を逸した、人智を超えた烈風。例えるならば
そして、思い通りに体が動かぬ感覚に四苦八苦しながらも、我らはようやっと大仏殿を望む位置に辿りついた。
「なんという有様なのだ……!?」
我は目の前の光景にひどく動揺した。他の郎党らも同様に気が引けているようだった。グズグズに崩れた大仏殿と、屋根を突き破り、御尊顔だけを我らに見せる鎌倉の大仏。その下では、木材に身体を潰されてしまった名越の将兵らが、悲痛の痛みをあげていた。
おぞましいことに、この烈風のせいで助けを求める声がかき消されているようで、無事だった者からの救助も難航している。これでは、夜と風が明ける頃には、名越の将の大半は戦闘不能であろう。
そしてその地獄を見下ろす二人の人物。腕を広げて大仏殿の倒壊の様子をまじまじと見ている者と、丸頭巾を被った者の二人がいた。
「魅摩ちゃん!」
「……やっぱり
雫の声がけに、振り向く金髪の少女。此奴が……神力を用いる魅摩なる者。想像していた見た目とかなり異なっている。神力なのだから、もっと神職のような格好をしているとばかり思っていたのだが。
その者は女子だが、肩や脇、腿がこちらからでも見えるという肌を多く見せる格好をしており、身に纏う装束も見たことのない形をしている。生地は墨に浸したかの如く真っ黒であるが、その突き抜けた黒が逆に『飾らない美』を表現しているようで、鮮やかに見えた。金色の髪は頭の両端で結っており、これもまた、我は見たことのない結い方であった。
これはまさしく婆裟羅者!かの戦乱の世では婆裟羅は廃れてしまった故、我は初めて目にする。げに、艶めかしき気色よ。衣服も派手なものを着ていれば、たいそう華々しいであろうな。
「……なんと大将自ら」
その少女の隣に立つ丸頭巾の男が発言した。顔は真っ暗で良く見えない。従者であろうか。
「……嘘だろ雫。あれを魅摩がやったって?」
「…魅摩ちゃん」「魅摩殿」
「呼び捨てでいいよ若ちゃん。だって敵じゃん私たち」
魅摩殿がそう言い放つと、時行様が眉を曲げ微妙な顔を浮かべる。皆とこの魅摩殿がどのような間柄なのかは分からないが、その一瞬の間と表情の変化で互いに戦うことを快く思っていないことが読み取れる。
時行様が唇を強く閉じていると、魅摩殿が手を頭上に掲げて手首で交差させる。そうすると我には魅摩殿の手中に光の粒子が集まっていくように見えた。間違いない、神力である。
「クズ北条の乱のために、利用目的で私を騙して近づいた」
「!?」
周囲の木の枝が音を立ててひとりでに折れ始める。時行様を囲むようにつむじ風が現れ、折れて鋭利になった木の枝を巻き込む。それは明らかに魅摩殿の意思で行われており、人が自然を操るという奇怪な光景であった。
危険を察知した我は時行様の前に躍り出て肉壁となろうとするが、それよりも先に雫が前に飛び出した。
「友達だと思ってたのに!真っすぐで綺麗な武士だと思ってたのに!」
魅摩殿の心のうちは窺い知れないが、愛憎が入り乱れていることは分かった。血涙すら流し、強烈に興奮しながら叫んだその言葉が何よりの証拠。
時行様の顔は暗く、後ろめたさからか、魅摩殿から目を背けながらも申し訳なさそうな表情をしていた。皆の口ぶりから察するに、魅摩殿は良き友人だったのだろう。その友人を裏切ることとなった。
我と時行様が関わった時間は未だ僅かだが、時行様は優しい御方だ。時行様の方の悲しみも察するに余りある。
巻き上げられた木の枝は魅摩殿の思いのまま、時行様を突き殺さんと矢のように飛んでくる。だがあろうことか、時行様は俯いたまま避けようとせず、突き刺されるのを待っているかのような状態であった。流石の我もこれには肝が冷えた。
時行様の正面に、飛び出した雫が抱きかかる。このままでは雫ごと餌食となってしまうぞ…………何か考えはありそうな感じだったが、大丈夫なのか!?雫よ……!
「雫!?」
「はッ、まとめて串刺しだ!」
「兄様にささやかな加護を。それが私の存在の証だから」
雫の身体の全てが淡く輝く。すると、雫と時行様に当たる寸前であった木の枝は魅摩殿の意志にヘソを曲げ、二人の周囲を滑るように軌道を変えた。
更に、木の枝はそのまま彼方まで飛んでいくのかと思いきや、軌道を更に変えて魅摩殿らに向き直る。魅摩殿は狙われているのに気付き、隣の丸頭巾の男と共に数歩下がる。
「くっ」「うおおっ」
木の枝は魅摩殿ら二人の方へ降り注ぎ、地面にいくつかの激突痕をつける。これはおそらく、雫が木の枝が纏っていた魅摩殿の神力を振り払うことで主導権を奪い、逆に自らの神力でそれを操っているのだろう。
「逃げるぞ魅摩!庶民のふりで潜入したから護衛がいない!」
「……チ。また来るよ北条時行、あんたの人生のとぉっても大事な時に」
そそくさと逃げ去る二人の人影を、我らは見送る。独断で追ってしまっても良いが、時行様がそれを望まれるはずはないので、皆と同様に控える。
吹き荒れる烈風の中、魅摩殿を見つめ続ける雫。時行様はそんな二人の顔をおろおろとした様子で、交互に見合わせていた。
ほぼ原作通り。飛ばしたかったけどナレ飛ばしにしては内容が濃すぎる気がして入れざるを得なかった……
追記 ミスがありました。申し訳ない(修正済み)