毘沙門天と逃げ上手───第二の軍神、旌旗堂堂! 作:伊勢守
書き溜め分が無くなったので更新は当分ないです
建武二年(1335年)八月十七日 相模国
「なんの騒ぎだ?」
「さあ?前線の方で何かあったのでしょうか」
夕さりつ方、兵舎周辺で彼らの様子を見ていた時である。ちょうど我らは時行様の
突然、兵たちの集団からざわめきが起こった。菓子を飲み込んでそちらに目をやると、どうやら前線からの報がやって来たようであった。しかしどうも様子がおかしく、兵たちのざわめきは収まるどころか周囲にどんどん波及していっている。様子を見ていると、騒ぎを聞きつけ訪れた諸将の数名が、騒ぎの中心に押し入っていく。
「なんかヤバそうだね」
「行ってみよう、皆」
時行様に従って騒ぎに近付いていく。
嫌な予感がしている。堤防が崩れて押し寄せる鉄砲水がごとく緊張が我を襲う………何となく、我は戦の香りをここ数日に察していた。尊氏の軍が日に日に迫ってきているこの感覚。前生でも何度も経験してきた、戦の前のこの張り詰めた気色。
騒ぎの大きさは止まることを知らない。恐らくだが、これは名越か三浦かの急報が這う這うの体で転がり込んできたのだろう。───尊氏の襲来を告げるために。
時行様についていく間に、そぞろな気持ちを落ち着かせる。息がかすかに震える。我がこの先、時行様に天下を捧げられるようにするためには、この戦でどれほど活躍できるかに掛かっているのだ。
兵たちに道を開けさせて、騒ぎの中心が目に入る。そこには、ズタボロになって倒れ込んでいる男を囲む兵たちと、その様子に驚きの表情を見せている二人の将がいた。
「天野殿と伊東殿。どうかしたのですか」
「若君様」
時行様が二人に声をかけると、二人は頭を下げる。
確か、目の下の掘りがたいそう深いのが天野貞村様、髭が大きくて眉が太いが瞳は小さいのが伊東祐持様だ(頼重様談)。二人とも関東庇番衆に列せられておったが、北条の勢いに乗って建武政権に反旗を翻し、今はこちらについていると頼重様は言っていた。
「この騒ぎは……見てもらった方が早いですな。おい!北条様だ!お前たちは散れ!」
「………えっ!?八郎!!」
祐持様が塊になっていた兵らを散らせると、倒れ込む男の姿がよく見えた。時行様はその倒れ込む彼に見覚えがあったようで、それが誰か気付いた瞬間に大慌てで駆け寄った。八郎殿は時行様を見るや、ガタガタの身を何とか起こそうとする。
「大殿……来て……下さったんですか……」
「だ、誰か!八郎を運んでやってくれ!」
「もう呼んでおります。いま少し経てばその方がやって来まする」
兵たちに声を上げた時行様に、貞村様がそう言う。
控えられた兵たちの間を割って布巻きの戸板がやって来る。兵士らが甲冑を着せたまま八郎殿を担いで戸板の上に寝かせると、土と血にまみれた鎧がそれを汚した。
兵士数名に持ち上げられているその間も八郎殿は暗い感情の入り混じった苦悶の面をし続ける。運ばれていく八郎殿を時行様は心配げに見つめていた。
八郎殿と入れ替わりになってこちらに近付いてくる一団が。馬上にいるのは諏訪の一門、諏訪盛高様だ。先導の者の鎧飾りには庵木瓜の紋が施されており、祐持様が呼んできたのだろうと分かる。
「伊東殿、八郎は?」
「何人か呼集し運ばせた。深い傷は無きゆえ、安心されよ」
それを聞いて盛高様が下馬されると、「そうか」と一言だけ頷いた。
盛高様が兵たちが騒いでいるのを見渡すと、険しい顔をして供廻りの数名を近くに寄らせた。そしてコソコソと耳打ちをすると、その者らが一斉に散り散りとなった。
「彼らは?」
何をしに行ったのかが気になった時行様が彼らの行方を聞く。
「皆様を呼びに行かせました。一度、政庁に集まっていただきます。もちろんこの場の皆様にも。この場の兵達には用意をさせておいて下さい。……出撃の用意を」
盛高様がそこまで言うと、時行様の顔色がみるみるうちに青くなっていく。
三浦勢の守備位置は箱根。その三浦の副将、八郎殿があれだけボロボロで帰ってきた。それが意味するのは、名越と三浦の壊滅の尊氏の襲来だ。
箱根関を越えたのならば、この鎌倉のある相模国にもう来ている。これまでの行軍速度を考慮すると、今日明日には尊氏軍と我らは激突する。
時行様が胸に手を当てて息を荒くする。緊張に襲われているのだろうか。本来ならば、盛高様もそんな時行様に心配をかけるところだろうが、状況がそれを許さない。
「……分かりました。皆は兵たちと共に出陣に備えてくれ。今回ばかりは付いて来させる暇もない」
「腕がなるねー!」
「ああ。俺たちで目に物見せてやろうぜ」
亜也子と弧次郎が威勢よく答える。時行様は皆の自信満々な様子に深く点頭すると、盛高様の馬子が引いてきたものに乗馬し、兵や町人を押しのけながら旧直義邸に向かっていった。
「にしても尊氏の野郎、いくらなんでも早すぎねぇか……」
「それだけ尊氏も本気。兄様が……北条が鎌倉に在り続けることを恐れてるから」
残された我々だったが、思わずといった感じで玄蕃が言葉を漏らす。
「裏を返せば……モグ、これは好機。快進の……ンむ……尊氏を我々が撥ね返せれば……ゴクン。東国の武士は益々北条に靡く」
「お前まだ食ってたの!?」
吹雪はそう言うと、不敵に笑いながら量の手で握っていた菓子を食べきった。
……いや吹雪、今までそんな不恰好な様で話を聞いてたのか?頼もしそうに笑ってるけれども。口元食べカスまみれで何も締まってないが。
◆◆◆◆◆◆
同年同日 相模国 若宮大路
若宮大路が赤く燃える。現実に炎で包まれていた訳ではないが、とにかく真っ赤に染め上げられていた。
夏の熱気が、ひしめく人夫らの体へ篭る。その熱は逃げたくても人に阻まれて逃げられず、より強い熱を孕んで留まる。そのせいで、もう夕方を過ぎているのにも関わらず、この若宮大路は灼熱の様相を呈さざるを得ない。
その上、ここに並び立つ兵卒は皆、必ずや足利を除き天下を北条のもとに取り戻さんという忠義と決意に燃える者ばかりである。彼らが集うこの場が熱くならないはずがない。沈みゆく日が彼らを茜色に燃やしているのも、この場を一層、火炎地獄のように見せる。
いまここに、北条の全軍が集った。
辺りに鉄の臭いが充満し、軍馬と戦士たちが長く遠い若宮大路を一分の土だに見せない。兵士たちの細かい動きがカチャカチャと鎧を揺らし、その僅かな雑音が折り重なり、まるで兵士たちの心のざわつきを奏でている。
武士は来る決戦に向けて闘志を滾らせ、馬上に跨る将は手綱を握りしめる。彼らは己が力で北条を蘇らせ、果てに待つ我が一族の繁栄を想像して戦意を高める。
『太平記』によれば鎌倉に入ったときの北条軍は五万騎を超え、兵数にして十万を上回る前代未聞の大兵力であった。三浦、蘆名、那波、天野、伊東……挙兵時には僅かな北条軍と信濃勢のみだった少年の勢力は、いまや朝廷も足利も動かし、天下を震撼させてしまうほどになっていた。
一際大きな三つ鱗が彼らの瞳を捉える。その直下で、目の前に広がる軍勢を頼重と時行は鶴岡八幡宮から見下ろす。
時行は彼らを見ていると、何故だか泣きたくなった。尊氏に勝利したわけでも、彼らが時行の前に初めて集ったわけでもないのに、ほろほろと泣き出しそうになった。
(これが皆、私に従ってくれている。しがない子供ひとりに命をかけてくれようとしている)
時行が頼重に目を合わせると、頼重はじっと見つめ返してきた。その、こんな状況には似つかわしくない和やかな顔を見ていると、時行は尊氏ていど、何とでもなると思った。今までも何とかしてきたように。
「あとは声を掛けるのみでございます、時行様」
「はい」
少年は屈託なく答える。そして数歩彼らに歩み寄り、深く息を吸った。
「皆、聞いてくれ!」
視線が集まる。反射で時行は逃げそうになる。きっと二年前、鎌倉が滅んだときの自分ならもうここから逃げ出しているだろうと、時行は思った。
「私は貴方たちの何れも失いたくはない。怪我をしてほしくもないし、危険な目には遭わせたくない。出来ることなら、皆で丸ごと逃げてしまいたい……でも、尊氏から逃げ続けるわけにもいかない」
このとき少年は、遠い存在でどこか空想の中の人物だった尊氏を、初めて現実の存在として受け止めた。遥か格上の存在で、命を刈り取りに来る天敵と忌厭していた尊氏を、倒すべき宿敵として見做した。
時行は鎌倉を奪還したときに諸将へ言った言葉を思い出す。『命を大事にしてほしい』……その願いとは裏腹に、名越や三浦たちは滅んだ。
ならば、再び願うしかない。時行はそんな気持ちで言葉を繋ぐ。
「名越高邦殿は果敢に戦ったが一歩及ばず敗れ、卑劣にも尊氏は名越殿の頸を弄んだ!三浦
尊氏はまるで己が武家の棟梁のように振る舞うが、これは甚だもって可笑しいこと。相手の武士の死を蔑ろにし、専横を極める尊氏が武家を担うなど笑止千万!」
高邦の頸が辱められたと聞いて、一挙に場が殺気立つ。その空気の変化を感じ取ったのか、馬子の連れる馬の数頭が鼻を鳴らす。
諸将の目には、高邦は将来有望な貴公子として写っていた。しかしまだまだ子供であり、その配慮など一切ない尊氏の残酷さに、北条にに身を置くものとしては怒りを感じないはずがなかった。
「このような者らに討たれることは名誉ではなく、死後も誇りを踏みにじられるのに文句すら言えなくなるということ。
だからこそ、戦う貴方たちには、本当にひとつだけ。名を惜しむな、命を惜しめ!名を上げたいなら逃げて戦い続けろ。戦い抜いて尊氏に目に物を見せてやれ!
いいか!いまここで尊氏を追いつめ、天下への布石を打つ!我らには諏訪の戦神の
『応!!』
「鬨を上げろ!曳、曳!」
『
鎌倉が地震が起こったかのように揺れる。その気勢を上げ、大歓声を巻き起こした大鯰の少年は階段を駆け下り、頼重とともに人の海を泳ぐ。人の間をするりと抜け、諏訪の一軍団にまでやってきた時行は、用意されていてた信濃一の良馬の鞍の上に乗ると、手綱を引いて馬を嘶かせる。
「いざ出陣!!」
ここに、新たな時代の到来を告げる、旧時代最後の大戦が始まろうとしていた………
◆◆◆◆◆◆
同年八月十八日 相模国 北条・諏訪の陣
「見事な大将ぶりでしたぞ時行様~~~~!!」
「ぐえっ」
頼重様が私に頬をサリサリと擦り付けてくる。もう慣れたが、いやらしい笑みが目と口をかっ開きながら近付いてくるのは、見る人が見れば
私が出陣の号令を下してから夜が明けた。今は行軍の最中にとっている小休憩中だ。頼重殿は思い出したかのように私を愛で始めた。
頼重殿は、今日中に尊氏の軍とぶつかることになるだろうと言っていた。正直、怖い。昨日まで皆の武運を祈りながら鎌倉でぼんやりしていたのに、いつの間にか尊氏は私の喉元まで刀を迫らせてきている。
というか、いつまでこの人は頬っぺにスリスリするのだろう。もうそろそろ擦れすぎて痛くなってきたのに。
「ちょ……頼重殿激しい……」
「まだまだ擦り足りませんぞ〜〜〜〜!!」
私は自分の細腕で力一杯頼重殿を押し除けようとするが、びくともしない。こんなとき自分の非力が恥ずかしくなる。というかほんとに激しい。ちょ……これ……いや力強っ!全然離す気がないんだけどこの人!?
「も、もういいでしょ頬は!」
「はい、満足しました。やっぱり、時行様の頬っぺたはたまらないですな!」
「………もー!痛いです」
私が思いっきり体重をかけて頼重殿を剥がそうとすると、パッと頼重殿は離れて、これまたいやらしい笑みを。
本当に今日には尊氏と戦うのだろうか。平時とまったく変わりない頼重殿を見ていると、それすら疑わしくなってくる。
「全く、緊張感ねーなぁ」
「しょうがないよ、頼重様だもん」
亜也子と弧次郎はいつにも増して張り切っている。特に亜也子は、正宗殿に打ってもらった新たな武器を試してみたくて仕方がないようだ。私は武器を貰えなかったが、貰っていたら亜也子同様わくわくしていただろうな、と思う。
「御注進!御注進!」
「何事だ?」
すると、この諏訪の陣に伝令が駆け込んできた。かなり急いでやってきたようで、頼重殿の前で膝をつくも声がうまく出せない様子だった。どうやら先頭の塩谷
最前列からの急ぎの報告ということで、私は尊氏が攻めてきたのかと肝を冷やす。しかし頼重殿は冷静そのもので、伝令の者が息を整えるのを顔色ひとつ変えず待っている。
「失礼いたしました。主の塩谷家重から諏訪様に判断を仰ぎたい事柄があると」
「ああ。要件を言え、何があった」
「はっ。休息していた我らの元に、一人の武士が創痍まみれで転がり込んできたのです。捕らえて拘束しているのですが、その武士が『諏訪小二郎』と名乗る故、諏訪様の御一門なのか確認していただきたく参じた次第」
「小二郎? ………生きていたのか!」
頼重殿はその名を聞くと、ひどく衝撃を受けた様子で、その伝令の者を立ち上がらせた。そして頼重殿の驚きの声が聞こえたのか、少し離れたところにいた盛高殿も小さく、
「小二郎だって……!?」
と呟いて、驚愕といった感じの表情を浮かべる。諏訪の一族の方なのだろうか。亜也子や弧次郎、雫たちも、私の手前険しい表情をしているようだが、内心驚いているように感じる。
「その、小二郎殿?はどういった方なのですか?」
「それなら私が説明しましょう。小二郎とは我ら諏訪の親族、
私が頼重殿にその『小二郎』という者について尋ねると、盛高殿が体を割り込ませて会話に入ってきた。
なるほど、名越殿と。それなら頼重殿が驚いた理由も納得できる。殺されたと思っていた身内が生きていたのなら。私だって兄上を名乗る人物が現れたらすぐ確認に行きたくなる。
しかし、金刺なんて名前は諏訪では一度も聞かなかった気がする。もし私と面識があったのなら、名前も覚えていなくて申し訳ない。本人だったらちゃんと挨拶しなければ。
「金刺?諏訪でそんな名前聞いたことありましたっけ」
「ああ、諏訪の領内では身内と分かりやすくするために金刺とは名乗らないようにしているんです。実際、私の名字も『金刺』ですし」
「ええ!そうだったの!?」
私はこれが一番の衝撃だった。盛高殿は頼重殿とは少し遠い血縁だとは聞いていたが、まさか名前すら違うとは思わなかった。確かに、関わりの薄い頃なら「金刺なのに諏訪なの?」と思ってただろうけど……
「諏訪様を煩わせるわけにもいかない故、ここに連れ立っております」
「分かった。すぐに行こう」
「頼重殿、私も着いて行きます」
頼重殿は私と盛高殿が話し終えると、すぐに会うことを決めた。私も、本当にその者が頼秀殿なら聞きたいこともあるので、頼重殿に着いていくことにする。
頼秀殿が偽物にしろ本物にしろ、そのような者が現れるということは、そう遠くないところに尊氏はいるということ。それを考えると私の手は震えが止まらない。これは怯えだろうか、武者震いだろうか……。
そんなことを考えながら、私は頼重殿の後ろを歩き始めた。
ネタバレ(史実バレ?)注意の逃げ若未登場のかんたん解説。
金刺頼秀
諏訪小二郎金刺頼秀。金刺氏は下社、諏訪氏(神氏)は上社の担当という構図になっている。実は同時期に金刺盛高という人物がいて、諏訪盛高≠諏訪頼重ならば、逃げ若の盛高はこいつのことじゃね?みたいな感じで盛高殿の本姓を金刺にしました。
中先代の乱では、8/14に『諏訪小二郎と塩田陸奥八郎を捕らえた』とあるのに8/18に『金刺頼秀を討ち取った』とあるという、捕まってるのに討ち取られてる謎経歴を持つ。(尊氏は二度刺す………!!)
天野貞村
関東庇番の一人。天野三河守。逃げ若では、泰家が集めた武士自慢をしているときに顔だけ登場。コマとセリフの配置的に、時明の右側の目のクマがすごい人だと思われる。
中先代の乱の最後で尊氏に寝返り、以後足利方として活動。
伊東祐持
関東庇番の一人。伊東六郎左衛門尉。逃げ若では天野と同様のコマで登場。時明の左側のゴツめな雰囲気の人。
中先代の乱の最後で尊氏に寝返り、日向方面で活躍。戦国時代の日向伊東氏や、それに続く飫肥藩の祖先にあたる。
塩谷家重
塩谷民部大夫。恐らく下野の塩谷(しおのや)でなく、北武蔵の国人衆児玉党の塩谷(しおや)。
中先代の乱からのその後?調べたけどなんもかんも分かんねぇよ。