マスター、このままだとメス堕ちキャンセラーが壊れちゃいますよ~ 作:メスキャン界隈
窓から木漏れ日が差し込む。
閑散とした喫茶店には、客は誰も来てない。
かちゃ、とコップを置く音だけが響いた。
カウンターには、コーヒーを入れる男性が一人。
喫茶店のマスター、この店の経営者。
――つまり、俺である。
閑散としていて、客もろくにいない喫茶店を経営している。
今日も、いつも通り閑古鳥が鳴いているみたいだ。
静かなのは嫌いじゃない。……まあ、なんとなく騒がしいところは苦手なだけだが。
客はいないが、それでもコーヒーの豆を挽いてコーヒーを作っていく。
ことり、と淹れたコーヒーを目の前に差し出した。
そこにいるのは一人の少女。整えられた金髪、目鼻立ちのはっきりとした女の子。
不真面目さを感じる割に、服装などはきっちりとしてる。
「げっ、ブラックですか」
不満そうに眉を下げて、この喫茶店にバイトをしている少女――結城ナギは差し出されたカップを手に取る。
数ヵ月前、急にバイトをさせてほしいと頼み込んできた。わざわざこんなところに来るなんて、物好きだとは思う。
「ブラックは嫌いか?」
「苦いじゃないですか」
べー、と舌を出している。そんなことを言いながらも、差し出したコーヒーをちまちまと飲み始めた。
「うげ、やっぱり苦い。でも、不味くはないのになんで客が来ないんでしょうね~」
「さあな」
「やっぱり、場所ですかね?」
喫茶店の場所を決める時に、安いところがいいかなと、それっぽく決めただけだったのがよくなかったか。
ほどほどぐらいには来ると思ったんだけどな。
路地裏とまでは行かないが、人通りの少ないところに構えてしまったし。
それにしては、あまりにも人が来ないが。
「もう少し、表通りの方に出していたらよかったな」
「そうですよ。……マスター、このままだと――」
ああ、これはナギのお決まりの台詞だ。
――マスター、このままだとお店潰れちゃいますよ~
いつも、そう言っている。
こんなに人が来ないんだったら、このままだとお店が危ないという話。
まあ、それはそうなんだが。別に、この店は俺がやろうと思っている限りは存続するんだけどな。
楽なバイトだから自分はいいけど、なんて軽口も叩きながらもそういうことをいつも言ってくる。
今回も、その話だろう。
「――催眠アプリの会社が潰れちゃいますよ~」
「……ごめん、何て言った?」
「だから、催眠アプリの会社が潰れちゃいますって」
「どこから出てきたんだよ、催眠アプリの会社」
待て待て、どういうことだ?この店が潰れそうって話じゃなかったか?
ちまちま飲んでいたコーヒーのカップを、ナギは一度置く。
「ここって人通りが少ないじゃないですか。だから、上の階にある催眠アプリの会社も危ないかなって」
「なんでそんなもんがあるんだよ、ここに。ってか潰れていいだろ」
「……本当にそうですか?」
じっ、とナギの瞳がこちらを見据えた。真剣なその様子に、思わず息を飲む。
催眠アプリ会社が潰れたら、よくないこと?何かあったか?
「――私の催眠だって、解けてしまいますよ?」
「……えっ、催眠にかかってんの?」
「はい。だって、来たときはこんな感じじゃなかったですよね?」
ひらり、とその場で一回転してみせた。なぜ、そんな行動を?
服装を見せても何もないけど。そもそも、喫茶店のユニフォームだし。
確かに、ここに来たばかりのナギはどこかぶっきらぼうだったし。一人称も、私じゃなくて俺で。
髪や服装だって、もう少しだらしなかったような。
その場で急に一回転するようなやつでもなかったか。
……ということは。
「もしかして、催眠アプリの影響でこんな性格になったってことか?」
「正解です。だから、解けたら今の私じゃないですよ?」
不安げに、ナギの瞳が揺れた。そのまま、こちらをちらり、と見ている。
つまりは、今の自分じゃなくて元に戻ってしまうことがそんなに不安って訳か。
そんなこと、気にしなくてもいいのに。バイトだから愛想は良くしてほしいぐらいか。
「別に解けてもなんもないだろ」
「……本当ですか?」
「本当だよ。ってか、誰がかけたんだよ。その催眠って」
「えっ、自分でかけましたけど。今までの自分が、嫌だったので」
マジか、そんな使い方できるのか。だったら、結構使い道あるんじゃないか?
性格を変えるような自己暗示ができるなら、挑戦事とかに使えそうだが。
……むしろ、それ以外の使い道がたぶん邪悪な方面じゃないか?
潰れた方がいいんじゃないか、その会社。
というよりも。
「そもそも、それってアプリなんだよな?」
「そうですよ?」
「じゃあ、人通りが少なくてもネット上で配信とかしてるなら、問題ないんじゃないか?」
「あっ」
よくよく考えたら、アプリなんだから手渡しでやってるわけじゃない。何かしらのサイトとかから、配ってるものだろう。
じゃあ、その会社も人通りが少ないぐらいじゃ潰れることもないだろ。知らんけど。
「そもそもそれって、数渡すもんじゃないからそんな客にたくさん足運んでほしいようなものでもないだろうし」
「うーん、確かにそうですね。私も、変なリンクから貰いましたし」
「踏むなよそんなリンク。危ないだろ」
「でも、お陰でこうして元気にしてますし」
あはは、と軽快に笑ってるけど。それが作られたものだと思うと、いいことなのかはわからない。
こうしてみると自然だが、それでも自己暗示かどうかのものなんて、俺にはわからないしな。
「そもそも、会社が潰れてもアプリは消えないんじゃないか?」
「うーん、会社と連動してて何かあったら消えるみたいなんですよね」
「とんでもない証拠隠滅してるな。でも、効力は残るんじゃないか?」
「効力が残ったら証拠隠滅にならないじゃないですか。消えますよ、きっと」
「どんな超技術だよ」
自動で消えて効力までなくなる催眠アプリとか、そんなファンタジーみたいなものがある世界だったのか、ここって。
そこら辺のやつが催眠アプリ持ってるかもしれないってことはあんま考えたくないな。
……そもそも、その会社は存在してていいのか?
まあ、いいか。俺が関わることじゃない。
「……催眠が解けても、私ってここでバイトできますかね?」
「やりたいなら、どんな性格でも気にしないけど」
「へえ、そうですか」
少しだけ、ナギの口元が緩んだ。ふわり、と軽い笑みを見せてからそれを隠すように、コーヒーの入ったカップに口をつけた。
「……やっぱり苦い」
「砂糖かミルクいるか?」
「両方ください」
砂糖とミルクを入れてから、ぐるぐるとスプーンで混ぜていく。コーヒーが少しずつ色が変わっていく。
こいつの心も、自己暗示でこんな風に変わったのだろうか。コーヒーを心に例えてるのもよくわからんか。
っていうかその会社よりも、問題はこの店の方ってことにならないか?
「にしても、来ませんね。お客さん」
「いつも通りだな」
「マスター、このままだとお店潰れちゃいますよ~」
それよりも、こいつが催眠にかかったままでいいのかだけが心配だな。
……見てる限りは、大丈夫そうだけど。