食堂での一件から数日、トリステイン魔法学院におけるライの評価は、留まるところを知らない勢いで跳ね上がっていた。ライはユーリアの身の回りの世話を完璧にこなしていた。もっとも、二人きりになるとユーリアが「滅相もございません!」と恐縮してしまい、実際にはお茶を淹れる程度の大した仕事しかさせてくれなかったのだが、表向きのライは実に有能な従者だった。
さらに、ライは自身の主であるユーリアの評判を落とさないため、という明確な理由のもと、周囲の生徒たちから持ち込まれるちょっとした困りごとや頼みごとも、持ち前の誠実さで快く引き受けていた。その結果、いつしか学院中のほとんどの女子生徒、さらには一部の男子生徒までもが、物腰柔らかで容姿端麗なライに憧れの眼差しを向けるようになっていた。
「いいなぁ、ユーリアさん。私もあんなに素敵でイケメンの使い魔が欲しいわ……」
「一見ただの人間の使い魔だと思ってたけど……やっぱり『万象』が召喚した使い魔は一味違うね~」
廊下を歩けば、そんな羨望の吐息がそこかしこから聞こえてくる。そして、その熱に浮かされたのは、周囲の有象無象の生徒たちだけではなかった。
「あの使い魔……ふふ、ちょっと素敵かもしれないわね」
そう言って、窓の外で他の生徒の手伝いをしているライを見つめ、微妙に頬を染めていたのは、薔薇の貴公子を自称するギーシュ・ド・グラモンの恋人、モンモランシーだった。
「な、何だって……!? モンモランシー、今何と言ったんだい!?」
隣にいたギーシュは、愛する彼女のその言葉と表情に、目に見えて大ショックを受けた。自身の美貌と華麗な魔法こそが至高であると信じて疑わない彼にとって、平民の、それも他人の使い魔に恋人が目を奪われるなど、断じて許せることではなかった。
「ちょっと、ギーシュ、大声を出すのはお止めなさいな」
「止められるものか! あの平民め、僕の美しいモンモランシーをその不埒な容姿でかどわかすとは……! 万死に値する!」
「貴方だって私というものがありながら、しょっちゅう他の女の子口説いてるじゃない……」
彼女のツッコミを余所に、嫉妬の炎を激しく燃え上がらせたギーシュは、愛用の人工薔薇の杖を握り締めると大股で広場へと歩き出した。ちょうどそこには、講義の合間にライを伴って涼んでいたユーリアの姿もあった。
「そこなユーリア・ド・ラ・ボームの使い魔! ライとやら!」
ギーシュの声が広場に響き渡り、周囲の生徒たちが何事かと集まってくる。聞き覚えのある声帯にライは驚いたように振り返り、ユーリアは不愉快そうに美しく整えられた眉をひそめた。
「何の用かしら、グラモン。私の使い魔が何か不手際でも?」
ユーリアが冷徹な、しかし一分の隙もない言葉で問い詰める。しかし頭に血が上ったギーシュは、いつもなら彼は挨拶代わりにユーリアを口説いているのだが、今回はそんな彼女に目もくれず言い放つ。
「不手際どころではないさ! その男は不埒にも、我が愛しのモンモランシーの心を惑わした……これは僕の誇りに対する侮辱だ! そこの使い魔、貴様に決闘を申し込む! 貴族の戦いから逃げることは許されないぞ!!」
ギーシュが杖を突きつけ、大真面目に宣言する。周囲の生徒たちからは「お、ギーシュが嫉妬で決闘を挑んだぞ」と野次馬の歓声が上がった。ライは突然のことに困惑し、戦う理由の理不尽さに苦笑いを浮かべた。戦場で命のやり取りをしてきた彼からすれば、あまりにも子供じみた諍いだったからだ。彼が断ろうと口を開きかけた、その時だった。
「私の使い魔に、無礼な真似は止めなさい」
地を這うような、しかし凍てつくほどに冷徹な声が、広場の空気を一瞬で氷結させた。声の主はユーリアだった。彼女の周囲の空気が、四大元素の魔力の高まりによって微かに歪んでいる。前世で、最愛の主であるライの副官を務めていた彼女にとって、ただの学生にすぎない男が、我が主に向かって杖を突きつけ、傲慢に決闘を迫るなど、不敬の極みであり絶対に容認できない暴挙だった。
「ギーシュ・ド・グラモン。貴方のくだらない嫉妬に、私の使い魔を巻き込まないでくれる? これ以上、無意味な挑発を続けるというのなら……この私が、貴方のその誇りとやらを根底から叩き潰してあげてもいいのよ?」
「万象」の二つ名に恥じない、圧倒的な魔力の威圧。さすがのギーシュもその迫力に一瞬気圧され、冷や汗を流した。しかし、ギャラリーのなかにはモンモランシーもいる。ここで引き下がれば男が廃るという歪んだプライドが、彼を突き動かした。
「くっ……! 万象のユーリアが相手とて、僕は退かん! 僕は、その使い魔の男に真剣勝負を挑んでいるのだ!」
ユーリアの制止すら跳ね除け、あくまでライを睨みつけるギーシュ。ユーリアの瞳に明確な怒りの焔が灯り「私の忠告を聞く気が無いのなら……」と彼女が本気で杖を構えようとしたその瞬間。
「分かったよ。その決闘、僕が受けよう」
ライがユーリアの前に一歩踏み出し、遮るようにして遮断した。そして、慌てて自分を見上げるユーリアに向かって、周囲には聞こえないような優しい声で、しかし毅然と言い含めた。
「ありがとう、ユーリア。でも、ここで君が戦ったら、僕のせいで君とグラモン家の間に余計な確執ができてしまう。それは僕の本意じゃないんだ。……それに、君の誇りである僕が、ここで逃げるわけにはいかないだろう?」
ライがかつて戦場で見せていたような、頼もしく、そして不敵な微笑みを浮かべる。その表情を見た瞬間、ユーリアは言葉を失い、ただただ胸を高鳴らせてコクリと頷くことしかできなかった。
「ふん、殊勝な心がけだ。では日の暮れる頃、いつもの広場で待っている!」
ギーシュは勝ち誇ったようにそう言い残し、マントを翻して去っていった。こうして、学院中を巻き込む「異世界の元軍人」と「貴族の魔術師」による、あまりにも不条理な決闘の幕が上がろうとしていた。