Ivll(イヴル)──The Infectious Monster──   作:ヒビルジョー

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序章─「感染」─

 

 

ついさっきまで、私の前には、天使がいた。

継ぎ目のない金属の鎧に身を包み、私の目の前で辺り一面を壊し回り、私を殺そうとした、芸術品みたいで残忍な天使。

 

そして今、私の前には、怪物がいる。

蠢く肉塊で全身を形作り、私の目の前で天使を噛み砕いて、汚した、汚物の塊みたいで凶悪な怪物。

 

この光景は全て、ほんの十数分前には、微塵も予想しなかったこと。

 

 

ましてや、この怪物が、私と─────

 

 

 

───────────────────

 

 

そう、ほんの十数分前までは、いつもの、普通の日々だった。

 

この辺りではかなり大きな駅に隣接した、公園を内包した大型の商業施設。

その中を私──玖蘭 緑星(くらん みほ)は、学校を終えた寄り道として歩いていた。

 

特に何か買い物や用事があったわけではない。

言ってしまえば単なる散歩。

 

ただ、うっすら、私は期待してた。何かが起きないかな、と。

何が、と聞かれたら具体的な例はうまく浮かばないけれど。

 

とにかく、これまでと違う「何か」が、私は欲しかった。

 

最近…例えば、中間テストの結果が、どの教科もだいたい平均値の少し上か下辺りだった時とかに、私はふと思うようになった。

 

私の人生って、この先もなんとなく過ぎていくのかな。

 

他人と比べて大きく得意なことも、苦手なこともない。

これまで良くも悪くも、人生に影響するような出来事も経験していない。

今のところ、平凡だけどまあまあうまくいってるこの人生が、今後も変わりなく続くような予感がしている。

 

別に、それが不満ってわけじゃない。今の私の生活は気に入ってる。

家族のことはみんな好きだし、学校でも友達と楽しく過ごしてる。

 

毎日は充実しているのだ。でも時々、やっぱり思わずにはいられない。

 

日曜の朝にやってるアニメみたいに、妖精が現れて変身能力をくれるとか、そんな大げさなことはさすがに望まないけど。

 

とにかく、これまでと違う、何かが起きないかな、と。

 

 

「………はぁ…」

 

…まあ、現実はそんな都合よく、何か起こったりはしない。

 

結局、私はため息と共に散歩を切り上げて、家に帰ることにした。

今日の晩御飯は何だろう、とか考えながら、惰性でスマートフォンのSNSを開いて。

 

 

「UFO」「未確認飛行物体」

 

そんなワードが、トレンドに入っているのが見えた。

 

気に入って詳細を見てみると、流れてくるのは、無数の写真や映像。

投稿は世界中の様々な国から。どれも、同じような見た目の、空に浮かぶ物体が映っている。

 

途切れない無数の投稿をひたすらスワイプしているうちに、周囲からどよめきやざわめきが聞こえてきた。

 

スマホから視線を上げると、周りの人はみんな空を見上げたり、指差したり、スマホのカメラを向けている。

 

私もそれに倣って、上を見上げ、

 

 

そして、「それ」を見た。

 

 

夕方に近づき、うっすらオレンジ色が浸透し始めた空。

そこに、さっきまでスマホの画面で溢れかえっていた、あの未確認飛行物体が静止していた。

 

 

SNSの大量の投稿は、どれもAI生成ではなかったというわけだ。

私の視線の先にある飛行物体も、まったく同じ見た目をしている。

 

金色と銀色のヘリンボーンみたいな模様が表面に描かれている、弧の形をした金属らしき構造体。

それが何本も重なり、組み合わさって、渦や螺旋にも似たリングを形作っていた。

 

明らかに崩れてしまいそうな構造なのに、直径100mはあるそのリングはそんな素振りを見せず、たしかにそこに存在していた。

 

 

 

…起きちゃったよ。これまでなかったこと。

 

願いが叶ったのに、私はただ口を半開きにして立ち尽していた。

だって、あまりにも唐突で、現実味もなくて。

 

でも、その非常識な現実は、私を置いてきぼりにして、さらに常識を変えていく。

 

「こちらの惑星にお住まいの皆様に、お知らせいたします」

 

 

辺り一面に響く、デパートのアナウンスみたいな声。

発信源は、やっぱりあのリング。

 

 

「本日を持ちまして、こちらの惑星は、不浄と判断されました。したがって、これより皆様には私共から滅却が与えられます。今後、私共のことは「天使」とお呼びください。それでは、どうぞ良い最期を」

 

 

…今、なんて?

 

理解する時間もくれずに、リングの内側が光に包まれ、パイプオルガンのような音が響き渡る。

 

その光の門から、次々と現れる人影。

 

身長2mくらいの、背中に翼を生やした、鎧を着込んだ騎士。

いや、手足や胴体にはやけに細かったり、ねじ曲がった部位があって、明らかに中に人が入ってる構造をしていない。

 

翼だって、羽が生えてない、鳥の骨や飛行機の骨組みみたいな、風を受けられそうにないスカスカの金属の翼。にもかかわらず飛んでいる。

 

…あれが、天使なんだ。

想像してた天使とはだいぶちがうけど、天使だとは納得がいった。

 

天使達は、身体と同じ素材らしい金属の弓を持っていた。

手のひらから身体の金属を一部だけ分離して、槍みたいに長い矢に変える。それを弓につがえると、弓から光の弦が張られる。

 

そうして、天使達は一斉に、弓を引き絞り、そして放した。

 

矢の雨が周りのビルに降り注ぐ。

背の高いビルの上から順番に、矢が突き刺さった場所が粉々に爆散していく。

 

さっきまで呆然と空を見上げていた地上の人々は皆、爆発と一緒に悲鳴を溢れさせながら逃げ惑い始めた。

 

私もそう。互いを突き飛ばして無我夢中で走る人達の間をなんとか潜り抜けて、とにかくこの場から少しでも離れたい一心で脚を動かす。

 

「どうして」という言葉だけが、ずっと頭の中で乱反射していて。

走りだして30秒も経たずに、私の近くの地面に、矢が炸裂した。

 

吹き飛ばされて、アスファルトの地面に全身を叩きつけられる。

 

痛みよりも衝撃を強く感じて、身体が動かない。視界はブレてよく見えない。激しい耳鳴りしか聞こえない。

 

それから数秒か、いや数十分経ったのか。時間感覚がぐちゃぐちゃで分からない。瓦礫に寄りかかって仰向けに倒れている私のそばに、天使が1体降りてきた。

 

顔らしき部位を私に向けているけれど、一切感情らしきものは感じない。

 

ただ、手に持った矢をより太く長く、槍へと変形させて、私の胸目掛けて振り下ろした。

 

考えるより先に、私の身体が動く。さっきまで自分の身体じゃなくなったみたいに全く動かせなかった身体に、本能が爆発的に力を供給したみたいだ。

 

そうして反射的に身体を捩らせた瞬間、アスファルトに槍が突き刺さる音が、地面を通して背中に響く。

その直後、感じたのは、脇腹の一部が潰れて無くなる感触。

 

「…っ゛!…あ゛あぁっ…!!」

 

激しく叫びたいのに、喉からは私のものとは思えない掠れた嗚咽しか出ない。

槍で抉られた脇腹の傷口が、焼けるように熱く感じる。

まだ温かい血が流れだして、地面づたいに私の制服に染み込んでいく。

 

そんな私を変わらず見下ろして、天使は、また槍を振り上げた。

もう一度身体を捩る体力も気力も、私にはない。

 

「どうして」という言葉が、改めて私の中に反響する。

 

どうして、こんなことになっちゃったの。

どうして、こんな目に合わなきゃいけないの。

 

何かが起きることを、私が望んだから?

でも、いくらなんでもこんなことは望んでないのに。

こんな、それまでの「普通」が全部壊れちゃうような出来事なんて。

 

 

…私の問いに答えてくれる人はいない。

 

天使が、再び私の心臓に狙いを定めてくる。

 

 

───いやだ。

 

 

槍が再び振り下ろされるその時が近づいて、私の中はその言葉に全部塗りつぶされる。

 

やだ。

死にたくない。

まだ死にたくない。

こんなふうに、死にたくない。

 

何で死にたくないのかなんて、それは全然うまく答えられないし、どうでもいい。

どんな代償があってもいいから、今ここで死ぬのだけは絶対にいやだ。

 

 

誰か、

誰か、助けて────!!

 

 

…助けを求める声も出せず、私を助けてくれる人は来ない。

 

天使が、私の心臓を穿つ一閃を放つ───

 

 

 

 

その瞬間、巨影が私の頭上を走った。

 

 

天使は飛び出してきたそれに胴体を挟まれて、現代美術の彫刻みたいな身体を無残にも真っ二つに噛み砕かれた。

 

地面に落ちた天使の上半身が、それに対して槍を突き刺さそうと抵抗したけど、その前に、それが頭を踏み潰した。

 

私は一瞬痛みを忘れて、それのいる方に視線を移す。

 

ついさっきまで天使がいた位置に、それは───そいつはいた。

 

そいつの全体的なシルエットは、ワニとかコモドドラゴンみたいな、4本足の爬虫類によく似ていた。

 

でも、そいつが普通の生き物じゃないのは明らかだった。

 

大型トラックより大きなそいつの身体は、うぞうぞと蠢いていた。

 

よく見ると、綱引きに使うロープくらいの太さをした、艶のある黒いミミズみたいな肉塊が無数に絡まり、束になって、そいつの身体を構成しているのに気がつく。多分そいつの筋肉とかにあたる物なんだろうな。

 

肉塊に覆われてない部位もあって、それらは骨が剥き出しになってるように見える。

 

足の先から生えた、錨みたいに太く鋭い爪。

背中に等間隔で並ぶ、肋骨が反対方向に生えて体外に飛び出したような、曲線を描くトゲ。

魚の骨みたいに、一列になった針を上下左右、十字に生やした尻尾の先端。

 

でも一番特徴的なのが頭。

ほぼ全体が肉に覆われてなくて、ティラノサウルスとかの肉食恐竜の頭蓋骨を、上下逆さまにしてそのまま身体にくっつけたみたいだ。

なんで逆さまかって、眼窩──目玉が入る穴が、下顎の骨の方にあるからだ。

しかも、そこに目はない。穴からは、枯れた大木の幹みたいな、いくつも枝分かれした角が頭の上にまで伸びていた。

 

…まさに、怪物だ。

 

 

一目見ればわかる。この怪物も危険な存在だ。

 

たまたま私を殺そうとした天使を襲っただけで、私を助けてくれたわけじゃない。

 

目の前のあいつがその気になれば、私は一瞬で殺される。

 

 

天使を壊し尽くした怪物が、身体を震わせる。

何をするんだろうと思ったとたんに、怪物は喉元をより強く痙攣させる。

 

ガバッと口を開いて、怪物が吐き出したのは、暗紫色のドロドロした液体だった。

 

私にはそれが、今この瞬間にも私から流出していく赤い液体と同一のものだと直感で読み取れた。

 

怪物は血を吐いていた。

天使には傷一つつけられてないのに。

恐怖と嫌悪の塊みたいな姿のそいつが、苦しんでいた。

 

その時、空からいくつもの気配を私は感じた。

怪物も同じく、歯の隙間から血を滴しながら上を睨む。(目はないけど、顔をそっちに向けているから、そんな風に見えた)

 

周りにいた5人の天使達が、怪物を包囲して集まっていた。

 

怪物は背中のトゲを震わせて、大型のエンジンみたいな唸り声をあげた。

怪物は、まだ戦うつもりだ。

 

天使達が矢を一斉に放つと同時に、怪物は横に跳ぶ。

狙いを再びつけようとした天使の1体に、周囲の瓦礫を利用した三角跳びで一気に近づき、その爪で4分割に切り裂いた。

 

残り4人の天使達は、一人やられたことに何の反応もなく、再び矢を放つ。

 

4本の矢が、怪物の背中に突き刺さる。やはり暗紫色の血が怪物の身体から吹き出した。

 

でも怪物は止まらない、怯みもしない。再び跳び上がって、爪を振るう。

 

1度見た技だ。天使もひょいと後ろに下がって爪を躱した。でもそこで終わりじゃない。

 

爪を振るった勢いで、怪物は全身をひねる。

そこから繰り出したのは、針だらけの尻尾によるフルスイング。

 

爪の間合いから逃れても、尻尾の間合いからは逃げられず、天使は陶器の壺のように粉砕された。

 

残る天使は3人。奴らは矢を変形させた槍で、着地した怪物の真上から一斉に急降下してきた。

 

それに対する怪物の次の一手はというと、

 

ボシュッ、と、花火を発射するような音がして。

 

次の瞬間には、怪物の背から一斉に射出されたトゲに、残りの天使達は貫かれていた。

 

 

天使だったガラクタは、地面に散らばった。怪物は雄叫びでも上げるかと思ったけど、また咳き込むみたいに血を吐き出した。

 

まただ。

やっぱり、あの怪物は苦しみながら戦っている。

 

吐き出す血の量も明らかに増えてる。天使の矢が突き刺さったのが効いているんだ。

それに、最初から血自体は吐いてたし、たぶん身体のどこかが悪いんだろう。

 

それなのに、怪物に止まる気はなかった。

 

次の標的──まだ離れた場所で破壊活動に励んでいた天使達を捕捉していた。

 

そんな身体で、何で戦おうとするのか、私にはいっさい理解できない。

 

でも、怪物はこのまま、苦しみ続けて、いつか完全に壊れるまで、戦うことをやめないだろう。

 

おそらく跳躍するために怪物は力を込めて、後ろ足の肉を膨張させて身体を丸め、

 

 

「───ま、待って──」

 

 

その背中に、私の手が触れた。

 

さっきまでひどく重かった身体をよろめきながら起き上がらせて、頭で生成する前に口から言葉が漏れ出した。

 

…いや、何してんの私?

自分の行動があまりにも突拍子もなく思える。

確かに怪物が苦しそうに見えたけど、だからってこんなヤツを止めようとする?ましてや触ってまでして。怪我した野良猫を捕まえるのとはワケが違うっていうのに。

 

大体、こんな怪物が私の意思を汲み取ってくれるとは限らないじゃん。食べ物が向こうからやってきたとか思われてる可能性だってあるのに。

何より、怪物が苦しそうなら、私だって苦しいっての。というか間違いなく私の方が重傷だよ。

 

それを思いだした途端、身体の重みが増してきた。

首を持ち上げるのが辛くなってうつむくと、身体を動かしたせいで、脇腹の傷口から血が勢いを増して流れていくのが見える。

 

ああ、今度こそもうだめ。

 

死にたくない。死にたくないけど。

せめて死ぬなら、この怪物に噛み千切られて一瞬で死ねるといいな…

 

そんなことを考えながら、怪物の背中に寄りかかって私の意識は薄れていった。

 

 

 

「いいだろう、借りるぞ」

 

 

 

……………え?

 

声が聞こえた。

幻聴ではなく、鮮明に。私以外の誰かの声が。

 

声の主がはっきりするより早く、怪物の全身がビクンと脈動する。

次の瞬間、怪物の身体は急激に流動しながら溶け縮んで、私の傷口に飛び込んできた。

 

傷口から私の全身へと、異物が浸透していく。

その信じられない位の苦痛や不快感に、私は声にならない悲鳴を叫ぶ。

 

やがて数秒が経って、怪物の肉が私の中に全て注ぎ込まれた。

苦痛がそのタイミングでプツリと消えて、そこで私の意識も同じようにシャットダウンした。

 

 

…やがて、私はすぐに目を覚ます。

今度は数分も経っていないのが、感覚で理解できた。

 

いつの間にか倒れていた身体を起き上がらせると、破裂した水道管が広げていた水溜まりが目に入る。

 

そこに投影された、見慣れた私の姿は、制服が赤黒く染まり、脇腹の辺りが大きく千切られていた。

けれどその下には、傷一つない滑らかな肌が広がっている。

 

そこで私はようやく、天使に刺された痛みや、怪物が体に入り込んできた苦痛が綺麗さっぱりなくなっていたことに気づいた。

 

さっさきまでの出来事は、まさか夢だったのか?

 

そんなわけない。周囲を埋め尽くす瓦礫が揺るがぬ証拠として存在している。

 

それから、相変わらず空に鎮座するリングに、天使達も。

 

離れた場所で破壊活動に勤しんでいた天使達が、異変に気づいて近づいてきていた。

 

まずい、逃げなきゃ──!

 

 

「その必要はない」

 

 

身体を動かす前に、再び声が聞こえた。

今度は、私の頭の中からだ。

 

そうして、私の身体の内側から、苦痛と不快感がまたしても沸き上がってきた。

 

足が震える。叫びたいのに声が出ない。

私の中から沸き出た異物が、私へ滲んで広がっていく。

 

自分という存在が、数十兆個の細胞が集まってできていることを日頃から意識している人なんて、めったにいないだろう。

 

でも、この時の私は、その希少な人間の仲間入りをしていた。

明確に感じる。私の細胞の一つ一つに入り込んだ異物は、核を通り抜け、私の命を構成している2重螺旋にたどり着く。

 

異物は自らを構成していた螺旋を取り出し、私の2重螺旋に絡み付く。結果、私の細胞は乗っ取られる。

 

異物は乗っ取った細胞へと増殖を促進して、異物の細胞は無数のコピーを異常な速さで次々と量産していく。

 

そして、それらは無数の細胞で一斉に起きたこと。

 

数秒にも満たない時間で、十分な量が集合した異物の細胞は、私の体外へ顕現した。

 

 

どす黒い、ミミズみたいに蠢く肉塊となって。

 

 

「あ、あああ──────!!!」

 

肉塊が全身から湧き出してくる、そのおぞましい感触にようやく悲鳴を出せたのも束の間、私は全身を肉塊に覆い尽くされた。

 

ぐちゃぐちゃした視界に、ぐちゃぐちゃした感覚。そこに混じって、僅かに、肉塊から硬い組織が構成される感触もした。

 

そうしてまた、永遠にも似た数秒を経て、私はこの破滅的な感覚から解き放たれた。

貪るように激しく呼吸をする。その息づかいが、普段と明らかに違うと気付く。

 

気付きたくなかったようなその違和感を、私はもう1度水溜まりを見下ろすことで直視することになった。

 

そこに私はいなかった。

そこに、怪物はいた。

 

映し出された怪物(わたし)は、骨だけの頭に、前足の爪を添える。

頬の辺りに固いものが触れる感触が、現実を証明する。

 

 

……うそ、私、怪物になっちゃった。

 

 

もうどうすればいいか何も分からない。

空想と現実の境目が、私の中ではなくなってしまったみたいだ。

 

でも、現実はたしかに私を引き戻しにきた。

天使達が放つ、矢の風切り音となって。

そうだ。天使達のことをこの短時間で忘れてしまってた。

 

 

「行くぞ、壊せ」

 

 

次の行動を考える前に、怪物(わたし)の身体は、その声に引っ張れるように跳躍した。

 

身体が軽い。こんな巨体なのに。

自分の身体となったからよく分かる。 今の怪物は、さっきまで血を吐きながら戦ってた時とは違う。

 

やっぱり怪物は苦しんでいた。でも私が怪物となって、状態は完璧になった。

 

向かってくる無数の矢を難なく飛び越えて、怪物(わたし)はまだ原型を留めていたビルの壁に張り付き、駆け抜ける。

 

天使達は懲りずに矢を乱射してくる。ああ、鬱陶しい。

ビルの壁面からジャンプして、矢の雨にわざと突っ込む。

 

空中で身体を捻り、矢を躱しながら、その中の1本を掴んで天使に投げ返す。

命中。天使が1体、胸を貫かれた。

他の天使達は何の反応も示さない。矢を放つ手を止めない。芸のない奴らだ。

 

感じる。私のものではないけど、今は間違いなく怪物(わたし)から沸き上がる衝動。

 

壊せ──

この天使とかいう奴らを、壊し尽くせ──。

 

そこからは一方的だ。万全な状態の怪物《わたし》に、この天使達は敵じゃなかった。

頭を叩き潰す。胴体をねじり切る。羽を噛みちぎる。両足を掴んで真っ二つに引き裂く。

 

こいつらも逃げようとしないから、全滅させるのに思ってたより時間はかからなかった。

最後の仕上げに、空中で回転しながら背中のトゲを一斉に射出して、周りの天使達をまとめてバラバラにしてやった。

 

天使達を根絶やしにして、怪物《わたし》は上空に鎮座するリングを見上げる。

きっとあれを壊せば、ひとまず天使達はやって来れなくなる。

 

怪物《わたし》は足を強く地面に突き刺し、身体を固定する。

 

大砲を向けるみたいに、首を伸ばし、頭をリングに向けて持ち上げて、ゆっくりと口を開く。

 

怪物《わたし》には目がついてないというのは、間違いだったと今は分かる。

 

開かれた口の中には、口蓋を乱雑に埋め尽くす、無数の真っ黒な眼球。それに備わった緑色の瞳が、一斉にリングを見つめる。

 

 

次の瞬間。世界を切り裂くように、緑の閃光が空を突き抜けた。

一つ一つの眼球から発射された光線が、1本に収束して、リングの側面を貫いた。

 

リングは穿たれた穴から炎と煙を吹き上げて、金属がひしゃげる音と共に墜落していった。

 

リングは地に落ち、轟音と粉塵を巻き上げる。

さっきまで世界の終わりを告げていた天使達は、粉々に砕かれて瓦礫に混じり、元の姿を忘れ去られた。

 

その瓦礫の山脈と粉塵の雲の中で、咆哮を上げる怪物《わたし》だけが動いていた。

 

 

紫色が迫りだした、夕暮れの終わり頃の空。

破壊を終えた怪物の身体は、腐るように溶けていく。

 

骨や爪が転がり、蠢く肉塊達は一つの塊に溶け合いながら、ゆっくりと形を小さくしていく。

 

「───────っ!げほっ……!」

 

最後に残った小さい塊の中から、私の身体が顔を出した。

 

人間の姿で呼吸をしたのが、もう何年振りかに思えた。

 

…そう、人間の姿で。

もう間違えられない。これが現実。身体中にべっとり纏わりつく黒い粘液が示す。

 

「……なんなの…これ…」

 

それはこの粘液に、この現象に、この身体に向けた独り言。

 

 

「まだ理解できていないのか」

 

それなのに、また何かの声が返事をする。

 

いや、もうわかってる。分かりたくないけど、この声が何なのかはわかってる。

 

事実を拒絶したい私を嘲笑うように、声の主は───怪物は、私の内側から語りかけてきた。

 

粘液に覆われた私の手のひらに、緑色の瞳をした黒い眼球が一つ、浮き出てくる。

私を見て、こう言葉を発した。

 

 

「お前の身体は、俺が借りさせてもらった」

 

 

……思い出す。

日曜の朝にやってるアニメでは、ちょうど私くらい、中学生の女の子の前に妖精が現れて変身能力をくれることを。

 

予想なんてしてなかった。それが、私の場合は、汚ならしい怪物だったと。

 

ましてや、この怪物が、私と─────私と一緒になるなんて。

 

 

 

───これが、私の「平凡」の、日常の終わり。

これが、私が望んでいたはずの新たな始まり。

 

 

いや……私と、私が「感染」した怪物。

 

私と怪物───イヴルとの始まりだ。

 

 

 

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